一番 - みる会図書館


検索対象: 無名仮名人名簿
39件見つかりました。

1. 無名仮名人名簿

祖母は、絵具もパレットも、水を入れる四角い容器も、兎に角一切合財、一番上等で一番大き くて一番高いものを下さいと注文した。年かさの店員は、小学生のお嬢さんには勿体ないと渋っ たが祖母は聞き入れず、 「これの父親が、初めての子供なので、正式に習わせたいと言っておりますので」 と譲らない。 けんつく 「言われた通りにしないと、帰ってから私が剣突を食いますから」 自分の意見が容れられなか「た店員はムッとした顔で奥へ引「こむと梯子をかついで出てきた。 画家が三脚に向って絵を描いている写真は見たことがあるが、梯子に乗「ているのは見たことが ない。びつくりして見ていたら、梯子は棚の一番上にある埃だらけの箱を取るためのものであっ た。箱から出てきたパレットは、レオナルド・ダ・ヴィンチが持つような大型である。銀色の水 入れは水筒の大きさであり、白い陶器で出来た筆洗いはカナリアが水浴び出来るはどのゆとりが あった。何だか違うような気がしたが、黙って帰ってきた。 その夜、父は上機嫌であった。晩酌をしながら、左手にパレットを持ち、長い筆で絵具をまぜ 魔るしぐさをしてみせながら得意の訓戒を垂れた。 式「お父さんはほかはみな甲だ「たが、図画だけは丙だ「た。図画の宿題だけは手伝「てやれない 正から、しつかり勉強しなさい」 恵まれない少年時代を送った父は、この夜、はじめてパレットというものを手にしたようであ はし 1 」

2. 無名仮名人名簿

158 次の瞬間、焼けるかも知れないと思いながら、どこかに、勿体ないというかいけないことをし ているという遠慮があり、その反面、日頃やってはいけないことをしているたかぶりもあったよ 、つに田 5 、フ 父は、自分で言っておきながら、やはり社宅である、という気分がぬけないのか、爪先だって 歩いていた。 この時、一番勇ましかったのは母である。 一番気に入りの大島の上にモンべをはき、足袋の上に、これも父の靴の中で一番高価なコード ハンの靴をはいていた。つまり焼けてしまったら勿体ないと思ったのであろうが、五尺八寸の大 男の父の靴を五尺に足りないチビの母がはいているのだから、これは、どうみてもミッキー・マ ウスかチャップリンであった。 このチャップリンが、家族の中で誰よりも堂々と、大胆に畳を汚していた。この母の足も、麗 子の足と同じように親指と人さし指のひらいている日本人の足なのである。 こういう足は、だんだんと少なくなってゆくのだろう。靴の歴史も、もうすぐ三代になる。 洋服を着て、全身や顔の記念撮影をしておくのもし 、いけれど、せつかく下駄から靴への過渡期 に生きている私たちの世代である。家族の素足の写真を撮しておくのも面白いのではないだろう

3. 無名仮名人名簿

北陸放送の金森千栄子プロデューサーに伺った話だが、人を喜ばせるのも大変だなあ、と感心 した。感心しながら、ティンパニーを叩く猿のあのギグシャグした動きはどこかで見たことがあ る、誰かに似ている、と気がついた。小学校の時一緒だった男の子河原崎君の笑う時にそっくり なのだ。 河原崎君は、大きな自転車屋のひとり息子だった。クラスで一番背が高く目方も重かった。色 が白くプックリと肥っていた。勉強の方も一番であった。やさしい人柄で人望もあっかったから、 いつも級長だったが、ちょっと変ったところがあった。 極端な偏食で、うどんと白いごはんだけを好み、色のついたおかすを食べることが出来なかっ ウンドするポールを ひどい音痴であり、運動神経というものを全く持ち合せていなかった。パ 取ることが出来なかった。 「前へ進め」 の号令がかかると、彼の右手と左手、右足と左足は、主人の意志を無視して一遍に前進を始め るらしく、よくツンのめっていた。 腕時計をはめて来たのはクラスで彼が一番早かったのだが、ギッシリとご飯だけをつめたドカ 弁を手で抱えるようにして食べている河原崎君に、グラスメートが

4. 無名仮名人名簿

110 この夜は一番のひいきの噺家が久しぶりに出ていたのだが、私はあまり笑えなかった。 不条理などとご大層なことを一一一一口うつもりはないが、どう考えても納得がい力なカった不。ノ ールを守ったのである。ご順に中程へ詰めたのである。その結果、一番だったのがビリになり、 二時間立ちつばなしになってしまったのである。私よりあとに来た人が坐って笑っているという のに、私は立ったまま、あまり笑えないでいるのである。 こういう場合、どうしたらいいのであろう。中へ詰めろと言われても絶対に言うことを聞かず、 エレベーター・ガールの横にへばりついて頑張り、ドアがあいたら一番に飛び出すべきなのだろ うか。それとも、こういうことはままあることだとあきらめるべきなのだろうか。劇場関係者や 知慧のあるかたがたにお伺いしたいと思いながらまだそのままになっている。 これとは全く違うはなしだが、大分前に地下鉄の渋谷駅でこんな光景を見たことがある。 朝の通勤ラッシュの最中で、地下鉄を待っ乗客は、駅員の指示にしたがって二列に並んでいた。 一番目の電車に乗る人が乗車位置の最右端の二列、次の電車に乗る人が、その次の二列という具 合である。 まんじゅう 毎朝のことだから、人々は黙々と並び、黙々と押しくら饅頭をしていたが、中にちょっと目立 っ二人がいた。母と娘であろう、似た顔立ちの五十がらみと三十ほどの二人連れである。二人と は↓はしか

5. 無名仮名人名簿

若いのに、めきめきと頭角をあらわして、その社会でエースと呼ばれるようになった男に、取 材の人がたずねた。 「いま一番恐いものは何ですか」 「ジシンです」 エースは謙虚に答えた。 取材の人は感心した。 震「やつばり恐いですか」 と「恐いですよ。人間、潰すのは、ジシンじゃないですか」 自「天災は忘れた頃にやってくる」 「いやあ、ばくはそれほどじゃないですよ」 自信と地辰

6. 無名仮名人名簿

親不孝通りといえば、昔は銀座みゆき通り、いまは青山表参道から代々木公園の遊歩道あたり ではないだろうか 最近、このあたりの日曜の歩行者天国で、タケノコ族と呼ばれる若い人たちがステレオ・ラジ オに合せて踊り狂っているというので、散歩がてら出かけて見た。 言には聞いていたが、なるほど壮観である。男の子も女の子も、ズボンの上に桃色や水色のス じゅず きようかたびら ケスケの経帷子みたいのを羽織り、数珠のような長いネックレスをじゃらっかせながら集団で踊 っている。 このアングラ風の衣裳を一番はじめにつくって売ったのがタケノコという名のプティッグらし しいまでは製造が間に合わす、ここで踊っている若い連中のほとんどは、見よう見まねで手作 りにした衣裳を着ているのだという。 なんだ・こりや

7. 無名仮名人名簿

のだろう。中国の女性は日本人ほどハンドバッグを持っている人はすくないようだから、お弁当 も自前ではなく、まとまって支給されるのだろうが、お茶やお水はどうなっているのだろう。そ して、一番気にかかるのは、ご不浄なのである。 毛主席や周首相のことを考えたら、そんなものをもよおす筈がないということになっているの 、。、ツと板を頭上に持ち上げる瞬間、 ではないか。私のように「近い」人間は、さて、その瞬間ノ ご不浄の中でまごまごしていて、そこだけ歯欠けのように欠けてしまい、あとで叱られたりする のではないかと、気を揉んでしまうのである。 おいしいものがあると、早く味わいたいと思うのか生れつき口がいやしいのかあわてて早く食 べる癖がある。その結果、い、 し年をして、子供のようにしやっくりが出てしまう。 そんなところから、舞台で芝居をしたり歌を歌っている最中に、しやっくりが出たら、どんな に困るだろう、役者や歌手にならなくてよかったと思っていた。 本職の人たちは大丈夫だろうかと、持ち前の取り越し苦労をしていたところ、都はるみさんと おしゃべりをする機会があった。 好きな飲みものはコーラだという。 「ゲップが出ませんか」 「出ますよ」

8. 無名仮名人名簿

この間から本妻の具合が悪かったのだが、この二、三日は全く駄目で物の役に立たない。情に 於てはしのびないが、涙を呑んで捨てることにした といっても万年筆のはなしである。 私は万年筆を三本持っている。三本の中で一番書き馴れたのを本妻と呼び、次に書き易いのを 二号、三番手を三号と呼んでいた。 テレビのセリフは、ホーム ・ドラマを多く書くせいであろうが、或る程度早く書かないとテン せつかち ポが出ない。それでなくても性急なので、万年筆は滑りがよく書き馴れたものでないと、セリフ そうこう までいつもの調子が出ないようで焦々する。そんなわけだから、本妻に対しては「糟糠ノ妻ハ堂 ョリ下サズ」文字通り下にも置かぬ扱いをして来た。 どんな場合でも、本妻はうちの外に持ち出すことをしなかった。旅先や外で原稿を書かなくて 縦の会

9. 無名仮名人名簿

帰ってくる。 いつばい振舞われただけで、 人間の気持というのはおそろしい。立派な建物の中で、コーヒー 私は文字通り小さくなっている。自分のうちだと威張る子供が、よそのうちへゆくといじけて小 さくなっているのと同じである。情ないことだと思いながらこの三、四年過していたが、ふと気 がついた。 玄関に段があったのである。 たたき 相手はいつも三和土に立ち、私は十五センチ高いところで話をしていた。玄関で客を迎えると き、私はいつも百六十八センチになっていたのである。 去年の秋、アフリカのケニヤへ動物を見に出かけたが、現地で映画を撮っておられた羽仁進氏 から面白いはなしを伺った。 私たちの泊ったロッジのまわりを、ライオンがのそのそと歩いている。そのすぐそばにマサイ 族の連中が暮しているので、心配になり、ライオンと人間の関係についてたずねたのである。 羽仁氏の答はまことに明央であった。 「ライオンが襲う順序は、はっきり決っています。まず子供を襲う。次に老人を襲う。次が女で、 男は一番最後です」

10. 無名仮名人名簿

184 演出である。ますますもって凄い迫力。それにしてもどうしてこの広い日生劇場の客席を揺らす ことが出来るのだろう。いや、爆弾が落ちた時のように揺れていると錯覚させることが出来るの だろう。 溜息をつきながら、おかしいぞと田 5 った。少しはなしがうま過ぎる。 地震であった。 女客がほとんどの客席から、かすかなグスクス笑いがおこった。こわさをさとられまいという 、裏がえしの女特有の笑いもまじっていたが、みんな、だまされていた自分がおかしくて笑っ たのではないかと思う。 舞台の越路さんは、さすがにみごとなもので、動することなく立ち、歌い通された。 このあとの拍手はひときわ高いものがあったが、場内が明るくなったとたん、人々は通路に殺 到した。逃げるためではない、留守番をさせている子供たちへ、電話をするためにママはロビー の公衆電話に殺到したのであった。 関東大震災は、両親も体験しているし、聞く機会も多い 一番生き生きと語って下さったの は、伴淳三郎さんであった。 伴さんは、当時、山形から上京して、染物屋の下絵描き ( だったと思うが、もし間違っていた