感じ - みる会図書館


検索対象: 由美かおるの西野流呼吸法
38件見つかりました。

1. 由美かおるの西野流呼吸法

の良い面を見るよ、つにしよ、つと、自然に思、んるよ、つになりました。 大変うれしいことには、小さなことや嫌なことが全然気にならなくなりました。それでいて感動す る心は大きくなり、本当に素晴らしいものに出会えたときは、生きている喜びに心の底から揺さぶら れる感じがしてきます。感動のあまり、しばらく動けなくなることもあります。 あかし 西野先生は「感動が一番大切だ、感動できるということが、人間が生きているということの証だ」 と言います。西野流呼吸法をやっていると、 " 開かれた身体。ができてくるのです。 身体が開かれてくると、その人 ( その人の″身体しは他の人と社会と、そして宇宙と自然交流し だすのです。人間は一人で生きているわけではありません。他の人によって、社会によって、字宙に よって " 生かされている。のです。 西野先生は「生かされていることを知ったとき、人間は " 忿を知ることができ、感謝の気持ちを 知ることができる。足ることを・身体で知ることができる」と言います。 私は呼吸法を始めてから毎日が楽しく、本当に満足 ( 足る ) することが分かってきたように思いま す。 しかも、自分では気がっかなかった潜在能力が徐々に表れてきました。この " 開かれた身体 , は、 西野流呼吸法の上級者になり、 " 充足の気 ~ を体得することにより、より高い身体の境地に導かれて いきュま亠 9 。 " 充足の気 ~ とは、人間だれでもが持っている自然現象としてのプリミテイプな " 気 ~ ( 西野流呼吸 法では、これを " 未充足の気 ~ と呼んでいる ) ではありません。身心を高い次元で統合することので きる " 気気自在に使いこなすことの可能な " 正気 ~ ( 気には正気もあれば雑気も邪気もあります ) と いう意味です。 ぶん 4

2. 由美かおるの西野流呼吸法

「そのうち、手の先、足の先、頭、おなかなどが、あ 成されていく。 たたかくなってくるのが感じられるようになった。一 体内をエネルギーかかけ回る 年ほどたっと、体内をエネルギーがかけ回るのがわか りだしたんです 由美かおるが合気道を習い始めたのは『グリース』 今までダイエットと名のつく食事法を、由美かおる に出演した後のことだった。一九七八年 ( 昭和五十三 年 ) 五月、日本武道館で開催された全日本合気道演武は実践したことがない。実際、よく食べる。デビュー 当時から変わることがないプロポーションは、呼吸法 大会で、西野が見せた模範演技の凄絶な美しさに打た によって支えられている。 れたからである。 「この間、出門英 ( 元ヒデとロザンナ ) さんと > で 「技の切れ、手の動き、回転する腰。すべて踊りと通 ーサルの合間に呼 じるのですね。稽古を積んでいくうちに、私も日本武一緒になったときのことです。 吸法の話などをしていると、英さんが驚いたような顔 道館で特別演武をやらしていただく技 ( 現四段 ) が持 てるようになった。でも、私を根本から変えたのは呼をして私に言った 由美ちゃん、変わったね。ほんとに変わったよ。こ 吸法なんですよ」 の間までスタジオの隅にポツンと座ったきりで、何も 五年前から西野皓三の呼吸法を知ろうと、わずかな 話さない子だったのにね 人数の入門者が生まれていた。由美かおるも彼らに混 出門英は、『必殺仕掛人』に出演していたが、厳冬 じり、西野の指示する呼吸を試してみた。 「ところが、先生の呼吸の深さについていけない。息の撮影の際、忍者姿で池の中にひそむシーンがあった。 彼はスタントマンを使わず、自ら凍えた水の中に頭ま が続かないんです。足の裏から息を吸い、丹田に落と で入った。 すといっても、なかなかその感じがっかみきれない。 「私が教えた呼吸法をしながら、水の中に漬かったた それに、呼吸をしているだけなのに汗がやたらと出る め、寒くもなく、風邪もひかなかったと、そのあとで のね 週一、二回のペースで彼女は呼吸法の練習を続けた感謝されました」 A 」し、つ 『水戸黄門』に共演した海老名みどりは、長年、不眠 210

3. 由美かおるの西野流呼吸法

朝の目覚めの爽やかさ / 朝、目が覚めて、本当に良い目覚めだと生きる喜びをしみじみと感じ ます。 " 身体 ~ は澄み渡るように爽やか、 " 心。は今日起こる素敵なこと の予感にはずむよう。春になって、野辺に草花がいっせいに芽を出すよ うに。小島たちか、樹々で無、いに歌うように。自然に " 身体 , の中から 生命のエネルギーが溢れ出し、自分が " 輝き。出す。 ハイオスパーク・西野流呼吸法は、そんな素晴らしい目覚めを私に与 えてくれるのです。 ハイオ (bio) とは「生存ー「生命」。スパーク (spark) とは「火花」 「ひらめき」のほか「活力」「いのちー「芽生え」、さらには「求愛」や 「魅力的な男女」という意味まであるのです。バイオスパークとは「生 命の輝き」ということなのです。 この画期的な呼吸法を行うと、まず五感 ( 視覚、聴覚、嗅覚、味覚、 触覚 ) がみずみずしくよみがえってきます。さらに第六感が表れるよう になってくるのです。 ・ 4

4. 由美かおるの西野流呼吸法

″足芯呼吸〃 西野流呼吸法は " 黒吸 ~ がべースになっています。 " 足芯 ~ とは足の裏。中国の古典に「足心」という言葉はありますが、 " 足芯 ~ は西野流呼吸法のオ リジナル・ターム ( 用語 ) です。 心 / A 」〃、い / に 「廿 ( 草かんむり ) 」をつけたのは、 " 足のを実際に植物が大地に根を下ろして いる″芯 ~ として感じ取ってほしかったからです。 足芯呼吸は、イメージを併用して、その足芯 ( 足の裏 ) から息を吸い上げます。 例えば、緑の葉をいつばいにつけた大木が大地から水分を吸い上げていくような気持ちで、細く長 く吸っていくのです。もちろん、実際は鼻から吸っているのですが、意識でそ、つイメージしながら息 を吸っていきます。 ちょっと聞くと、「そんなことができるのかしら」と意外に思、つ人が多いでしよう。 実際、初めは、おほっかない感じでしかできないかも知れません。しかし、しつかりとイメージを 描きながら続けていれば、遅い人でも一「三か月すれば、今までの浅い肺呼吸とは全く違う、なめら かで深い " 全身呼吸 ~ が身についてくるようになります。 " 足芯。が実感できるようになることが、まず出発点です。 足の裏はもともと " 第一一の心臓。といわれ、血液の循環とい、 2 思味でも重要な要所になっています。 心臓からもっとも遠い位置にある足の裏から、垂直に立った人間の重力に逆らって、血液を心臓に送 り返すのは大変なことなのです。もちろん、そのために心臓がポンプの働きをして血液が全身に巡っ ているのです。 でも、人間が生きていく最小限度のガス交換 ( 酸素を供給して、炭酸ガスを排出 ) を行うだけでは

5. 由美かおるの西野流呼吸法

からうつかりとは聞いておれない。 わた かっ 私事に亘って恐縮ながら、私は曽て大学卒業後、臨済宗の専門道場で十年間 ひたすら 修行をした。それは只管「語りなるものを求めての修行であり、当時の修行 指導者の常にいう「悟りさえすればすべてが解決し、自由自在になれるのだ」 という言葉を信じての修行であった。そしてそれなりに禅体験というものをし それでも決して自から充分なっとくはできなかった。幸い ばしば体験はしたが、 出身の大学に縁があって更に禅の研究生活に身を置くことができ、禅の中の禅 といわれる中国唐代の禅を主として研究してきたが、結局「悟りさえすればす べてが解決し、万事という事は間違いであったということがわかってき た。禅ではよく頓語ということがいわれ、これが多くの人びとを誤解させてい るようである。真に道を求める人は、死ぬまでこれでよいのだと腰を落ち着け ないのが本当の悟りなのだということが最近やっと分かった。それなればこそ、 褝ということに殆んど無関係でおられたと思う西野先生が、さりげなく褝の本 当の悟りと全く同じ事を言われたのには、私にとって嬉しい驚きであった。 しかしそれは決して偶然ではなく、明確な根拠があってのことであることは し、つまでもなしイ、・ 1 / イし ( 、 : ム道修一丁者こよ学修すべき根本道法として戒・定・慧の三学 がある。戒のことはしばらく置き、禅の語録を研究して感じられるのは、その 内容が殆んどといってよいほど慧のやりとりばかりであって、定についての記 録は極めて少ない。そういうと恐らく定慧は不二だと必ず誰かに批判されそう であるが、とにかく定とは禅定のことであり、端的にいえば坐禅のことである。 218

6. 由美かおるの西野流呼吸法

東京・世田谷の、のんびりした公園のかたすみ。陽 の撮影力、早朝から行なわれていた。 気に誘われ、散歩に出てきた初老の夫婦。ピクニック 夏空に似た雲の群れ。陽は鋭い。カメラ位置に立っ 気分の家族連れ。寝っ転がり、文庫本を読みふける学 と、小さな羽虫が、綿毛のように風に乗って流れてい ることに気づく。その向こう、片足で立ったままの由生風。こうした公園利用者が、撮影隊にときおり好奇 の眼を注いでいた。その中で、呼吸法の持っ激しい一 美かおるは、ふらっくこともなく、鶴となってポーズ をとったままだ。 側面が演じられたのである。 吹っ飛ぶ。 息を吐いている。のびやかな姿勢を片足一本で維持 まさしく、それは「吹っ飛ぶ。としか、形容のない している彼女が、ゆっくりした長い息を吐いているこ 転がされかたであった。西野皓三の右手に弟子が同じ とに気づいた。 く手を合わせる。そうして西野を押し倒そうと弟子が 「呼吸法で身体をリラックスさせ、自在な身体をつく るんです。一呼吸、吸って吐くのに、私は大体一一分を力を入れた瞬間、まるで電気に打たれたように、力を ・んりもと かけますが、そのつもりで息を吐くと、かなり長い時入れた弟子のほうが二メ 1 トルも吹っ飛ぶのだ。襟元 をつかみかかった瞬間。頭上に拳をふりおろした瞬間。 ドハランスを保つことができますね」 由美かおると西野流呼吸法。このどうにも想像でき西野皓三の身体をとにかくつかまえようと突進した瞬 。合気道や空手の経験者である弟子たちはしかし、 ない取り合わせに、わたしは当初、戸惑った。コケテ ィッシュな童顔。網タイツ。パワフルなダンス。こう西野に手を触れられただけで、次々と宙に飛ばされた。 「ぼくらはまったく手加減をしていない。今度こそ西 した彼女のイメージに、呼吸法という耳慣れない言葉 は結びつきようがなかったからだ。だが、信じられぬ野先生を倒そうと、いつも全力で相対しているんです 光景は撮影の終わりになって起きた。 よ」 ( 勇崎賀雄・三十八歳・学習塾塾長 ) 由美かおるがモデルとなった呼吸法の連続写真を撮 「先生の手に触れた瞬間、電気が走るというより、空 間がねじれるような衝撃を感じ、気がつくと飛ばされ り終えた後、呼吸法を創始した西野皓三と、その弟子 ている , ( 北村義洋・二十四歳・医大生 ) たちが稽古着に着替え、芝生の上に立った。 「それでは、ちょっとかかってきなさい」 わたしは毎週末、ラグビーに汗を流している。ポジ からだ

7. 由美かおるの西野流呼吸法

師・西野皓三に吹っ飛ばされる弟子。手が触れた瞬間 , 空間がねじれるような衝撃を感じるという ( 撮影・小林洋 181

8. 由美かおるの西野流呼吸法

西野流呼吸法砌垂華 , は。第い \ 9 右足を横へ十分に伸ばし、同時にひじも伸ばしなが ら腕をねじる。このとき右足のカカトは床につける。 上体を起こしながら足を引き戻す。 111

9. 由美かおるの西野流呼吸法

西野流呼吸法垂華 両腕は床と平行に保ち、ひじは直角になるくらいに曲げる。 顔は正面を向いた状態に保つ。 軽く息を止め、上体を倒しながら手を下ろし始める。

10. 由美かおるの西野流呼吸法

「あの頃、家の前に同じ由美という女の子がいて、そ の子かバレエに通っていた。しかし、私には母にそん なことを言った記憶はまるでないんです。でも四歳の 土寸、、 月学校で〈教育バレエ〉を教えていることを知り、 小学生が対象でしたが、強引に参加したことを憶えて います , 〈教育バレエ〉は児童のリズム感を伸ばし、音楽性を 養うことで豊かな人間性の土台を作るという、情操教 育の一環として各地で試みられていた。由美かおるの ずば抜けたリズム感の基礎はもうひとつ、幼稚園でも 作られている。 四歳から彼女が登園するようになる西京極幼稚園 ( 西京極市 ) は、元東寺副管長の三浦俊良師が一九五 三年 ( 昭和二十八年 ) に開園したものだった。西辻由 美子が入園するのは翌五四年のことである。同幼稚園 では開園当時から「遊戯ーを園児のカリキュラムに毎 日取り入れていた。 「よその遊戯のように、ピアノに乗せて自由表現をさ せるのでなく、基本的な型を曲に合わせて教えていく。 これを一日二回、必ず教え、踊らせます。合掌も最初 は有難くてやるのではなく、手を合わせるという形式 から入ります。園児に教える遊戯も同じ考えでやらせ ました」 小学校時代 , バレエのリサイタルで踊る ( 矢印 ) 18 う