ていると傍の学校の二階より、 「佐藤愛子さーんー と呼ぶ声。上を向くと、 「あ、向いた」 それだけである。無知か無邪気か無神経か。私にわかることは無敵ということだけである。 親心 勉強嫌いの中三の娘も、さすがに高校受験が近づいてきたので、夜遅くまで勉強をするように 章なった。それで私はいった。 「何でもわからないことがあったら遠慮せずにママに聞きなさい」 話すると娘は数学の問題を持ってきた。私は中学三年の数学というものをはじめて見、いやその カ難解なこと、問題の答がわからぬのではなく、問題そのもののわけがわからぬのに驚いた。 や「何です / これは / 」 思わず怒鳴った。 「文部省は何をしている / 何のためにこんな数学をさせるのか / こんなことに頭使ってるか ぎら
ー 96 ていたら、現代作家迷鑑という欄に、 佐藤愛子、趣味特技ーー毒舌 と出ていた。 えん 艶聞ーー遠藤周作 ? とある。 ? はつけてあるが、同じ出すならもう少し、何とか、私が読んで 思わずニッと笑うような人の名を書いてほしかった。せめて田宮二郎くらい なお、 財布ーー借金完済 職業案内ーー会社再建人 とある。 ところで、私が趣味もなく気晴らしもない人間になったわけは、実はこの、 財布ーー借金完済という点にあるのである。 今より七年前、私は夫の ( 正確にはそのころ夫であった男 ) 破産によって数 千万円の借金を払わねばならなくなってしまった。 私の借金の話はいう方も聞く方も飽き飽きしているだろうが、これが最後と
139 聞いた話 , 見た話ーー 4 章 0 にはいかにすればよいか。 「アッチの欲望を押えぬことです。やってやってやりまくりなさい。これそ自 のっと 然の法則に則った治療です - と。自然の法則に則っているかもしれないが、治療の相手はどこにいる。 初体験 「佐藤さんの初体験について原稿をいただきたいのですが」 とある女性編集者から電話がかかってきた。 「初体験とは何のですか」 と聞くと相手は、 「初体験です」 「ですから、何の初体験かと聞いてるんですー 初体験とは初めての体験と書く。入試の初体験、落第の初体験、借金の初体 でいすい 験、泥酔の初体験、いろいろあるではないか。 「ですからね、初体験と申しているんです」
49 奇妙人間の話ーー 2 章 「私は元来ケチな人間ですから、あげるものはなるべく惜しみます」 その後、そのテレビを見ていた若い女性から電話がかかってきた。 「わたし、佐藤さんの意見通りにしたいんですけど、でもわたし、カレを愛し てるので悩んでいます」 そこで私は答えた。 「あげるものは惜しんでも、もらう方は私も好きですよ。くれるものならもら いますー こういうのを融通無礙という。 すし屋の日本語 ふちょう すしにはいろんな符牒があることは衆知の事だが、誰がつけたか、ずいぶん ひねくれた人がつけたものだと思う。 サビとはワサビのワを取ったのだというから、ではキュウリはキュを取って ウリというのかと思ったら、カッパ。カッパはキュウリが好きだから、とヒネ る。それなら玉子ヤキは子供が好きだからコドモとでもいうのかと思ったら、
敢闘精神 私はパレーポールの選手として対抗試合に出たことがある。パレーポール部に入っているわけ ではなかったが、選手が急病になって人が足りなくなったのだ。 実は私はパレーポールのルールを知らない。知らないのに私は承知した。私は頼まれると断れ いい、飛んでくるポールは打ち返せばいいのだと、自分にいい聞かせて ない性質なのだ。何でも 試合場に臨んだ。向こうハチマキをしめ、ハダシである。そのころは九人制で私は後衛というや つだ。 章私は奮戦した。飛んでくるポールはすべて死にもの狂いで打ち返した。そのうちにあちこちで 失笑が起きる。 話どうやら私は打ち返すべき場合でない時も打ち返していたらしい。 レ結果は惨敗であった。しかし先生はいわれた。 「佐藤は立派だ。敢闘精神がある / 」 よなよ 試合は負けたが、私は甚だ面目をほどこしたのである。
186 ろへ、私にわめかれて上坂さんへ。 ついに上坂さんは警察に訴えたので、オッサンは警察に連れて行かれた。警 察でオッサンは、 「上坂冬子も佐藤愛子も、二人ともああどなってばかりいてはダメです」 と、修養の必要を説いた由。 それにしても女流作家、女流評論家あまたいる中で、よりにもよってすぐに わめき散らす我ら二人をなぜ選んだのか ? マゾではないか、頭がへん、養っ かんじん てもらうつもりなど、人々いろいろと意見をいうが、肝心のこと、いつまで待 っても誰もいわぬ。 「きっと美貌好みなのよ」 となぜいわぬ / ( と、上坂さんは怒っておられる ) 小娘と大娘 某週刊誌が著名人の「私の好きな女」というアンケート特集をしている。あ るスナックでハイミスの O が三人、それを読んでは怒ったり笑ったりしてい
159 聞いた話 , 見た話 - ーー 4 章 学は低能ですー : 。だって佐藤さんは倒産したご主人の借金を肩代わ 「アラま、そんなこと : りして、着実に返済なさった。数学の才があるからこそできたことではありま せんか」 借金を背負ったのは、数学が低能なればこそ背負ったのだ。数学の才あらば 誰がそんなムチャをしたであろう。それ以来私は、世に胆勇とうたわれし人 は、想像力が欠如しているだけの人であったり、忍の人に見えしはただの鈍感 だったりすることがよく見えるようになりました。 女のスローガン 「いつまでも美しく、若々しく / 」 中年女性を励ます会のこのスローガンに感激した女性がいる。 「いつまでも美しく、若々しくあるためには老いの意識を持つのが一番いけま せん。自分は老いたと思うときから老いは始まるのですー そういえばそうかもしれないが、人目には老いが見えているのに、自分では
を個人的にやつつけるだけではおもしろくないとて、その人の会社へプラカ 、つけ・おい かっ ド担いで押しかけて行き、会社を混乱に陥れて男をへコます、という請負業を やっていると聞く。 男社会に生を受け、忍従の涙に明け暮れてきた女性たち、ヤンヤ、ヤンヤ、 ュカイ、ユカイと喝采し、依頼が殺到しているとか。 依頼者もユカイ、請負者もユカイ、よってこれをユカイ業と称してはいか が。もっとも依頼者の夫は反対でしような。 借金数学 ある女性記者と電話でこんな問答をした。 「佐藤さんの学生時代の勉強法についてお話いただきたいのですけれど」 「勉強法を人に語るほど勉強していませんので答えられませんー 「学科の中で特に得意なもの、例えば数学をどんな風にして得意科目とした 「数学の試験の前になると私はいつも腹痛を起こすことにしていましてね。数 かっさい
154 こわい女 ラジオ対談のため殿山泰司さんが我が家にこられた。殿山さんいわく、 「佐藤さんと会うのがぼくはこわくて、途中で何度か逃げ帰りたくなったんで すが、お見受けしたところ、普通の方ですねー じゃ どうやら私は世の男性から鬼か蛇かといった観念を持たれているらしいこと などと叫んだのであった。 きらく 何しろ我が国ではアメリカといえば鬼畜にたとえていたのである。私のいた 片田舎では、アメリカ兵は牛と同じで、赤いものを見ると暴れるというのであ る。そんなところへアメリカ兵がジープに乗ってやってきた。彼らは三人いて 近くの川原で休んでいるという。 勇気のある娘がいて赤い腰マキを持って川原へ出かけて行った。そうしてへ っぴり腰で腰マキをうちふり、もどってきて不服そうに報告した。 「ちっとも暴れんかった。ありや普通の人間じゃ。ニコニコして手工上げとっ たにー
120 切歯扼腕妻 道を歩いていると中年婦人に呼びとめられた。 「佐藤さんがなめた苦労と今、同し苦労をしています」 という。 「主人がまあ、あなたの前のご主人そっくり。小説に書いていらっしやるのを何度くり返し読ん だかしれません。読み返すたびに、あ、ここもそっくり、あそこもそっくり : だま つまりお人よしで人を信じては歎されて損をしているという亭主が、私の小説には始終登場す るのである。 私は興味深くその述懐を聞く。そうして感心する。感心するというのは、こういう手紙、電話 のたぐいが私のところへいつばいくるからである。世の中に何とお人よしの夫と、それに腹を立 せっしやくわん てている切歯扼腕妻が多いことか / しかし考えてみると、実際にお人よし亭主が多いのか、も しかしたら、お人よしでないのに女房が勝手にそう決めているだけなのかもしれませんな。