自慢 - みる会図書館


検索対象: 犬が西向いてもおかしくない本
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1. 犬が西向いてもおかしくない本

「きっと大金持ちね」 なが こうべめぐ いや、それほどでも : : : と私はゆったりと頭を廻らして島を眺める。眺める 一ためだけでもいい、私は島がほしいのだ。 しかし眺めるだけならば、何も島を買う必要はなかろう、と人々はいう。し かし島を持っているのといぬのとでは眺めるときの気分が違う。まことの贅沢 というものはこういうものではなかろうか ☆そのうちにさる人が九州の博多湾のロもとにある能古島という島の土地を探 してきてくれた。能古島という島ではなく、島の一部である。島一つを買う夢 は、私の財力では無理であることがわかった以上″一部″で我慢するしかな い。私は買う気になった。 二度ばかり現地に行ってたいへん気に入った。さっそく話を進めてもらうと、 水だ、電気だ、燃料だ、やれ権利書だやれ登記だのとうるさいことになってき た。うるさいというがそれは土地を買う場合、当然経なければならぬことだと わずら 人はいう。だがその当然経なければならぬことが私には何とも煩わしい かくて私の夢は消えつつある。夢が楽しいのはそれが夢であるからなのであ ぜいたく

2. 犬が西向いてもおかしくない本

149 聞いた話 , 見た話ーー 4 章 動物園の猿の檻の前で子供づれの母親がいっていた。 「ほんとうに猿の目ってクリクリしてかわいらしいわねえ。人間の子供がこん な目してたらどんなにかかわいいわよ。うちの子はどの子もみな細い目で : がっか . り - よ そういう自分の目もメダカのように細い。子供は母親に似たのである。その うちに猿は南京豆をむいて食べ出した。すると別の母親がいった。 「猿というものはホントに賢いわねえ。誰も教えないのに南京豆をちゃんとむ いてる。あんたたちよりよっぽど賢いわ。少しは猿を見習いなさい」 、ツバをかけるのは昔から日 何かというと友達を引き合いに出して我が子にノ 本の母親の癖だが、このごろは教育熱心のあまり猿まで引き合いに出すように なった。猿が出世したのか。人間が下落したのか。 テレビドラマ テレビドラマに登場する交番のおまわりさんは、電話に噛りつき「本署です といっただけで必ず後ろから賊にやられる。おまわりさ か、本署、本署 : ・ おり かじ

3. 犬が西向いてもおかしくない本

143 聞いた話 , 見た話ーー 4 章 ぶつらようづら 痔の痛いのを我慢しているような仏頂面「で笑ってくださいーと命令されて 即座にニコッと笑える人がいたらその人は大人物というよりアホウであろう。 それでもムリして笑うとでき上がってきた写真は、奥歯が痛むので歯の奥に空 気を吸い入れているような顔になっている。私は亡兄ハチローが教えてくれた ことを思い出した。 「カメラマンという奴は、平気で笑ってくださいなどというからね、そのとき はこういうんだよ。ひと笑い、五千円いただきますーーーそうでもいわなきや笑 えるかってんだよ、ホントにーーー」 犬の気持 早朝、散歩をするとあちこちで片手に犬を引き、片手に紙袋と小さなシャベ ルを持った人と行き会う。紙袋とンヤベルは犬のフンを拾うための用意なのだ そうだ。まことの愛犬家は大を愛するだけでなく、脱糞にまで責任を持たねば ならぬのである。 もし犬が下痢をしている時はどうするのですかと問うと、下痢などさせたこ ぶん

4. 犬が西向いてもおかしくない本

136 あさんなの、と聞くと、娘はいった。 「そうね、ママより二つ三つ若いくらい」 かがみ 人間の鑑 プルドッグの子を一匹買った。その顔を見ていると、私はしみじみやさしい 気持になる。なんという悲しくも愛らしい顔だろう。へこんだ鼻、出っ張った 下の歯、ぬれ雑巾をふんづけたようなしわだらけのその顔は、イギリス人によ って作られたものだという。 その昔、イギリス人は、プルと牡牛を闘わせて見物した。プルはいったん噛 みついたら放さぬ性格があり、牛の腹に噛みついたまま、いつまでもぶらさが っているという。その時に、鼻が高いと牛の胴に鼻がめり込んで呼吸ができな くなるので、鼻をへこませて、噛みつきやすいように下の歯を出っ張らせた。 ごうまん なんたる傲慢 / おのれの楽しみのために、断りもなしにひとの鼻をへこま せていいものか / 私はイギリス人を憎む。 しわだらけのプルの顔は、その長い忍耐を物語っている。天を呪わず人を恨 ぞうきん のろ

5. 犬が西向いてもおかしくない本

59 奇妙人間の話ーーー 2 章 「わたしは悔いなく、悔いなく、生きて行きたい : 突然、私は笑いたくなった。このごろはどんなコメディアンを見ても笑うこ とがなくなった。ューモアはコメディーよりもこういう悲恋悲劇のひたむきさ の中に存在するようになったのではないだろうか。これからは笑いたければ昼 のメロドラマを、怒りたいときは若手落語家と称する連中の落語を聞くのがよ お先タバコ このごろはあまり聞かないが「お先タバコーという言葉がある。昔は客間の テープルにタバコセットがあり、そこに客用のタバコが入れてあった。自分は タ・ハコを持たず、訪問先のタ・ハコを愛用する。それを「お先タバコ , といった のである。 私の知人がこのお先タバコの愛用者であった。彼は新聞記者で、某老大家の ところへ連載小説の原稿を取りに行く。原稿のでき上がるのを待っ間、客間の ちょうだい タ・ハコを頂載する。この時とばかりにたてつづけに吸い、最後に三、四本失敬

6. 犬が西向いてもおかしくない本

51 奇妙人間の話ーー 2 章 0 っている、という意見もあった。 その何年か前は、「電車の中でためらいもせず胸をひろげて赤子に乳を与え る若い母親を見た私は思った。日本の兵隊が強いのはこの勇気ある母の愛あれ ばこそである」という文章を高名な哲学者が書いていた。 母乳がよかったり悪かったり、添寝がよかったり悪かったり、こうなると育 児もスカート丈と同じようなものですな。 車へのうらみ ガレージもないのに車を買う手合いがいる。私の近くでもその手合いのため に夜になるとズラリと道路に車が並んでいて、タクシーを愛用している私はい つも運チャンに文句を聞かされる。 ごうまんふそん 私が並べたわけじゃないといいたいが、傲慢不遜のこの私も、タクシーの運 チャンにだけは機嫌をとる癖がついてしまっているので、おとなしく同意する。 時には代わりに謝る。 かっての私の夫は朝帰りの常習者であった。怒り狂った私は閉め出しを決意 きげん

7. 犬が西向いてもおかしくない本

で一打必殺、神技ともいうべきものであった。 それにしても交尾の蝿に向かって「無礼者ーとキセルを振るう老女の姿は凄絶ですねという人 あり。いや、私も女のハシクレ、凄絶と感しるよりもしみしみ哀れを感します。 黙殺 昭和二十二年の年の暮のことである。「令女界ーという雑誌に私の父、佐藤紅緑の俳句が紹介 され、それに「故佐藤紅緑ーとあった。父はそのころ七十三歳で健在だった。それを人から知ら された父は、「令女界」編集部に葉書を出した。 亡き人の数にも入りつつ年の暮紅緑 父はその句が気に入り、我と我が洒脱さにホクホクしながら、自分でその葉書をポストに投函 あいさっ 話しに行ったのだった。しかし「令女界。からは何日待っても何の挨拶もなかった。もう盛りのす いぎた作家など、生きていようと死んでいようと、失礼を働こうが働くまいが、どうだっていいの である。父は黙殺されたのだ。 その時ほど私は父を気の毒に思ったことはない。その話をある人にすると、その人、下手な俳 句で答えた。 しゃ

8. 犬が西向いてもおかしくない本

然、両方は立ち止まった。すると青年はいった。 「どけよ」 知人は自分が間違「たのかと思「て確かめたが、その階段はまぎれもなく上り階段と標示され ている。下り階段は別にあるのに、青年は上り階段を下りてきたのである。知人がそのことをい ) っと、 「俺は急ぐんだ」 と青年はい「た。俺は急いでいる以上、上り階段を下りる権利があり、指示どおり上が「てき た人を押しのける権利がある、とい「たようないい方であ「たという。その横柄ないい方に知人 は、もう一度ここは上り階段であることを説明した。すると青年はい「た。 「上り階段を下りてはいかんという法律でもあるのか / 」 「いちいち法律がなければ生きていけねえのか、貴様は / 」 ばりばと・フ と私の知人は怒鳴った。狭い地下鉄階段の途中でお互いに一歩も譲らずあらゆる罵詈罵倒の言 ののし 葉を総動員して罵り合 0 た。そうして青年はプリプリ怒りながら、私の知人が譲歩した階段を下 りて行ったそうである。 こういう事件を持ち出して憤慨することも、今ではあまりにありふれた話になってしまった。 若者の無教育について歎くことは、もはや少しも珍しい話題ではないのだ。 なげ

9. 犬が西向いてもおかしくない本

私、長いこと生きてきたが、赤ん坊をおんぶしてくわえタバコで散歩している母親というのは 初めてお目にかかった。そこで感嘆の言葉をこういい変える。 「何ともいえぬ雄々しさがあるね」 ヒゲつぶり なぜこのごろの若者はヒゲを生やすのかと問えば、 「自分の非力をヒゲでカバーしようとしているのです . という答えであった。しかし、たとえばオサルがヒゲを生やしたからといってキングコングに さび はんじよう 見えはしないのである。繁昌しない床屋のオッサンがヒゲばっかり立派なのもかえってもの淋し けんか く、ヒゲを生やして・ハナナの皮にすべって転んでいるのも何となく正視できぬ感じがあり、喧嘩 してたたきのめされたりしていると、ヒゲゆえにいっそう悲哀感が増すのである。 先日、新幹線でヒグの若紳士と乗り合わせた。奥さんと一歳ほどの双子の女の子を連れてい る。下車駅が近づくと奥さんは一人の女の子をオンプした。もう一人は ? と思うと彼はことも なげに背広の上より紐をかけて背負い、両手にオシメ袋を下げて下りて行った。そのヒゲは悲表 ひそう に満ちていたかって ? さにあらず、悲愴感に満ちていましたね。 ひも

10. 犬が西向いてもおかしくない本

「えつ、それは何のためです」 「自分で破るのはいろいろと面倒くさいらしいんですね」 いまに、赤ん坊まで仕込んでもらってこいといい出すのではないでしような。 成人さん、ご案内 成人の日は、美容院はいずこも大忙しであるという。髪のセットばかりでなく、ふり袖の着っ けに忙しかったのだそうだ。成人の日というと一人前のおとなになったということだが、着物も 一人で着られないとは七五三の女の子なみねというと、いや、七五三の女の子の方がまだ始末が しいですわ、という人がいた。ラブ・ホテルの女中さんである。 章 この日、ふり袖着て成人の日を祝ったあと、今日よりはもう一人前、何をしてもいいのよ、わ 一たしはおとなになるわ / とラブ・ホテル〈しけ込んだ成人さん、おとなにな「たはいいが、脱 話いだ着物が着られない。女中さんは泣きっかれて、仕方なく即席着つけ師となって帯を締めてや なる。女中さんいわく、 気「あんまり・ハカ・ハ力しいから、わざと左前に着物を着せてやったんですよ」 巧しかし彼女は感謝して帰って行ったそうである。 そで