111 ただ は、しかし冷静に、大里部落の幹部たちの基本的な意向を訊していた。 「ありや八年ば昔でしたか、大里の青年が片泊の男たちに : 「はい。中里で血の雨ば降りました。片泊の娘を犯したちゅうてエ。またも同じ大事にならんば いいと、心配しとります」 「校長先生、光枝を本土に出して、女中奉公のロは探せんとでしようか」 「この夏の最中ではね工。そんなことより、光枝さんの気持を訊くのが先決でしよう」 「訊いてン無駄です。光枝は忠一におっ惚れてしもうた」 「あよオ、ごおらしか ( 可哀そうに ) 」 れ要するに大里としては、困ったことになった、またもや両部落間に惨事が起らぬうちに、可哀 忘そうだが光枝を島の外へ出してしまおうではないか、という消極策しか思いっかないのだった。 酒匂教頭が水中眼鏡を額にはりつけて、一行を振返った。 やり 私 「さあ、一番槍を競いますか」 校長が大吉で応じた。 「やりましよう。伊勢海老はウナギのようにはいきませんよ」 教頭は夜空を仰いで、わっはつはと笑った。区長たちの深刻な話を、やはり聞いていたらし 一番槍は若武者の立てるべき手柄だった。一行の中で万里子を除けば赤間君雄が最年少だか
145 酒匂教頭が、 「殊勲賞ですよ、光枝さんは。少くとも六人は助けて来ました。家々の荷物を運ぶのも手伝いま したし、実によくやってくれました」 と、報告する。 星島校長がニッコリ笑いながら、さりげなく区長に申し入れた。 はっさく 「八朔の祭には、片泊で光枝さんを表彰してあげて下さい、区長さん」 「ンんん」 区長は、どぎまぎしたが、すぐに威儀を正した。 れ「おいの弟が嫁ば梁の下から助け出したは、あのおごじよやったわいねェ」 応男尊女卑の気風がある片泊では、女をめらと呼ばずにおごじよと呼んだときは、相当に相手を 認めた場合である。それにしても教員は別として、二つの部落同士が互いに助け合う習慣のない けぎら 黒島で、大里の娘が大風の片泊で人命救助をしたのは稀有の事件であった。大里の人間を毛嫌い していた片泊の人々は、二百余人も一カ所に集りながら、光枝に一声の声も浴せることができ ずにいる。素直に感謝がロに出せす、ともかく戸惑っていたらしかったが、区長が態度をこう示 してからは、ごそごそと動いて、忠一青年の隣に場所を空け、光枝をそこに坐らせた。暗黙の裡 に二人の関係は認められたのである。 暗黙といえば、日はとつぶりと暮れてきていた。風は、しかしまたすっかり止んだわけではな みんなが校舎の中で夜を明かすことになった。 けう
司会者が紹介しないうちに、三人は声を揃えて歌い始めた。校長たちライトマンは、一斉に三 人にむけて照明を当てた。万里子のドレスのスパンコーレ : 、 / カ目も眩ゆいほど光りきらめく。 三番まで歌っているうちに万里子は酔い始めた。忠一と光枝の間で、二人につかまって足のふ らっくのを我慢していたが、歌い終っても自分の席には戻らず、部落の人々の田こ 「 : って入っ て、人々と握手を始めた。内心、おや酔っているなと心がとがめたが、酔っているときの行動を 抑制できるものではない。 「きれいかねえ」 「よかべんじようねえ」 れ大人も子供も、万里子の華麗なドレスを珍しがり、手に手にスカートにふれてみたりしたが、 忘万里子は不愉快とも思わなかった。 私 そろそろ消燈の時間も迫り、会は賑やかに閉じようとしていた。万里子も一渡り島の人々と握 手をかわして自分の席に戻って来た。 「お水がほしいわ。お酒の入っていないの下さいませんか . 誰かが、すぐに駈けて行った。 「いや、万里子さん、実に愉快です。毎年盆踊りはありますが、今年はお客さまを迎えたので、 例年より楽しく盛大なものになりました。お礼を申します。失礼でなかったら、私にも握手をさ せて下さい」 にぎ
にお下げにしばって、黙々としていもを掘っている。少しも手を休めず、掘り出したいもは後で まとめて、籠に入れるつもりらしい。 と、名を呼ばれたのか、下の方を振返った。若者が、大きな籠を担いで登ってくる。やがて彼 は、光枝に何か話しかけながら、畝の外に出ているいもを拾って、籠の中にぼいぽいと放りこん だ。 「片泊の恋人だわ。光枝さんを手伝いに来たのね。凄い愛情」 「片泊もいも掘りの最中でしようからな , しか ひげ 「チョビ髭の区長さんに叱られないかしら」 れ酒匂教頭と万里子が話している間にも、忠一と光枝は働き続けて、見る間に籠は一杯になっ 忘た。忠一が背負う。光枝はしばらく名残り惜しげに山畑を降りて行く恋人を見送っていたが、や がて元のように斜面にかがんで手鍬を振り出した。 「そろそろ私たちも校舎へ戻りましようか」 教頭は立上って、小さな籠の中のいもの数をかぞえながら、万里子をうながした。 あぜみち 気をつけないと前へのめりそうな急な傾斜の畝道を、二人は忠一の後を追ったが、とても追い つけるものではなくて、間もなく彼の姿を見失った。 頭も顔も汗みずくになっている教頭は、黙ってひたすら道を急いでいた。万里子は彼のその表 情から、ひょっとして教頭は忠一が大里のいもを片泊に運びこむのではないかと疑っているのだ ろうかと思った。乏しい食物しかない島では、これほどの重罪はない筈たったから。 すご
「魚は常住泳いでいます。夕方つからは釣りに出かけましようか」 話しているときに、子供たちがようやく万里子たちの観察を終えたものか、二人、三人と素裸 になって、海の中に飛込んだ。細い体なのに、さすがに達者なもので、泳ぐのも、もぐるのも素 早かった。 君雄の組の生徒で、「先生は来年までおっとかい ? 」と質問した男の子が、長い間もぐってい たが、十メ 1 トルも磯から離れたところで顔を出して、 「光枝あんねェッ」 と、叫んだ。 れ「えらいぞ、すごいぞ」 忘酒匂教頭が、どなり返した。 子供は、魚の尾を撼んで、持ちあげて、みんなに見せたいところなのだが、何分にも魚が大き すぎて、片腕でこちらへ泳いでくるのが精一杯なのだった。 子供は光枝の名を呼んだが、本心は万里子に自分の手柄を見せたいのに違いなかった。わざわ ざ万里子の傍へ泳いできて、 「光枝あんね工、受取れェ」 と、云うのだった。 「五郎君、東京のお客さんにあげませんか」 教頭が云うと、はにかみながら、教頭の方に魚を差出した。受取りそこねて、魚はコンクリー
「ええ、次は村越忠一君と、日高光枝さん。流行歌を歌われるそうです。どうぞ皆さん盛大な拍 手をもって、お迎え下さい」 二人は、大そうてれながらマイクの前に並んで立った。唱い出したのは、「星はなんでも知っ ている」である。忠一は勢よく、しかし調子つばずれな大声を出した。光枝の声は滅多に聞きと れなかったが、忠一が歌詞を間違えたときは、小声で訂正した。すると必らず忠一は歌い直す。 「いいわね。あの二人は、結婚できるんでしよう ? 」 チョビ髭の区長に囁くと、やむを得ないと云うような、しかし無念の表情で、 「ンんん。われの云うたテス : : : ほれ、あいじゃ」 れ「テストケース」 忘「そがんことでごわす」 万里子は一人で祝杯をあげた。一息に茶碗の中身を飲みほしたのである。水を割ってあるとい にお うことだったが、かなり強く、匂いも鼻をついたが、その勢で彼女は酒匂教頭に向って叫んだ。 「私も唱いたいわ」 「どうぞ。是非お願いしたいところです」 万里子は退場しようとする忠一と光枝をつかまえて、 「一緒に唱いましよう。南国土佐はどう ? 」 「知っちよります」
「イルカに追われて来たのかもしれませんな。それでなくても、この季節には、ハチキ、イシダ イ、シロ・タイ、メ カツオ、さまざまなものが釣れるのです」 説明している時に、青黒いかたまりが浮上ってきて、ガブッと擬似餌に喰いついた。 万里子が叫ぶのと、教頭が竿をはねあげたのと同時たった。大きな魚が二人の頭の上を躍っ て、背後のコンクリートに叩きつけられた。カツオに似た大きな魚が、打撲傷にもめげずにはね まわるこ 「ソウジですな。一貫五百はありますな」 れ教頭は釣針と餌を魚の口から抜きとると、あとは未練げもなく、ソウジを背後の魚の山の方に 忘投げ込んでしまった。 はねては海の方へ逃げようとする魚を、光枝が一人でつかまえては奥へ投げこんでいる。海に 入っているのは男はかりで、見ているのは小さな子供ばかり、女は万里子と光枝だけしかいな 先刻一番槍の名乗りをあげた若者が、また大物を仕止めて、水の上を抜き手を切って泳いでく ると、光枝が駈け寄るようにして魚を受取った。大里の部落中が同じように丸い顔をしている中 で、その若者の細長い顔と、気の強そうな眼つきが目立ったので、万里子は覚えていたのであ る。 あきら 小魚ばかり二匹ほどひっかけた星島校長は今日はついていないと諦めたものか、ヒッカケを やり
子供たちの足がずらりとぶら下っている桟橋の下まで平泳ぎで行って、万里子は子供たちに話 しかけた。 「どう ? 坊やたちも泳がない」 みんなはにかんで返事をしなかった。それどころか、一人、二人と足をすっ込めて、向うの方 に行ってしまった。 「泳げないの。そんなことないでしよう ? 」 屈託なく笑いながら、万里子はセメントでかためた桟橋の端につかまって、身軽にひょいと上 ょに上った。 れ ニュ 1 ロンのシビリアン・・フ ル 1 は水を吸うと本当に地中海の色はこんなだろうかと思うほど 忘青さにコクが出て素晴らしかった。万里子は全くいい気持で、おもむろに肩にかかった細い紐を - 」うらほ 外して甲羅干しにかかった。背中に、人々の視線がはりついているのが分る。早鳥カメラマンは うぬば 私 失望したボリュームのない体だが、当人は自惚れというものを充分持っていたのたった。 得意で観客の表情を見ようと振返ったとき、さっき教頭から光枝と名を呼ばれた娘が、粗末な プラウスを着て、坂道をかけ降りてくるのが見えた。 と、反射的に、万里子は水着の紐を肩にかけ直して、もう一度水に飛込んだ。 海水の抵抗は、かなり強かったが、万里子は夢中で底にもぐっていた。どういうわけで光枝の 姿を見たトタンに飛込んだのか、自分の気持がよく分らなかった。ただ分るのは、半裸の光枝を
好奇心で見過した万里子が、光枝が粗末なプラウスを着て現れたのを見たとき、彼女が万里子と おなどし 殆んど同い齢なのに気がついたことである。 都会の子と田舎の子が、同じ海辺で邂逅するということは、よくある光景である。そのとき田 舎の子が少々都会の子にコムプレックスを持っことがあるということも、考えられることであ る。だが、無邪気に坂道をかけ降りてきた光枝に、万里子に対するコム。フレックスがあるとは考 えられなかった。先生に注意されたので上着は着てきたけれども、光枝が海の傍にやってきたの は、ただ万里子が泳いでいるのを見物するためであったのは間違いない。島では滅多に見ること のできない珍奇な見せ物を見に来たのだ れだから私の方が、却って負け目を感じてしまったのだろうか、と万里子は忙しくあれこれ考え 忘ていた。夢中で両手で水を掻いていると、指先に何か当った。岩にしては柔かいがと、はっとし て眼を開けると、目の前を大きな魚がヒラヒラと泳いで過ぎた。 私 魚類に関する知識を万里子はあまり持っていない。ただ、水族館以外の場所で、魚の泳ぐのを あた 目の辺り見たのはこれが初めてだったので、しばらく魚の後を追った。まったく大きな魚たっ きら た。鯛のような形をして色は全身がオパールのように燦めき、ふとした瞬間は黒真珠のように光 る。万里子を同族と思っているのか、追われても逃げる気配はなく、悠々たるものだった。 息が一杯になったので、プクプクと泡を吐きながら万里子は浮び上った。 「お魚がいましたよ」 酒匂先生に真面目な顔をして話しかけながら、万里子は上に上った。
ー 28 「ご免なさい。でも、皇太子がこんなところで話題になったのが、どうにも面白くて我慢できな かったんです。ですけどね、区長さん」 「ないや」 「どうして忠一君と光枝さんの恋愛はいけないことなんですか」 「昔つから大里と片泊とは嫁とり婿とりばせん仲ですでエー 「どうしてですの」 「どうしてもこうしても、仲が悪ければ自然そうきまってきちよるわい」 「今でも仲が悪いんですか」 れ「ンんん」 忘「どうして」 「大里は怠けもんで、片泊は働きもんで、気風が違うて肌が合わんとです」 「肌が合うか合わないか、忠一君と光枝さんをテストケースにしてみればいいのに」 万里子が遠慮なく突っ込んで行くので、さすがの酒匂教頭もはらはらしてきた。 「ま、この話も、いずれ星島校長にまかして頂くとして、今日はこれで失礼しましよう」 「まず待て」 区長は万里子をじっと見て、 「いま云うたは、なんかいねえ」 「テストケースのことですか」