んする。 4 ・がまんしたストレスは体の中に現れる。 たとえば胃潰瘍になったりする。そのうち、手術をするために入院。 寂しい思いをして貧乏になるのはだれだかわかるでしよう。 5 ・もし、これが他人だったら、ある人がプスっとしていたら、自分もイヤな気分になるの を恐れて、なるべく近づかないようにする。もし自分が原因でプスっとしているなら、 とんだ災難。こんな人には最初から近づくのはやめた方がよいと考える。 以上のように、自分がなにかしていたら、またこうしていたら次にはどうなるかをちょっと考 えてください。結果はすぐにでることもありますが、十年くらいたってでることもあります。 たとえば、タバコを吸っていたら、というのは結果が十年くらいたってから出ます。 肺の中にニコチンがたまる。 酸素が肺や血液の中に充分運ばれない。 3 ・肺ガンになって苦しみながら死ぬ。 この段階はだいたい十年以上かかります。 姪考えるって、こういうことです。簡単でしよう。でもそのときに自分に都合のよいようによ、 すり考えないで、冷静にシミュレーションすることです。 愛 175
間の経過とともに風化してくれるのをいいことに、つらい体験や苦い思い出を忘れようと " 努 カ ~ しているにすぎまい、と私は勝手に解釈している。 ごうがんふそん 傲岸で不遜きわまりない性格の私は「たまには反省しても、決して後悔はすべきではない」と 自分に言い聞かせ、それを生活信条としている。 ざんげ や、せずにはいられない出来事がある。深 だが、こんな私でもこの場を借りて懺海したい、い い深い後海。取り返しのつかない心の傷だ。 ごしよがわら 時は、青森県五所川原市の小学校時代にさかのばる。 同級生に e 子さんという女の子がいた。彼女は早くしてお母さんを亡くし、二人の弟さんの面 倒もみなければならなかった。お父さんは魚の行商である。 。しかも、お父さんの仕事があまり芳し つまり、子さんは母親がわり妻がわりといっていい くないようで、経済的にも恵まれず、そのころの時代にしても彼女の服装はみすばらしいという より、正直言って汚かった。 いまにして思えば、経済面からもそうであろうが、母親がわり妻がわりという生活環境から、 自分の身のまわりをかまっているどころではなかったのであろう。 その子さんが、六年生のとき私の隣の席になった。加えて、運の悪いことに彼女よりちょっ とばかり成績がよく ( もっとも子さんも上位の成績だった ) 、金銭的にも幾分恵まれた学童 ( 男女 ) が彼女の席を取り囲むかたちになった。 164
ごとくフルートを吹いていたそうだ。疲れ果て、それでも母に優しくしたい義妹は、なんとか自 分を見失うまいと好きなフルートで気分を立て直していたらしい。 その時、私は初めて自分を激しく恥じた。仕事の忙しさにかまけて、逃げていた自分をはっき り知ったのである。嫁が姑の世話をするのは当然、というような気持ちが私の中になかった、と は言い切れない。 義妹が、ただ夫の母であるというだけで、毎日、魂をけずる思いでいる時、私は都会で友人と 酒を飲み、笑い合っていたのだ。雨戸を閉めながら、私の手はふるえていた。 母が亡くなる前夜、私は夢を見た。白くて細い一本道を母と歩いていた。母は一輪車を引いて いた。頭髪の中からしたたる汗が足元に落ちる。汗とほこりをゴムぞうりで踏みながら、黙々と 歩く母、何度も手を貸そうとする私を、母は拒みつづけた。一体、何を怒っていたのだろうか。 未だに考えあぐねている頼りない娘である。 しいから起こして / 」、と言ったそ それから間もなくして母は死んだ。直前、母は、「死んでも、 うだ。義妹の手に支えられ、身体を上げ、そしてカ尽きた。その時、支えた義妹の手は、天使の 手だったように私には思える。存分に看取ったほうびとして、神はその瞬間、義妹を天使に変え 手て下さった、と私には田 5 えてならない の 天 199
いちばんの理想的な大人 ( みんながなりたいと思っている大人 ) ってどんな人か奈々ちゃんは 想像できますか。おばちゃんはきっとこうなるだろうと思います。 ・早寝早起きをする人 2 ・自分のことは自分でできる人 ( 自分で朝起きられない人は最低です ) 3 ・自分で感情をあまり露骨に表さない人 ( 人前でわめいたり、怒ったり、ひねくれたりす るのはほんとうに子どもつほい人です ) 4 ・少々のことはがまんして、他人のせいにしない人 5 ・気持ちをいつも温かくもって、困っている人に親切にしたり、助けてあげたりできる人 奈々ちゃんはどのくらい大人ですか。 あとひとつ、人間としてどん底の底辺生活をする人ってどんな人か知っていますか。これは金 銭的に貧乏な人ではありません。人間として底辺にいる人とは心が非常に貧しい人の事です。 1 ・気持ちがいつもみだらで、自分の快楽のためだけに生きる人 自分さえ気持ちよければ、よいという人です。カゲではバカとかアホとか呼ばれている ようです。 人が受けるであろう迷惑をぜんぜん考えてみない人 ( 自分がこうしたら、人はこうなる と考えない人です ) 。何でも深く考えすぎるのはよくありませんが、まわりの人のこと も考えて、行動しましよう。 176
この話は私が小学生だった頃聞いてとても感動した話です。 私も小学生の頃授業中にトイレヘ行きたくなる事があったが、恥ずかしくて、手を挙げてトイ レヘ行く勇気はなく、いつも我していた事を思い出す。彼女もその内の一人だったに違いない。 やはり、授業中だった。クラスの中でも明るく、元気もよくて、みんなにも好かれていた女の 水子が急に立ち上がり、窓際の方へ歩いて行き、水が半分程入った花瓶を手に取って先生に、『水 甁を換えてきます』と言って歩き出した。自分の席の斜め前あたりにきた時、突然つまずいて、そ 花 の席に座っていた女の子のスカートに、花瓶の中に入っていた水をこほしてしまった。水をこほ 歩んでいることは間違いありません。 花瓶の水 広瀬嘉明 昭和四四年生 ( 東京都 ) 会社員
と説明があって、つき上った餅を両手で持ちあげて、臼に落す音がした。 「いい餅がつけたぜね。ちゃっこと ( 大急ぎ ) でよばれて来て下さい ここ栃木から、新潟までは急いでも四時間はかかる。「はいよ」と出かける訳にいかないこと は、承知の上でよばれて来いと言ってくれる心。病名に押し潰されていた私は、受話器を持った まま最敬礼をした。 その夜は、 " 見事。としか言いようのない満月が昇った。これが夫と二人で見る最後の名月、 と自分に言い聞かせながら庭に立った。虫の音もその思いをかき立てるのに十分だった。 この二日後に、ク 1 ル宅急便が届いた。送り主は山の湯の宿の老夫婦で、中には十五夜につい た餅と、秋大根、ミョウガ、等々が入っていた。 「十五夜様に、旦那さんが丈夫になるようにお頼みしました。十五夜餅を食べて力をつけて下さ と、メモが入っていた。 私は改めて、最敬礼をした。 ( 付記 ) こんな治療があると教えてくれた人。 鎮守様にお参りを続けてくれた人。 病気に効くと初物を届けてくれた人。 144
のかは知る術もない。 はやりの服は似合わず、モンべと頬かぶりで土にまみれながら朝早くから日の暮れるまで、た だただ農作業と行商にあけくれ、それを除けば他には何の器量も持たない母。 おまけに子どものことなど全く無頓着というのが、私がそれまで見て来た母の姿であったが、 これまでとは明らかに違う別の母が今私の目の前にいた。娘をリャカーに乗せ、何かにすがる思 いで神社や寺を手当りしだいに訪ね、娘の回復を祈る母。その姿は日頃母のぬくもりを感じられ ずに膨らみ始めていた淋しさや不満やらの感情を全て帳消しするに十分であり、私の胸の中に澱 てのひら んでいたものがまるで掌に受けた小雪のように消えて行ったのだった。あの夜の母の必死の祈 りは、リャカーの後をどこまでも追って来た星くずのように、今もまぶしく私の心の中に光り輝 いている。 数カ月前、理由あって夫は私のもとを去り、私には幼い二人の子供が残された。 この先を考えると、言いようのない不安におそわれ、目の前が陰りがちだ。だけど『悩むほど のことじゃないよ。不器用でいいから母が私にしたように、必死に生きればいいのだ。この子た のちのために精一杯生きればいいのだ』と自分に言い聞かせている。 母 よど
何ら変ることなく私を取り囲んでいたが、それを眺める私の内部は、山の天気さながらに一瞬の 内に変化を遂げていた。さわやかな幸福感が自分を領しているのを感じた。あのライダーは私が 下まで徒歩で行くと答えたならば、自分のバイクの後部シートに乗るように言ってくれたに違い じゅばく ないのだ。その事に気付いたとき、私は火口の誘惑の呪縛から解かれていた。 宿に戻り一人の食事を摂りながら、私は持続する幸福感に包まれてその日の出来事を振り返っ た。あのとき私の背中は、オートバイに乗った彼に何かを語りかけたのかもしれない。その無一言 の言葉を聞き取れる彼は、私のためにそこにいてくれた。そして彼はたった一言だけだが、その ときの私が最も必要としていた一言をかけてくれた。もし彼との出会いがなかったら、私は山頂 へと戻り、本当に火口に身を投げたかもしれなかった。しかし私は救われた。草千里に広がる草 原は、無限の輝きをもって私を迎えてくれた。道端に座り込んで帰りのバスを待っ私は、笑顔で 阿蘇の煙に別れを告げた。その後の旅がきらめくほどに楽しいものとなったことは、あえて言う までもない。 例えば戦争のような強烈な体験を経て生きてきた人には笑われてしまうようなことかもしれな いが、何の前置きもなしに突然襲ってきた死の誘惑、その体験は私の人生に一つの輪郭を与えて くれた。そして人生の辻々にはあのライダーがいてくれるものなのだ、それが人生なのだと、私 は知った。自分を包んでくれている自分を超えた大いなる存在を、あのとき私は肌で感じていた。 会話とは言えない一言ずつの言葉の遣り取り。名前もそして顔すらも分からない人との出会い
愛する姪へ つくり、元気なひなどりをたくさん産んでくれることです。そしてそのパパ鳥かいつまでも長生 きしてくれることです。自分のひなどりほどかわいいものはこの世にありません。自分のひなど りを見ているだけで、えさを取ってくる苦労は一瞬のうちに忘れてしまうのです。だから、ママ 鳥は自分のかわいい二羽の子鳥もその幸せを味わってほしいのです。 奈々ちゃん、話は変りますが、よくママやおじいちゃん、おばあちゃんが「良く考えて行動し なさい」と言うと思いますが、「良く考えて行動する」というのは、実際はどうすることかわか 、り・ます・か。 おばちゃんも子どもの頃、よくそう言われましたが、何をどうしたらいいのかよくわかりませ んでした。でもいろいろな経験をした今のおばちゃんにはバッチリわかりますので、教えてあげ ましよ、つ。 簡単に言うと、よく考えて行動するということは「これをすると次はこうなる」といろいろシ ミュレーション ( 同じ状況を作ってやってみること ) することです。 たとえば奈々ちゃんが、流しにたまった汚れたお皿を見て考えます。 もし、わたしがこれを洗ったら、 ママが帰ってきて喜ぶ。 2 ・ママはこのお皿を洗わなくてもよい。 173
しやくねっ ほす。だが若者のいのちが空に散った特攻隊の歴史は、わたしの心に灼熱の焼きごてを押した ように焼きついている。頬を伝う複雑な涙で心は乱れる。それにしても、患者たちと違う環境で こっぜん 十分すぎる治療をうけていて、なぜ忽然と命は消されるのだろうか。わたしは人の死が謎である。 さん 患者たちは、昭和が終わった感傷も平成の世に移った感慨もないかのように、浴室での苦心惨 たん 澹ぶりの様子もかわらない。 これは、家族との縁が次第に薄れてゆく患者が、家族の迷惑な存在 になったことを意識せねばならぬ寂しさだけに心が奪われているからだろうか、とわたしは推測 する。それはわたしが家族の迷惑を思って、自分の入院を誰にも知らせていない心理と同じでは なかろうかと考えることからの推測である。 離婚をしたわたしは、若い日に四人の子を養育した。その子は現在、責任の重い親となって、 核家族を懸命に守っている。したがって忘れ去られたようなわたしだが、愚痴は言わぬ。責めも しない。ひたすら迷惑にはなるまいと頑張っている。患者たちと同類項である。それで話しかけ たくなったり、閉ざしている心をわたしの心で開いて笑顔をよみがえらせたいと思ったりするの だろう。孤独が友達を欲しがるのだろう。何か実際の役に立ちたいと思うのだ。だが湯殿で背中 を洗う他は役立たずである。それは身障を忘れ去ったような患者の強い自立心には近づくすべが ないからだ。不運な人生をかたい殻に閉じこめて、決して開いて見せない。実際に役立っ方法は ないものだろうか 夕飯は精進料理ではなかった。国の象徴が亡くなった一日だけでも、家庭的な野菜料理のなっ ほお 228