Ⅱ さ ん を お の で す が 2 。 3 喧嘩バカの話 つを つ十 け度 で私そあ 。て 、ろ ん人当な い人 い社 に点 のや 願度 知て 、飽 。ら H を いき魅観 な河 た返 い野 世ん い半 い見 。う いそ が顔 美は 私ぎ住そ だ全 、立 の無 の 何欠 の気 つ去 う顔 がを の円 と満 てき も具 告手に手 て相 生て やは 。き しな 見い いか おそ られ 彦頁 . の大 にう ギ阪 がが 野河 ラ社 さ野 い私 支ー ズあ にん で俗 迫ほ るゆ 顔美 瓰話 だ去 話を 見い に年 にか や仏 と顔 5 章 私 冫ま も う フ辷 い ま せ 出 て き は う い っ た け オこ た担い の 人 は ん と は 自 分 名 を 名 乗 り H さ ん れ ま す か と い う と . 入 と さ新れ 年 も ば 。過 て か ら が つ の あ る で A 才土 丿 ( 、ド及 に 黽 の 月 同 頼 ま て と う 宅 メ . カ の い広相 写 で真広 に 出 。た そ ャ ン イ が い ま わ に も い 力、 に私ず見顔 つ も を し て 、ら . る と な る と で は 今 も B 新思 年 う う 怒 た は Z:E. 社 A 。社 の 支 で る 不ム は で い る ほ て 残み河 い と 相 て る 人 間 ゆ ん そ う ジ ロ ジ ロ る イ象 よ り も に ら どれま る た野中 ん 、見飽 も は見な も い飽う き る と の あ 0 ん 物 は る い が 人 と ど ぬ 見 も て め さ眺象 日 は さ 日 の ら ど く よ も あ ろ う か で うろ ほいう つ は の フ匸 の で い と さ ど し い ひ が る ん 河 る て は だ ノ、 間 力、 は
は日曜日になると子供の乳母車を押して公園へ散歩に出るが、うちの主人ときたら、日曜日は昼 まで寝て、やっと起きたと思ったら鼻毛ぬきながらテレビ見て、私がどんなに忙しくしていても 子供のおしめひとっ替えてくれない ートの地下食堂でンユーマイだの肉ダンゴだの またお隣の旦那さんは、会社の帰りに駅のデパ を買ってくるが、うちの主人ときたらお菓子ひとっ買ってきたためしがない ・ : と際限なく隣の旦那さん讃歌がつづいたのであるが、果して肉ダン またお隣の旦那さんは : ゴ買ってきたから、子供のおしめ替えるから、その人がやさしい男性であると決めてしまってよ いであろうか。もしかしたらお隣の旦那さんは、女のするようなことをするのが好きだからやっ ているだけかもしれないのである。 本当にやさしい男とは、まず許す心を持っている人だと私は思う。いつも柔和な微笑をたた 章え、日曜日はドライプ、庭の草むしり、子供のお守り、と妻に尽していた男性が、妻が相談もな しに着物を買ったというので、血相変えて怒っていた。俺は自分の楽しみをあとにして一生懸命 話に家庭に献身しているのに、お前は自分勝手すぎるといって怒ったのだ。 女なるほどそう聞けば一応筋の通っている怒りである。しかし筋は通っているが、彼は男として 男のやさしさが足りぬ人であることがはっきり見えるのである。 こんな場合、男らしい男ならば決して「自分の楽しみをあとまわしにして、家庭に献身してい
男損女肥だから 地方の女子高校で、国語の時間に「リョウサイケンポーという字の書取りを生徒にやらせたと ころ、「料裁健母」という字が圧倒的に多かったという話を楠本憲吉さんが書いておられる。 良妻賢母とはいかなる妻か。夫に従順なのがよき妻かといえば、従順ばかりで主体性のないの は困るというし、では主体性のあるのがよいかというと、ありすぎると夫をコケにする傾向が出 るので困るという。良妻賢母という字は抽象的なので今の若い人には覚えられないのだそうだ。 その点、料裁健母の方が具体的でハッキリしている。もうこれからは観念的な文字の羅列ははや りませんといった人がいる。 ところで楠本さんによると、このごろは男尊女卑と書かず、男損女肥と書くそうだ。これなら めいりよう ば具体的かっ明瞭なイメージがあって女子高校生たちもよく覚えられるであろう。 どこでどうまちがえたか
理想的女房像 私はテレビの「夫婦善哉ーのファンである。昨夜もそれを見ていると、牛乳販売店の夫婦が出 てきた。 「ご主人は浮気しますか」 というミヤコ蝶々の質問に若い奥さん、 「してへんと思いますけど、でもハラマキ忘れてきたことがありますし : : : 何してるのやら : : : 」 ふろ 蝶々に問いつめられた旦那さんは、風呂屋に忘れたといっている。 蝶々「旦那さんはああいうてはるけど、奥さん、どう思います ? 」 奥さんしばらく考えて「そんなら、浮気してへんと信じますー こういうのを世の男性はかわいい女というのである。私の友人は浮気をしてサルマタを裏返し にはいて帰ってきた。よっぽど急いだのであろう。裏返しといってもモモヒキと重ね合わせたま とまの裏返しである。つまりモモヒキの外側にサルマタがきている。いくらなんでもこれは風呂屋 男 のせいにはできないのである。 春の夜の油断大敵火の用心 だんな
うず こともなかったのである。そうしてたぶんそのため、あの切ないもの悲しい、胸の疼きとときめ きはこの年になっても消えずに残っているのであろう。 氷嚢型生理帯 女学生のころ、私は男でも月の生理があると思っていた。その方面の知識にかけては人一倍く わしい級友が ( そういうのに限って勉強はできない ) 教えてくれたのである。彼女がいうには、 彼女の兄貴が夜更けに人目を憚ってサルマタの洗濯をしていたという。 「へーえ」「ふーん」 と、私たちは顔を見合わせた。女の生理は赤いが男の生理は卵色らしいという。女の生理は子 宮から出てくるが男の生理はタマから出てくる。タマから出るゆえタマゴ色か、と私はヘたなン ャレをいって皆を笑わせた。 ところで男の生理帯というのはどんな形をしているものであろう ? 私は頭をしぼって答え た。 のう 「それはたぶん、氷型でしよう / 」 ろくまく わずら それから間もなく私は肋膜を患って床に伏した。見舞いにきた級友が私の頭の氷嚢を見てニヤ
63 奇妙人間の話ーー 2 章 ころかといってみると、ここより歩行者天国という立て札の向こうに、ワッサ ひしめ モッサと人が犇いているのが見えた。老若男女、子供、赤ん坊、犬までやって きて、歩いたり、走ったり、立ちどまったり、座ったり。 それくらいのことなら、ここまでこなくても近くに公園もあれば運動場もあ るだろうが、公園や運動場ではおもしろくない。ふだん、車がのさばっている ところで、そうするところに天国の天国たるユエンがあるという。 中にはせつかくの天国ゆえ、十分味合わなければ損だとばかりに、相撲をと る人、サカダチする人、写真撮る人、物食べる人。 「ここまでなんできました ? 「車で」 つまり地獄つくりつつ天国へきたというわけだ。チェンマイで十数人の妻を 持ったという玉本さんは、もしかしたらこれと似た心境だったのかもしれない ああ、人生 「年々歳々花相似たり」
「なっかしいおかあさま : : : 」 などと叫ぶ子供が現れたら困る。 ミス 9 ・ワールドコンテスト 、、、スワールドコンテストで未婚の母が一位に選ばれたという。このニュース を聞いて思い出したことがある。 私が子供のころ、ミス日本に選ばれた女性のもとにある日小包が送られてき た。開けると一匹の蛇がニョロニョロと出てきて彼女は失神。警察が駆けつけ て調べた結果、ミス日本のもとの恋人が「ミスでないのにミス日本とは怪しか らん」と怒って送ってきたものとわかった。それによって彼女は新聞紙上で ミスでなかった、、、ス日本と散々からかわれたのである。 今回のミスワールドによって、ミスを″処女″と解釈するのは間違いで、あ くまで、、、スとは戸籍上の問題であることがハッキリした。 何ごとも曖昧よりはハッキリした方がいいが、もしかしたら、そこんところ を厳密にしていると、候補者がいないためかもしれませんな。
ー 62 うもんは何でも悪い方に取りたがる。ホンマに嫁イビリする気なら、『秋茄子 は嫁に食わせ』ということになるはずですがな」 秋茄子食って嫁に子種がなくなったら「嫁して三年、子なきは去る」とて、 嫁さんをイビることができるというのである。 けど、そうだとしたらこの言葉、「秋茄子はムコに食わすな」の方が正確で はないのん。タネ持ってるのは男やからねえ。 二ケタッ子 二月十一日は建国記念日というそうだが、私は今でも勝手に紀元節と呼んで めぐ いる。紀元節と呼んでいる人に会うと、仲間に廻り会ったような気がして懐か まんじゅう 「紀元節には紅白の饅頭をもらったなあ。あれが嬉しくてねえ」 と、さるすし屋でさる男性がいっていた。さる男性とは私の少女時代の憧れ の君、別当薫氏である。そういえば私の姉も小学校で紅白の饅頭をもらった話 をしていたことがある。しかし、私にはその記憶はない。
ないような気がする。しかし昔は安定を求めた代わりに苦難に耐える覚悟を持っていた。いまは 安定を求めながら、楽しくやりたいと思っている。しかし現実はそううまいことは二つ一緒にや ってこないのである。 嫉妬の分析 アメリカ映画などによくこういう場面が出てくる。男女が食事をしている傍を若き美人が通り かかる。あるいは男が美女にウインクを送ったりする。すると連れの女がむくれてパッと立ち上 がって帰ってしまうという場面である。これと反対の場面、つまり女が美男子に見とれたので、 男がむくれて帰ってしまうという場面は滅多にお目にかかったことがない。もしあるとしたら、 章 それは特殊なケース、男らしくない男という設定のものに作られた場面なのである。 この一つのことから大ざっぱに考えると、女はヤキモチやきで男はヤキモチやきでないという いちおうのセンが出てくる。それと同時に男は美女に心を動かされるものだが、女は男を見ても とすぐに気もそそろになったりはしないというセンも出てくる。 男 女にとって悲しいことは、なぜだかわからないが、目の前の存在、己が視野の中の現実だけで 頭がいつばいになってしまうということである。
147 聞いた話 , 見た話ーーー 4 章 明治の雑文にこういうのがあった。そういえば私なども若いころ、プラット ホームを走ってきて電車に乗り遅れると、イミもなく笑ったものだ。 ところで昨日、街角でビルの階段を転げ落ちてきた人がいた。もの音にその 前の道にいた靴磨きが顔を上げた。一瞥して一一一一一口、 「落ちたか : 靴を磨かせている客もふり返ったがすぐ黙って手の新聞に目をもどす。落ち た人は立ち上がり、ズボンを払って歩き出した。ニャリともせず、痛そうな顔 もせぬ。ただ真っ直ぐ前を見つめて行ってしまった。これ現代の縮図。 不思議がる不思議 「あんなにいい奥さんなのに、どうしてご主人は浮気をなさるのかしらねえ。 異説珍説 くつみが