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検索対象: 広瀬仁紀 銀行破産
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1. 広瀬仁紀 銀行破産

受話器をもちなおしながら、そう思った熊谷の耳のそばで、屈託のない野田の声が聞こえはじめた が、用件といってもきわめて他愛のないものだった。 熊谷の新年の挨拶もろくに聞いていないような調子で野田がいいだしたのは、相馬景子が開いてい る銀座のクラ・フ「エルドラド」に、熊谷を誘うことであった。 オしカ今夜あたり暇をつくれないのかね ? 」 「たまには一杯やろうじゃよ、、。 熊谷にしてもイーグルⅡ改をめぐる商戦で、三国物産をねじふせた野田の上機嫌さが年を越して もつづいているらしいのがわからないわけではない。熊谷はすぐ承知した。 もっともこう誘われたからといって、大事な取引先の役員に店の支払いをさせることはできない。 「あの店では、私のほうが常務より先客ですからね。勘定のほうはまかせてくださるとおっしやるな ら、お供しますー 「そんなことはどうでも、 しいが、貴方もずいぶんと律気な人だな。それじゃあ、ごちそうになるとし ようか。あらゆる点で、あの店では貴方が先輩らしいからー 「それでは、そうさせていただきますので : 一エルドラド」で落ちあう時間をきめてから、熊谷はさり気なく挨拶して電話をきったが、内心から しゅうち わきあがってくる一種の羞恥はおさえきれなかった。 どうやら野田は、熊谷と景子との特別な関係に気がついているようであった。女には達者なだけに、 直感的に判断したのか、あるいは景子のロを割らせたのか、そのあたりまでは熊谷にもわからないが、 商 いずれにしても、そのことで野田が熊谷に不快感をいだいていないのは確かだった。不快感をいだい ているのなら、正月早々、その女がママでおさまっている店に当の熊谷を誘ったりするはずがない。壽 ( ことによると野田常務という人は : : : ) そういう趣味があるのではないか と、熊谷は思った。女の体のすみすみまでを、互いに承知し

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警察から一度も連絡がなかった。あるいは、大石常務の内々の工作が効を奏して、事件はうやむやの うちに処理されたとでもいうのであろうか ? まさかそういうことがあり得るとは思わなかったが、明日の昼すぎには東京へもどらなければなら ない馬場は、少なくとも今日中に警察へ行ってお礼ぐらいはいっておきたかった。そして、できれば 刑事課長と、同行してくれた年輩の刑事と酒食を共にしたいと思った。馬場が誘っても警察官が気軽 に応じてくれるものかどうかわからなかったが、あの二人の警察官は一緒に盃を汲みかわしたいとい う気持を起こさせる雰囲気をもっていた。 ホテルのエレベーターに敏子と一緒に乗ったとき、馬場がそのことをいうと、 「そうでございますわね」 と、エレベーターの中には二人しかいないというのに、敏子はあくまでも秘書としての態度をくず さずに応答してきた。京都に滞在しているあいだ、いつもそうであったが、場所が寝室でないかぎり、 時には馬場がものたりなくなるほど、どこでも敏子はそんなふうに応じた。 もっとも、馬場が五条署へ行こうと思いたったのには、今夜だけは敏子の肉体を避けたいという打 算もある。 明日、家にもどって女房に妙に気どられても面倒だし、それが原因で家庭崩壊になっ てしまってはなお困る、というサラリ ーマンらしい馬場の保身だった。 ホテルの部屋へ帰って馬場はまずシャワーで汗を流し、下着とワイシャツを替えた。 「もう出かけるの ? 部屋へ入ったことで、敏子の声は甘く変っていた。 「遅くなるようなら連絡するから、先に寝なさい」 まさか敏子は警察署までついて来るつもりはないろう。警察官の前で恰好をつけても仕方がない のだから、秘書などはいらないし、馬場が留守のあいだ、敏子も京極通の洋装品店街でもぶらぶらし

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うやら敏子にも馬場が逃げ腰になっているのがわかったようであった。 「何か話したいことがあるなら、もう一度会ってからのことにして : 少し固い声になって、敏子がいったのがそれを暗示していた。 : 、 カ落ちついて話をするつもりでホ テルに入ったとしても、そのままですむはすがないというのは馬場にもわかる。 中年をすぎた馬場にねばっこい性技をしこまれた敏子が、白い肌をあらわにして挑発してきたら、 それを無視できる自信は馬場にはない。そこで敏子の裸身を抱いたりしたら、今度こそ抜きさしなら ぬ破目に落ちこむのは眼に見えている。 「そのうちに暇をみつけて、僕のほうから連絡しよう」 こうかっ 馬場は狡猾な表現をして逃げたが、敏子の鋭い声がすぐに耳に聞こえてきた。 「そう、暇なときにすむ程度のお話だとおっしやるのねー 敏子からの電話は、しばらくつづいた重苦しい沈黙のあとできられた。 東和銀行丸ノ内支店の最上階にある東京事務所副頭取執務室で向いあっている渡海と熊谷とのあい だにつづいていた重苦しい沈黙も、渡海が口を開いたことで破られた。 「三国物産が最終的におしつけてきた六社は、 いってみればどれもがばばだったと君よ、 。しいたいのだ な」 「そのとおりです。私の不覚にはちがいありませんが、そうとしか考えられません 熊谷は沈痛な声をつづけて、事情を説明した。貸出額増加を早急に望んだのは渡海たし、渡海こそ破 行 、 . し ' 刀 / . し 最終責任者だと熊谷は思っているのだが、まさかそんなことをいうわけこよ、 そういう自分の気持を渡海にさとられぬように努力しながら、事態だけを客観的に説明した。いまラ となれば、渡海の判断と指示のとおりに処置をつけるほか、熊谷にのこされた手段はないといっても

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む瞬間があるのだろうし、それをみきるかどうかで男の一生がかわってしまうのだということは熊 谷にもわかる。 ( 要するに、俺はそれが順調すぎたというだけなのだ ) 妙な恐怖感を追いはらおうとしながら、熊谷は気をしずめるようにそう思い、机の上に積みなおし た昨日の仕残しの日計表を手元に引きよせた。 年商八兆円などといっても、純益となれば七十八億円程度で、商社には格別の資産があるわけ ではない。巨大商社を世間はひどく富裕だと思っておるらしいが、わずかな資金不足であわをくうこ とはいくらもある。大同商事も似たようなものでしてな。今度の商売で金をはたかなければならんと きに、系列企業の資金繰りを貴方に面倒をみてもらって大だすかりしましたが : そう野田がいっていたことを熊谷は思いだしながら日計表をめくりはじめたが、そのときになって、 野田がつづけた言葉が熊谷の耳によみがえってきた。 そのことは、三国物産にしても同じはずですな。もっとも先方には名門意識が強いから、ざっ くばらんに貴方に礼をいうような真似はすまいが : 熊谷にすれば礼などはどうでもいい。 そのあとに野田が呟くようにもらしたことが、ことによれば 問題だと思っているのだ。 三国物産はダミーを仕立てて、地方銀行から信用金庫まで、泣かせるのは達者なものですよ。 日計表をめくる熊谷の指先が、十二月二十五日分でこおりついたようにとまった。 六社ともに一千万円単位の自社小切手数枚を振出しては、三国銀行中央支店の自社当期口座に振替 えているのだ。無論、違法といえる行為ではないが、こうすることで、彼らが三国物産系列から見す てられまいとしているのは明らかだった。 もし、野田が熊谷に警告するつもりで三国物産のやり口を批判したのだとすれば、見事すぎるほど 232

5. 広瀬仁紀 銀行破産

任になるにきまっている。 渡海を刺激しない程度に、熊谷はそれを確認した。 かしま 「融資の貸増しは、三国物産の依頼分を越えてもいいということでございましようか ? 」 「念を押すまでもなかろう。無論、そういうことだよ」 断言するように渡海は答えた。それが破綻したときになっても、渡海がいまの言葉をくりかえして くれるかどうかはべつにしても、熊谷にすれば、渡海の意向を確かめておく必要があるのだ。 「承知いたしました」 不安がないわけではなかったが、そのあたりは表情の奥につつみこんで何もいわずに熊谷は頷いた 9 ( ここまで急旋回する破目になるのだったら、三国物産との新規取引は成立しなかったほうが俺の身 にとっては安全だったのではないか ? ) ふと、そんなことを熊谷は思ったが、どうやら、それは手遅れのようでもあった。 だが、大同商事の野田は、熊谷のような挫折感を抱かずにすんでいた。 銀座といっても国電新橋駅に近いホテルのラウンジで、野田はエ ミリア・エルダーと会っていた。 テー・フルについてコーヒーを注文し、そのあとエミリアの話を聞きはじめた瞬間、野田にはエミリア・ の情報が正確であることを、ほとんど本能的に理解できた。それが正確であればあるほど、いま会っ・ ている場所はまずいように思われた。誰に聞かれるかわからないのだ。 この場所を指示したのはエ ミリアだった。 彼女の勤務が終了してから会ったため、もうそろそろ日が暮れかかっている。野田は場所を変えよ うと思った。工、 リアがもたらす情報の精度にかかわらず、今夜はかわった趣向でエミリアを喜ばせ るつもりで、野田は新橋花街の料亭に席を予約してあったのだ。他人の耳目をはばからねばならない 102

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景子だけを残してホテルを出てきた野田は、近づいてきたタクシーに乗りこみながら苦笑した。二 十年前なら、まずこんなことを思うことはなかった。女の体をおし開いていくだけで、欲望にはいく どんらん らでも貪婪になれたものだった。 野田がそのように女の体に食傷しているにしても、馬場の場合にはそういう意識はなかった。尾崎 敏子と会うたび、馬場はいつも新鮮な期待を持ったし、そんな自分を好ましくも感じていた。 「あなたの気にしていた代行の二文字が来年早々にはとれるらしいわー 馬場が部長代行という肩書を気にしていることを敏子は知っている。だから、役員室での話を聞込 んだ敏子は、高輪のホテルのロビーで落ちあい、スイート・ルームに入るとすぐにそのことをいった。 馬場は単純にそのことを喜んだ。 「吉報へのお返しというわけではないが、今晩はずっと君と一緒にいてもいいんだよ 自宅のほうには、急用が突発したので今夜は帰れないと連絡しておいた。妻はいっこうに疑ってい ない様子で、「気をつけてくださいね」といっただけで電話をきった。あるいは、少々浮気くらいし ても、そのことが夫の出世につながり、収入がふえればそれでいいと割りきっているのかもしれなか った。そういう女なのだ。 「朝まで一緒にいられるなんて嬉しいわ」 敏子は馬場にすがりついてきた。 妻を捨ててこの女と一緒になりたい、 と思うほど愛情を感じているのかどうかは、当の馬場にもわ からない。ただ、三国物産ほどの規模になれば、役員の椅子を目前にしている古参部長をべつにすれ ば、役員室の情報をストレートに耳に入れられる社員などいない。そういう意味で、情報のパイプに

7. 広瀬仁紀 銀行破産

「セルゲイに会ってどうするの ? 」 「どうというわけでもないが、商社というのはオールラウンドの情報が必要なのだ。セルゲイのよう な優秀なジャーナリストは、われわれには貴重な財産になる可能性がある」 「彼は、単なる通信記者にすぎないわ。いつもあなたを喜ばせるようなニュースを知っているとはか ぎらないわよ」 ミリアよいっこ 0 妙に煮えきらない口調で、エ セルゲイは単なるポーイ・フレンドよ。ステディな関係なんかではないわ。 ステディ・ポーイフレンド などとエ ミリアはいっていたが、ことによるとセルゲイは性的な男友達であるのかもしれないと野 田は思った。確かにエ ミリアはセックスには開放的だが、それでも自分の肉体を互いに知っている男 同士を引きあわせるのは気がすすまないということもあるに違いない。 さんざん泥水を飲んでこの齢になった野田にすれば、セルゲイが彼女とどういう仲であるにしても、 セクジュアル・べ そんなことは気にもならないのだが、そういうことを露骨にしめしたりすると、エ ミリアを性的対象 物としか見ていないような感じを彼女に与える恐れがあるし、気分を害するようなことにもなりかね よ、 0 そうなったら、エ、、 リアを失ってしまうばかりでなく、当然、セルゲイの " 情報〃も聞くことがで きなくなってしまう。そうなっては野田にとっては、どちらも都合が悪い。素早く思考を回転させな がら徴笑をうかべて野田は譲歩した。 「そういうことなら、〒ミリアが彼の話をきいて私に教えてくれてもし 、い。無論、そのための経費 は私が負担するし、必要ならセルゲイに報酬を支払っても、 しいからね」 「それなら OX たわ」 明らかにほっとした表情になりながら、エ ミリアは言葉をつづけた。 96

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三国物産本社ビル三階の総務部応接室のテー・フルをはさんで向いあったまま、多少の当惑を感じな がら馬場はそのことをいった。 「君はさっきがらリスク、リスクとばかりいっているが、その内容を説明してもらえないことには、 僕としても判断のしようがないよ。そこいらあたりをくわしく説明してもらえないものかね」 「馬場、戦闘機というやつは、つい十数年前までは巡航距離と速度、それに旋回半径の大小で性能を 判断することができた。君たちもそこに基準をおいて、戦闘機の性能をきめたはずだ」 「僕は航空工学の h ンジニアではなく、セールスマンだからね。そういうものかどうかは正確にはわ からないが、そうであったとは、なくなった由利部長から聞かされた記憶がある」 「そう、彼は航空機を扱うビジネスマンではべテランだったから、馬場の記憶に間違いないだろう」 ( 妙なことをいう男だ。二十年も会わなかったはすなのに、由利さんが航空機を専門のように扱って いたことを、なぜ知っているのか ? ) 馬場はふと不審にとらわれたが、すぐにフランクと由利が新幹線の車中に同乗して東京から京都ま での時間をすごしたことを思いだした。 ( 多分、あのときにそんな話を聞かされたに違いない ) と気がついた。それにしても、そんなことは馬場には何のかかわりもない。現在の馬場に必要なの 「だから、どうだというのだい。そんなふうにいわれても、僕には見当がっかないよ」 資 融 「要するに、危険だと私はいっているのだ。それが、君にはわからないのかね」 漠然とした表現をあらためようとしないフランクに、馬場はかすかにいらだちをおぼえながら、少過 し強い口調でいった。 「わかるわけがない。僕は、由利部長のように航空機のべテランではないのだ」 よ :

9. 広瀬仁紀 銀行破産

( どうにもわけがわからない ) そう思ったが、やはり咄嗟に職業意識が先にたった。その場所がどうであれ、警察官である以上、 よ、 0 倒れている人間を放置しておくというわけこま、 安立は三十メートルほど走って、倒れている男をだきおこした。そのとき、男の衣服の中から、紙 片のようなものが落ちた。安立はそれを拾いあげ、どうしようかと思ったが、結局、自分のポケット の中にしまった。 傷痕は体のどこにもないが、男の呼吸は確実にとまっているようだった。公安刑事であるうえに、 刑事としての経験もまだ浅いといっていい。 安立はまだ若い。二十七という年齢のことだけではなく、」 コロシャマ 事用語でいえば、まだ殺人の現場をふんだことがない。も 刑事を拝命してから五年目の安立は、」 ともとが語学力をかわれて公安畑にはいったのだから、検死の現場に立ちあったことすらなかった。 だから、抱きおこして、いま腕の中にいる男の死因など、見当もっかないといったほうがいい。抱 き起したときはまだ死体だとは思わなかったのだが、あるいはそのことも警察官としては決定的なミ スをおかしたのかもしれない。 ( とにかく本署に連絡することだ ) すぐにそう決断をし、死体の位置をかえぬように砂の上にもどして立ちあがったとき、自動車のク ラクションの音が三度した。 それにつられたように、上方の有料道路のきわを見あげた安立の視界の中で、さっきまでそこに立 ッグをかかえるようにして、停められた自動車に乗りこむのが見えた。死 っていた外国人が、ゴルフ・ え こっちは朝飯前から仕事かよ ) ( あっちはのんびりとゴルフ行きなのに、 消 舌うちでもしたいような気分になりながら、それでも安立は砂浜を駆けだした。光明寺の山門の見 えるロまで出て、パスの通っている道を右に走ると、すぐに交番がある。

10. 広瀬仁紀 銀行破産

「なるほど」 頷きながら安立はいっこ。 「由利部長は、会社の方針はどうあれ、そうなるかもしれない事態のほうを危惧されたというわけで すねー 「そういうことになります。そのときは聞きながしていましたが、それらしい意見を私にいっていた こともあります 「この輸出入は中止すべきだというようなことをでしようか ? 」 「いや、サラリーマンというのは、自分の主義主張をべっとして、そこまではっきりと上司にはいえ ないものです。由利君は単に、イーグルⅡ改の性能がわれわれが受取った仕様書のとおりかどうか を、もう一度、社に確認してはどうだろうかといっただけです」 そのときの熱心すぎた由利の表情と口調を思いだしながら、大石は説明した。 「かりに、それを確認して、そのとおりだとなったら、由利部長はどうされるおつもりだったのでし よ、つ : か、れ ? ・ 「それは、私にもわかりません。彼から、そのあとの意見は聞けなか 0 たわけですから : ・ : ・」 大石は、少し途方にくれたような声になっていったが、予測までできないというわけではないらし く、かなり断定的な調子でいった。 : にしても、ある程度は私にも見当がつけられます。ィーグルⅡ改が、仕様書どおりの高性能 であれば、あるいは職をかけても反対論をぶちあげたでしよう。大同商事がそれを強行しようとすれ ば、由利君は三国物産もふくめて、国会の問題にしてでも阻止するつもりであったかもしれません」 「国会の問題に : : : してまでですか」 「そうしようと思えば、そうできる立場に由利君はいたのです」 IIO