一人 - みる会図書館


検索対象: 死刑囚最後の日
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1. 死刑囚最後の日

が、こちらには何物もない。七月革命の後に、穩良な風習と進歩との時代に、死刑に對して議 會がひどく悲蠍した一年後に起ったことである。ところがその事實は全然看過された。パ 諸新聞はそれを一の話柄として掲げた。誰も心を動かす者はなかった。高等事務執行者を陷れよ うとする者が故意に斷頭臺の機械を狂はしてゐた、といふことが知られたばかりだった。死刑執・ 行人の一人の助手が、主人から追出されて、意趣睛しにさういふ惡事を謀ったのだった。 それは一の惡戲に過ぎなかった。が、先を績けよう。 ディジョンで、三ヶ月前に、一人の女が刑場に引出された。 ( 女なのだ ! ) その時もまた、ギ ヨタン博士の肉切庖丁は用をしそこなった。首はすっかりは切れなかった。すると死刑執行人の 助手等は女の足につかまり、不幸な彼女の喚きの間に、跳ね上ったり引張ったりして、頭と體 とをもぎ離してしまった。 パリーに於ては、祕密處刑の時代が再現した。七月革命後人はもはやグレーヴの刑場で首を切 ることを敢てしかねたし、恐れてゐたし、卑怯だったので、次のやうなことが爲された。最近の ューといふ名前の男たったと思ふが、ビセー こと、一人の男が、一人の死刑囚が、デサンドリ ルの監獄で取上げられた。彼は四方閉され海老錠と閂がかけられてる二輪車の一種の籠の中に入 れられた。そして前後に一人づっ憲兵が附き添ひ、餘り音も立てず人だかりもせす、サン・ジャ ッグの寂しい市門へ運ばれた。まだ十分明るくならないうち朝の八時にそこまで行くと、新らし く組立てられたばかりの斷頭臺が一つ立ってゐた。公衆としてはたゞ十二三人の子供等が、近く

2. 死刑囚最後の日

間、或は六週間たってるかも知れない。そして、三日前が木曜日たったやうた。 私は遣書を書いた。 でもそれが何になるか。私は訴訟費用負擔を云ひ渡されてる。そして私の家産はそれにも足り ないたらう。斷頭臺、それは如何にも高價なものた。 私の後には、一人の母が殘る、一人の妻が殘る、一人の子供が殘る。 三歳の小さな女の子で、薔薇色でやさしく弱々しく、黑い大きな眼をし、栗色の長い髮を生や してゐる。 最後に私が見た時は、その子は二年と一ヶ月だった。 かくて、私の死後には、子がなく夫がなく父がない三人の女が殘る。各種の三人の孤獨者だ。 法律から作られた三人の寡婦だ。 私は自分が正當に罰せられてることを認める。然しそれら三人の無辜の者は、一體何をしたの か。たゞ無鐵砲に、彼等は不名譽を擔はせられ、破減させられる。それが正義なのだ ! 年老いた憐れな母のことを私は心配するのではない。彼女はもう六十四歳になってゐて、この 打撃で死ぬだらう。或はなほ數日生き存らへるとしても、最後の間際までその懷艫の中に多少の 温い灰がありさへすれば、何にも不平をこばさないだらう。

3. 死刑囚最後の日

齠へるやうにと男に云ひ、男がそれを信じて云はるゝまゝの姿勢をしたのに乘じ、その死にかゝっ てる男の背に飛びついて、何等かの或る肉切庖丁で、百の殘りを漸くのことで切離した。それは 實際あったことである。實際見られたことである。本常だ。 法律の倏文によれば、一人の裁判官がその處刑には立會ってた筈である。一人の合圖で彼は凡 てを止めさせることが出來るのたった。然るにこの裁判官は、一人の男が屠殺されてる間、その 馬車の奥で何をしてゐたのか。この殺害人懲罰者は、眞晝間、眼前で、自分の馬の鼻先で、自分 の馬車の扉ロで、一人の男が殺害されてる間、何をしてゐたのか。 そしてその裁判官は裁判に附せられなかった。その死刑執行人は裁判に附せられなかった。神 に造られた一個の御聖な人命に於てあらゆる掟が殘酷に破棄されたことについて、どの法廷も詮 議をしたものはなかった。 十七世紀に於て、リシュリューやクリストフ・フーケが上に立ってる刑法の野時代に於て、 ド・シャレー氏はナントのプーフェーの前で殺されたが、ー 川執行人の兵士は不器用にも、劍の一 撃でせすに、樽屋の手斧で三十四囘の打撃を與へた。 ( ラ・ポルトは二十二囘と云ってるが、オー プリーは三十四囘と云ってゐる。 ド・シャレー氏は二十囘まで叫びを立てた。 ) その時でもそ れは反則なものだとパリー裁判所の眼に映じた。調査が行はれ裁判がなされた。そしてたとひリ シュリューは罰せられなかったとはいへ、たとひクリストフ・フーケは罰せられなかったとはい へ、兵士は罰せられた。無論それは不正ではあるが、然し底には多少正義があった。

4. 死刑囚最後の日

室の中に椅子が一つあった。彼等は私に坐れと云った。私は坐った。 扉の側と壁に沿って、牧師と憲兵等の外になほ、數人の者が立ってゐた。三人の彼奴等もゐた ? 三人のうち最初のは、一番背が高く、一番年長で、脂ぎって赤い顏をしてゐた。フロッグを着 て、變な形の三角帽を被ってゐた。共奴がさうたった。 共奴が死刑執行人、斷頭臺の給仕だった。他の二人は共奴についてる助手だった。 私が腰を下すや否や、その二人が後ろから猫のやうに近寄ってきた。それから突然、私は刃物 の冷さを髮の中に感じた。鋏の音が耳に響いた。 私の髮の毛は手當り次第に切られて、一房づっ肩の上に落ちた。三角帽の男はそれを太い手で 靜かに拂ひのけた。 周圍では人々が低いで話してゐた。 戸外には、本中にうねってる振動のやうな大きな音がしてゐた。私は初めそれを河の音と思っ た。然しどっと起る笑を聞いて、群集であることが分った。 窓の側にゐて手帳に錯筆で何か書いてた若い男が、看守の一人に共處で爲されてる事柄は何と いふのか尋ねた。 「受刑人の身支度です。」と看守は答へた。 それが明日の新聞に出ることを私は悟った。 突然助手の一人は私の上衣を脱ぎ取った。も一人の助手は私の垂れてる兩手を捉へ、それを背

5. 死刑囚最後の日

き績けることが肉體的に出來なくなる間際まで繼續する力が私にあったら、各時間の、各瞬間の、 各苦惱のこの日記、必す未完成に終るだらうが、然し私の情緖の出來るだけ完全なこの物語、そ れが一の大きな深い示敎を齎さないだらうか。死に臨んでる思考のこの調書のうちには、常に高 まってゆくこの苦惱の增進のうちには、一受刑人のこの一種の精神的解剖のうちには、・ , 處刑する 人々に對する一つならずの敎訓がないだらうか。恐らく彼等がこれを讀んだならは、他日、思考 する一の頭を、一個の人間の頭を、正義の秤と呼ばるゝものの中に投する場合に、彼等の手はよ り重くなるだらう。恐らく彼等は不幸にも、死刑判決の早急な仕方のうちに責苦のゆるやかな連 が含まれてることを、嘗て考へたことがなかったらう。彼等が除き去るその男のうちには、一 の精禪がある、生命に望みをかけてる一の精神があり、死を豫期してゐない一の魂がある、とい ふこの痛切な観念に、彼等はたゞ眼を据ゑたことでもあるだらうか。いや。彼等はたゞ三角な肉 切庖丁の垂直な落下をその中に見て取るだけであって、受刑人にとってはその前にも後にも何物 もないと思ってるに違ひない。 これらの數頁はさういふ彼等の謬見を醒ますたらう。恐らくいっかは世に出版されて、人の精 の苦悶の方へ彼等の精訷を暫し向けさせるだらう。人の精の苦悶こそ彼等が少しも思ひ浮べ ないことである。 . 彼等は殆んど肉體を苦しめすに人を殺すことが出來るといふのを得意にしてゐ る。が、まさしくそれが問題なのだ。精神的苦痛に比べては肉體的苦痛が何であらう。今のやう にして出來てる法律こそ、恐るべきまた憐れむべきものである。やがていっかは、そして恐らく、

6. 死刑囚最後の日

獄舍を出ると、典獄は懇切に私の手を握りしめ、それから私の護衞に四人の老兵を加へた。 病室の前を通る時、死にかけてる一人の老人が私に叫んだ。「また逢はうよ。」 私逹は中庭に出た。私は息をついた。それでいくらか樂になった。 長くは戸外を歩かなかった。驛次馬に引かれた馬車が第一の中庭に停ってゐた。私を初め連れ てきたあの馬車である。細長い一種の二愉馬車で、編まれてるのかと思はれるほど目のこまかい 針金の格子が横に通って、二つの部分に分たれてゐる。その二つの部分にはそれみ、、馬車の前 方と後方とに一つの扉がついてゐる。全體が如何にも汚く黒く埃つぼくて、貧乏人の葬式馬車も それに比ぶれば成聖式の母衣馬車ほどになる。 その二棆車の墓の中にはひりこむ前に、私は中庭に一瞥を、壁をも突き崩すほどの絶望の一瞥 を投げた。中庭は樹木の植ゑてある小さな廣場みたいなものだったが、徒刑囚等の時よりもなほ 一層見物人で一杯だった。今からもう人だかりだ ! 鑞にがれた者逹が出發した日と同じに、季節の雨が、細かな冷い雨が、降ってゐた。これを 書いてる今もなほその雨が降ってゐる。恐らく今日中は降るたらう。私の生命よりも長く降り續 道は壞れてゐたし、中庭は泥と水とで一杯だった。その群集をその泥の中に見るのが私には嬉 しかった。 私逹は馬車に乘った、執逹史と一人の憲兵とは前部の室に、牧師と私と一人の憲兵とは後部の

7. 死刑囚最後の日

134 の小石の山の上に意外な機械のまはりに集まってゐた。人々は急いで男を籠馬車から引出し、息 をつく隙も與〈す、ひそかに狡猾に見苦しくもその百を盗み切った。そしてそれが高等司法の公 な嚴かな行爲と呼ばれる。卑しむべき愚弄である。 法官等は一體文化といふ言葉をどう解釋してゐるのか。吾々は一體如何なる時代に在るのか。 策略と瞞着とに墮した司法、方便に墮した法律、奇怪なる哉 ! 死刑に處せられるといふことは、社會からさういふ風に陰險に取扱はれるからには、極めて恐 るべきことであるに違ひない。 とはいへ實のところ、右の死刑執行は全然祕密にされたものでもなかった。その朝例の通り、 ーの四辻で死刑決定の報道が呼賣された。さういふものを賣って暮してる人があるらしい。 嘘のやうだが實際、一人の不運な男の罪惡や、そのに罰や、その責苦や、その臨終の苦悶などで ' 一の商品が、一の印刷物が作られて、一スーで賣られてゐる。血の中に錆びたその銅貨ほど忌は しいものが、他に何かあるたらうか。それを拾ひ取る者が誰かあるだらうか。 事實はこれでもう十分た。僚りあるほどである。几てそれらは嫌惡すべきことではないか。 刑に左袒すべき餘地がどこにあるか。 吾人はこの質問を眞劍に提出する。返答を求めて提出する。饒舌な文學者等へではなく、刑法 學者等へ提出する吾人の知ってるところでは、死刑の妙味を全く他の問題として逆説の主題と する人々がゐる。また、死刑を攻撃する誰彼を憎むといふだけで死刑に賛成する人々もゐる。彼、

8. 死刑囚最後の日

ゐる。今は小さな子供達も神を嘲ってゐる。如何なる權利で諸君は、受刑人の滝暗い魂を、ヴォ ルテールやビゴール・ルプランが拵へ上げたまゝの魂を、諸君自身も信じかねてる何物かの中に 投込むのか。諸君はそれらの魂を監獄の敎誨師に引渡す。それは無論立派な老人ではあらうが、 然し自ら信仰を持ってゐるか、そして人に信仰を持たせ得るか。彼はその崇高な仕事を一の賦役 として機械的にやってはしないか。囚人馬車の中で死刑執行人と相並んでるその好々爺を、一個 の牧師だと諸君はいふのか。魂をも才能をも十分具へた一著述家が吾人より前にかう云ってゐる、 懺悔聽聞者をはふいた後もまた死刑執行者を附添はせるのは忌はしいことである。 頭の中でしか推理しない或る儼慢な人々が云ふやうに、これは固より「感情的な理山」に過ぎ ない。然し吾人の見るところでは、この方が更に立派な理由である。吾人は大抵理性上の理山よ りも感情上の理山を取りたい。その上兩者は常に支持し合ふものである。それを忘れてはいけな い。「犯罪論」は「法の精御」の上に接木されたものである。モンテスキューはべッカリアを生 んだ。 理性は吾人に味方し、感情は吾人に味方し、經驗もまた吾人に味方する。死刑が廢止されてる 模範的な國家では、重罪の數は年毎に漸減してゐる。よく考へてみるがいゝ。 けれども吾人は、議會があれほど夢中になって唱へ出したやうに、刑を今直ちに突然に完全 に廢してしまひたいといふのではない。否吾人は、あらゆる試みと注意と研究とを以て愼重にや りたいのである。固より吾人の望むところは、單に死刑の廢止ばかりではなく、徹頭徹尾、門か

9. 死刑囚最後の日

117 本書の初めの諸版は、著者の名前なしで先づ出版されたものであって、冒頭には次の數行しか ついてゐなかった。 本書の成立を會得するのに、二つの仕方がある。印ち、黄ばんだ不揃ひな一東の紙が實際あ って、一人の慘めな男の最後の思想が、それに一つ / 、書留められてるのが見出されたのだと。 或はまた、哲學者とか詩人とか、兎に角一人の者が、藝術のために自然を観察してる夢想家が あって、本書の中にあるやうな観念を心に浮べ、それを取上げて、といふより寧ろそれに提へ られて、それから遁れる途はたゞ、それを一册の書物として投げ出すより外はなかったのだ その二つの説明のうち、どちらなりと好きな方を讀者は選むがよい。 右のことで分る通り、本書が出版された當時、著者は自分の凡ての考へをすぐに述べるのが適 常だとは思はなかった。そして自分の考へが人に理解されるのを待っ方を好み、果して理解され るかどうかを見るのを好んだ。所が著者の考へは理解された。で今や著者は、文學といふ潔白淸

10. 死刑囚最後の日

137 。千客萬來の店として、絶えす新らしい肉を備へてる死刑執行人の忌 の釜、などを取戻すがいゝ はしい肉店を、ハリー のあらゆる四辻に取戻すがいゝ。モンフォーコンの刑場を、その十六本の 石の柱と、荒々しい平段と、骨の窖と、梁と、鈎と、鎖と、死體出と、點々と烏がとまってる 白堊の本堂と、首吊柱の分堂とを共に取戻し、北東の風でタンプル廓外一帶にさっと擴がる、そ 丿ーのその偉大な食慾を、同じ強さで常住不斷 死刑執行人たるパー の死屍の臭氣を取戻すがいゝ。 に取戻すがいゝ。よい哉、それこそ大いなる實例である。よく腑に落ちる死刑である。多少規模 のある刑罰樣式である。それこそ嫌惡すべきものである、が、然し怖るべきものである。 。商業國たるイギリスでは、ドーヴァーの海岸で密 或はまた、イギリスのやうにするがいゝ 入者を一・人捕へると、それを實例として取上げ、實例として百吊臺に曝しておく。然し天氣の不 順のために死體が傷むことがあるので、瀝靑を塗った布で死體を注意深く包んで、度々手入をし ないでよいやうにする。儉約の國なる哉、絞首臺に靑を塗るとは ! けれどもそれはまだ多少理窟に合ふ。實例論に對する最も人情的な理解の仕方である。 然し諸瞽は、廓外の大通りの最も寂しい片隅で一人の憐れな男の首を慘めにも斷ち切る時、一 の實例を示すものだと眞面目に考へてゐるのか。グレーヴの刑場で眞晝間なら、またよい。然し サン・ジャッグ市門で、朝の八時に ! 共を誰が通るか。其處に誰が行くか。其處で一人の男 、。隹こ向って が殺されてることを誰が知るか。共處に一の實例を示されてることを誰が氣づくカー の實例ぞ。明かに大通りの樹木に向ってであらう。