国「だからキミはアカンというのだ」 タヌキちゃんは勝ち誇るように大声を出した。 「土地を買うときはまず、樹木を見よ、ということがある。知ってるか ? 」 「知らんーー。」 「ほんまに頼りないャツやなあ。樹木がいろいろ繁茂しておればだな、日当りよく、風穏 やかで地味も肥えておる。そういうところを買えば、家を建てるにしても、庭木を育てる にしても、あるいは花畑菜園を作るにしてもすべてよし、というわけや」 「、なるほゾ」」 「すると君は草山の、樹木といえば何やら名もわからん灌木のようなものがモゾモゾと生 えておるところを買うたわけか ? 」 「でも考えてみれば、柏の木がそこここに生えていたわ」 「柏 ? それは大木か ? 」 「いや、灌木」 「なに灌木 ? キミ、柏ちゅうもんは大木になるもんやで」 タヌキちゃんの声はますます高く大きくなる。彼の声が高く大きくなる時は、得意と同 時に何やらよろこばしいことがある時なので、私は面白くない 「なにを喜んでるのよ、タヌキちゃん」
ウサギより、 アイコどの、 屋註、この借用証書は後に値がでますから、大切に保存しておきなさい」 部 の ち だ「私、生れてはじめて、このような借用証書を見ました」 男 と浮かぬ顔の銀行の人はいったのであった。 金を x 百万も出したのは、仲間うちでも一番、金を持っていないこのわたくしだったと そこへ、ウサギちゃんのところへ金を届けに行った銀行の人がやって来た。 「ただ今、行ってまいりました」 「ありがとう。ご苦労さんでした」 という声は、我ながら重病人のよう。 「私の一存でウサギ先生に借用証書を書いていただきましたのですが」 銀行の人は、何やら浮かぬ顔で、鞄から一枚の紙キレをとり出して私に示す。ウッロな る目でそれを見れば、 「金 x 百万円也拝借しました、
172 と踏んばってよろよろと立ち上り、よいしよ、と背中の彼女のお尻の下に手を入れても う一度どっこいしよと背負い直し、そろりそろりと川の中に足を入れ、一歩、また一歩、 後ろから見ていると次第に首筋にジワジワと汗が噴き出してくる。 やっと向う岸に着いて、 思わず洩らす吐息の大きさ。 「大丈夫 ? 」 と女の方でいたわらねばならない。 その時、二十一歳になるさるお嬢さんが同席していて、興味深げにその話を聞いていた が、「昔の美女」が懐かしそうに出して来た「西洋いいオトコ」の写真を一目見るなり、 「キャーツ , 大げさに悲鳴を上げて、 「よに、このフランケンシュタイン ! 」 「フランケンシュタインとは何です、失礼よ」 たしなめつつ私は、心中ひそかに「なるほどネ」と頷く気持もあった。
116 とタヌキちゃんは私に向っていきなりいった。 「何や、その恰好は ! 」 「何が何やよ、最高のファッションってことがわからんの」 お互いに、「おはよう」でも「こんにちは」でもない。挨拶ヌキの、いきなり「助けて くれ工 ! 」だ。タヌキちゃんとっき合うと、どういうわけかこうなる。私だって、タヌキ ちゃん以外の、ちゃんとした人とっき合うときは、礼儀正しく上品にきちんとご挨拶する のである。 私とタヌキちゃんは汽車に乗った。予定表を見ると講演の後で十日町の織物問屋の工場 見学というのが入っている。 「工場見学ーーこれはどうも」 「気が向かんな」 と、こ , つい , っところは亠夭によく刄が八ロ , つ。 「これ、ぬけるわけにま 「オレもそれを考えておったんやが : : しかし、うちの秘書がこういうんや。工場見学し たら反物の一反くらいきっとくれますよと : 「うーん、そうか」 私は迷った。
「田 5 , つ」 「君は何も持たんと来て、しかし、よう、平気な顔してムシャムシャ食うなあ」 タヌキちゃんは優しい男なので、これさえいわなければね工、紳士として認めてもいし のだが。 冬の夜長、酒はうまいし話は弾む。ふと、タヌキちゃんはいった。 「ボクはバジャマを着て寝てるのやが、どういうわけか眠りながらパジャマの下の方を脱 いでしまう癖があってねえ。これ、困ってるんだ」 ? ズボンを脱ぐの、ズボンだけ ? 」 「何ですって。パジャマの下 「それがやな、朝、目が醒めたら、何も穿いとらんのや」 パンン 7 も ? ・」 「そうなんや」 「一種の夢遊病みたいなものですね」 屋と居合せた人がいった。 の キモチ悪いねえ。大男のタヌキちゃんが深夜にヌーツと起き上り、何をするのかと思う ち とモゾモゾとズボンを脱ぎはじめる、バンツをとる。トイレヘでも行くのかと思うと、そ 男 のまま、またべッドに寝てスャスャスャ。 もし泥棒が忍び込んでいて、物かげからその光景を見たら、これは一物も取らすに逃げ
276 新聞への注文 この頃、私はあまり新聞を読まない。広告があまりに多いので、頁をくるのが面倒くさ くていやになる。世の中には「新聞も読まないやっ」と軽蔑していう風潮があるが、べっ る。だが客の方は私がいけなかったなどといわでものことをいう。 あっけ 私は呆気にとられてそばで見ている。 「立ったままお客さまにものを渡すなんて何ということをするんです」 昔の主人はそういって女中を叱ったものだ。客は客で、 「気をつけて下さいよツ」 ぶっちょうづらにら と仏頂面で睨んだ。そこで山だし女中も客に怒られ、主人に叱られ、サービスのし方 を覚えて行った。 今は客と主人が謝りつこ。いたわりつこ。お互いに相手が怒らないのを物足りなく思い ながら。 ひとり女中だけ、ノホホンとしている。これ天下泰平といってよいのであろうか ?
S 「強盗がそれを聞くと思ってるの ? 」 「聞かないだろうねえ」 「じゃあ、どうすんのよツ」 と私はだんだん怒りたくなって来る。私の憤激が通じたか、カッパちゃんは奮起したよ 「もしかしてスキがあれば、椅子か何かで後ろからプン殴ることもある」 その奮起は次のごとく私に一蹴される。 「なにいってんのよ、あなたは縛り上げられてるんですよ」 「そうか、それじゃあダメだな」 縛り上げられる前に、椅子ふり上げて戦うよ、といわないところが、カッパちゃんの正 直なところである。 「じゃああなたは愛する女がやられるのを見てるわけですか」 「うん、見てるねえ」 「目、つぶらないの ? 」 「うん、つぶらないだろう」 「なぜよ , なぜっぷらない」 「取材精神 ! 」
踊るときは、「三」では足を踏み出さず、「一」から踏み出す。それをウサギちゃんは 「三」から「一」のステップを踏みはじめる。だからステップが音楽と合わなくなる。合 わないのに平気でそのまま踊る。またしても私は怒らずにはいられない。 「ちょっと、ウサギちゃん、ちがってるわよ」 はじめは静かに反省を促すのだが、ウサギちゃんは平然と狂ったステップを踏みつづけ 「ねえ、ちがうったら、ちがうわよ」 「そうですか ? でも踊れますよ」 踊れますなんてもんじゃない。皆とステップが食いちがうのでまわりの人は驚いて見て 「ちがうったら ! はじめから、やり直しッ , 私は劣等生を怒る小学校の女先生のように金切声となる。 三、わかる ? わかる ? 三で出てはダメなの、三は動かずにいて、一か ら出るのよ」 「わかった、 一からだね」 そういって、また三からズイと足を出して来る。 る。
「それなら、行ってもエ工ねえ」 「そうやろ ? オレもそこで迷っておったんや」 「そんなら行こう」 「 ( 打こ , つ」 さもしい話ね、などと笑うなかれ。こういう点でも私はタヌキちゃんと実にピタリ、気 が合うのである。 やがて私たちは十日町に着き、講演をした。その後はという十日町一の織物問屋で休 憩後、工場見学ということになっている。私とタヌキちゃんは e へ案内された。 すると、の大玄関にふり袖姿の娘さんが数人、私とタヌキちゃんを出迎えているでは これは : 屋という感じで私はタヌキちゃんと目を見合せた。 の 我々のためにふり袖を着て出迎えるとは、これは大歓迎ですな。 ち 友 そうそう、この分なら、お土産の反物はさそかし : 男 二人でニンマリする。機嫌よくエ場見学をした後、二階の応接室に通された。と、そこ には先客がいて、どこかで見たことがある人だと思ったら島津久永さんと貴子さんのご夫
240 食うたんか ! 君、君のところでは常々、ムスメに一体、何を食わせとるんや ? 」 「だって、あなたがいったのよ。こういう素朴な形をしたやっこそ、ホンモノの味がある のやって : : : だからわたし、買うたんやないの ! 責任とりなさいよ」 遠藤さんはそれには答えず、 「ところで君はあのタコ、食うたんか ? 」 「いいや、わたしは食べなかった」 「えつ、君は何という酷い母親だ ! あのグロテスクなタコをムスメにだけ食わせて、自 分だけこっそりうまいものを食っとるんやな ! 」 こういういやがらせは、彼の独壇場ともいうべきところで、彼の小説を読ますとも、フ イクションの才の並々ならぬ人であることがよくわかる。 夕暮の淡路島で、私は遠藤さんにいった。 「七年ほど前だったかしら : : : 私、ムギヒコとここへ来たことあるわ。今、それを思い出 したわ」 ムギヒコというのは私の別れた夫のことである。あたりの景色を見て何となく見たこと のある所だと考えているうちに、私はそのことを思い出したのである。するとその後、遠 藤さんは折にふれこういう。 「佐藤愛子、キミはやつばり田畑麦彦に偬れておるな」