一され工農生産は五九年まで上昇し、″大躍進〃作委員、また中央委員会の地方機関としてはの継続である」と強く指摘している。 と呼ばれたが、六〇年から連続三年目の自然東北、華東、中南、西南、西北の六地方中央中共・モンゴル国境条約一九六二年十二 一災害と政策に無理があ「・たため生産は後退し局があり、地方組織には省、直轄市、県、市月二十六日、北京で、周恩来中共汽相とッ デン・・ ( ル、モンゴル首相との間で調印された た。この方針は社会主義建設の総路線、人民などの機関がある。 公社とともにいまも″三面紅旗れの一要素で中央軍事委員会という組織があり、これは国境画定のための条約をいう。これは三千二 ある。 党首脳と軍の首脳を集めた、軍事最高権力機百キロにわたって国境を接する両国では約七 万平方キロの食い違いがあり、その調整のた 中共の中間地帯論中共はその外交政策の関であるが、党規約には見当らない。 基本構想として世界を二つに分けている。一中共の「武闘・文闘」中共において、一めに結ばれたものである。 つは第一中間地帯といわれ、アジア、アフリ九六六年夏から公然と始まった、いわゆる「文中国革命委員会これまで中国にあった各 力、中南米の低開発諸国で、この地帯に対し化大革命」の中で、劉少奇元主席を頭とする級党組織と、行政組織 ( 人民委員会 ) を一元 ては自力更生を模範として示し、反帝、反植実権派からの権力奪取闘争の方法のうち、武化して掌握し、党、行政、財政、文化の四権 民地化主義、民族開放の浸透をはかる。いまカまたは強制力をもって行なうものを「武闘」を行使しているのが革命委員会である。日本 一つの第二中間地帯は資本主義国だが、米帝とい、 これと対立して考えられるのが「文の県に該当する省クラスでは、六八年九月五 国主義との間に大小の矛盾をかかえている国闘」である。「文闘」は、相手に武力を行使し日までにすべて成立、現在は人民公社や工場、 をさす。たとえばフランスなど。ここでは政たり肉体的危害を加えることを排し、相手を学校など末端単位、地区での全面的成立が急 経不可分の大原則の上にたって貿易拡大を求平和的に論理的に、説得しようというものでがれている。 この命委の設立に当って、基本的要因と める。この裏には中ソ対立によるソ連の貿易ある 減少、技術員引揚げなどの影響がある。 中共の「文革定義」一九六八年四月十日されているのは、①革命的大衆、現地駐と 中共の党の組織中国共産党が誕生したの中国共産党機関紙「人民日報」と「中国人民ん部隊 ( もしくは民兵 ) 、③党政府機関の命 は一九二一年七月で、現在の党員は千数百万解放軍報」は、それそれ、毛沢東主常の次の的指導幹部の協力体制 ( いわゆる三結合 ) で、 大衆代表の意見と要求を命委に反映すると 人という膨大な人と機構にふくれ上がってい 「最新指一小」を掲載している。 る。最高決定機関は党の全国代表大会 ( 党大「われわれの偉大なる教師、偉大な指導者、同時に、決定を大衆に伝え、軍代表はすぐれ 会 ) である。これが閉会中は、中央委員会が偉大な統帥者、偉大なかし取り、毛主席は最た政治思想を率先実行、命の幹部は階級闘 政治方針、組織方針などを決めることになっ近、プロレタリア文化大革命は、本質的には争に力を人れ、政策をつくるなど、それそれ が、プの特質を生かしている。省クラス命委の主 ているが、実際に職権を行使するのは、中央社会主義の条件下でプロレタリアート 委員会総会が選出した中央政治局で、このメルジョアジーおよび一切の搾取階級に反対す任に軍関係者が多いので、軍事的色彩が濃い ン・ ( ー序列が、党内の地位を象徴しているよる政治的大単命であり。中国共産党とその指とされているが、委員には若い労働者、学生 うである。中央委員会には次の組織がある。導下にある広範な革命的人民大衆の、国民党代表もかなり参加している。 組織部、宣伝部、統一戦線工作部、農林工反動派との長期にわたった闘争の継続、プロ中国紅十字会中国赤十字社のこと。会長 作部、工業交通政治部、財貿政治部、婦女エレタリアートとプルジョアジーとの階級闘争は李徳全女史。日本赤十字社の招きにより一
チェック・。フライス チェンジ・オー チェンジ・オプペース チオアセタゾン 治外法権・ 地下カルテル 地下組織・ : 地下マンモス発電所・ 地下ロケット 力が入る・ 力紙 : 地球の天然衛星 : 地球物理衛星 : 地球物理学の国際協力 地球ロケット 地銀 : チキン戦争 : ・ 畜産コンサルタント 蓄積円・ チクロ チクロバン チケット 知識産業、情報産業・ 知識集約型産業・ 地上権 : 地上誘導着陸装置 : 索地震保険法 : チタン 地磁気・ 二 1 一口 父の日・ : 五五 0 チャンネル・プラン : 亠元七中共の中間地帯論 : ・ : 哭七 ・ : 四五三窒素爆弾・ ・ : 一一四四中印国境紛争中立国調停 : : : 一 0 中共・モンゴル国境条約 : : : 五四 ・ : 五七一一中印・平和五原則 : ・ : 三四四地底湖・ : ・五一一中距離弾道弾・ : 宍七中央アフリカ共和国・ : ・ : 七一中近東 : ・ ・ : 三一三チトー主義 : ・ ・ : 四七中央教育審議会・ ・ : 三六八中継貿易・ ・ : 一五八地熱発電 : ・ : 三六八中央銀行・ ・ : 四五三中国命委員会 : ・ : ・四一一五知能指ま・ ・ : 九七地の塩の箱 : : ・五五 0 中央競馬・ ・ : 三三 0 中国紅十字会 : ・ ・ : 一八六 ・ : 五一一中央公害審査委員会 : : 一一元中国人民解放車・ ・ : 一元 0 チベノ ・ : 五五 チベット反乱 : ・ : 五一一中央交渉・ : ・一一 0 九中国人民外交学会 : ・ : 一三四中央社会保険医療協議会 : ・五中国の下放運動・ : ・ : 三を地方公営企業対策 : ・ : 一一三中国の国連復帰・ ・ : 四四 0 中央条約機構・ : ・ : 三五 0 地方交付公債・ ・ : 四四 0 中央統一交渉 : ・ : 二六五地方交付税交付金・ : 一一 0 九中国の国連名「チャイナ」 : ・五九一一 ・ : 五九一 ・ : 一一五六地方交付税の年度間調整 : ・六一一一一中央防災会議・ : 一元中国の国家主甯代理・ 地方制度調査会・ : 一三四中央労働委員会・ : 一一 ( 元中国の自治区 : ・ : 五 0 七中押勝 : ・ : 四 0 四中国の対外関係年表・ : ・ : 一一元チャーター チャーター・ 中華総商会 : ・ 三五一一中国北京市命委員会 : 五 0 七中間子・ : 三八五吋間小説・ : 亠疇一中裁裁定・ 二 0 九 チャールストン ・ : 三瓮中間選挙 : ・ ・ : 八一中産階級・ ・ : 五一一中共 : ・ : 哭七チャイナ・ロビー ・ : 五三中小企業金融公庫・ ・ : 四五三 : 一九八中共軍の階級制全廃・ ・ : 一一元着袴の儀・ : 一八六中小企業振興業団法 : : : 四一一五 : 元八中共の教育制度 : ・ : 五三中小企業診断上 ・ : 三一三着帯式・ ・ : 五一一一一一中共の検査 : ・ : 一五八着分売り : 五三中小企業信用保険・ ・ : 四七六着陸料 ・ : 五 0 八中共の国家主常・ : ・ : 五三中小企業退職金共済制度・ : 四二六 ・ : 七一中共の「三家村」件 : ・ : 四七チャド共和国 : ・ ー小企業団体法・ ・ : 八一中共の大躍進 : ・ 五八チャ。フルテペック宀日・一三ロ : ・ : 五三中小企業投資育成会社 : : : 四一一六 : ・五 0 八チャリティ : ・五を中共の党の組職・ : ・ : 五四抽象芸術・ ・ : 三八五 ・ : 三三 0 中共の「武闘・文闘」・ : 一五八チャレンジ・ ・ : 五四中枢神経系・ ・ : 一一元ちゃんこ料理・ ・ : 一一社 0 中共の「文定義」・ : ・五四中性子・ : 一疇一チャンネル ・ : 三九七中華人民政治協商会議 : : : ・ : 五二中性「爆弾・ ・ : 四五三
言した。一九五四年、普選によって全国人民域別に組織している。四八年八月の ( ル。ヒント軍を主として起こされたものたが、ダラ 代表者大会が生まれ、憲法が制定されるまで、会議で全中国の労働を統一し、組織を再建、イ・ラマはインド ( 亡命、反乱は数日で平定 された。中共は。 ( ンチェン・ラマを自治区準 一同会議は国家最高機関として国会の役割を果世界労連に加盟した。 した。現在名誉主席に毛沢東共産党主常、主双十節 ( そうじゅうせつ ) 中華民国の国備委員代理に任命、ダライ・ラマも人民代表 家的祭日の一つ。一九一一年十月十日武呂で大会常務委員会副委員長の職につけたが、ダ 席に周恩来総理が選任されている。 整風運動中国の整風連動の始まりは、一革命軍が反旗をひるがえして中華民国を作るライ・ラマはインドで反中共的声明を出した ため対立したままとなっている。 九四一一年、延安時代の共産党が毛沢東 ( 党主はしまりとな「た。 席 ) 、劉少奇 ( 前国家主席 ) 両首脳の指導で行大田協定朝鮮戦争が始まった直後の一九チャイナ・ロビー China L0bby ロビー なった党活動刷新運動である。「整風」とは「作五〇年七月、大田市で締結された「駐韓米軍とはアメリカ議会内での面会室のこと。アメ 風 ( 活動方法 ) を整とんする」という意味で、の刑事管轄権に関する協定」をいう。この協リカ議会内での面会室をその根拠にして活躍 毛主席は「学風」「党風」「文風」の「三風」定は、戦争中の状態を前提としたもので、米している国府と親しい関係にある保守的政治 をあげ、「学風、では主観主義の克服を、「党軍将兵の刑事裁判は米軍の裁判によるとされ家の一団、そのグルー。フをいう。 風」では派閥主義の解消を「文風」では官僚て以来、現在まで米軍将兵は完全に治外法権中印・平和五原則①領土主権の尊重、② 相互不可侵、③内政不干渉、④平等互恵、⑤ が認められている。 的な型の言論を排除すること。 太平洋宣言一九五四年九月東南アジア条平和的共存、の五原則。一九五四年四月、中 ールカンポジアの親共武装ゲリ 赤色クメ ラのこと。カンポジアでは六五年ごろから各約機構を検討するためマニラに集った八カ国共とインドとの間で結んだチベット協定の前 地で小規模の反乱が起こったが、政府はこのの代表によ「て採択された宣言で、太平洋憲文に書かれたもの。 章とも呼ばれる。内容は民族の平等の権利、中華人民政治協商会議新中国を生み出す 反乱グループを親共分子として「赤色クメー 経済、社会、文化の協力、侵略の防止などを母体として、中国共産党の提唱により、政党、 ・ルージュ ) と呼んた。クメ ル」 ( クメー 政派、軍隊、地方代表、人民団体、民主的個 強調したもの。 ルはカンポジア人、またはカンポジア族とい う意味で、このグループは貧農を中心に構成チベット中国南西部の自治区。一九五九人によって結成された統一組織をいう。一九 、・ツトに反共の暴動が起四九年九月二十日から同三十日まで第一回全 されており、最盛期には勢力三千人といわれ年三月、ラマ教のチへ こり、ダライ・ラマ ( 自治区準備委主任 ) を体会議を開いた たが、現在は千人程度である。 中華総商会シンガポール在住華僑の商業 洗脳 ( せんのう ) 再教育して思想の改造かついでラサ ( 首都 ) で抵抗した。しかし、 を行なうことで、中共が朝鮮の内乱の時に国ラマはインドに亡命した。現在もまた小さな団体のこと。会員数は千五百人から二千五百 暴動が続いている。人口約一二七万、面積一人といわれる。同会はシンガポール住民の八 連軍捕虜に共産教育を施したこと。 割近くを占める華僑の利益代表として社会、 総工会正式には中国全国総工会という。三〇万平方キロ。 中国労働組合の全国的な連合会をいう。一九チ・ヘット反乱一九五九年三月十九日チ経済的に大きな発言権を持「ていて、とくに 二五年五月に設立した。日本の総評に当たるべットのラサで起きた反乱。これはダライ・中共、国府系を越えた民族的な問題では絶対 もので、全組合員は二千万人で、産業別、地ラマが解放軍司令部を訪れる矢先に、チベッ的な発言権を持っている。
月二ャん日カら三十日まで、ナインエ海猟獲を決め、あるいは猟獲の禁 アジア・アフリカ会議頭文簽をと「て アの汽都ラゴスで開かれたアフリカ諸国汽島を占有する米ソ両国から獣皮の一定割合を ・ < 会議、 ( ンドンでカれたのでパンドリ 日、加両国へ分配することを決めている ( ) 脳の会議をい ン会議ともいう一九五五年アジア、アフリ 欧州会議 CounciI of Europe 西欧各国 力の両大陸にある独立国の二十九カ国代表が安保理事会↓安全保障理会。 インドネシアのンドンに集って開いた会インテルサット会議六九年二月二十四日の共通の資産である諸理想、諸原則を擁護、 議。アジア・アフリカが当面している共通のワシントンで開かれた国際商業衛星通信機構促進し、その経済的、社会的進歩を助けるた 諸問題について自山討議を行ない、解決策をのこと。これは加盟六十五カ国の恒久的制度め、西欧諸国間に一そう緊密な結合を実現す 見出そうとする会議。 に関する政府間会議で、これにソ連と東欧のること。国防問題は扱わない。 ーとして参加した。 カイロ宣言一九四三年十一月、エジプト アスパック ( r-n ) Asian and 七カ国がオブザ : トののカイロでル : ズベルト米国、チャーチル英 Pacific Council アジア太平洋協議会閣僚会議は四週間にわたり、インテルサノ 会議の略称である。韓国が提唱し、第一回は管理組織の改正が行なわれ、そのさい、十八国、蒋介石中国の三首脳が会談して発表した 四二年六月ソウルで開かれ、第二回は四三年理第会 ( 十八人で構成 ) の持っ加重投票権も対日戦争に関する共同宣一 = ロ。 内容は 1 、三国は領土を拡張しない。 七月五日から・ハンコック ( タイ ) で開催され決定された。 た 0 韓国、台湾、フィ ビン、タイ、マレ ウィーン会議一九六一年六月三日、オー第一次大戦後に日本が獲得した領土は取りあ シア、南ベトナム、オ : ストラリア、ニュ イ : ンにおいて開かれた、ける。 3 、満州、台、澎列島は中国に返 ストリアの冂胤 - ウ ジ : ランド、日本、ラオス ( オブザ ー ) 米ソ首脳会談のこと。この会談で、ラオス問す。 4 、朝鮮は独立させる。 5 、日本に無条 の外相会議である。韓国ははしめ中共に対抗題、核実験、軍縮問題、ドイツ問題などが討件降服することを要求する。 するための反共連盟を意図し、このためカン議された。 核実験停止会議一九五八年十月末から 十ジア、ビルマなど中立国、非同盟国を除外オタワ宣言一九五一年九月、カナダのオジュネープで開かれた米、英、ソ三国の会議 した加盟国で始めることをねらったことに対タワで開かれた北大西洋同盟理事会で採択発をいう。また国連代表も参加した。この会議 しわが国は、 1 アジア・太平洋地域の経済開表された宣言。その内容は軍事的な北大西洋で実験の恒久停止条約を審議しようというソ 発、貿易拡大などのため話し合う一 2 ベトナム同盟を経済的、社会的な結合体にまでもって連の主張と、実験停止の違反を防ぐ国際管理 問題など反共軍第体制の強化につながる政治ゅこうとするもので、同盟加人国は十四カ国。体制をますきめようとする米英の主張を一緒 問題はとりあげないーー・方針で参加し、結局オットセイ会議昭和三十五年一月二十五に並行して討議することに決定した。なお、 議第一回は会議の性格から政治色が除かれた。 日から三日間、モスクワで第三回の北太平洋六三年八月五日米英ソ間において、「部分的核 ところがわが国としては第二回会議では 1 のオットセイ会議が開かれた。この会議は日、実験停止条約」がモスクワで調印され、核実 国討議の内容についてワクをはめす自山討議の米、加、ソ連の四カ国が三十二年二月九日締験禁止に伴なう軍縮問題に一筋の希望の光が 場とする。 2 大規模の開発第業はとりあげな結した「北太平洋のオットセイの保存に関すさしはしめた観がある。 との方向に転換した。 る暫定条約』に基づいて毎年開催される会議コロンポ会議諸国 ( コロンボ・グループ ) アフリカ諸国会議 ( ラゴス会議 ) 一九六である。この条約によって四カ国が一定数のビルマ、セイロン、インド、インドネシア、
コルホ : ズ・ ・ : 五二百花斉放・ : 6 大田協定 : ・ : 五六新ループル貨 : ・ ・ : 五一一百家争鳴 : 太平洋宣言 : ・ : 六 0 英国の王命委員会 : ・ ・ : 五六三 : ベトナム戦争の発端 : : 六 ( ) イタリア共産党 : チベット反乱 : ベトナムの : カムチャッカ半島の電化 : : : 六 ( ) 英国国教会 : 目チャイナ・ロビ クレムリンの城擘 : ベトナム非武装地帯 : ・ : 六 C 一英国の緊縮政策 : ・ スタ ( ノフ運動 : 中印・平和五原則 : ・ : 六 0 英国の勲章 : ・ 中華人民政治協商会議 : ・ ・ : 五一一平和五原則 : : ・六 ( ) 英国の死刑廃止法 : ・ ソ連科学アカデ、、 中華総商会 : ・ : ・六 ( ) 英国の上院 : ノ連命記念日 : 中共 : ・ マクマホン・ライン・ ・ : 六一英国の新移民法 : ・ ソ連共産党中央委総会 : 中共の下放連動・ : マレ : シア連邦 : ・ : 六一英国の人種差別扇動禁止法 : ・六五 ソ連最高会議 : ( 中共の教育制度 : ・ ・ : 五三南ベトナム解放民族戦線 : : : 五七 ・ : 六一英国の枢密院 : ・ ノ連新型輸送機 : ・ 中共の「検査」・ : 六一英国の選挙区 : 中共の国家主・ : ソ連・西独武力不行使宣言 : ・六一英国の百人委 : ・ モニタリング・ポ , ・ート・ ソ連中央委幹部会 : ・ 中共の「三家村」事件 : ・ モルデイプ : ・ : 六一閣外相 : ソ連・東欧国の 中共の大躍進 : 陰の内閣 : ・ : 五一一毛沢東語録 : 貿易の仕組み : : 六一構造改革論 : 一中共の中間地帯論 : ・ : 五四李承晩ライン : ノ連のコンビュ : テル・ : 六 : 国璽尚書・ ・ : 五四両参一致三結合 : ・ 一中共の党の組織 : ・ ソ連の国家委員会 : ・ 中共の「武闘・文闘」・ ・ : 六・一国民抵抗評議会 : ソ連の五カ年計画 : 中共の「文革定義」・ : 五 ~ 中近東関係 シオニズム・ ソ連の新連河 : 中共・モンゴル国境条約 : : : 五四 シャドウ・キャビネット・ ソ連の第一副首相 : 中国命委員会 : ・ - 市一フラン・ ソ連のロケット都市 : 中国紅十字会 : : 五四イスラエル海軍の スウェ : デン フロッグマン・ : 五八第二シベリア鉄道 : 中国人民外交学会 : ・ ・ : 五五 エルサレムの「嘆きの擘」 : ・五九 非スター 科学アカデ、、 中国北京市革命委員会 : ・ : 五九王リシェビキ : ーチ・イン・ ・ : 五五中東戦争 : メンシェビキ : ソ十レン金貨 : 中全会 : ・ ・ : 五五 利潤方式 : : 六三大法官 : 一朝鮮軍体戦委・ : ソ連関係 第 ( ロンドン・ ダウニング街 : 文化大革命・ : 西欧関係 チェコの二千語宣一言 : 八字方針 : ・ ゴス。フラン・
和五原則を提唱 一区域内都市を巡回、通常時は最終裁判所とな る。地方裁判所は計九十四あり、第一審を扱 一一一米台相互安全保障条約調印 一う。特別裁判所には関税、税務、賠償要求、五五・四第一回アジア・アフリカ会議開 関税、特別控訴、非常控訴の各裁判所があるし 催 (% ハンドン ) 連邦保安官 U. S. Marshal のこと【 ) 各連 八第一回米中大使級会談開催 ( ジュネープ ) 邦地方裁判所 (Federal District Court) に連 八中国、米人記者一五人に一カ月 邦検事とともに一人すっ所属、部下をひきい五六 の入国許可、米国務省は旅券発 てこの裁判所の命令を執行し、違反を取り締 和〕拒 . 不ロ まる。連邦地域は五十州の各州に最低一つ以 上、全米で八十六あり、人種差別禁止判例を五七・一一毛主席訪ソ 八中国、金門、馬祖島砲撃 含む連邦法一般に対する違反事件をさばく第五八・ 一審裁判所になっている。 五九・六ソ連、国防技術中ソ協定破棄 八中印国境て、中印軍衝突 ロックフェ一フー財団 RorkefeIIer foun ・ dation 米国スタンダード系石油会社を支配六〇・七ソ連中国派遣の技術者を引揚 している財閥をおこしたジョン・ロックフェ ・一二国連総会、中国代表権問題を重 要事項に指定 ラーがその財力で学術研究、社会、教育、文 化の諸事業に寄与するために設ける財団をい六二・一〇中印国境戦闘激化 う現在は孫のジョン・ロックフェラー三世が六三・七中ソ両党会談決裂 ・一二周首相、アフリカ諸国歴訪 主宰している。 六四・一〇中国第一回核実験に成功 六五・一一水爆開始、米国、記者交換を再 ◇中国対外関係年表◇ 提案、中国拒否 八中共中央「プロレタリア文化大 四九・一〇中華人民共和国成立 革命についての決定」を採択 五〇・一一中ソ友好同盟相互援助条約調印 六八・一七カ月ふりに米中会談、・ヘトナ 六朝鮮戦争始まる ム和平。ハリ会談始まる 一一国連総会、中国を「侵略者」と 六九・三中ソ国境で中ソ両軍衝突 する非難決議案採択 四中国共産党第九回全国代表大会 五三・七朝鮮休戦協定調印 開催 五四・四ジュネープ国際会議に周首相出 九周恩来、コスイギン会談 ( 北京 ) 席、中印通商交通協定調印、平 一〇中ソ国境交渉開始 七〇・一二年ふりに米中会談 四周首相、北朝鮮訪問 一一国連総会で、中国招請、国府追 放、決議案多数を占める 三米国務省、米国民の中国渡航制 限全廃を発表 四中国、来日中の米卓球チームと 通信記者等を中国に招待 一〇国連総会は、中国招請、国府追 放のアル・ ( ニア案を七六対三五 棄権一七て可決、中国の国連復 帰が二十一年ふりに実現、国府 は国連を脱退 一一中国の喬冠華国連百甯代表国連 総会本会議て初説 ニクソン米大統領中国訪問、米 、ユニケ発表 中共同コ、、 四民社党代表団中国訪問 自民党三木武夫氏中国訪問 五公明党代表団中国訪問 六キッシンジャー米大統領補佐官 周首相と会談 ( 北京 ) 中日備忘録貿易弁事処東京連絡 処の首席代表に尚向前氏の任命 を日本側に通知 九田中首相中国訪問、共同宣言発 表
六十五機であるのに。 ( キスタン軍は二百八十安保理はやっと慚進的な兵力引離しなどを内を国家元首にいただく自治国から、名実とも に独立国となった。スリランカというのはセ 五機と劣っている。しかもインド軍の攻撃は容とする決議を採択した。 東・ ( キスタンに集中した。戦争開始後四日目韓国の非常事態宣言一九七一年十二月六イロンの公用語であるシンハイ語で「セイロ には早くも要衝ジェソールが陥落し、インド日、韓国で非常事態宣言が発令され、準戦時ン島」を意味する。新憲法では一陸制、社会 軍は東。 ( キスタンの首都ダノ力へ殺到した。体制がとられた。このため、これに反対する民主主義、仏教の保護などが明記されている。 一方、西パキスタンとインドとの戦闘は両国野党や言論界に対する弾圧が強められ、新聞国家元首は実権を持たない大統領で、初代は ウィリアム・ゴ。 ( ワラ元駐米大使、首相は 国境、ことに両国のかってからの紛争地帯で界では幹部や有力記者の追放が行なわれた。 あるカシ、、 ールを中心に、激戦が展開された宣言文は、「韓国政府は中国の国連入りをはしンダラナイケ夫人。植民地一掃の悲願は達成 戦争は十二月十六日ダッカが陥落し、パキスめとする国際情勢の急変と、それが朝鮮半島されたが、一方で七一年三月過激派青年たち タン軍が無条件降伏したことによって終わっに及・ほす影響、北朝鮮が戦争準備に狂奔しての武装決起いらい、政治、経済不安が解決さ た。降伏調印式はダッカの競技場で行なわれ、いる情勢などを検討した結果、韓国が安全保れておらす、前途多難である。 ニアジ・パキスタン軍司令官が調印した。翌障上重大な時点に立っていると判断した」と中国の国家主席代理中国国家副主席董必 十七日インド軍は一切の軍活動を停止し二発令の理由を述べ、非常事態宣言にともなう武氏が七二年二月主代理に就任した中国は 週間の短期戦争はインド側の勝利に終わっ当面の措置として、次の六項目をあげている。一九六八年十月の中共第八期十二中総会で劉 た。東。 ( キスタンは分離独立をめざすべンガ一、政府の施策は国家の安全保障を最優先し、少奇国家主常のあらゆる職務を解任して以 ル人の組織・パングラデシュ ( ペンガルの国 ) 早急に万全の体制を確立する。一、安全保障来、″代理〃の形ではあるが、国家主席をおく の手に落ち、・ ( キスタンは人口の半分以上と、上の弱点となるすべての社会不安を許さす、ことになったわけで、その就任が対等の地位 国家の経済を支える屋台骨を失なった。。 ( キまた不安要素を排除する。一、言論は、無責にあるニクソン米大統領の中国訪問中になさ スタンのヤヒア・カーン政権は敗戦の責任を任な安全保障論議を慎むべきである。一、全れたのは注目される。中国人民共和国憲法 ( 一 国民安全保障上の責務遂行に誠実であるべき九五四年九月二十日、第一期全国人民代表大 とって辞職、代わってズルフィカル・アリ・ ブット副首相兼外相が新大統領に就任したた。一、全国民は安全保障を主とする新しい会第一回会議で採択 ) には、中華人民共和国 集 が、東西の統一。 ( キスタンを維持しようとい価値感を確立せねばならない。一、最悪の場主席は全国人民代表大会によって、選挙され 五ロ うブット新政権の悲願が達成される可能性は合は、国民が享受している自由を部分的に制る、 ( 第二十九条 ) 、「中華人民共和国主席が空 新ほとんどないようである。この戦争によりイ限する決意を持たなければならない。要する位となった場合は、副主が主席の職位をつ ( 第四十六条 ) と定められている。なお、 度ンド亜大陸は再編成され、今や大国の地位にに国防を最優先にしたわけである。 年のしあがったインドと、ひどく弱体化した。 ( スリランカ共和国一九七二年五月二十二董氏がもう一人の国家副主席宋慶齢女史 ( 孫 キスタン、それに経済的な困難の中で国造り日正午を期してセイロンが「スリランカ共和文未亡人 ) をさしおいて主席代理になったの 一を進める・・ ( ングラデシュという三つの国が当国」となった。新憲法の制定に基づく正式なは、宋女史が非党員であるためとみられるか 改名で、これでスリランカ共和国は英連邦国らである。 分存続することになりそうである。 なお、停戦の十二月二十一日になって国連にはとどまるが、これまでのエリザベス女王中国の国連復帰一九七一年十月二十五
中共本来は中国共産党の略で、中華人民大命で大きく変・ほうしたが、歴史的にみる国権の最高機関である全国人民代表大会に 共和国の略ではない。しかし、便宜上、將介と一九二二年に米国式の六・三・三制を導よって選出され ( 任期四年 ) 、同大会の決定に 石の国府 ( 台湾政府 ) に対して区別するため人、小学校 ( 初級四年、高級二年 ) 、中学校 ( 初もとづいて法律、法令の公布、国務院 ( 政府 ) に呼んでいる。 ( 本書はこれにならう ) 級三年、高級日日本の高校に相当Ⅱ三年 ) 、大閣僚の任免、対外的には大公使の任免、条約 昭和四十七年秋、佐藤栄作氏から政権を引学 ( 四、・六年 ) の学制ができ、四九年、新中の批准を行なう。国防委員会の主席を蒹ねて、 き継いた田中首相が中国を訪問。一九七一年、国成立後も、この制度は基本的に維持された。軍を統帥し、最高国務会議をも招集する権限 ( ニア決議案が大差で承認され、国府がその後、五八年の大躍進のときに、学問と労を持っている。 中共の「三家村」事件″三家村れ事件と 国連での議席を失うと共に、中国が正式の代働を結びつけよう、との毛沢東主席の呼びか 表として認められた。 けで、半工 ( 耕 ) 、半読の中学、専門学校、大いうのは、中共北京市委員会の鄧拓書記と、 中共の下放運動″下放〃という言葉の内学がつくられた。これは隔日あるいは隔月と廖沫沙統一戦線部長呉昤北京市副市長の三人 容は①知識人の下放、②幹部の下放、③管いうように、授業と農作業や工場労働を交代が″呉南星れの署名で一九六一年八月以降、 っ同委員会の理論誌「前線」に機関誌「北京日 理権の下放に分かれている。 でやる学校で、文までは、おおまかにい 知識人の下放は、知識人を工場、農村の生て全日制と半労働半学制の二つの教育制度が報」に連載随筆「三家村礼記」 ( 三家村ノート ) から出たものである。 産現場に派遣、肉体労働を通して世界観を改あったわけである。 に二、三年来進めてきた社会主 造させるのが目的。抗日戦争中からの古い伝中共の「検査」中国では広い意味の″自中共は、前 統を持ち、文化大命以後は、毛主席の「知己批判。を表現する言葉として「検査」「検討」。義文化命 ( 整風運動 ) のなかで、六五年十 識青年が農村にいって、貧農、下層中農から自己批判」といった段階があるようである。一月、呉昤の歴史劇「海端罷官」を批判した 「検査」は点検といった意味で、自分を「検のにつづいて、六六年「三家村礼記」に攻撃 再教育を受けることはたいへん必要である の指示のもとに、ますます活発になっている査」するという場合、過去、現代の言動をつを加えた。党中央理論誌「紅旗」などを総合 ようた。幹部の下放は、幹部が管理指導するぶさに調べ、 " 自己批判。の資料を作成していすると、筆者鄧拓らは「歴史や学術、趣味に 末端におりていき、肉体労働参加と現場の声く段階といったもの。これに次ぐ段階が「検ことよせて、人民の命的な警成心をマヒさ を直接に聞くこと、大衆路線を徹底させ、幹討」で、資料を複数で討議するといった段階せる随筆を発表し、計画的に党中央にねらい 部の命化を図るもので文革後は一層重視さである。これを総括する最後の段階が「自己をつけ、右翼日和見主義者の返り咲きを支持 批判」で、文字通り日本語の「自己批判」にし、資本主義の復活をはかった」と、ヤリ玉 係れている。 にあげている。また三家村は三人の″ごろっ 関農村へ行くことを″下郷れ、工場へ行くことあたる。 ア を " 下廠獗軍の基本単位の中隊〈行くことを中共の国家主席一九五四年九月公布されき宿であり、番頭格の鄧拓が中心にな「て ア″下連隊〃というような使い方をしている。た憲法にもとづいて定められた中国の元首で反党反社会主義活動の拠点にしていたとす また中央が管理権を下部に委譲することもある。正式には「中華人民共和国主席」と呼る論文すらある。 ばれる。初代主甯は毛沢東氏、五九年四月の中共の大躍進一九五七年の整風運動と反 ″下放れという。 一中共の教育制度中国の教育制度は、文化改選以来劉少奇氏がついた ( 現在解任さる ) 。右派闘争の翌年、社会主義建設総路線が提起
の中共政府の集団的大衆運動の旗印である。導下に行なわれる新しい民主主義で、やがてを付与され、起草作業にあたることを明らか にした。次いで総督は新政権が、東独、北べ つまり、一九五八年、中共政府は″総路線れ社会主義命にいたる前進段階である。 ″大躍進〃″人民公社れの三政策を積極的に推人民公社中共が一九五八年に実施した制トナム、南ベトナム臨時命政府、北朝鮮を 進し、中共的共産主義社会の建設に乗り出し度で、全中国の郷 ( 日本の村にあたる ) ごと承認、今後外交政策で、過去二代の・ ( ンダラ たものである。 に郷ぐるみが公社を組織して全員が公社となナイケ政権によって推進された積極的中立路 シンガポール独立シンガ。ホールは、一九り、農業、商業、工業、教育、軍などの面線に復帰すると発表した。セイロンという国 六五年八月九日、正式にマレーシア連邦からで統一的に管理するものである。その結果、名はもともとイギリスの人たちによってつけ 分離独立した。シンガ。ホールのマレーシア連生産は拡大される一方、この方式は共産主義られたもので、セイロンの人たちは古くから 邦からの独立は東南アジアの混乱とくにマ社会への移行を意味するものであるとみられ自分の国をスリランカと呼んできた。ちょう ど日本人が″ニツ。ホン〃というのに外国から レーシア、インドネシア紛争に新しい一石をている 投しるものとしてきわめて注目される。シン人民代表大会中共の最高国家機関のことは″ジャ。 ( ン石と呼ばれるのと同しである。 スワンタントラ党一九五九年夏できたイ ガ。ホールは、人口二〇二万、うち、中国人がで、わが国の議会に相当する。その任務は、 七四パーセントを占めている。一八六七年英予算の審議、国家主甯 ( 国務委員会主席 ) 副ンドの保守新党。 、本来 領値民地となったが、一九五八年英連邦内の主席の選任で、主常以下、公職者の罷免権を聖域 Sanctuary サンクチャリー 自治国となり、一九五九年の選挙で人民行動持っている。この代表者は、省、自治区、直の意味は中世に法律のカの及ばなかった寺院 党のリー・クアンユー氏が組閣した。一九六轄市の地方人民大会の間接選挙で選ばれておをさして、こういった。それが第二次大戦後、 三年九月、マラヤ、サラワク、サ・ハとともにり、定員は三、〇三七人で、任期は四年であゲリラや反乱部隊などの安全なかくれ場、逃 げ場をいうようになった。ベトナム戦争では、 マレーシア連邦を結成、 ・クワンユー氏る トコン部隊がカンポジア領の国 は初代のシンガ。ホール首相となった。しかしスミトロ計画インドネシアの経済大臣ス米国側は、べ マレーシア成立後その一州となったが人種 ミトロ氏の立案した国内経済開発計画のこ境地帯に基地をおき、また彼らが戦闘で追撃 的、経済的対立から六六年八月九日、ついにと。同国政府はこのスミトロ計画に基づき農されると、カイホジア領内に逃げ込んで、こ 分離独立した。東南アジア唯一の華商国家と業、工業鉱業の発展をもくろんでいる。 れを「聖域」として利用している、としてい して知られている。 スリランカ社会主義共和国セイロンの改る。そのため米国は、越境追跡権の行使をも 識字運動中共が行なっている文盲をなく称された新国名である。一九七〇年六月十四考えた。しかしカイホジアの中立を守ること 関する運動で、そのため当用漢字を制定して大日、ゴ。 ( ラワ・セイロン総督は、総選挙で大が、ベトナム戦争拡大を阻止する唯一の道で ア きな効果をあげている。 ンダラナイケ新内あった。 勝し、政権に復帰した、 ア新民主主義一九四〇年一月、中国の毛沢閣の第一回政策発表を行ない、今後同国の国政治協商会議正式には全国人民政治協商 東が「新民主主義論」において述べたもので、名を改称したと発表した。同総督は、またこ会議という。一九四九年、中国共産党の提唱 中共の指導原理となっている。半封建的、半の新国名に沿った新憲法が近く起草されるこで民主的政党、団体を結東する民族統一戦線 一値民地的社会においてプロレタリアートの指と、新議会が憲法を制定、議会としての機能として結成され、中華人民共和国の成立を宣
ーーー 582 発展途上国低開発国、後進国などの呼び戦略兵器を制限するための交渉をいう。一九 方があるが、国際会議などの場では一般に発六九年に ( ルシンキで開かれた予備交渉のあ 展途上国という表現が使われている。人口一とを受けて、七〇年からウィーンと〈ルシン 人当たりの所得水準がとくに低く、産業構造キで交互に交渉が行なわれてきたものであ 国際用語 が農林水産業などの第一次産業に依存する度る。さきごろの制限対象となった戦略兵器は 合いが強い国のことで・、具体的には東南アジ ( 弾道弾迎撃ミサイル ) と ( 大 ア、中近東、アフリカ、中南米などの大部分陸間弾道弾 ) が中心である。この点について は七一年九月のヘルシンキ交渉で「と の国が含まれている。 ただ具体的な定義は必ずしもは「きりして攻撃用ミサイルの制限に関して、ある種の共 国際一般 いるわけではなく、国連開発計画のホフマン通基盤が見出された」との共同コ。 : = ケが 多極化時代世界を動かす権力の所在とし事務局長は一人当たり国民所得三百ドルを発表されており、その後、細部にわたる詰め て、米、中、ソの三国をあげる三極説がある。も「て先進国と発展途上国とを分ける目安との交渉が進められてきた。が調印さ 中小国の力もあなどりがたいとし、各国それしたのに対し、世界銀行はポッワナ以下八十れれば、際限のない核軍備の拡大に一つの歯 それの行き方を重視する多極説もある。さき一カ国、国連貿易開発会議ではカナダ、米国、止めをかけるという意味で、米ソ両国ばかり ごろ = クソン米大統領はド / ・ ( ン米タイムズ日本など先進主要国を除く九十七カ国、でなく、核軍備史上でも六四年の核不拡散条 編集長に対し、五極、つまり、米国、ソ連、 0 ( Ⅱ経済協力開発機構Ⅱの開発援約に匹敵する画期的なステ , プとなる。 中国、欧州、日本の五者のカの均衡を基礎と助委員会 ) はキプロスほか約百四十の国や領 する平和体制をつくるよう力説した。戦後、土を発展途上国として定義している。 一国際協定・条約 大国の一つの基準は、国連安保理事会で拒否こうした発展途上国は一般に低労働生産 権を持っ常任理事国 ( 七一年、中国を加えて、性ー低所得ー資本蓄積の不足ー経済成長の停 u-L ( 平和協定シムラで開かれていた印〔 ・インド首相とプ 米、ソ、仏、英の五大国Ⅱいすれも核保有国 ) 滞という貧困の悪循環に悩んでおり、一方、首脳会談は、ガンジー ( キスタン大統領の歩みよりにより、一 であ「たが、 = クソン大統領の新五極説は、先進主要国が経済の高度成長を維持すればす むしろ経済力に大きく比重を置いているようるほど両者の格差が広がるわけで、このいわ九七二年七月三日両国代表団の間で、平和協 である。五極のうち、日本は政治力、軍事力ゆる「南北問題」が国際政治、経済両面での定の調印が行なわれた。同協定により過去二 十五年の対立と争いに終止符を打ち、両国の , —いがたく、欧州はその中に英、当面する重要な課題となっている。 ・か同列よ、 友好促進と永続的平和を確立することをう 仏、西独の小三極が並存し、それそれ独自に 問題、捕虜送 たっている。しかしカシ、、 このように三極説、 動きまわることが多い 還などについては具体的にはまったく触れら 国際会議一 五極説、多極説ともそれそれ根拠があり、世 St 「 ategic A 「 ms Limitalion れず、丁印。 ( 首脳会談を今後も開く、②両国 界は、これら各極の多様な組合せによって、 TaIks 戦略兵器制限交渉のこと。米ソ両国の間の問題は第三国の調停を入れずに、両国間 種々の変化をとげていくとみられている。