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検索対象: 無名仮名人名簿
243件見つかりました。

1. 無名仮名人名簿

女の子のように化粧している男の子もいる。絵具箱をぶちまけたようなグループに対抗するか のように上から下まで黒いサテン一色、音のほうはロッグという一群もいた。 何時間こうやって踊っているのか知らないが、おなかがすくだろうなあと感心して見ていたら、 いきなり話しかけられた。 六十五、六の品のいい紳士である。 何か言っておいでらしいが、なにせ騒音大会なのでよく聞きとれない。何度か聞き直して、や っと判った。 「少々伺いますが、これは、なにをやっとるんですか」 なにをやっているのだろう。私は正確に答えることが出来なかった。 ごく短い期間だが、帽子作りを習ったことがある。 二十代半ばの頃で、出版社につとめていた時分であった。週一度、先生のお宅に伺う個人教授 である。友人にさそわれたのだが、帽子は洋裁と違って、縫ったりかがったりする量が圧倒的に すくない。二回も通えばひとつ出来てしまう。 ちょっとした思いっきや感じ方が形や線に生かせるところも気に入って、仲間に入れてもらっ た。本音は、お稽古のあとでご馳走になるサンドイッチがお目当てというところもあった。 二週間に一個の割合で新しい帽子が出来るわけだが、習いたてのほやほやのために帽子の注文

2. 無名仮名人名簿

「直れ ! 」の声が掛るまで絶対に頭を上げてはいけない。お姿を直接拝むと目がつぶれる、とい われたが、私は一瞬目を上げて車の中を見てしまった。見たことは見たのだが、目に入ったのは 陛下ではなく、陛下の前に坐っていた侍従のほうであった。 肝心のものを見落して、二番目のものやまわりを見てしまう私の癖は、その頃からのものであ ったらしい この時の侍従は、実に考え深そうな顔をしていた。 りす 子供の頃の私は物真似がうまく、「新撰組の近藤勇」と、「ひそかにおしつこをする栗鼠」とい たて う二つの当り芸を持っていた。近藤勇は新聞紙を丸めた刀で殺陣をやり最後に見得を切り、栗鼠 の方は、目を細めて、つつしみ深いような放心したような顔をしてから細かく身を震わせばいし のである。 この二つの当り芸に、「天皇陛下の前に坐る侍従」がもうひとっ加わった。この三つ目はひど く受けるので弟妹たちの前で何度も実演をした。父にみつかってひどい目にあわされたが、何度 もやっているうちに、見物からクレームがついた 「お姉ちゃん、同じ顔じゃないか」 どうやら天皇陛下の前に坐る栗鼠、ひそかにおしつこをする侍従になっていたらしい 万事おくてで、ラジオやテレビの台本を書き始めたのも三十を過ぎてからである。はじめのう ちはスターと呼ばれる人たちをナマで見たりお話をするのが楽しかったが、スターの顔も三度で

3. 無名仮名人名簿

躍は下げず、くるりとうしろを向けて来た道を帰って行った。見えなかったが、また唇をなめてい るな、と思った。この学生の気持は、いま考えてもよく判らない。 五年ばかり前だったろうか、夜十一時頃、渋谷の道玄坂の中ほどで、かなり酔った初老の男に 道をたずねられたことがあった。 「ここは新宿ですか、渋谷ですか」 前後に揺れながら、その人はこうたすねた。私が答えるより早く、私の連れの男性がこう教えた。 「ここは渋谷ですよ」 初老の男は、敬礼をして、フラフラと揺れながら行ってしまったが、私は、国家公務員のその 連れに文句を言った。 「何て勿体ないことをなさるの。ここは渋谷か新宿かなんて面白いこと聞かれるのは一生に一度 しかないんだから、もっと凝った答をしなくちゃ」 「では何というの」 と聞かれ、 「私だったら新宿と言うわね」 と答えてしまったが、これはアルコールの勢いというもので、ほかのことは何ひとつ人に教え

4. 無名仮名人名簿

214 鍵で忘れられないのは、アンコール・ワットのホテルである。 カンポジアの首都プノンペンから飛行機で一時間はど奥へ入ったこの壮大な遺跡をたずねたの は、もう十年以上も前のことだった。 石造りの寺院のすぐ前にあるテンプル・ホテルはフランス系の・ハンガロー型式の美しいホテル で、私たちは寺田屋旅館といっていた。 この寺田屋は、一日の観光を終って、フロントへ鍵を受取りにゆくと、 「みなさんのお部屋に届けてあります」 とい , っ フランス語みたいな英語で言うので、はじめは間違いではないかと思った。何度聞いてもそう 答え、手許に鍵はないというので、半信半疑、自分の・ハンガローへいってみて、びつくりしてし まった。 さあどうぞお開け下さいという風に鍵は鍵穴にさしこまれてあった。 私は、鍵を廻して中へとび込んだ。 スーツケースを引っくりかえし、何か失くなっているものはないか。大あわてで調べていたら、 地響きが起った。 半開きのドアの外の中庭を、ホテルに飼われている象が、カンポジアの少年をのせてゆったり

5. 無名仮名人名簿

チほどの蜆は七歳ということになる。人間の子供なら親に理屈のひとつも言う齢である。六十年 は間違いと判って、少し気が楽になったが、いったん染みついた、お椀いつばいの六十歳の蜆と いうイメージは容易に消えなくて、いまも、 「お椀は何にしますか」 といわれると、つい気弱にも、 「若布にして下さい」 と答えたりしている。 蜆の次に心配したのは、割箸である。友人で料亭の女あるじだったひとがいるのだが、ある年、 税務署に、客の人数をごまかしているのではないかと追及を受けたというのである。使った割箸 の数と合わないではないかと言われたそうだ。友人は気の強い人であったし、潔癖なたちなので、 いきり立って反論した。 なまぐさ 「うちは、そのへんの一膳めし屋ではありませんよ。お刺身や焼魚の生臭を出したあと、茶そば やそうめんの注文があれば、箸を替えています」 その通りであろうが、私はまたまた心配になった。 一億の人間が、全員割箸を使っているわけではないが、一日に二度三度外食の人もいる。割箸 は洗ってもう一度使うということは出来ないから、一日に使い捨てられる量は、考えただけで空

6. 無名仮名人名簿

「、、じゃない、その服」 「聞いたわよ : 「あとでーーーね」 私の話し こ感、いしながら、どうもこんなメッセージを入ってくる相手に瞬間に伝えているらしい 手話というのは聞いたことがあるが、眼話というのは初めてであった。二度が二度ともそうであ つ、 ) 0 てんびん 私は天秤にかけられ、ないがしろにされたわけだから腹を立ててもいいわけだが、そんな気持 になれなかった。むしろ、心を打たれた。彼女はこの姿勢で這い上ってきたのだ。おそらく恋人 と一緒であっても、喫茶店で入口に背を向けて坐ることはないであろう。いっ何時、彼女にとっ て役に立つ人物が入ってこないとも限らない。見落してはならないのである。この人に心の安ら ぐ時があるのだろうか。この人の一番の好物はラーメンである。 じんましん 「三日食べないと蕁麻疹が出るんですよ」 大女優はざっくばらんな口調で、あなたにだけ本当のことを白状するんですよ、という風に笑 猫ってみせた。笑いながらも、やはり喫茶室の入口から目をそらしていなかった。 ャ キ キャベッ猫は今年十三歳になった。 育ち盛りにキャベツを食べさせられたせいか、小柄でほっそりしている。そのせいか、お婆ち

7. 無名仮名人名簿

皿みせてくれ、こちらの方もいつもおいしくいただいており参考になったのだが、感心したのは、 つけ合せのもやしのサラダである。 「津々井」のもやしサラダは、カレー味である。ビリッとしておいしいので、私はうちでためし てみたが、水つばくなってうまく出来ない。何度やっても黄色く仕上らなかった。仕上らないの も道理で、全くやり方が違っていた。 おやじさんは、沸かしたお湯に、いきなりカレー粉をはうり込んだ。カレー味のついた湯で、 もやしをさっと茹でたのである。これに普通のドレッシングをかけるらしい 私は、普通のお湯で茹で、カレー粉を入れたドレッシングであえていた。だから水つばくなっ たのだ。それにしても、お湯にいきなりカレー粉とは。言われてみれば何でもないことだが、は これもコロンプスの卵であろう。 じめに考えついた人は、やはりすばらしい 「こどもの科学」という雑誌がある。 まわりに子供がいないせいか、とても面白く読んでいるが、中でもたのしいのは発明コーナー である。すこし前のことなので記憶で書くのだが、そのときの一等は「金魚の昼寝場所」という のだった。 金魚鉢の中にプラスチッグ板で、浮きべッドみたいなのをつくってある。水面から三センチほ どのところに円型で出来ていた。金魚はここで昼寝をするというわけである。

8. 無名仮名人名簿

げたから、私達は「会社の」というとビクビグしていた。 「会社の」はまだこのほかにも沢山あって、創立何十周年記念の大花瓶やら、契約成績全国第一 位の置物やら、毎夏家族に頂戴する扇子などが山とあった。三年に一度の転勤のたびに、父はほ かのものを処分してもこれらの「会社の」を捨てることを許さず、鹿児島から仙台まで各地を転 転とついてきた。 子供、いに、私は嫌だなと思っていた。 そこまで会社に忠誠を誓わなくてもいし しゃなしかと出世主義の父を内心軽蔑し、家族にまで それを強要する父を憎んでいた。 女持ちにしては無骨な大振りの、「会社の」扇子を帯にはさんで、汗を掻きながら上役へお中 元を届けにゆく母を可哀そうに思っていた。 父の手前、使ったような顔をしながら、実は、お小遣いをためて文房具店でひそかに買った赤 い革の手帖を使ったこともあった。 学校を出て、勤めるようになって、何年目だったか、例の通り大晦日に「会社の」カレンダー と手帖を差し出した父に、 「私はいらないわ」 と言ったことがある。長い間、言いたくて言えなかった言葉であった。 父は、眼鏡越しにびつくりしたような顔で私を見た。こめかみの青筋が蛇のように動いている。

9. 無名仮名人名簿

「いま何時 ? 」 とたずねる。 河原崎君は、聞かれた瞬間に答えなくては申しわけないという風に、泡くって左手首をひねっ て外側の腕時計の文字盤を見る。途端に弁当箱は逆さになり、中のものは机や膝の上に散乱して しまう。一度や二度ではなかったという。たずねる方は面白半分だが、河原崎君は真剣だった。 引っくりかえすと判っていながら、気持と手首の方が先に動いていたのかも知れない。 私はすぐに転校してしまったので、このあとのことをくわしくは知らないが、白くふくらんで いた河原崎君は、間もなく腎臓を患い、敗戦を知らずに亡くなったという。 あふ 彼は他人にない素晴しいものを満ち溢れるほど持ってもいたが、生きてゆくために、チョコマ 力と要領よく立ち廻るために必要な部品がひとっ欠けていた。 天才といわれる人には、こういう人が多いのではないか。私はキリストの像を見ると ( 不信心 なせいもあるのだが ) 、人に時間をたずねられると、手首をひねって、弁当箱をひっくりかえし てしまう人のように思えて仕方がない 聡明な女が増えて来た。 料理がうまく趣味もよく話題も豊富で、いく つになっても充分に魅力的である。私は女の癖に

10. 無名仮名人名簿

加カチ、ちり紙、櫛なども、ちょっと拝借することがある。顔を貸せ、と凄まれたこともないし、 知恵を貸せ、といわれるほどの人間でもないが、手を貸せ耳を貸せは、時々聞くことがある。 私が聞いたなかで、一番びつくりしたのよ、、 。しきなり「靴下を貸せ」といわれたことであろう。 二十年、いやそれ以上前のはなしだが、明大前で乗り換えの電車を待っていた。 当時勤めていた出版社の仕事で筆者の家へ原稿を取りにいった帰りだったと思う。時刻は夕方 であった。季節は忘れたが、真夏ではなかった。 突然名を呼ばれ、肩を叩かれた。同年輩の女である。 「何年ぶりかしら。懐しいわねえ」 大感激の様子で名を名乗るのだが、申しわけないことに私は記憶がない。父の仕事の関係で、 学校は七回も変っている。短いところでは、一学期もいなかったのだから、今迄にもこういうこ とは何度かあった。せつかくの気分に水をさすのも悪いと田 5 い、私も「懐しいなあ」と調子を合 せた。そこで、彼女に言われたのである。 「お願い、靴下貸して」 電車の中で引っかけて、大きな伝線病を作ってしまった。これから気の張るところへ出掛けな くてはならない。済まないが、あなたのと取り替えて欲しいという。成程、膝小僧の下から幅五 センチほどが、茶色のスダレのようになって足首まで走っていた。 私は絶句してしまった。気の張るところではないが、私だって日本橋の勤め先まで帰らなくて ひざ