はどんな顔をしたか聞き洩らしたのが残念だが、その姉さんが一年後、私たちの女学校の運 動会に赤ン坊を連れて来ているのを見て、私は笑ったものである。 「あんないやらしい男はいややというたくせに、すまして赤ン坊、産むコトないよ」 私たちは結婚しても、ゼッタイ、夫を寄せつけんとこ、と約東し合った。それならば結婚 しなければよさそうなものだが、結婚はしたいのである。いや、しなければならないものと 思い込んでいたのだ。 私たちは皆、二十歳そこそこであったが、ある友達は結婚したらメンスになったと嘘をつ いてやる、といっていた。別の友達は「ツンツンプリプリして、そばへ来られんようにして やる」といった。事実、新婚旅行の間じゅう、夫を寄せつけなかった人もいる。いったい何 のためにそんなことをいったりしたりしたのか。 いん・ヘし 性が隠蔽され、罪悪視されていた時代の悲劇です、と性学者はしたり顔にいうかもしれな いが、それは喜劇的であるとも悲劇という言葉でいうべき現象ではなかったと思う。娘心の 羞恥心と。フライドがそんな無意味な抵抗のマネゴトをさせたのである。その頃の男には今の ようにヘナへナの童貞などいなかったから、そんな新妻の抵抗のマネゴトにショックを受け てインポテンツになったりするようなことはなかったようである。
こういう発想はかっての私の、どの時代を考えてもなかったものだ。冗談にも″可愛い 男〃と結婚したいという女なんて私の友達の中にもいなかった。結婚の相手というものは、 多少にくにくしくとも頼もしい男でなければならなかったのだ。なぜなら夫というものはか 〃なんて喜ん 弱い我々を養い守ってくれる存在でなければならなかったからだ。″可 でいると、生活の危険に晒されるのである。生活力のないか弱い娘であった我々には、男に 対するロマンチックな夢など持っことが出来なかったのだ。 結婚式でのハナタレ小僧ぶり この初夏の頃、私は川上宗董民のお嬢さんの結婚式で北海道は札幌まで出かけた。菊村到 さんも一緒である。 結婚式はまことに盛大なものであった。来賓三百五十名、・ハンドが入り、札幌のテレビ局 の男女のアナウンサーがかけ合いで司会をやる。お婿さんの父君が札幌のお金持で北海道知 事、札幌市長、国会議員など、何やらえらそうな人たちがさんざめき、披露の宴席は数十名 のホステスがサ 1 ビスをするという華やかさである。 可菊村到さんと私とは知事さんと同じメーンテー・フルに坐らされるという光栄に浴した。我 227
年上の女にとって、それは光り輝く金の玉のようなもので掴むにも手がかりがない。その玉 の黄金の光が年上の皺を照らし出すからかもしれない。 私の友達はカビのクリマンに打ち込んで、日曜日に家へ呼んで腹いつばいライスカレーを 食べさせたり ( おお、そのささやかな幸福よ ! ) 別れた亭主が忘れて行ったネクタイをあげ たりしていたが、そのうちに何とはなしに遠去かってしまった。彼が学校を出て就職したら 身なりなどもよくなり、貧乏たらしい感じがなくなったと同時に、キラッ の輝きも消え てしまったのである。 結婚相手としては : ・ ところで私の娘は中学一一年生だが、テレビで郷ひろみを見ながら、 「キャア、可愛い ! 」 などと叫んでいる。わア、可愛い などという叫びを聞くと、私には例えば頭にリポン を結んでもらった愛玩大がチョコチョコ現れるさまを想像したりするが、「可愛い ! 」とい った後で娘はこんなことを叫ぶのである。 「わたし、郷ひろみと結婚する ! 」 226
「この頃の女性はそういう男をいじらしいと思うのではないでしようか」 という返事であった。 この頃は女が女らしさを失った、と中年以上の男性は折りにふれ歎いているようだが、そ うしてそのヤリ玉に私の名など上げている人もいるようだが、本当は女が女らしさを失った ということは、こういうことなのである。結婚式で泣きじゃくるムコさんにイヤケがささぬ ということなのである。 女が女らしくあれば、当然、そのようなムコさんに失望するべきである。結婚解消したい と思うべきである。私ならばそう思う。結婚解消することが出来なければ、仕方ない。その 日からポッポッ虐めにかかるであろう。女らしい女とはそういう女なのである。 あるとき、 ( 少女の頃 ) 私は父の書き残したものの中にこういう話を読んだ。明治の中期、 谷干城という政治家がいた。干城という人がどういう人であったか私はよく知らないが、当 時の政府の外交政策に反対の立場を取っていた人であるらしい その谷干城の演説会で干城が演壇に歩み寄り、一礼して、 「諸君 ! 」 と叫んだとき、官憲席から、
「いっ結婚してくれるのよう , と涙ながらに詰め寄り、 「あんた、欺してるんじゃないの ! もし欺してるんだったら私 : : : 私 : : : もう : : : 死んで やる ! 」 と泣きわめく。 そういう女はかなわぬ、やりきれぬと、 しいながら、男はその涙に負けて女房と離婚した り、年甲斐もなく二度目の結婚式を挙けたりするのだ。 勇猛果敢な女は勇猛果敢な涙をふるって男を屈伏せしめ、臆病小心な女は小心のシクシク 泣きで男を懐柔する。小心臆病よりもう一段下の、あかんたれグズは、あかんたれグズの涙 をメソメソ流して男への恨みつらみ四方八方へこぼして人の同情を引き、他人の助けを借り て辛うじて身を守る。女は涙が人生の武器であることをよく知っている。涙持たぬ女は対男 性との戦いでは常に負けいくさの苦渋を味わわねばならぬのである。 悪党女の笑い 以前、私はよく人から、あなたは笑うと可愛い顔になるねといわれた。私は年中怒り狂っ 190
「何かの間違いとちがう ? 」 しかしへソは耳も貸さず、 「ぼくはねえ、結婚してからも時々、あの時のことを思い出して悲しゅうなったんや。なん おも であの時、出て行かなんだのかと思て : : : 」 うる そういうへソの垂れ眼は悲しげに潤みつつ、しかしやはりへソは笑っているような顔だっ たのである。 その後へソと会う機会もなくなったが、ヘソは今でも私たち二人は相思相愛の悲劇の主人 公だと思いこんでいるのであろう。そして多分、これが男というものなのであろう。 先ごろ、奥村という女性が銀行の大金をチョロまかして男に貢ぎ、その逃亡中に現場監督 のおっさんと同棲していたという事件があった。おっさんは電気製品など次々に買い揃え、 ひと 新婚気分の幸福に浸っていた。同棲相手が大家のおばさんに「やつばり前の男のことが忘れ られないのよ」などといっているとは夢にも思わぬ。隣の住人はすでに怪しき女と嗅ぎつけ て内偵しているにもかかわらず、おっさんは深く深く女を愛し、女もまた自分を深く深く愛 してくれていると思いこんでいた。 「あの女が帰って来たら、わしは受け入れてやります」 262
そんな数カ月の結婚生活の後、オリガは芸術家仲間と別荘へ行っていた。ドウィモフは二 ト一こよ 週間も会わぬ妻に会うために菓子などを買って別荘へ出かける。空腹と疲労にヘト ってやっと別荘にたどりつくと、妻は明日この村で挙げられる結婚式に出席するための衣裳 を家から持って来てくれという。 「よしよし」 とドウィモフはいっこ。 「明日帰ったらすぐ送ってよこすよ」 「あら明日ですって ? 」 オリガはびつくりしたようにいっこ。 「明日でどうして間に会って ? 明日の一番は九時に出るのに、式は十一時ですもの、今日 でなくちゃ駄目よ、どうでも今日でなくちゃ : そうしてドウィモフは「よしよし」としし車 、、、侖形パン一つ手に持って穏やかに微笑しなが ら停車場へと引き返したのである。 やがてオリガは画家のリヤポ 1 フスキイと恋をする。別荘に泊まったきり、ドウィモフが いくら帰ってくれと懇願しても帰って来ない。そうして数十日して男に飽きられ諍いをし いさカ
ての意見を聞いたのだが、その人は暫くじっと瞑目していてからおもむろにいった。 「あなたは見合いをしなさい。見合いをしてこの人は合わんなあ、と思う人がいたらその人 と結婚しなさい。そうすれば平和に暮せます」 私がポカンとしていると、その人は重ねていった。 「あなたはどうも生きるのが下手な人を好きになる傾向があります。だから好きだと思う人 とは結婚しない方が安全です」 「なるほど」 と思わず私は感心した。つまり私はあわれのない男と結婚するべきなのだ。そうすればあ われを感じてソンをすることもなく、私は平和な結婚生活を送れるのだろう。 世の中にはあわれのない男性は沢山いる。それは例えば、自分がもてぬ男であることを ちゃんと心得ている男であり、女にふられた時にもスマートにふられる男であり、自分がダ ンゴ鼻であることもちゃんと知っている男である。こういう男は新しい靴下をはいても、散 つも自分が他人の目にどう写っているかを正確に知っ 髪をしてもおかしくも何ともない。い わており、冗談やしゃれをいっても決してくどくはなく、誰も笑わないので仕方なく自分で 男笑ったりするようなこともしない。そういう人は女にももてるし、男からも一目置かれ、金
私の父は肩に力が入りっ放しに入って、つんのめって走っているような男だった。常に無 我夢中で迎えのハイヤーの時間が遅れたといっては運転手を殴り、将棋に負けたといって怒 り、草野球で負けたといってはアン。ハイヤーを殴り、渋沢栄一が大石内蔵助は田舎者であ る、吉良上野介に袖の下を届けておくのが家老としての努めであった、内蔵助がポンクラで はんばく あるから浅野家はつぶれたのだといったというのでひどく憤激し、その反駁演説会を開いた りしている。力が肩から頭にまで上って、火花を散らしているような男であった。 それで私は男とはそんな風に生きるものだと思って育った。おしゃれに身をやっす男は男 のクズで、食物に注文の多いのは″女みたいなやっ″で、おしゃべり、逃げ足の早いやっ、 金をほしがる奴、頭のてつべんから声を出すやっ、金プチの眼鏡をかけているやっ、ステッ キついているやっ、先の光った。ヒカ。ヒカの靴をはいているやっ、女に猫なで声出すやっ、そ んな男はみなろくでなしだと教えられた。 そしてその結果、私は六尺近い大男の、宵越しの銭は持たず、軍隊時代は大刀で罪もない 豚を真二つに斬り捨ててカンラカンラと笑っているような男を男らしい男だと思って結婚 し、信州の息も凍りつくような寒い夜半に揺り起されて足の水虫を掻けと命令されて眠い眼 をこすりこすり、布団の裾に坐ってビール瓶なみの大足を掻いたものである。彼は女に人権
る。 「ふうな ! 」 と私は唸った。と、私の懐疑を感じたように突如 e< 子はいった。 「山さん、どうやろ ? 」 子は心弱くも x 吉ちゃんを諦めたのである。 山さんというのは、 << 子が今の夫と結婚する前に、子に結婚を申し込んで断られた男 性である。山さんは我々よりひとまわり年上であったから、もう六十の声を聞く。 「おジイやね」 と私はいった。すると子は弱々しくいっこ。 「けど、こっちやかてもうおパアや」 x 吉ちゃんがどの程度、飽食しているかにかかっているのではなかろうか。 「ソラ x 吉ちゃんは浮気してるわ。なん・ほでも ! あの人はきっとモテるわ ! 」 と << 子は保証した。 x 吉ちゃんは昔は少しへナへナの青二才というような男だったが、今は中年の落ち着きと エリートサラリ 1 マンの自信が中年の魅力を作っているということである。それに金もあ IIO