東京の盛り場を歩いていると、修学旅行の・ハスを見かけることがある。 すずな 制服姿の高校生の男の子女の子の健康そうな顔が窓に鈴生りに並んで、すこし口を開けて外を 見ていることもあるが、中には、一服盛られたんじゃないかと心配になるくらい、全員ぐっすり と眠りこけていることもある。 団体旅行の客は、居眠りする時も団体でまとまってするらしい。七年ほど前にラス・・ヘガスか ら南米のベルーに飛んだ時乗り合せた日本人の団体客も、もたれ合い折り重なって眠っていた。 長い間、野良でカ仕事をして来た手らしく、ひしやげた爪の間に黒いものが染みついている初 老の男もいたし、ねずみ色のレースのスーツの、陽灼けした主婦の首筋もあった。 「どちらまでおいでですか」 と聞くと、 隠 し 場 所
親不孝通りといえば、昔は銀座みゆき通り、いまは青山表参道から代々木公園の遊歩道あたり ではないだろうか 最近、このあたりの日曜の歩行者天国で、タケノコ族と呼ばれる若い人たちがステレオ・ラジ オに合せて踊り狂っているというので、散歩がてら出かけて見た。 言には聞いていたが、なるほど壮観である。男の子も女の子も、ズボンの上に桃色や水色のス じゅず きようかたびら ケスケの経帷子みたいのを羽織り、数珠のような長いネックレスをじゃらっかせながら集団で踊 っている。 このアングラ風の衣裳を一番はじめにつくって売ったのがタケノコという名のプティッグらし しいまでは製造が間に合わす、ここで踊っている若い連中のほとんどは、見よう見まねで手作 りにした衣裳を着ているのだという。 なんだ・こりや
女の子のように化粧している男の子もいる。絵具箱をぶちまけたようなグループに対抗するか のように上から下まで黒いサテン一色、音のほうはロッグという一群もいた。 何時間こうやって踊っているのか知らないが、おなかがすくだろうなあと感心して見ていたら、 いきなり話しかけられた。 六十五、六の品のいい紳士である。 何か言っておいでらしいが、なにせ騒音大会なのでよく聞きとれない。何度か聞き直して、や っと判った。 「少々伺いますが、これは、なにをやっとるんですか」 なにをやっているのだろう。私は正確に答えることが出来なかった。 ごく短い期間だが、帽子作りを習ったことがある。 二十代半ばの頃で、出版社につとめていた時分であった。週一度、先生のお宅に伺う個人教授 である。友人にさそわれたのだが、帽子は洋裁と違って、縫ったりかがったりする量が圧倒的に すくない。二回も通えばひとつ出来てしまう。 ちょっとした思いっきや感じ方が形や線に生かせるところも気に入って、仲間に入れてもらっ た。本音は、お稽古のあとでご馳走になるサンドイッチがお目当てというところもあった。 二週間に一個の割合で新しい帽子が出来るわけだが、習いたてのほやほやのために帽子の注文
「悪いけど口紅貸してくれない」 いきなり声を掛けられた。 ホテルの洗面所で、口紅をつけ直していた時だった。声の主は、隣りで化粧直しをしている、 やっと廿歳という女の子だった。 私は、お金以外のものなら、おっちょこちょいなはど気前のいい人間だと思っているが、この 時だけはためらった。姉妹や友達なら兎も角、見も知らない人間に口紅を貸すのは、正直言って 嫌だった。 女の子はせいいつばいお洒落をしていた。模造毛皮の半コートの下から華やかな色のドレスが のそいていた。顔も満艦飾だったが、眼の化粧が濃い分だけ、何も塗っていない白い唇が異様に 見えた。 拝借 はたち
口をはさんだりすると、もういけよ、つこ。 まず右手の先を入れてみる。 たしかに熱い。たが、熱いかも知れないと言われたからそう思うのかも知れないという気もし てくる。 、、、はじめのと 一度出した手を、もう一度入れてみる。二度目は、手の温度が違っているせしカ きよりも、もっと判らなくなっている。 左手を入れてみる。 しい加減のところで報告して、 このへんから、ますます自信がなくなってくる。 ゅ 「俺は菜つばじゃないんだぞ。人を茹でる気か、お前は」 父にどなられたことがあった。 「酒を飲んだあとは、少しぬる目の風呂がいいんだ。女の子なんだから、そのくらい覚えてお 女の子だからというのは、嫁にいったとき役に立っという意味だったと思うが、この点では父 は娘を見る目がなかった。 兎に角、なにかというとどなられていたので、子供の方もしくじるまいとして緊張をしてしま うのだろう。 「入っていいか。脱ぐぞ」
みんなで、おかしいと言い出した。言い出したのは、私だったような気がする。 マスグは鼻にかけるものと決っている。わざわざ鼻マスグとことわることはないじゃないの、 と、はっきり言えばいじめたわけである。 彼女は必死に抗弁した。 「でも、うちじゃそういうもの。うちのお母ちゃん、そう言ってるもの」 言いながら、泣き出して、泣きながら帰って行った。 次の日、だったかどうカ : はっきりしないが、鼻マスグの女の子は、ちょっと胸を張って、私 たちのところへ来た。 「うちじゃね、これ、耳マスクというんよ」 彼女が見せたのは、兎の毛皮を丸く輪にした、耳にあてる防寒具であった。
「お嬢さん」と書くところを「お嫌さん」と書いてしまったことがある。出版社に勤めていた時 分だが、しばらくの間「おイヤさん」と呼ばれて、きまりの悪い思いをした。深層心理などとい うご大層なことを言うつもりはないが、この間違いは少しばかり身に覚えがある。 短気横暴ワンマンの父にどなられて育ったせいであろう、私は子供の頃、親に向って嫌と言「 たことがなかった。言いたくても一言えなかった。同じ年格好の女の子が、父親に向って「嫌よ」 「嫌だ」と拗ねているのを見ると、うちには無い豊かなものを感じて羨しく思「た。嫌という字 とお嬢さんの嬢の字は、私の幼時体験の中で一緒なのかも知れない。 親に何か言われたら、大きな声で「 ( イ」と返事をしないと叱られるのだが子供心に不服は声 に出たらしい。父に 「嫌だと思ったら、その分だけ大きな声で気持よく返事をしろ」 金覚寺
「亜 5 いけど : 紅を拭き取った紙を手に、女の子はもう一度くり返した。その目は必死だった。恋人が外に待 っているんだな、と見当がついた。食事のあと、口紅がパッグの中にあると信じて、紅を拭き取 ってしまったのだろう。この顔では、出るも退くも出来ないのである。 彼女は、鏡に顔を近づけ、直重に紅を 私は、口紅の先を紙で拭い、「どうそ」と差し出した。 , つけた。私だ「たら、まず指先に紅をうっし、それを自分の唇に移すけどなあ、と思ったが、勿 論口に出しては言わなかった。 塗り終ると、彼女は大きな溜息をつき、ケースにもどして、 「、ど、つ・も」 と返してくれた。使ったあと、紙で拭うことはしなかった。受取る私の顔のどこかに硬さを見 たのか、彼女はあわててお礼の追加をした。 「ありがと、つ」さいました ! 」 彼女は自分の・ハッ テレビの歌番組で新人歌手が司会者におじぎをするーーーそんな感じだった。 , グをつかむと、ドアに体当りするように勢いよく出て行った。 口紅を貸してくれと言われたのは初めてだが、眉墨を貸してと言われたことは、今までにも経 験がある。
東京から鹿児島へ転校した直後のことだから、小学校四年のときである。 すぐ横の席の子で、お弁当のおかずに、茶色つばい見馴れない漬物だけ、という女の子がいた その子は、貧しいおかすを恥じているらしく、 いつも蓋を半分かぶせるようにして食べていた。 滅多に口を利かない陰気な子だった。 どういうきっかけか忘れてしまったが、何日目かに、私はその漬物をひと切れ、分けてもらっ た。これがひどくおいしいのである。 坐っていて、 当時、鹿児島の、ほとんどのうちで自家製にしていた壺漬なのだが、今みたいに、 日本中どこの名産の食べものでも手に入る時代ではなかったから、私は本当にびつくりして、お いしいおいしいと言ったのだろうと思う。 その子は、帰りにうちへ寄らないかという。うんとご馳走して上げるというのである。 小学校からはかなり距離のあるうちだったが、私はついていった。 こあきな もとはなにか小 商いをしていたのが店仕舞いをした、といったっくりの、小さなうちであった。 を考えて、殊更、つつましいものを詰めてこられたのか、それとも薄給だったのだろうか。 私がもう少し利発な子供だったら、あのお弁当の時間は、何よりも政治、経済、社会について、 人間の不平等について学べた時間であった。残念ながら、私に残っているのは思い出と感傷であ る。
お礼の電話をしようと思っていると、 「向田です、いかがでした ? 村上豊さんのさし絵素晴しいでしよう」 電話が来る。 私は眼の行き届かないたちで、文章はすぐ読んでもさし絵を見ていない時が多く、あわてて電 話中に手をのばして、雑誌をひき寄せて見たこともある。 「天の網」で、くもの巣に女の子がひっかかっていたりして、いわれて見れば面白いいい絵だっ しかし、向田さんもその頃は週刊誌の連載が初めてで、さすがに緊張し昻奮していられた。本 当は絵のことより文章が気になるのだ。 「面白かったわ。どうしてああいうふうな発想が出来るのかふしぎだわ。よく昔のこと覚えてい らっしやるのねえ」 向田さんは満足げなころころした声で、 「ね、面白いでしよ」 と念を押し、ごきげんで喋る。 説「何だこりや」の章の「何だこりや」といった男の人の声色など、たびたび聞いて、こちらもお かしなものを見たとき真似をするようになってしまった。 解 どれも読んでいると、そうだそうだ、と嬉しくなるのだが、自分からは全く思いっかない。私 四か挈」 , つい , っといつも、