渋原夫人から電話があった。夜更けのベルは、気のせいか大きく意味ありげに響く 「明日の朝七時なんだけど、いい」 私はいいわよと答えた。その時刻に電話で起して欲しいというのである。 渋原氏は、日本でも有数の発行部数を誇る雑誌の編集長である。夫人も物を書く人で、私はこ の人の人柄も文章も大好きで、つかず離れずの長いっきあいが続いている。この夫婦は二人とも 腕時計というものを持っていなかった。腕時計だけではない。置時計も掛時計も勿論目覚時計も ないのである。食道楽のうちだから、時計の分も食べてしまったのかも知れない。 私も腕時計は持たない主義だが、目覚時計だけは持っている。今までにも何度かモーニング・ コールを引き受けたことがあるので格別驚かず、次の朝約東通り七時に電話を掛けた。 電話に出たのはご主人で「お手数を掛けて誠に恐縮であります」と寝呆け声で行届いたご挨拶 目覚時計 0
278 丿ーンと可愛らしい音で鳴るのもあったが、デパ トの館内放送のアナウンス嬢の、やや人工 的な作り声みたいで、これはやめにした。かといって情け容赦もなく、噛みつくように、わめく こづら タイプも、使っているうちに小面憎くなりそうである。 結局、ビッグ・べンという英国製のが、造りもシンプルであるし、声も ( 音もという方が正確 だが ) 重厚にしてそっけなく、威圧感がありながらあたたかくて気に入った。 「 . 起きなさい」 志村喬氏に英語でこういわれているようで、こっちも、 「イエス・サー」 びつくりしてはね起きそうな気がしたのである。ところが、折角のビッグ・べンの・ヘルの音を、 私は殆んど聞いたことがない。 目覚は毎晩ではないが、掛けるのである。ずばらなたちで、いつも仕残した仕事がある。明日 の朝こそ早く起きて、と六時半か七時にセットしてべッドに入る。 目覚時計の効果はてき面で、掛けた時刻の十分か十五分前に必ず目が覚める。どういうわけか はね起きて、 「あ、よかった。間に合った」 胸をなでおろしながら、目覚時計のベルをオフにして、とめてしまうのである。
朝八時半になると、マンシ , ンの車寄せに自動車が並びはじめる。社長とか重役とかいうひと たちの迎えの車であろう。黒塗りの大型が多く半分は外車である。 毎朝同じ時刻に顔を合せるせいか、運転手たちはお互いに顔馴染みとみえ、うしろの席に乗せ るひとが玄関に出てくるまで、ひとかたまりにな「てしゃべったり煙草を喫ったりしている。 私はちょうどその時刻に一階の郵便箱へ速達が届いているかどうか覗きにゆくのだが、三人五 人と固ま「て待「ている運転手の人たちが、時に笑い声を上げていながら、いっ主人が出てきて も具合の悪くないように気を配「ているのに感心した。今まで白い歯をみせ・て冗談を言「ていた 紺の制服の人は、あるじの姿を見つけると急に別の人間となり、車に駆け寄「てドアをあけるの である。 その中でひとりだけ、雑談の輪に加わらず車の手入れをしている運転手がいた。年の頃は五十 キャデラッグ煎餅
は、時を超越しているかのように悠然と振舞「ていながら、時にはひそかに目を四方に配「て、 巾着切りのような目付で時計を探すことがある。 「人生到ルトコロ時計アリ」 十人のうち七人は腕時計をしていると思うとこれが大きに間違いで、こ「ちが覗いていると知 るとわざと見えにくいように手首をひね「たりする方もおいでになる。月賦で無理した高い時計 しやく を他人に減価償却されるのが癪なのであろう。 そこへゆくと時計屋は間違いないというのは素人というもので、あんなにアテにならないもの もない 「時計屋の時計春の夜どれがほんと」 こういう句をよまれたところを見ると、久保田万太郎先生も腕時計を持「ていら「しやらなか ったのではないか 時計屋をやろうというはどの人物はみな几帳面で、店中の時計を一分一秒の狂いもなく、キチ ンと合せて置くものと思「ていたが違うのである。私はまだ、店中の時計がみな正確に同じ時を 示しているという時計屋を見たことがない 我家で時計といえるのは目覚時計ぐらいだが、買う時には随分あちこちの店を探し、ベルの音 を何回も聞いてこれに決めた。
間があった。役目を果したので安心して、朝刊でも読もうかと立ちかけたら、電話が鳴った。今度 は夫人である。 「起してもらって文句を言って悪いけど、あなたも気が利かないわね」 中っ腹な声である。全然意味が判らない。 「雨が降っているじゃないの」 電話機を手にしたまま体を伸し、足の爪先でカーテンを開けたら、なるはど外はどしゃ降りで ある。 「雨が降ると野球は出来ないのよ」 ご主人が会社対抗の野球の試合に出るため、モーニング・コールを頼んだというのである。 渋原夫妻ほどではないが、私の廻りには腕時計を持たない人間が多い。あるディレクターは、 気の張る相手と正午に逢う約束をして街を歩いていたが、ふとのぞいた八百屋の時計がまさに正 午を指している。飛び上り十メートルほど全力疾走してから、いま見たのは時計ではなく秤であ ることに気づいたという。またあるプロデューサーは、五時の約束でタグシーに乗り、車内のデ ジタル時計が五時十分であると知って愕然としたが、次の瞬間、時計ではなく五百十円を示すメ ーターであることを知り、もう一度愕然としたと言っていた。 まさかとおっしやるのは、常日頃、腕時計を持っておいでの方である。腕時計を持たない人間
金一封 解説秋山加代期 目覚時計 静岡県日光市 ハ・ 4 【「ン 291 286 275 280 目次・本文カット村上豊
驚かされて、ビグッとして起きるというのが、気に入らない。人と生れながら、こんな小さな機 くちお 械に叩き起されるというのが、口惜しい気がする。 というのは口実で、本当はその瞬間がこわいのである。 目覚時計のベルを聞くのが嫌なように、落ちるのが嫌だから、今まで懸賞やコングールに応募 スポーツは別だが、人でも物でもギリギリのところで争った覚えがない したことがない ン場に身をさらす度胸がないので、欲しいくせに自分でストップをかけてしまうのである。 だからいい年をして、こんなところでモタモタしているのだと自分を叱りながら、やはりいっ も十分か十五分前に目を覚し、ベルが鳴らないようにセットしてしまう。 ベルが鳴る前に起きようと、気持の奥の方が緊張するのであろう、目覚をかけて寝た夜は、ど いつもそ うもゆっくりと眠った気がしない。まだ十五分あるのだから、ほんの五分ほど眠ろう。 う思ってまた横になる。そして、大抵大寝坊をしてしまうのである。 こういう癖は私だけかと思ったら、そうでもないらしい。目覚をかけながら絶対にベルを鳴ら さす、目覚をかけた朝ほど寝坊をする。ご恩になっていながら、目覚時計を目の仇にして恨み、 邪慳に扱っている人間がかなりいる。私と同じように懸賞やタイトル・マッチを逃げ、目の覚め 覚るような進歩発展はなくともよいから、ドキッとしないで世渡りしてゆきたいと願う気の小さい 目 人間が。 ドタ
あわび 食事は結構すくめであった「特に鮑のグラタンは絶品で、キエ子は座頭市のような目つきにな り、うっとりと溜息をつきながらロだけはせわしなく動かしていたところ、いきなり口の中でガ ツンときた。貝殻の破片でも入っていたかと、主人側に判らぬよう気を遣いながら、そっとナフ キンで受けてみたところ、何と金冠である。 キエ子は胸が悪くなった。 カウンターの向う側で、指図をしたり味見をしている初老のシ = フ ( 料理長 ) がいる。虫歯の ありそうな顔をしているからあの男のに違いな、。 キエ子は、子供の頃読んだ漫画の「フグちゃん」を思い出した。たしかおみおつけかなにかの 中から腕時計が出てくるのがあった。同じ金でも腕時計ならまだ許せる。 友人が戦争直後の市で、一杯十円で食べた進駐軍の残飯シチ = ーの中に桃の種子が入ってい たと聞いたことがあったが、それも戦争直後である。戦後三十四年もたって一流料理店のグラタ ンから金冠とは何事であるか。 だが、ここで騒ぎ立てては、招いて下さった主人側は恐縮するであろう。招待客は自分ひとり ばんさん ではないことだし、折角の晩餐を台なしにするのは本意ではないので、金冠はさりげなくくるん で・ハッグに仕舞った。 「これ以上デブになると後妻のロに差支えますので」 下手な冗談でごまかしてグラタンはそのまま残したが、それから先の料理は胸がっかえて味も
「そんなにかけたら、体に毒だよ」 から始まって、 「長い間かけてるから、鼻もなにも・ハ力になってンだ」 お決りのワンコースをやらないと、気がすまないらしかった。祖父は、女房の悪たれ戦術には ひとことも答えず、言われれば言われるほど、更に自分用のとんがらしを振りかけた。 黙々として赤いおみおつけをすする祖父の鼻の先が、まず赤くなり、それから顔中が赤くなり、 汗が吹き出てくる。顔もしかめす、くしやみもせす、祖父はおみおつけをゆっくりと吸い終「た。 若い時分は、ただ職人かたぎのへそ曲りと思っていた。だが、この頃になって祖父の気持が判 ってきた。 下戸で盃いつばいでフラフラする祖父にとって、とんがらしは、酒だったのではないか。 関東大震災のあとの建築プームで、羽振りのいい時代もあ「た。大きなうちに住み、沢山の職 、つけはん 人を抱え、親方と立てられた時代もあったが、人の請判をしたのがつますきの始まりだった。 そのあとに戦争が来た ようやく乗り切ったと思ったら、職人として一番腕の振える全盛期と・ハラック建築の時代がぶ つかってしまった。 気に入った仕事がくるまでは、半年でも一年でも遊んでいる、といった名人肌も、家族を養う
ったのだろうか。 細かいことには無頓着な人がいる。 コーヒー・カップに口紅が残っていても、知っていて知らんプリをしているのか、気がっかな いのか、平気で唇をつけている。会議などしていて、みんなで食事を取ることがある。出前持ち が間違えて持ってきたりしても、意地悪くとがめたりせず、勿論、持って帰れの、新しく持って こいのなどとは絶対に言わず、 「一食ぐらい何食っても死なないよ」 間違えた分を自分のおなかに入れている。 こういうひとは、あまりお洒落でないことが多い。紺の背広に茶色の靴。時計はセイコー。百 円ライターである。結婚式のスビーチなども、まあ月並みだし、趣味もゴルフ、マージャンであ る。ゴルフだけは嫌だね、と唇の端をゆがめて笑う、パセリを食べるなという男とは正反対であ る。 直属の上司が引越しをする。 紺の背広の方は、テレたり悪びれたりしないで手伝いにゆ く。パセリの方は、わざと行かない で、次の晩、酔っぱらって手彫りの民芸調の表札を打ちつけに行ったりする。