私はその町の中心から西の外れに寄った、百戸ばかりの漁師の集落に、夏の間だけ暮してい 2 る。といっても私の家から集落へ行くには、約五百メ 1 トルの山道を下らなければならない。 私の家はその集落を守るように切り立っている草山のてつべんにあるのだ。私の家から最も簡 単に集落へ行こうとするなら、切り立ったその草山の崖に縄梯子を掛けて伝い降りて行けば、 五分で到着出来るだろう。元ワンパクの私にはそれは造作もないことのように思われる。昔取 った杵づか、ちょっこりやってみたいな、と思うこともある。 それを思い止まらせているのは年々六十歳の壁が鼻先に近づいて来るこの年を思うからだ。 それにまた私は「センセェ」でもある。何だかしらんがでかい顔をして ( 金がないのにあるよ うな顔をして ) 大臣の名なども呼び捨てにし、 「あれは大臣ってカオじゃないわね。町会議員ってカオですよ。でなきやはやらない不動産屋 かね」 などといえば、淳朴な漁師たちは、「なるほど ! 」と大臣の顔を目に浮かべ、だんだんその うなず 顔が町会議員かはやらない不動産屋のように見えて来て深く肯いてしまうのである。 しかし驚いたことには、 ( そして嬉しいことには ) この町には「不動産業」というものがな いのである。町中が顔見知りであるから、家を越したい、部屋を借りたいときは、そう思った 時にたまたま顔を合せた人にいえばいいのだ。 「オレ、今の家出て部屋借りようと思うんだけどな」
どやどや上って来て椅子に坐るのをジロジロ見て、 「そういえばあなた、どっかで顔見たことがあるわね」 「祭のときにね」 それだけである。代表の青年の顔は見覚えがあるが、あとの三人は記憶がない。だが誰ひと り自己紹介をするわけでなく、また「代表」も何もいわないので、私もあえて訊かない。 「これ、持って来たんだけど」 と代表はウイスキ 1 を一本出す。勿論、包装なんかしてない。栓が取ってあって少し飲んで ある。 「そう、じゃあ、飲もうか。えーと、氷は : : : 」 「氷なんかいらないべや」 「いらない ? 」 「水でいい」 「そう」 ー冫ーし力ないのである。 これが東京だと「そう」とすましてるわナこよ、、 「えーと、ツマミは : : : 」 「持って来た」 とスナック菓子を出す。 ) いっか来たあの赤シャッ
欲得越えて一心不乱、という姿に感動の涙が流れるのです」 「じゃあ、。ハニック映画なんかで、勇敢な主人公が欲得なしに人を救おうとして危険に挑戦す るわね。あれなんかにも泣くでしよう ? 」 ところがそうではないのだ。 ハニック映画を見ていると、感激どころかシラけて腹が立ってくる。 とい、つのも、 ハニック映画の中には決って産み月の妊婦がいる ( あるいは心臓病のばあさん がいる ) からで、パニックのさなか、今にお産が始まるぞ、と思って見ていると、案の定、 「あっ : とお腹を押えて玉の汗を流す。 ( あるいははあさんがぶつ倒れる ) やがてオギャアオギャアと赤ン坊の泣き声が響きわたり、その声に人々は″恰も未来への希 望を見出したかのように〃顔を明るませ、それまでエゴイストだった人間、悪党なども皆、カ わるがわる赤ン坊を抱いて徴笑む どうだ、感動的だろう ! という製作者の顔が見えて、落涙するどころかシラけてしま 駕籠屋は人を感動させようと思って走っているわけではない。駕籠屋を演じている俳優もま涙 たしかり・。ド ーベルマンもまたしかり。私はそのひたすらなる無私の熱演にハラハラと熱い涙 を流すのである。
ようである。暗い空に巨大な電光広告が突っ立っていて、そこには日本の昭和初期の田中絹代 ふうの束髪の女の顔が微笑、「強力わかもと」と大文字が光っているのである。 「なんで、こんなところにわかもとの広告が ? 」 と思いながら見ていると、小屋掛のようなうどん屋があり、そこに東洋人が並んでうどんを 食べている。 やたらに日本人 ( か東洋人 ) の顔が目につく。黄色くなった日本の古新聞が写ったりする。 私はだんだん不愉快になって来た。 映画が終って近くのコーヒーショッ。フに入る。隣のテーブルでさっき映画館で見かけた若い 男女が話している。 「面白かったわねー 「なかなか考えて作ってるよね。物質文明の行きつくところは絶望的なんだな」 「レ。フリカント、はじめは憎らしかったけど、だんだん可哀そうになって来ちゃった : : : 」 なにが「物質文明の行きつくところは絶望的なんだな」だ。ヒトゴトたいにいってほしく ない。そんなことより、あの汚濁の中のわかもとの広告、そこから流れる長唄、うどん屋、日 本の新聞、を何と考える。 日本人をゴキブリだといい 汚染された地球に生きつづけるのは日本人だといいたいのかー たいのかー 220
「一〇一匹ワンちゃん大行進」だったか、犬が勢揃いしてワルモノを追いかける。あれはアニ メーションだったが、 それでもそこで私の涙は溢れたのである。 「人さまざま、涙さまざまねえ」 と相手の人は感心し、 「うちの手伝いのおばあさんは水戸黄門が印籠を出してワルモノが平伏すると泣くのよ」 と、つこ。 「私は忠臣蔵で内匠頭が切腹の場へ行く渡り廊下の場面になると、もう涙が出てくるの」 「どうして ? 」 「主君に一目会いたいと片岡源五右衛門がこっそり庭先へ来てうずくまっているのよね。渡り 廊下にふと立ち止って散りしきる桜を見つめる内匠頭。思わずにじり寄る片岡源五右衛門。互 いに見交す顔と顔。無言のうちに臣を思い主君を思う心が通い合う : : : あすこはもうたまらな いの」 「そう、あすこはホントに泣かされるわねえ。サトウさんは ? 」 私にも忠臣蔵を見て泣くシ 1 ンがある。それは東海道を早駕籠が走ってくる場面である。 海辺の道。松林の向うをェッホ、エッホ、掛声勇ましく疾走する駕籠屋。そのエッホ、エッ ホを聞くと胸にグ 1 ッとくるのだ。 2 “熱涙
と私は叫んで、直ちにヒライさんに電話をした。ヒライさんは仕方なさそうに車を走らせて 来て、うんざりしたという顔でいう。 「烏だべや。烏はゴルフのポールでも咥えて行くもな」 もし烏が知ったら怒るのではないかと思うくらい、何でもかでも烏の仕業になった。という のも、烏以外に思い当ることが何もないからである。 と、またある朝のことである。 朝の六時頃、私が厠に入ると、厠の隅っこの陶製の手洗いの下の、水が流れて行くパイ。フが 途中の継目から二つに分れているではないか ! 床からっき出している。 ( イプと、上から下っ ているパイプとがてんでに違う方向を向いている様は、目に見えぬ悪意の象徴のようだ。 私は用も足さずに厠から飛び出し、眠っている娘を揺り起した。確か四時頃に娘が手洗いに 立ったような気がしたからである。娘は寝呆けマナコで厠を覗き、それから忽ち眠気のふっ飛 んだ顔になった。娘が四時に入ったときは、そこには何の異変もなかったのだ。するとこの現 象は四時から六時の間に起きたことになる。 ヒライさんは又しても仕方なさ 私が直ちにヒライさんに電話をしたことはいうまでもない。 そうに車を走らせて来た。そしてパイ。フを見て、何もいわずに腕を拱いた。今度は家の中の出 、こよ出来ないのである。 来ごとであるから、烏のせし。ー 「どう ? 」 くわ こまね
「どうか子供を授けて下さいっていうんだよ」 とアベさんがいうままに、 「どうか子供を授けて下さい」 といった。そういったからといって、別段どうという心配はない身である。しかしそういう 身になって、子授け地蔵の頭を撫でているというのも妙なものだ。 アベさんはそんな私を見てノンキそうな丸い顔をほころばせて、 と満足そうに笑い、私も、 と笑った。 それからアベさんは、 「ちょっと寄ってくかい」 といって私を家へ連れて行き、 「オロナミン O でも飲むかい」 といった。アベさんのところではお茶代りにオロナミン O を飲ませてくれるのである。
半年ぶりに「山の上の家」へ行き、スナック″仔馬〃へ顔を出すとママが変っていた。 「前の人、どうしたの ? 」 アベさんに訊くと、 「ああ、あのママ、心中したんだ」 とアベさんはいった。私は驚いて、 「なんだって ! 」 思わず声が高くなった。 「あの歌の上手な : : : 元気な娘が : : : 確かお姉さんと二人でやってたのね」 「うん、そうだよ、あの娘が心中したもんだからね、姉さんの方はとっても歎いてね、もう商 売っづける気がしなくなったんだ」 " 仔馬。のママの心中事件 よ 02
怒 持勝い 重そ のしと まな る でもで小い講れ 箱 さん つ手る わ アせも説 う釈て で と かだ て口か の け タぬ詠家 川師 今 来でい 柳見 に マこむし 2 がて寒 は かとべも せ あ来 い らできせ の れカゞ い ま せ か怒文かぬ で く るた たし な のか な る句 がよ さ 石い い わ を て の し、 を私な つ が て タ し、 し の嘘 も マ な い と ン 場を・困 し は ら た を 2 き の し、 の 置 顔 と いれ る 力、 し か る はい の ふ 怒 な の と 甲 出 り い は て よ / レ / ェリモの爆竹男 この石アタマの読み方知らずめ ! 」
この町で、私は「山の上のセンセ = 」と呼ばれている。この「センセ = 」は「先生」ではな く、あくまで「センセ = 」である。「先生、という呼称には道を知っている人、学芸に長じた 人、師事する人といった尊敬の念が籠っているが、私は「先生」ではない。あくまで「センセ ェ」である。「横丁のセンセ = 」用心棒の「センセェ」あるいは何を職業としているのか判明 しないが、何だかでかい顔をして悠々 ( と見える ) と暮している得体の知れぬやからを何とい って呼べばいいのかよくわからないから、とりあえず「センセェ」と呼ぶことにしたその「セセ ン セ ンセェ」 の 上 私の場合はまあ、そこいらへんの「センセェ」なのである。 の 山 この町は北海道の南、歌で有名な襟裳岬に近いという町である。人口は二万足らず。牧場 と漁業の町だ。 山の上のセンセ工