明治神宮の表参道に近いところに住んでいるせいであろう、三日に一度は道を聞かれる。 近くに名園とお茶席を持っ美術館、結婚式場が三つばかりある上に、私の住んでいるマンシ , ンの隣りのビルに、地下鉄の出口が出来てしまったのである。 買物に出かけようか、とマンシ , ンのドアを出ると、地下鉄の階段を上「てきたらしい和服の 女性の一団が固ま「て何やら相談をしている。長年の経験で、くるな、と思う。案の定で、 「根津美術館はどっちですか」 勿論、教えて差し上げるが、この場合、「有難う」といわれるのは、三組のうち一組である。 聞 を 「なあんだ。やつばりそうじゃない」 道「あってたのよ」 「 x ちゃんが変なこというんだもの」 道を聞く
たまったお汁をすする、などという真似はなさらない。 「あ、待ちなさい」 ひょっとこの顔で、殻のところへ唇を持っていっている私を手で制して、おもむろに自分の前 のさざえの殻から身を取り出して、別の小皿に一列にならべてみせる。 「はうら。ね。一個の半分も入ってないでしよう。見場のいい大きなさざえの殻は、底が抜ける まで何度も火の上に乗っけられて、客の前に出されるわけですよ」 鬼の首でも取ったように言われるが、そんなことは常識ですよ。一人前のさざえの ~ 亞焼に身を ひとっそのまま使ったら、銀杏やかまばこやおっゆが入る余地はないじゃないですか。女ならみ んなそのくらい知ってますよ。知ってても黙っているんです。黙ってだまされているんです。そ の方がおいしく食べられるじゃありませんか、と言い返したいのを我慢して、ひょっとこの唇を もとへもどし、身をつまみ出して食べていると、だんだんと味気なくなってくる。さざえではな ふた いが、身も蓋もないという気がしてくる。 「いいや私は。誰かのよだれが入っていてもおいしいほうが」 と言いながら、わざと焼けた殻に唇をつけ、アッチッチとしなくてもいいやけどをしたりする のである。 こういう人は、間違っても・ハーゲンで一本七百円のネクタイなどしていない。草木染かなんか
252 ロのまわりにもうっすらロひげがあった。一切の手入れをせず、陽に灼け風にさらされると、女 の顔はこういう風になるのか。おばさんは居直っているように見えた。 「冷えて大変でしよ」 「女にや無理だね」 おばさんは、休んでいる隣りのおばさんの席をちらりと見てこう言ってから、 「それよか、こっちがこたえるよ」 手で、おむすびを握るしぐさをしてみせた。 「これだけは駄目だね」 かぶとむし クリームのしみ込んだおばさんの手は、甲虫の背中のようにテカテカに光っていた。黒と茶の グリームが爪の間にまでしみ込んで、革細工の手に見えた。なるほど、この手でおむすびは握れ ない。おばさんは笑うと金歯が光った。 おばさんの中でただひとっ不似合いなのは髪であった。明らかに美容院でセットした髪が、ナ イロンのスカーフで大事そうに被われていた。それだけがおばさんの心意気に思われた。 そんな風にして、二、三年が過ぎたような気がする。 おばさんは相変らず突っけんどんな口を利きながらプラシを動かし、威勢の悪いおばさんはい つまでたっても仕事に馴れず時々休み、管理人のおじさんはふたりを、特に古いおばさんをいじ めていた。
男は、「黙疇 ! 」という号令がかかると、大体において目をつぶる。男は号令に忠実な「造り」 になっているのかも知れない。 トビの親方のはなしというのが心に残っている。 大分前に耳にしたのだが、 東京タワーかなにか、高いところの工事はトビが請負うわけだが、落ちてけがをしたり亡くな った人たちが出る。そのことを親方が話しているのだが、 、。、ツと目あいて 「生き残るコツは、目をつぶらないということだね。落ちた ! と思ったら 目あけて、つかまるもの 何でもいいから、つかまるもの探すンだよ。縄一本でもなんでもいい めつけた奴は、ケガで済むね」 淡々としたしゃべり方だが、かえって食い込むものがあった。 きよみず 目をつぶって清水の舞台から飛びおりる、という言い方がある。 一大決心をして何か事を行なうときは、それこそ小さいことには目をつぶって、エイツとばか りやらなくてはならないが、落ちた時、ぶつかった時は、目をつぶったはうが負けのようである。 理屈では判っていながら、これはなかなかむつかしい ついこの間も、棚の上のものを取ろうとしてしくじり、箱が落ちてきた。咄嗟に目をあけたの だろう、よけることが出来たのだが、もうひとっ次があって、落ちてきた木箱で頭に小さなコプ をつくってしまった。
のだが、気の張る相手だったり、一瞬ひるんで言いそびれてしまうとあとはなかなかキッカケが むつかしい。 そうなると、もう中が気になって、相手の話など全く身が入らない しまいには、見たくて見 たくて、早くこの人帰らないかな、と思ったりするのだから、我ながら浅間しい やっと客がおみこしを上げる。決してお引き止めなどせずお見送りして、脱兎のごとく客間に 取って返し、包みをあけ、 「なんだ、ケーキか」 ちょっと落胆しながら、バグリとやったところで玄関のチャイムが鳴る。集金かな、とケーキ を頬張りながらドアを開けると、さっきの客が立っている。 「実はライターを忘れたもので」 こちらはロいつばいのケーキと恥しさで、目を白黒させて棒立ちとなり、その客に背中を叩い ていただく始末である。 友人にこのはなしをしたところ、私にも覚えがあるわ、と思い出し笑いをしたのがいた 種私と同じで、スグミル種の彼女は、客を追い立てるようにして帰し、素早く貰った包みをあけ たところ、プラウスが出て来た。早速、着てみたところで、やはりベルが鳴り、その客が、マン ス ションの下まで行ったが傘を忘れたことに気がっきましたと戻ってきた。 わずか二、三分の間に、自分の持っていったプラウスに着がえているのを見て、ひどくびつく たた
136 角はたしか炭屋だった。 今時分誰が使うのか、豆炭やたどんがならんでいたことがあった。その左隣りがパッとしない 喫茶店で、その隣りがコロッケ屋。そして魚屋で細い路地になっていた。 いや違う。炭屋、コロッケ屋、喫茶店だったかも知れない。 毎日のように通っていて、ときどきは揚げ立ての匂いに釣られてコロッケを買ったりしていた のに、取りこわしになり、高層ビル建築中の板囲いになってしまうと、さてもとはどんな風だっ たのか、すぐには思い出せないのだから、人間の記憶などというものはあやふやなものだと思え てくる。 半年ほど「頭上にご注意」やダンプ・カーの出入りがあってやっと板囲いがとれてみると、ビ カビカ輝く黒大理石の、勿論貼り合せだろうが、モダンなビルになっていて、炭屋、喫茶店、コ 隣りの責任
廻っているうちに、人間の方へ唸りながら擦寄ってくる扇風機というのもあった。畳の方がか しいでいたのかも知れないが、これも、 「馴れ馴れしいぞ、この野郎」 などと言いながら、小突いたり、蹴っ飛ばしたりすると、一瞬恐縮したように唸り声を低目に し、首うなだれて前進をやめていた。 こういう育ち方をしたせいか、今でも機械を使いこなすのは、頭ではなく腕っ節というところ がある。何かあると、どうして具合が悪いのか考える先に手が出てしまう。 パチンコ屋で、チューリップが開いたのにタマが出ないと、ベルを押さないで、 「出ませんよオ」 台のガラスを叩くのである。 駅で自動券売機から切符が出ない時も同じで、ますひとっふたっ殴ってみる。 これは私だけではなく、今の日本人の半分は、特に戦前・戦中派と呼ばれる年格好には多いの るではないだろうか。 蹴 る 先だっての夜ふけ、ある自動販売機のコーナーをのそいたところ、ワンカップ大関を手にした 殴中年の男が、ひとつの機械に向って、ロ汚なく罵りながら殴る蹴るの暴行を加えている。 くん どうも当てにしていたイカ燻かなにかのおつまみが品切れなので、腹を立てているようであっ すりよ
179 次の場面 日月フ ム でれ つな あ の た よ ス映 り は と ま そ る と は て っ て し、 と 電 な く ど タ 画 れ な じ と で ま フ し、 で と 気 、話す い る め に オ 日 し、 が物を だ ぶ も ね っ の し う名大 ード 涙 一十 っ すを ろ ク の 日 ク ) つ ず抵 っ を分 タ・ で け ひ る 六 も 月 ン春 か流 あ た と つ る か と そ ス映 に 、足甬 し そ ろ も つ け の の を 画 な と る る は ま っ の 抱 る決若 し な と 女 、必 ら ま ど き つ者た は お す だ は い 見 膳主 い だ て を婦 いそ ば勿 た い ろ と し、 て っ る 、体 と い し、 ひ の で の 。が 中 っ る パな っ あ に 、で場と く り て 狂 そ結面 、て り た ド に感 は、 週 物 っ や の か フ 自 が 美れ ぶ激 刊 が 分 す て し る つ し は の ロ・い 中 た かた は い で 大あ 若 雑せ と 女 ち興 る で 写ろ 巾な の奮 こ者 い は は 姿も し っ と た シ始 に ' 冷 恋が 夜 ち ら と め 終人 末 中 あ シ る が た る で ン フ つ を気 け ち 。立 の あ け と 書ー だ ち る ん が大 く な く切 上 か ツ れ あ の る し て 実 が っ る は の て 悪 く 際一 、で る 問番 あ 次 く を も 男 っ な 題 の と日 の る の る 手 朝 と 演 れ 作 な を も す 料 な 家そ と し、 き 足 っ ち る の で の プア . 巴 回 踊 と や 物 私 り カ ; っ ん の自 狂 あ男 多 る た て と の女 証 身 び い眺 の
とうなるのだろうか。 うと同情しながら前を通っている。こういう場合、隣りの責任というのは、・ しもた家でもこういう伊がある。 どちらが先に建てたのか知らないが、一軒は建築雑誌のために建てたのではないかと思われる ような斬新なデザインの家で、カーテンから車の色まで統一してある。表札も白プラスチッグ。 余白を残した横書きの書体である。 ところが、そのお隣りときたら、料亭風の数寄屋造りにルイ王朝風の応接間がくつつき、ビニ ールを貼ったのではないかと思うほどテカテカ光った赤玉石。塀は泥棒用心のご存知ガラスのギ りんり まないた ザギザつき。表札は爼に墨痕淋漓である。若き日の田中角栄氏のお住まいといった感じである。 この場合、建築雑誌のはうの人たちは、うちの出入りに、少し面白くないものがあるのではな いたろうか 特に設計した人は、地団駄を踏む思いで、胃をこわしたりするのではないかと、ひとごとなが ら心配になってくるが、田中角栄邸の人たちにいわせると、隣りに気くたびれするものが建っち や、隣りは隣り、うち まって、落着かないったらないよ、ということになるのかも知れない。い はうち。金はこっちの方が掛ってンだと全く気にしていないということも考えられる。 地下鉄に坐って、ばんやりと前の座席を眺めていたら、ちょうど夕方だったことでもあり、銀 座方面へ出勤の、 ーのマダムといった女性が坐っていた。白っぱ、日服にミングのストールで
、っちには猫が三匹いる。 中の一匹が九歳になるコラット種の牡なのだが、これがシーズンともなると、甚だ強烈なラブ・ シャワー つまりホルモン入りのおしつこを遊ばすのである。大体猫のおしつこは執念深く匂う ものだが、彼氏のはケタはずれで、いったんしみついたとなると十日経とうが二十日干そうが、 絶対に消えないのである。先祖にいたちかスカンクがいたとしか思えない。匂いが目に沁み脳天 がしびれ吐気がしてくる。ガス・ストープもやられ電気こたつも駄目になった。パンの裾にか かったので洗濯したら、一緒に洗濯したもの全部に匂いが移って全滅した程である。 気をつけていたのだが、マットレスをやられてしまった。買い立てで上物だったが、仕方がな 。粗大ゴミを出す日を調べ、涙を呑んで捨てに行った。セミダブルなので、かなりの大きさで ある。みつともないので、人さまがまだ眠っている早朝を狙って、タオルで鼻をおおい、エッサ ェッサと街角のゴミ置き場まで引っぱって行った。マットレスを電柱に立てかけ、そうだ、つい ートに取ってかえし、こわれた箱などを手にもう一度戻ってみると、なんとさっ でだからとアパ 人き捨てたマットレスが消えている。誰か拾っていったのである。 おもては風がある。室内では強烈に匂うあの匂いも、外ではあまり感じないのかも知れない。 拾ひょっとしたら、蓄膿症の方かも知れないそと思いながら家へもどった。 ーと朝風呂に入ったところで、また気になった。散歩がてら覗 匂いのもとを追い出し、サッパ丿