水道屋 - みる会図書館


検索対象: 日当たりの椅子
182件見つかりました。

1. 日当たりの椅子

毎年毎年、始終、水がないといって騒いでいるので、そのうちに我が家の水道は有名になり、 「水、出るかい」 が挨拶になってしまった。 見も知らぬ人が車で登って来た。何の用事かと思っていると、 いきなり出なくなるので有名 な水道を見物に来たという。暇な人もいるものだ。 その水道が今回、つ、 しに完全に動きを止めた。モンべッさんがなだめても賺してもダメであ る。もういくら騒いでも誰も来てくれない。人々はもう、我が家の水道問題には飽き飽きして いるのである。 「またかい。困ったね」 それだけだ。 モンべッさんは仕方なく水道屋に援助を求めた。 「山の上の水道が出ないんだ、見に来てくれ」 「うん、昼から行く」 そういったまま来ない。私が電話をかける。 「お願い、来て下さいよ」 「ああ、午後になったら、行くよ」 そして来ない。仕方なく別の水道屋に頼む。 すか れァ水道見物

2. 日当たりの椅子

「山の上の水道、見に来てくれ」 「うん、明日行く」 やつばり来ない。 モンべッさんが車を走らせていると、対向車線を水道屋の車が走っている。 、山の上へ行ってくれよ」 水道屋は笑い顔を向け、肯いて走り過ぎて行く。そしてそのまま、現れない。 春の大地震の後で、水道屋はどこも忙しいのだ、とモンべッさんは水道屋のためにいいわけ をする。 はっきり行けないといえ 「それなら昼から行くとか、明日行くとかいわなければいいのよー と私はモンべッさんに怒った。親切なモンべッさんに向って怒る筋合はないのだが、とりあ えず怒らせてもらう。モンべッさんとしては踏んだり蹴ったりの目に遭っているわけだが、 「全く、しようがないんだよな」 ロの中でブツ・フッいって、一向に動じるふうもない。 モンべッさんは水道屋のタグチさんの家を探し廻った。タグチさんは町一番の水道工事の名 手といわれているが、昼から行く、といっては現れない人である。シロイトへ向って車で走っ ていたので、多分山の上へ行ってくれるのだろう、とモンべッさんが安心して用足しをしてい

3. 日当たりの椅子

出した。それでも一年経った今は、真茶色に枯れた裏山も眼下の丘の連なりも、うち見たとこ ろ例年と変らぬ緑に蔽われている。我が庭に五年かかってやっと挿木から根づいた数本の源平 うつぎも、二本を残して全減したが、その生き残りの一本が、白と赤の花をケロリと咲かせて いるのを見ると、 「よくぞ頑張って生きていて下さいました」 涙ぐましいような気持でお礼をいいたくなる。敗戦の後、爆死したとばかり思っていた人と 焼跡で出会い 「お互いによく頑張ったわねえ : そういい合って涙に暮れた時に似た気持である。 ところで今年もまた、山の上の家を開けると同時に用水の件で難儀をすることになった。こ こへ来ると私は毎年のように用水の不自由に悩む。我が家の用水は、町水道から四百メートル の山道をモ 1 ターで引き上げているのだが、ときどき不意にその水が出なくなるのだ。だがな ぜ出なくなるのか、その理由がわからない。 この水道工事をしたヒライさんにもわからない。 いろいろな水道屋がとっかえひきかえやって来たが、それでもわからない。 水道屋だけでなく、電気屋、自動車屋、石油屋、お寺の坊さん、しまいには郵便屋までが集 ェ巧水道見物

4. 日当たりの椅子

山の上のセンセ工 長椅子の黒光り シロイトの竜神さん トクさんの八木節 屋根の上の足音は 物置小屋がありますか 神サマの八ッ当り マグニチュード 1 水道見物 エリモの爆竹男 ″仔馬〃のママの心中事件 90 79 工 02

5. 日当たりの椅子

八年目の夏を過すために七月末、山の上の家を開けた。 ここはまだ本格的な夏ではない。家のまわりには名残の ( ナショウブやアヤメが咲き残って いて、夏の盛りを象徴する黄金草はまだ咲いていない。背の高い、 ヒマワリを小形にしたよう なこの黄色い花は、我が家から見下ろす牧草地のまわりに群生していて、風が吹くと黄金色の 波を起すのが美しい。 私がこの花を剪って来て部屋に飾っているのを見て、地元の人は、 「なんだ、こんな花、活けてるのかい」 物 と笑う。ここではこのように野原や道端に群生している花は、花のうちに入らないらしいの道 水 である。 私がこの花の名前を黄金草だと知 0 ているのは、獣医のウケ先生に教えてもら「たからであ 水道見物

6. 日当たりの椅子

ッタイ、北海道・、 力いい。北海道の人間は人情がこまやか、親切、淳朴、きっとあんたの気に入 るよと勧められて、それでもはじめはそう乗気じゃなかったんですよ。ところが、忘れていた 頃にいきなり電話がかかって来て、これから日高方面の牧場を廻るから一緒に行こうっていわ れましてね。断り切れずについて行ったんです : : : 」 とそもそものはじまりから丁寧に答えていたのだが、だんだん面倒になり、 「知人に勧められたんです」 の一言になってしまった。相手の人は私の気持にはかまわず、 「しかし、それにしても、まあ、こんなところを : : : 勧める方も変っていらっしゃいますが、 女の身でここへ家を建てようと思われた方もやつばり変っていらっしゃいますわねえ。電柱だ って、この家一軒のためにひイ、ふウ、みイ と数え出す。 「十本立ってます」 ( 面倒くさいな。これをもう何十回いったことか ! ) 「まあ、十本もー ・ : で、水道は」 「四百メートル引き上げるので、結局、モーターを四か所につけなくちゃならなくなりました」 ( これもいい飽きてる ) 「井戸はダメなんですか」 「ここは岩盤が深くて水が出ないんです」

7. 日当たりの椅子

消えている。つまりそこで泥棒は靴を脱いだのである。そして整理簟笥の中の物を物色した しかし何ひとつ目ばしい物はなかったので、座敷からつづく居間に入った。だがそこでも盗 むべき金目の物は何ひとつなかった。もしかしたらモンべッさんとウケ先生が電灯の光を見上 げていた時、泥棒は居間のソフアに腰を下ろして、盗むべき何ものもないこの家の貧困ぶりに 呆れていたところであったかもしれない。 「何を盗まれましたか」 と警察の人に訊かれて答に困窮した私には、その時の泥棒の気持がよくわかる。 やがて泥棒は漸く盗むべきものを発見した。それはステレオの「ダイヤ針ーである。私はそ れがないことに気がついた。 「ダイヤ針がありません ! レコードの針を盗まれています ! 」 私の叫びを聞いて、警察の人はおもむろに手帖に「ダイヤ針」と書き込んだ。そして慰め顔 「針は針でも、ダイヤと名がつけば、やつばりダイヤを盗まれた、といえますな」 といって帰って行ったのであった。 ダイヤ針を盗んだ泥棒は居間の電灯を消し、座敷を通り、そこの電灯もちゃんと消して靴を 履いた。そうして廊下を通り、階段の途中の小窓から外へ出たらしい。 ( のであろう ) 。 よれ水道見物

8. 日当たりの椅子

ると、そのままシロイトを走り過ぎてどこかへ行ってしまった人である。 一軒一軒尋ね廻って、やっとタグチさんの自宅を見つけ、入って行くとタグチさんは暢気に お茶を飲んでいた。それを無理やり引っぱって来た。 「いやいや、家まで探されちやどうもならね」 タグチさんはそういいながらやって来てモ 1 ターを取り換え、 「これで出るべよ。大丈夫、大丈夫ー といって帰って行った。その二十分後に水はパッ タリ停止し、モンべッさんは日が暮れた山 道をまた走って来なければならないのであった。 」海道の自然の厳しさの中で生きるということは、「暢気になるーということなのであろう。 積んでも積んでも鬼が出て来てうち崩してしまう賽の河原の石積みのように、造っては自然の 力に打ち壊され、造っては壊されしながら、ここの人たちは一日一日をゆっくり積み上げて来 たのだ。ここでは完全など求めてはいられないのである。 波に身体を預けて波乗りをするように自然の力に身を添わせて生活を造って行く。風や雪が 壊したものを黙々と造り直す。気長にたゆまず、しぶとく、助け合って、壊されては造る。一 日二日、水道が出なくてもどうということはないのである。 「人間、辛抱が肝腎だ」 などと殊更にいったりはしない。辛抱しているとは知らずに辛抱している。完全は求めない。

9. 日当たりの椅子

後から思うと、その決め方は我ながら尋常ではなかったと思う。いくら生活の知恵が欠落し ている私でも、その我を忘れたとり決めようは異常であったと思う。 家が建ち上ったのは翌年 ( 五十年 ) の夏である。筆の勢いで「建ち上った」と書きはしたが、 資金の関係で ( というのも電柱十本とか水道四百メートルとか、あの″道端〃で夢見心地で決 心したときには頭に浮かばなかった現実が次々と立ちあらわれて予算がなくなってしまった ) 完全に建ち上ったわけではない。二階の板壁は半分張ったまま、天井は金が出来たときにつづ きをやる、という状態で、ひと夏を過した。 その翌年 ( 五十一年 ) 懸命に働いて二階の板壁を張った。天井は更に働いて翌年造るつもり で、豪胆な人間でなければこういう家の建て方は出来ないよ、と私は上機嫌だったのだ。 その夏、用事が出来て上京し、数日して戻って来ると、留守番をしていたハマムラさんとい う若い女性が待ちかねていたようにいった。 「この間、夜中の三時頃、本を読んでいたら屋根の上で人が歩く足音がするんです。それでパ トカーを呼んだんですけど、何もいなかったもので、さんざん笑われました。怖い怖いと思っ てるものだからありもしない音を聞くんだって : : : 」 「へ 1 え」 といって私は笑っていた。

10. 日当たりの椅子

と町史にある。 大蛸なら大入道とか三ッ目小僧に化けた方が化けやすかろうと思うのだが、みめうるわしい 若い僧に身をやっしたということは、大蛸の美しいものへの憧憬が高じたものであろうか。醜 いイボイボ八本足、離れた目、とんがり口、誰にも相手にされない己が醜さへの歎き、劣等感 が彼をしてそうさせたのであろうか。橋を渡って来る村人が、そのまま通り過ぎて行くと、忽 ち流れの中に突き落されて死んでしまったという。 そこで人々は橋の袂に若い僧が笛を吹くのを見たときは、小腰をかがめて笛の音を褒めたた えながら橋を渡った。 「う 1 ん、たいしたいい 音色だな、こんなうまい笛は聞いたことがない : 「ナムアミダブッ、ナムアミダブッ」と胸の中で念仏を唱えて行き過ぎるのだそ うである。 この美し、若、曽ゞ、 ししイカなぜ大蛸だとわかったかというと、ある夏の暑い日のこと、一人のおん ばあさんが孫をオンプして橋まで来たが、あまりの暑さに川で水浴びをしようと橋の下へ降り神 の て行ったところ、大蛸が暑さにうだって昼寝をしていた。 「橋の主が大蛸であるという正体を、その目でたしかに見届けたのである」 と町史は結んでいる。 しかし、橋の下で大蛸が寝ていたからといって、なぜ、それが美しい若い僧に化けた橋の主