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検索対象: 無名仮名人名簿
110件見つかりました。

1. 無名仮名人名簿

と田 5 , つ。 買物で丸の内のビル街を歩いていたら、テレビのロケをしているのにぶつかった。若い女のタ レントと腕を組んで、カメラに向って歩いてくる背広の青年は、あの金覚寺であった。彼は目ざ とく私を見つけ、カットになると、すぐに飛んできた。開口一番、 「ばくのテレビ、見て下さってます ? 」 クイズ番組で、賞品を渡す係として毎週登場しているという。いま撮しているのは o フィル ムで、何とかいうディレグターに目をかけてもらってますと嬉しそうに報告してくれたが、いっ ぞやの自殺騒ぎはケロリと忘れているようであった。 ライトが整い、彼は再びカメラの前に立った。ヨーイ本番の声がかかるひと呼吸前に、人垣の 中にいる私に向って手を振った。私も小さく手を振った。 抜けるように晴れた日であった。高層ビルのガラス窓が、刺すように眩しく光っていた。私も 二十代には、こういう風にして人に迷惑をかけたのかも知れない。 歩きはじめた金覚寺はあの日テレビ局の廊下で見かけたと同じ内股であった。 こういう青年が増えている。男は外股、女は内股の時代はもう終ったのである。金覚寺は、そ の後テレビでも見かけないが、或日突然、何かの主役に抜擢されて一躍スターになっても、私は もう驚かないであろう。内股の男が増えているのはい、 しことかも知れない。少なくとも彼等は戦

2. 無名仮名人名簿

136 角はたしか炭屋だった。 今時分誰が使うのか、豆炭やたどんがならんでいたことがあった。その左隣りがパッとしない 喫茶店で、その隣りがコロッケ屋。そして魚屋で細い路地になっていた。 いや違う。炭屋、コロッケ屋、喫茶店だったかも知れない。 毎日のように通っていて、ときどきは揚げ立ての匂いに釣られてコロッケを買ったりしていた のに、取りこわしになり、高層ビル建築中の板囲いになってしまうと、さてもとはどんな風だっ たのか、すぐには思い出せないのだから、人間の記憶などというものはあやふやなものだと思え てくる。 半年ほど「頭上にご注意」やダンプ・カーの出入りがあってやっと板囲いがとれてみると、ビ カビカ輝く黒大理石の、勿論貼り合せだろうが、モダンなビルになっていて、炭屋、喫茶店、コ 隣りの責任

3. 無名仮名人名簿

どこの何と名を言えば、誰でも知っている料亭で、自分だけは家族用のご不浄を使わせてもら っていると、さりげなく話す人もいる。 トルコ風呂のスペシャルという一一 = ロ葉を聞いたとき、私は物知らすなはなしだが、こういう風に 特扱いされたという自慢話だと思ったことがある。 こういう特別扱いの好きな人たちが、といってもトルコのことではなく、すし屋や小料理屋で のはなしだが、何かの加減で特別待遇を受けられないことがある。 新しく入った店員が、その人の顔を知らなかったりする場合だが、こういう時の腹の立て方と いったらない。自慢して引き連れていった友人たちの手前、恥を掻かされたというわけである。 別に恥を掻かせたわけではなく、平常に扱っただけなのだが、あの店も駄目になったね、とのの しり、しばらく足を向けなかったりするから面倒である。 こういう人たちの共通点は、デパ トで買物をしないことである。 小さい店だと我がままが利く。たが、デパートだけは、ひとりだけ塩味の卵焼を焼いてくれと いうスペシャルは通じないのである。 国鉄は仕方がない。あそこだけは代りに個人のところで切符を買うというわけにもゆかす、五 分遅れるから新幹線に待ってくれというわけにもいかないのである。国鉄に乗っているちょっと 偉そうな殿方が、面白くないという顔をして揺られているのは、そのせいかも知れない。

4. 無名仮名人名簿

216 素晴しい机を見つけて夢中になったことがある。 それは、銀座の輸入家具を扱う老舗の奥まった一隅に、ゆったりと置かれてあった。 イタリー製で、黒い漆のような仕上げである。ごくありきたりの形なのだが、こういうのをす ぐれたデザインというのであろう。モダンななかに気品とやわらか味があった。 えんじいろ 大きさも中位で、机の横の部分と、セットになった椅子のグッションと背もたれは臙脂色のモ ロッコ皮である。明らかに婦人用の机である。 私は、女の机としては日本の二月堂が最高だと思っているが、この机は、イタリーの二月堂と いうところがあった。なによりも、偉そうにみえないところがいし こんな机で書いたら、私の書くものもすこしは色つばく女らしくなるかも知れない。私という 人間にも、私の部屋にも似合わないことは百も承知で、欲しいなあ、と思った。問題は値段であ 眠る机

5. 無名仮名人名簿

「真実のない讃辞は不快である。日本人は映画の見方を間違えているのではないか」 手紙は最後まできびしいものであった。 、、ほかのスター達が書いて来たような月並は一行 日本が好きだとか、手紙を頂いて嬉しいとカ もなかった。 身につけた物も頂戴出来なかった。 お見事 ! と、 ししオしが、そ、つムキにならなくてもというところもあった。 「うちと費用折半で、オーデコロンでも買いますか」 ーに、実は私の代作ですと白状すると、彼は「オウ」とフランス式に手をひ 気を揉むムッシュ ろげ、立ってコーヒーを煎れながら、こう言われた 「ジャン・コクトオにきたえられてますからなあ」 そのご本人と、狭い箱の中に乗り合せてしまったのである。 許さぬ人は、毅然として立っていた。 乗り込んできた背の低い日本の女の子には目もくれなかった。エレベーターに石膏を流し込み、 型をとったら、そのまま銅像になった。赤ら顔で少しむくみ加減のせいか、アポロというよりフ ランスの仁王様といった方が近いように田 5 えたが。 顔立ちは、こちらが気恥しくなるはど端正であった。人はこういう顔立ちに生れたら、ああい 、と思いながら、牛のように大きな彫りの深い目のあ う風にハッキリ物がいえるのかも知れない

6. 無名仮名人名簿

うというのは、どうも納得出来なかった。 私のイメージの消防夫は、紺の刺子の火消しの衣裳で、首のうしろのところに、上手に刺した 雑巾というか「小ぎん刺繍」のようなエプロンがついていて、唇をへの字に結んでいてくれなく ては困るのである。 いまどき、こんな大時代な火消しのオニィさんは居る筈もないし、どうも、討入りの時の大石 内蔵助の衣裳とまぜこぜに覚えてしまったようできまりが悪いのだが。 頭から、天水桶の水をかぶって火の中へ飛び込んだ昔と、何で出来ているのか火の中を歩いて も燃えない銀色の衣裳とでは、覚悟の方も違ってくるのかも知れない しかし、火事場へゆく男に、やはり笑い顔は似合わない気がした。 人殺しやガス爆発がある。 テレビの画面に近所の人がうつって、その時の模様をしゃべっているのを見ることがあるが、 三人に一人は笑いながらしゃべっている。 特に女は、二人に一人は、はしゃいでしまう。 「いやだわ。こんな格好してるのに」 という風に、はにかみ、クリップをつけたままの頭を押え、様子を作り、グックッと嬉しそう

7. 無名仮名人名簿

るのだろう、大売り出しのちらしは食卓のまわりで目にすることもあった。 紙質も悪いペラ。ヘラで、青か赤のイングで、洋品店などの宣伝が書いてあった。 かつぼう 母はこれを丁寧にたたんで、割烹着のポケットに仕舞い込む。父に叱られたあと、さりげなく 台所に立ち、これで洟をかむのである。 佃煮の小鉢を取りにもどったのよ、という風に、すました顔で茶の間にもどってくる母の鼻の 先が、赤くなったり青くなったりしている。 ははあ、お母さん、台所で泣いてきたな、と判ってしまう。色のついた鼻の先を見ないように しながらごはんを食べるのだが、おかしくておかしくて仕方がない 父も同じ気持だったと思う。 めざと 人一倍、目敏いひとだったし、怒ったあとを気にするたちだったから、母の鼻に気がっかない 筈はなかった。 はな紙も買えないほど貧しい暮しではなかった。当時としては中流の中の暮しで、食べるもの や見るものは、分不相応の贅沢をさせてもらった覚えもある。 む母は、というより当時の日本の女は、もしかしたら、みなあのように節約だったのかも知れな かんべき をい。癇癖の強い父親を持った家庭だったにもかかわらず、四人の子供たちが格別いじけることな 洟く、多少漫画的に伸び伸びと大きくなれたのは、あのときの母の赤い鼻、青い鼻のおかげだった ような気もする。母は気がついていないらしいが しまっ

8. 無名仮名人名簿

観客はどっと笑「た。私も一緒に笑った覚えがある。今にして思えば、これが我が人生ではじ ハー・ラップであり、はじめて大人と一緒に笑った経験であり、はじめて大人 めて出逢ったオー というものを理解したような気がする。映画館はいまの国電目黒駅近くの目黒キネマである。こ の時一緒に獅子文六原作、古川口ッパ主演の「胡椒息子」を見たような気もしているが、当時二 : 己意違いかも知れない。私は小学校二年生であった。連れていって 本立てがあったのかどうカ言↓、 くれたのは、父であったか祖母であったのか、これも覚えがない 私の父は自分の勤める会社のものを滑檮なほど大切にする人間であった。 会社の封筒、会社の鉛筆、会社のメモ、会社の便箋・ : 父はよくうちへ仕事を持って帰っていたが、そういう時でも、それらを極めて丁寧に扱い、私 たちが手を触れると青筋を立てて怒った。子供の頃、私は会社のマーグの入った手帖だか封筒を 踏んだといって、父にしたたか突き飛ばされた記憶がある。 煎大晦日になると、父は、自分の会社のカレンダーや会社の手帖を子供たちに勿体ぶって分けて ッノ、 . れに こ何十年 デ品質は悪くないのだが、何分生命保険会社で、デザインなども野暮ったいから、いか冫 前といえども、子供にとってこのご下賜品は迷惑な代物であったが、いらないなどと言おうもの Ⅱなら拳骨が飛んで来そうであるし、粗末に扱っているところを見つかると、それこそ風雲急を告

9. 無名仮名人名簿

口をはさんだりすると、もういけよ、つこ。 まず右手の先を入れてみる。 たしかに熱い。たが、熱いかも知れないと言われたからそう思うのかも知れないという気もし てくる。 、、、はじめのと 一度出した手を、もう一度入れてみる。二度目は、手の温度が違っているせしカ きよりも、もっと判らなくなっている。 左手を入れてみる。 しい加減のところで報告して、 このへんから、ますます自信がなくなってくる。 ゅ 「俺は菜つばじゃないんだぞ。人を茹でる気か、お前は」 父にどなられたことがあった。 「酒を飲んだあとは、少しぬる目の風呂がいいんだ。女の子なんだから、そのくらい覚えてお 女の子だからというのは、嫁にいったとき役に立っという意味だったと思うが、この点では父 は娘を見る目がなかった。 兎に角、なにかというとどなられていたので、子供の方もしくじるまいとして緊張をしてしま うのだろう。 「入っていいか。脱ぐぞ」

10. 無名仮名人名簿

いてみたらーーー何と私のマットレスは再びもとのところに立てかけてあった。 どこのどなたか知らないが、かついで帰ったものの匂いに気づき、再び捨てにいらしたのであ ろう。 この日一日、私は笑い上戸であった。私は東京っ子のせいか「ええかっこしい」のところがあ る。網棚に読み捨てた新聞を拾って読む人を、そうまでしなくても、という目で見ていた。拾と 捨という字をよく間違える癖に、拾うより捨てる方を一段上と思っていた。しかし、マットレス をかついで帰り、鼻をつまんで再び戻しに来た人を考えると、この方が人間らしいなという気が して来た。 食べたかったら万年筆の箸で食べればいいのである。暗い階段で食べる卵サンドイッチもオッ な味がするかも知れない。欲しいものがあってもはた目を気にして素直に手を出さないから、 い年をして、私は独りでいるのかも知れない。何だか粗大ゴミになったような気がして来た。