ダイゴ味に浸れる。すべて楽しみというものは手軽に得たものにはコクがな 金出してストリップ見る奴は下の下、世を騒がした女湯ノゾキのデパ亀の 方がなんぽか偉いとノゾキ評論家はいわれた。 おかしな病気 男が酒場へ行くのは酒を飲むためではなく、ホステスとたわむれるのが楽し いのであるから、女が酒場へ行って楽しいわけがないと女性はよくいう。私も 先ごろまではそう思っていた。 と痛くなるのよ」 「わたしねえ、好きな人がくると胸がキューツ と一人のホステスがいっている。 「あら、あたしは胸が痛くなるのよ。左にその人が座ると左が痛いの、右に座 ると右が痛くなるの。好きだと意識する前に痛くなるのよ。そしてよく考えて みたら何となくその人を好きになっていることに気がつくのよー 「あたしはね、アッチがジワーツと痛くなるのー 「アッチってどこよ ? やっ すわ
タラ、貧乏を自慢するのがいる。これはどういうわけか、作家に多いね。 珍技をきそう すもう うんぬん このごろ父と息子の断絶がしきりに云々される。父親は息子と角力などとって、男と男の心の 通い合いを心がけるべきだという意見がある。たださえ忙しい世の中、そう勝手な注文を出され ても親の方は子を養うだけでヘトへトになっているのだ。それにつけても思い出されることがあ る。 昔は男便所のアサガオに臭気止めのナフタリンが入れてあったものだが、私の兄はおンツコの 勢いでそのナフタリンを転がしつつ用を足すのを楽しみにしていた。兄いわく、 章「オレがナフタリンを右のほうに寄せておくだろう。次に行くと左に寄っているんだ。ためしに 一右に二 0 左に三 0 と分けておくだろう。すると今度は五 0 とも真ん中に集めてある。どうやら親 話爺がやってるらしいんだな。親爺のやつも小便しながらナフタリンを転がして楽しんいると思う うれ 女と嬉しくなったネ」 男 これそ男同士の心が通い合うもっとも男性的な遊びではあるまいか。 おや
さっ 海道へ行って若者の多いのに驚いたが、京もまた若者だらけである。名所名刹はいわずもがな、 名もなき寺、墓地にも若者が入り込んでいる。 彼岸の中日といえば、かってはおばあさんの独壇場ともいうべき日であった。それも今は若者 ひしめ の日である。男女の若者が寺の縁に犇いて湯豆腐を食っている。何も若者が湯豆腐食って悪いと いうわけではないが、寺の庭を眺めながら湯豆腐を食べている若者の群を目のあたりに見ると、 怪しい心持ちになってくる。 ハンという制服に長髪という一定の髪型、クナラクナラゾロゾロと同じ歩き方でどこへで も入り込んで行く若者を見ていると、一夜で六倍に繁殖するというクロレラを思い出して怖ろし 、。読書の楽しみ、スポーツの楽しみをなぜ若者は捨てたのか。しかたない、我らばあさんが代 わりにキャッチボールでもしますかな。 章 売り言葉、買い言葉 話 なある日、私の知人が六本木の地下鉄から舗道に出る上り階段を上がって行った。その階段は幅 気が狭く、二人並んでは歩けない階段であるという。 知人が上がって行くと上から一人の青年が下りてきた。すれ違うことができない狭さなので当
BESTSELLERS [ 、一、 [ L [ 、ワニの本 犬が西向いても = 弋が西向いても・・ みなし本 佐藤愛子 《苦虫人間》必読の書 男とは ? 女とは ? 結婚とは ? 幸福とは ? 友人とは ? 金と 人生のさまざまな間題を、ユーモアとシリアスを使いわけ ながら、絶妙なタッチで綴る異色作。 奇想天外な社会批評あり、軽妙洒脱な処世術あり、ちょっぴりほろ苦 い人生論あり : : : 笑いと涙を忘れた現代人にいま贈る、痛決、気晴ら しの人生読本。 ・哈が通うおかしな遊び うんぬん このごろ父と息子の断絶がしきりに云々される。父親は息子と角力などとって、男と男の心の 通い合いを心がけるべきだという意見がある。たださえ忙しい世の中、そう勝手な注文を出されても トトになっているのだ。それにつけても思い出されること力ある。 親の方は子を養うだけてへへ 昔は男便所のアサガオに臭気止めのナフタリンが入れてあったものだが、私の兄はオシッコの勢い 。兄いわく てそのナフタリンを転がしつつ用を足すのを楽しみにしていた 「オレがナフタリンを右のほうに寄せておくだろう。次に行くと左に寄っているんだ。ためしに右に 二つ左に三つと分けておくだろう。すると今度は五つとも真ん中に集めてある。どうやら親爺がやっ てるらしいんだな。親爺のやつも小便しながらナフタリンを転がして楽しんていると思うと嬉しくな これぞ男同士の心が通じ合うもっとも男性的な遊びてはあるまいか。 本文 ( 珍技をきそう ) より 一九二三年大阪生まれ。父は作家故佐藤紅緑、 ハチロー氏。「ソクラテスの 兄は故サト 妻」「加納大尉夫人」が芥川賞、直木賞候補 に。六九年「戦いすんで日が暮れて」で直木 賞受賞。執筆に講演に、また家庭では一児の 母親として多忙な毎日を送っている。 おかしくない本佐藤愛子 6 00 コマーシャル ・著者自身の広告 佐藤愛子 この随筆集は昭和四十九年から五十年にかけて一年間 報知新聞に毎日連載した四百字随想を集めたものである。 毎日一枚、何かをひねリ出さねばならない たった四百字というが、ちょうど四百字きっかりひね り出すということは、万字億字ひねり出すより難かしい 私はヘトへトになり、病いに倒れること幾たびか。病いは 胆嚢炎、腎盂炎など次々と起こる。それでもやつばりひ ねり出さねばならぬ。八時間机に向って一字も出て来ぬ ことがある。締切りは迫る。催促の電話はかかる 今から思えば悪夢のような一年間であった。今、読み 返してみて、あの悪夢のごとく苦しみつつ、よくもまあ、 こんなおかしなことを次々に考え出したものだと思う。 そういう点では私は天オかもしれない すもう 0 4 2 6 8 KK ベストセラース Y580 0200 ー 011268 ー 7617 ワニの本
よ、 すなわ 悲しいかな、男のストリップにはこういう楽しみがない。即ち、オープンは閉ざされているゆ えに成り立っ楽しみなのである。はじめから押しつけがましくオープンしている男に、なんで見 る楽しみがあろうそ、と。いや、ごもっともさまです。 戦争の教訓 三十三年前の十二月八日の朝、父の友人から電話があって日本と米英との開戦を伝えた。父は 興奮して叫んだ。 「とうとうやったか : : : よろしいツ・ しかし母は父にいった。 「アメリカみたいな大国と戦争して勝てますかいな。日本の何倍もあるような国と」 きげん 「国の大きさではない / 大和魂だ / 女の機嫌ばかりとってる奴が勝てるわけがない」 そうするうちに来客が次々にきて、皆、この開戦を喜び興奮している。母はかげで私にいっ 「男ちゅうもんはオッチョコチョイやで、女がしつかりせなあかん」 た。 やっ
「困りますなあ、電車の中で大声を出されてはー しかしその時は車掌も乗客も笑いを噛み殺した顔になっていた。男ならニガ虫噛みつぶし、女 なら笑いを噛み殺す。これ、なんで ? 女体の不思議 渋沢龍彦氏の「毒薬の手帖」によると、中世のヨーロッパでは実にさまざまな毒殺のしかたが あったことがよくわかる。食物はいわずもがな、手袋、長靴、ンヤツ、書物に染み込ませた毒、 かんらよう 灌腸器の中に仕込まれた毒、凝ったのになると毒を塗った指先で秘所愛撫して妻を何人も殺した 男がいる。 こうなると毒殺が趣味化しているとしか思えない。憎しみのために殺すのではなく、 「ねえ、もっと凝ったやり方ってないかなー と楽しみ求めて殺すのではないか。 古代エジプトの王侯は敵への贈り物として体内に毒を含んだ娘をさし向けた。またラディスラ スというナポリの王さまは情婦の腟内にひそかに仕込まれた毒を吸収して死んだという。 「それごらん、だいたいスケベイだからそういうことになるのよ : : : 」 らっ
は日曜日になると子供の乳母車を押して公園へ散歩に出るが、うちの主人ときたら、日曜日は昼 まで寝て、やっと起きたと思ったら鼻毛ぬきながらテレビ見て、私がどんなに忙しくしていても 子供のおしめひとっ替えてくれない ートの地下食堂でンユーマイだの肉ダンゴだの またお隣の旦那さんは、会社の帰りに駅のデパ を買ってくるが、うちの主人ときたらお菓子ひとっ買ってきたためしがない ・ : と際限なく隣の旦那さん讃歌がつづいたのであるが、果して肉ダン またお隣の旦那さんは : ゴ買ってきたから、子供のおしめ替えるから、その人がやさしい男性であると決めてしまってよ いであろうか。もしかしたらお隣の旦那さんは、女のするようなことをするのが好きだからやっ ているだけかもしれないのである。 本当にやさしい男とは、まず許す心を持っている人だと私は思う。いつも柔和な微笑をたた 章え、日曜日はドライプ、庭の草むしり、子供のお守り、と妻に尽していた男性が、妻が相談もな しに着物を買ったというので、血相変えて怒っていた。俺は自分の楽しみをあとにして一生懸命 話に家庭に献身しているのに、お前は自分勝手すぎるといって怒ったのだ。 女なるほどそう聞けば一応筋の通っている怒りである。しかし筋は通っているが、彼は男として 男のやさしさが足りぬ人であることがはっきり見えるのである。 こんな場合、男らしい男ならば決して「自分の楽しみをあとまわしにして、家庭に献身してい
218 私は不愉快である。以来、私は三浦朱門氏同行の講演は断っている。 怒り初め この年になると正月といっても特別のこともなく、ただ年賀状だけが楽しみなのである。 こたっ なが 元日の朝、朝日の射し込む茶の間の炬燵で年賀状を一枚一枚眺める。年々に年賀状の量が増え て、年追うごとに生きる分量が増えてきたことをありがたく思うのは、一年のうちこの時しかな いのである。 おおみそか しかるに、何ごとそ。私に正月をもたらすその年賀状が、我が家には大晦日にきたのだ。大晦 日のもっとも忙しい午後四時、サン・ハラ髪で家中走り廻って掃除している最中に、ドサリときた のだ。 「分量の多い家だけ今日から配ってるんです」 と配達員は当たり前という顔。 対抗上、大晦日からおセチ料理食べ、かくて怒り正月となりぬ。
リ 0 楽しみにしていたが、八年目の春、気がついたら一鉢残らず枯れていた。我が 家が破産し、私は苦闘の中で寒中、蘭を家の中に入れるのを忘れていたのだ。 今見ると庭隅にその鉢だけが残っている。それは私には冱絶な戦いの後、戦 場に転がっている鉄カプトのような気がして悲しい。蘭にも小野田さんのよう な蘭はいないものか。 離婚と儲け話 「いかにして夫から慰謝料をたくさん取るか」 「子供は母が引き取った方がいいか、父が引き取った方がいいか。 「母親が引き取った場合、父親に会わせた方がいいか、会わせない方がいい 「父のない子供はどんな風に育てたらよいのでしよう」 ある婦人グループが頻りに討論している。その中の誰かに離婚問題が起きた のかと聞いたら、そうではない。私たちは将来に備えているのですという答で あった。日本女性もいまや忍従の歴史から飛び立とうと羽ばたいているのだそ カー しき
136 あさんなの、と聞くと、娘はいった。 「そうね、ママより二つ三つ若いくらい」 かがみ 人間の鑑 プルドッグの子を一匹買った。その顔を見ていると、私はしみじみやさしい 気持になる。なんという悲しくも愛らしい顔だろう。へこんだ鼻、出っ張った 下の歯、ぬれ雑巾をふんづけたようなしわだらけのその顔は、イギリス人によ って作られたものだという。 その昔、イギリス人は、プルと牡牛を闘わせて見物した。プルはいったん噛 みついたら放さぬ性格があり、牛の腹に噛みついたまま、いつまでもぶらさが っているという。その時に、鼻が高いと牛の胴に鼻がめり込んで呼吸ができな くなるので、鼻をへこませて、噛みつきやすいように下の歯を出っ張らせた。 ごうまん なんたる傲慢 / おのれの楽しみのために、断りもなしにひとの鼻をへこま せていいものか / 私はイギリス人を憎む。 しわだらけのプルの顔は、その長い忍耐を物語っている。天を呪わず人を恨 ぞうきん のろ