オリガ - みる会図書館


検索対象: 私のなかの男たち
156件見つかりました。

1. 私のなかの男たち

い . い人子 / よのにねえ」 「可哀想にねえ、 といいながらどの女も本当に心から彼に同情しないのである。我慢に我慢を重ねているの は、男の優しさであり、善意であり、愛であるとしても、女はそれを意気地なしとか鈍感と か弱虫などという言葉でいい現す。本当は女は男の「いい人」というのが、嫌いなのだ。 「いい人」というのは男に対する女の夢の中にはないのだ。 正直いって私にはオリガの気持はよくわかる。オリガが善良なドウィモフを裏切り虐めた 気持が、である。別荘から帰って来ない妻に会いに行きながら、妻の衣裳を取りに輪形。 ( ン を一つ手にしてすぐに停車場へ向ったというそのひとことで、私はドウィモフを虐めたくな る。オリガが帰って来たとき、「山鳥をおあがり」といったくだりでは、もう我慢出来ぬとい う気になる。もしオリガがドウィモフにした裏切りについての裁判が開かれたとしたら、私 はドウィモフに懲罰を下せと叫ぶたろう。 ドウィモフは可哀想な男だ。あまりにあまりに可哀想すぎる男だ。そのことが私を憤らせ しぎやくせい る。そして私の嗜虐性を呼び醒ます。ドウィモフが我慢に我慢を重ねる限り、オリガは ( 私 は ) 裏切りを重ねるだろう。ついにはドウィモフの目の前で、恋人と抱擁するということさ えあえてするかもしれない。

2. 私のなかの男たち

そんな数カ月の結婚生活の後、オリガは芸術家仲間と別荘へ行っていた。ドウィモフは二 ト一こよ 週間も会わぬ妻に会うために菓子などを買って別荘へ出かける。空腹と疲労にヘト ってやっと別荘にたどりつくと、妻は明日この村で挙げられる結婚式に出席するための衣裳 を家から持って来てくれという。 「よしよし」 とドウィモフはいっこ。 「明日帰ったらすぐ送ってよこすよ」 「あら明日ですって ? 」 オリガはびつくりしたようにいっこ。 「明日でどうして間に会って ? 明日の一番は九時に出るのに、式は十一時ですもの、今日 でなくちゃ駄目よ、どうでも今日でなくちゃ : そうしてドウィモフは「よしよし」としし車 、、、侖形パン一つ手に持って穏やかに微笑しなが ら停車場へと引き返したのである。 やがてオリガは画家のリヤポ 1 フスキイと恋をする。別荘に泊まったきり、ドウィモフが いくら帰ってくれと懇願しても帰って来ない。そうして数十日して男に飽きられ諍いをし いさカ

3. 私のなかの男たち

て、彼女は家へ帰って来た。ドウィモフは丁度食卓に向ってえぞ山鳥の皿に向ってホークで ナイフを研いでいるところだった。入って来た妻を見て彼の顔に一瞬ばっと明るい穏やかで ひざます 幸福そうな笑いがひろがる。そして彼は自分の前に跪いて顔を蔽った妻に向っていった。 ・ : まあ、掛けなさい。そうそう、山鳥でもお 「どうしたの ? ママ、淋しくなったの ? あがり。可哀そうに、お腹が空いただろう」 彼女は思うさま親しい空気を吸い込んで山鳥を食べた。彼は感動的な眼で彼女を見て、嬉 しそうに笑っていた。 やがて彼は妻の不貞に気がつくが、「まるで自分の良心にやましいことでもあるかのよう に」、妻の眼が正視出来ないのである。オリガと画家とはヨリがもどり、オリガは恋人に向 って夫のことをこういう。 「あの人は自分の寛大さであたしを苦しめているのよ ! 」 その文句は彼女の気に入り、彼女は人さえみればそういうのである。そうしてやがてドウ ィモフはジフテリヤの子供の咽喉から管で膜を吸い取ったことが原因で死んでしまう。 男 夢世の中にはなぜか、女が虐めたくなる男というものがいる。

4. 私のなかの男たち

。それは私の迷妄なのであろう。それが半ばわかっていながら、いつまでもメンスの上ら ぬ老女のように私は男に夢を持つのである。 男に対する女の夢 ーヌイ チェホフの「陽気な女」という小説にこんな男が出て来る。オーシッ。フ・ステパ チ・ドウィモフという医者で、二カ所の病院に勤め、朝の九時から正午まで外来患者を診察 し、受け持ちの病室を回診したりし、午後からは二つ目の病院へ行って死亡患者を解剖す る。それ以上にこの男について語ることは何もないといった男である。 彼の妻オリガは作家や音楽家や俳優や画家などの友人知人が多勢いるディレッタントで毎 水曜日に自宅で小夜会を催して芸術の歓を尽す、といった女だった。二人は別々の趣味とか け離れた性格をもって、しかし幸福な結婚生活を送っていた。二人の間に起きた波瀾といえ ば、ドウィモフが病院で丹毒に感染して、六日間を床の中で過ごし、その髪をクリクリに苅 らなければならなかったことくらいなものである。オリガはその傍で烈しく泣いたが、彼が いくらかよくなるとその苅った頭に白い布をかぶせて、それをモデルにアラビア人を描き出 夢した。二人は楽しかった。不幸といえばそれくらいのものだったのだ。

5. 私のなかの男たち

うな姿ですか」 相手の人はそういってから、 「角力取りにはどこがようて惚れた 稽古帰りの乱れ髪 アリャリヤアリヤアリヤアリヤセ と歌ったのである。そういえば昔は、鬢のほっれの横顔見せて、花道を引き上げて行くカ 士にネッを上げた芸者の話などよく聞いた。確かにそれは風情ある姿には違いないが、私の いうあわれはそのような風情だけをいうのではない。 広辞苑はあわれという言葉を尊い、ありがたい、めでたい、 りつば、めずべきである、し たわし い、かわいい、なっかしい、情趣がある、いじらしい、気の毒である、可愛そう、風 情、悲哀、哀愁、かなしさ、など、盛り沢山に訳しているが、私のいう「男のあわれ」とは この中から尊い、ありがたい、めでたい、 りつば、したわしいを取りのそいた残りをミック スしたものなのである。 れ わ かって私の夫であった男は、ヨレョレのネクタイや筋の消えたズボンや汚れたドタ靴が似 男合う男だった。三カ月に一度しか床屋に行かず、肩にフケをつもらせ、いつも乞ハ立った靴

6. 私のなかの男たち

彼よ早速シャンソンのレコードを何枚か買って来てそれをかけて からねばならぬと思った。 / 一生懸命に聞いたという。 「けど、どうしてもわからんのです」 ジャイアント馬場はいっこ。 「いくら聞いても、面白くないんです。それでもう諦めて、民謡を聞くことにしました」 「民謡、好きですか ? 」 「はあ、大好きです」 ああ、可愛らしいなア : : : とその時、私は思わず胸の中で呟いた。ジャイアント馬場 は、この大きな背中を丸めて、一生懸命にわからぬシャンソンを聞いていたのかー 、つばいに胸にひろがるのである。 そう思うとしみじみ、可愛らしいなア、と優しさがし その後ジャイアント馬場は大洋へ移籍し、風呂場で貧血を起してぶつ倒れた。風呂場のガ ラス戸に身体をプチ込んだので、背中に大怪我をし、そのため野球を断念した。 「ぼくは、野球がダメでやめたんじゃないんですよ」 ジャイアント馬場は真面目にいっこ。 「。ヒッチャーとしては有望だったんです」 234

7. 私のなかの男たち

書籍売買 大石書店 徳島市中吉野町 2 丁目 34 ー 1 TEL ( 田 86 ) 23 ー 1010

8. 私のなかの男たち

私のなかの男たち 昭和 49 年 6 月 24 日第 1 刷発行 著者佐藤愛子 発行者野間省一 発行所株式会社講談社 東京都文京区音羽 2 ー 12 ー 21 郵便番号 112 電話東京 ( 03 ) 945 ー 1111 ( 大代表 ) 振替東京 3930 印刷所豊国印刷株式会社 製本所株式会社上島製本所 落丁本・乱丁本はお取り替えいたします。 ◎佐藤愛子 1974 Printed in Japan 定価はカバーに表示してあります。 ( 文 1 )

9. 私のなかの男たち

「何かの間違いとちがう ? 」 しかしへソは耳も貸さず、 「ぼくはねえ、結婚してからも時々、あの時のことを思い出して悲しゅうなったんや。なん おも であの時、出て行かなんだのかと思て : : : 」 うる そういうへソの垂れ眼は悲しげに潤みつつ、しかしやはりへソは笑っているような顔だっ たのである。 その後へソと会う機会もなくなったが、ヘソは今でも私たち二人は相思相愛の悲劇の主人 公だと思いこんでいるのであろう。そして多分、これが男というものなのであろう。 先ごろ、奥村という女性が銀行の大金をチョロまかして男に貢ぎ、その逃亡中に現場監督 のおっさんと同棲していたという事件があった。おっさんは電気製品など次々に買い揃え、 ひと 新婚気分の幸福に浸っていた。同棲相手が大家のおばさんに「やつばり前の男のことが忘れ られないのよ」などといっているとは夢にも思わぬ。隣の住人はすでに怪しき女と嗅ぎつけ て内偵しているにもかかわらず、おっさんは深く深く女を愛し、女もまた自分を深く深く愛 してくれていると思いこんでいた。 「あの女が帰って来たら、わしは受け入れてやります」 262

10. 私のなかの男たち

・ほくらみたいに好き合うてる者がどれだけ結ばれずに終ったか : : : 」 と私はヘソを見た。しかしへソは私の「え ? 」にはかまわずに、 「ぼくはね。君がぼくの家の前を友達と三人でうろうろしているのを二階の窓から見たと き、ほんまに嬉しかったんや : : : 」 「え ? 」 と私。だがヘソはつづけた。 「君の友達が一緒ゃなかったら、・ほくはとんで出て行ったと思うんや。けど、友達が二人も おったやろ。それで、どうしても行けなんだんや : : : 人間の運命というもんは微妙なもんや なあ。あの時、・ほくが思い切って出て行ってたら : : : ぼくらの関係もどうなってたかわから の るんで : : : 」 な 私はもはや「え ? 」ともいえず沈黙した。私は〈ソの家がどこにあるのかも知らないの だ。友達と三人でうろうろしていたといわれても、途方に暮れるばかりである。 の「わたし、覚えてないわ。そんなこと : : : 」 私はいっこ。 2