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検索対象: 死刑囚最後の日
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1. 死刑囚最後の日

四六 私の小さなマリーよー 彼女は遊びに連れ戻された。今彼女は社馬車の扉口から群集を眺 めてゐて、もうこのをちちゃまのことは考へてもゐない。 恐らく私は彼女のために幾頁か書く隙がまだあるだらう。他日彼女がそれを讀んでくれて、そ して十五年もたったら今日のために涙を流してくれるやうにと ! さうだ、私は自分の身の上を自分で彼女に知らせなければならない。私から彼女へ殘す名前が 何故血に染んでゐるかを、彼女へ知らせなければならない。 四七 が、一人ならすあるだらう。 それらの宿命的な人々のために、グレーヴの廣場の或る地點に、一の宿命的な場所が、人を引き つける一の中心が、一の罠がある。彼等はその周圍を廻りながら遂に自らそこに陷ってゆくのだ。 予が經歴 發行者日ーーこゝに該當する原稿を探したが、まだ見出せない。恐らく、の記事が示す ゃうに、受刑人はそれを書く隙がなかったものらしい。彼が書かうと思ひついた時は、も

2. 死刑囚最後の日

、お前は字が讀めるの。」 「え、。」と彼女は答へた。「ちゃんと讀めるわ。ママは私に假名を讀ませるの。」 「では、少し讀んでごらん。」と私は云ひながら、彼女が小さな片手に揉みくちゃにしてる紙 口を指さした。 彼女はその可愛い頭を振った。 「あ、、お伽噺きり讀めないの。」 「でも讀んでごらん。さあ、お讀みよ。」 彼女は紙を擴げて、指で振假名を一字々々讀み始めた。 「は、ん、け、つ、はんけっ・ 私はそれを彼女の手から攜み取った。彼女が讀んできかせてるのは私の死刑宣告文だった。女 中がそれを」スーで買ったのだ。が、私には遙かに高價なものだった。 私がどういふ氣持を覺えたかは、言葉にはつくされない。私の激しい仕打に彼女は慴えてゐた。 殆んど泣出しかけてゐた。が、突然私に云った。 「紙を返してよ。ね、今のは嘘ね。」 私は彼女を女中に渡した。 「迚れていってくれ。」 そして私は陰鬱な寂しい絶望的な氣持で椅子に身を落した。今こそ彼等はやって來てもよい。

3. 死刑囚最後の日

101 「ねえ、マリー 、」と私は彼女の小さな兩手を一緒に自分の手の中に挾んで云った、「お前は私 をちっとも知らないのかい。」 彼女はその美しいで私を佻めて、そして答へた。 コんゝさ、フよ。」 「よく見てごらん。」と私は繰返した。「なんだって、私が誰だか分らないのかい。」 「えゝ。」と彼女は云った。「をちちゃまよ。」 あ、、世にたゞ一人の者だけを熱愛し、全心を傾けてそれを愛し、それが自分の前にゐて、向 うでもこちらを見また佻め、話したり答へたりしてるのに、こちらが誰であるか知らないとはー その者からだけ慰安を求めてゐて、花に、 カゝってるので、その者を必要としてるのに、向うはそ れを知らない世にたヾ一人の者であらうとは ! 「マリー、 」と私はまた云った、「お前には。、。、・、 / / 力あるの。」 「えゝ。」と子供は云った。 「では、今どこにゐるの。」 彼女はびつくりした大きな眼を擧げた。 「あゝをちちゃま知らないの。死んだのよ。」 それから彼女はを立てた。私は彼女を危く取落さうとしたのだった。 「死んだって ! 」と私は云ってゐた。「マリー、 死んだとはどういふことか知ってるのかし」

4. 死刑囚最後の日

100 小さな長衣を着せられてゐたが、それがよく似合ふ。 私は彼女を提へ、兩腕に抱き上げ、膝の上に坐らせ、髮に接吻した。 なぜ母親と一緒には ? 母は病氣だし、祖母も病氣た。それでよい。 彼女はびつくりした樣子で私を見てゐた。撫でられ、抱きしめられ、やたらに接吻されながら、 なされるまゝになってゐた。けれど時々、片隅で泣いてる女中の方を、不安さうに見やった。 遂に私はロが利けた。 「マリー 、」と私は云った、「私のマリーや ! 」 私は歔欷のこみ上げてくる胸に激しく彼女を抱きしめた。彼女は小さな嶐を立てた。 「おう、苦しい、をちちゃま。」と彼女は私に云った。 をちちゃま ! 可哀さうに、彼女はもうやがて一年間も私に逢はすにゐる。彼女は私を、顏も 言葉もの調子も忘れたのだ。それにまた、この髭とこの服裝とこの蒼ざめた顏色とで、誰が私 をそれと見て取ることが出來たらう。おゝ、そこにたけは生き存らへたいと思ってゐたその記憶 の中からも、私はもう消えてしまった。おゝ、もう父でもなくなった。子供の言葉のあの一語、 大人の言葉の中に殘ることが出來ないほどやさしいあの一語、。、ヾ = ロ / ′といふあの一語、それをもも う聞かれないやうに私は定められてしまったのた。 それでも私はやなほも一度、たゞ一度、その一語をあの口から聞くことが出來さへすれば、殘 り四十年の生涯を奪はれようと不足には思はない。

5. 死刑囚最後の日

「あゝこれで、返辭をするたらうな、嵬め。誰たお前は ? 」 彼女の眼は獨りでに閉ちるやうにまた閉ちてしまった。 「これはどうも、あまりひどい。」と友人等は云った。「もっと蠍燭をつけてやれ、もっとやれ。 是非とも口を利かせなくちゃいけない。」 私はまた老婆の頤の下に火をさしつけた。 すると、彼女は兩方のを徐々に開き、私逹一同を交る代る佻めて、それからふいに身を屈め ながら、氷のやうな息で蝋燭を吹き消した。と同時に、暗闇の中で、私は三本のい齒が手に物 みつくのを感じた。 私は震へ上り冷い汗にまみれて、眼を覺ました。 善良な敎誨師が寢臺の裾の方に坐って、祈書を讀んでゐた。 「私は長く眠りましたか。」と彼に私は尋ねた。 「あなた、」と彼は云ったゞ一時間眠りましたよ。あなたの子供が迚れて來てあります。隣り の室にゐて、あなたを待ってゐます。私はあなたを呼び起したくなかったのです。」 「おう ! 」と私は叫んだ、「娘、娘をれてきて下さい。」 彼女は生々として、薔薇色で、大きな眼を持ってゐて、美しいー

6. 死刑囚最後の日

「お前は誰だ。」 彼女は答へもせす、身動きもせず、異を閉ちたまゝだった。 友人等は云った。 「はひりこんできた惡い奴等の仲間に違ひない。僕逹がやって來るのを聞いて、皆逃げ出して しまったが、 此奴は逃げきれないで、そこに隱れたんだ。」 私は再び彼女に尋ねかけたが、彼女はやはりも出さず、動きもせす、見もしなかった。 私逹の誰かが彼女を押伏せた。彼女は倒れた。 彼女は丸太のやうに、命のないもののやうに、ばったり倒れた。 私逹はそれを足先で動かしてみた。それから誰か二人がかりで彼女を立たせて、また壁により かゝらせた。彼女には全く生きてるしるしもなかった。耳の中に大で怒鳴りつけてやっても、 聾者のやうに默ってゐた。 そのうちに私達はじれだしてきた。私逹の恐怖の中には憤怒の情が交ってゐた。誰か一人が私 に云った。 「頤の下に蝋燭をつけてやれ。」 私は彼女の頤の下に燃えてる芯を持っていった。すると彼女は片方の眼を少し開いた。空虚な、 どんよりした、恐ろしい、何にも見て取らない眼付だった。 私は陷をのけて云った。

7. 死刑囚最後の日

こんできたのだらう、と私達は思った。 見に行ってみようと私逹は決心した。私は立上って蝋燭を取った。友人等は順実についてきた。 私逹は隣りの寢室を通った。妻は子供と眠ってゐた。 それから私達は客間に出た。何の變りもなかった。宵像はどれも赤い壁布の上に金枠の中にち っとしてゐた。たゞ客間から食堂へ通する扉が、いつもの通りでないやうに私には思へた。 私逹は食堂にはひった。そして一廻りした。私は眞先に歩いた。階段の上の扉はよく閉ってゐ たし、窓もみなさうだった。爐の側まで行って、見ると、布巾戸棚が開いてゐて、その扉が壁の 隅を隱すやうにそちらへ引張られてゐた。 私はびつくりした。扉の後ろに誰かがゐると私逹は思った。 私はその扉に手をかけて戸棚を閉めようとした。扉は動かなかった。驚いて一層強く引張ると、 扉はふいに動いて、私逹の前に一人の老婆の姿が現はれた。背が低く、兩手を垂れ、眼を閉ち、 不動のまゝで、つっ立って、壁の隅にくつついたやうになってゐた。 何かしらひどく醜惡な感じたった。今考へても髮の毛が逆立つほどである。 私はその老婆に尋ねた。 「何をしてるんだ。」 彼女は答へなかった。 % 私は尋ねた。

8. 死刑囚最後の日

あゝ然し、やはり同じことだー 四ニ 私は眠らして貰ひたいと賴んで、寢床の上に身を投出した。 實際私は頭に鬱血してゐて、そのために眠った。それは私の最後の眠り、この種の最後の眠り 私は夢を見た。 夢の中では、夜だった。私は自分の書齋に二三の友人と坐ってゐたやうだ。どの友人かは覺え てゐない。 妻は隣りの寢室に寢て、子供と共に眠ってゐた。 私達、友人等と私とは、低いで話をしてゐた。そして自分の云ってることに自分で恐がって ゐた。 突然、どこか他の室に、一つのが聞えるやうだった。何たかはっきりしない弱い異樣な昔た 友人等もと同じくそれを聞いた。私達は耳を澄ました。ひそかに錠前を開けてるやうな、こ っそり閂を切ってるやうな音たった。 何だかぞっとするやうなものがあって、私達は恐かった。この夜史に盗人共が私の家へはひり

9. 死刑囚最後の日

もう一一時間と四十分、さうすれば私は凡て恢復するたらう。 彼等は云ふ、それは何でもない、苦しくはない、安らかな終りだ、その種の死はごく平易なも のになってゐると。 では、この六涸間の苦悶とこの一日中の殘喘とは、一體何なのか。こんなに徐々にまたこんな に早くたってゆくこの取返しのつかぬ一日の苦惱は、一體何なのか。死刑臺で終ってるこの責苦 の段階は、一體何なのか。 外見上、それは苦しむことではない。 けれど、血が一滴々々盡きてゆくことと、智能が一の考へから一の考へへと消えてゆくことと は、同じ臨終の痙攣ではないか。 それにまた、苦しくはないといふことも、確かであるか。誰かさう告げてくれた者があるか。 嘗て、切られた頭が血まみれのまゝ籠の縁に伸び上って、それは何ともないことだ ! と人々に 叫んだといふやうな話でもあるのか。 さういふ死に方をした者で、調にやって來てかう云った者でもあるのか、これはうまく考案さ れてる、滿足するがいゝ 、機械はよく出來てると。 それはロベスビエールなのか、ルイ十六世なのか

10. 死刑囚最後の日

或る日子供の頃、ノートル。ダームの釣鍗を見に行った時のことを、私は覺えてゐる。 丿ーを足の下に見て、私 薄暗い螺旋階段を登り、二つの塔をつないでる細長い廻廊を通り、パー 潮の川がある、他の男と私自身との血がある。 もし他日私の經歴を讀む者があったら、潔白と幸一碣との多くの年月の後に、犯罪で始まり刑罰 で終るこの呪ふべき年があらうとは、恐らく信じかねるだらう。この一年は不釣合ひな感じを へるだらう。 それにしても、慘めなる法律と慘めなる人間等よ、私は惡人ではなかったのだ。 おう、數日間後には死するのか。そして、一年前のかういふ日には、私は自由で淸らかで、秋 の散歩をし、木立の下をさまよひ、木の葉の上を歩いてゐた、といふことを考へるとー ・ド - ジュスティスの建物とグレーヴの廣場とを取卷 今この時間に、私のまはりには、。、レ いてる人家の中には、往き來し、談笑し、新聞を讀み、自分の仕事のことを考へてる、多くの人 人がゐる。物を商ってる商人逹、今晩の舞踏會の長衣を用意してる若い娘達、子供と遊んでる母 親逹がゐる。