声 - みる会図書館


検索対象: 老兵は死なず
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1. 老兵は死なず

売春をして借金を返す。それがなぜいけないのか。そうでなければ借金を踏み倒すか、 泥棒するか、詐欺をするか、一家心中か : : : もしも一家心中をしたら人はいうでしよう。罪も はず ない子供を道連れにするくらいなら、何でも出来た筈だ、と。そういわれると、売春は人に迷 惑をかけない一番の方法です。正当な取り引きです。それが何が悪いフ いや、それは : はぎれ と歯切が悪くなる。 我が身を犠牲にして家庭を守る ! その悲しい辛い必死の頑張り、尊い母性愛を非難出 来る人はいない筈ですよ : それは : : : そういわれれば、そうかもしれないけれど : とだんだん自信をなくして行く。弱い人、カのない人の苦労を思い遣ることの出来ない人間 ′」うまん は傲慢です : : : という声が聞えてくる。その声に負けじと元気をふるい起し、そもそも、サラ 金から金を借りればどういうことになるか、しつかり考えもしないで簡単に借りるものだから、 後で売春しなければならなくなる。そのいい加減さが許せないー と方向を転しると、又、声。 そんなこというけど、貧しければしようがないでしよう : い人への思い遣りがない。健康な人は病人の気持がわからない つら ・ : 貧しくない人間には、貧し

2. 老兵は死なず

昔はこんなことはなかっただろう。「年寄りを敬うーという風潮が日本の津々浦々に行き渡 っていた頃は。 この敬老精神がなくなって、今は、老人を敬うのではなく「いたわりましよう」という時代 になった。、 しや、いたわりましようというのは「敬老の日ーだけで、あとの日はいたわること など忘れてる。だからこういうことが起るのだ そういって唸っているところへ若い編集者が来ていった。 「しかし、六十では今は年寄りの中に入りませんからねえ。だいたい、佐藤さんが元気すぎ るのがいけないんですよ。歩くのは早いし、声は人一倍大きいしね。いたわる必要を感しさせ ないんです。いたわられようと思うのなら、せいぜいョポョポするべきですねー それはウスウス私も気がついていた。私は人前に出るとなぜか元気に振舞ってしまうという 厄介な習癖があるのだ。しかも腹を立てるとますます元気そうになってしまう。飛ぶように歩 りんりん もぎ、声が凜々として来る。頭が割れそうでも、しゃべりまくる。 み 弘前講演を聞いた人があとでいった。 の だいししく 劇 悲 「いやア、佐藤さんはお元気ですねえ。とても六十の人の声とは思えない。大獅子吼ともい うべぎ講演でしたねー 大獅子吼の原因はライトバンにあったとは、誰も想像出来なかったであろう。そこに私の悲

3. 老兵は死なず

行った私に、何とも無邪気な声がいった。 「あのー、ファンの者ですけど、べつに用はないんですけど、ちょっとお声を聞きたかった もので。すみませんでした」 その時私は出来るものなら、そいつの首を締め上げて、「責任をとれツー と怒鳴りたくな った。しかし電話というものは、怪しからんことには、先方の意志で勝手に切れてしまうもの で、追いかけてとっちめるにも追いかけようがないのである。 話は変るが、先般タモリさんに会ったら、どうしてこの頃の人間はああ無遠慮なんだろうと 憤慨していた。タモリさんがエレベーターに乗っていたら、女の子が入って来て、 「タモリさん、かわいい : といっていきなりホッペタを撫でたという。 人 「で、どうしました ? 怒ったんですか ? 星 な私が訊くとタモリさんは一瞬、複雑な表情になって、 ら 朗 「怒りませんよ .

4. 老兵は死なず

188 おててもきれいに なりました」 と歌いながらスキップで出て来て、弁当箱の、白いご飯の横の方に入る。と、弁当箱が傾い かばん て、おかずたちはど、どっと脇の方に寄ってしまう。学校の頃、鞄に入れた弁当を昼食時間に 開けてみると、片方に寄っていることがよくあった。それを思い出して私は、この時も大いに 拍手したものだった。 特に私が感激したのは、高校生の声がわりの声が、 「おべんとおべんと うれしいな」 とスキップしながら歌ったことた。暴力学生の輩出におとなたちが困り果てている今日この 頃である。この若者たちに向って私は、 「無邪気でいてくれてありがとうー しいたくなる。 するとなんでそんなつまらないことに感激するのか、と一緒にいた友達が笑うので、私は説 明した。 「あなたみたいにエリートの息子を三人も持ってる人にはわからないのよ。暴力ムスコに悩 わき

5. 老兵は死なず

男の声「ハイ」 それで終りである。 しようち・ゅう これがタコハイという缶入り焼酎のであることがわかるのは、田中裕子が消えたあとタ コハイ缶が現れるからで、それがなくては何のことやらさつばりわからない。 「タコー「ハイ」と呟いているあの声の主はそもそも何者なのか ? あれはタコハイ缶のひ とり言という思い入れなのであろうか。それともタコハイのマークのタコの、春の徒然の呟き なのか ? それともタコハイを飲みたいと思っている男が、寝一言のフリをして催促しているの 私がそう切り出すと、待っていたように同感する者と笑う者の一一派に別れた。同感組は大体 において六十歳前後で、笑い組は四十歳以下である。もっとも笑う者の中には、本心から笑っ ているのと、本当は同感組なのだが若ぶりたくて無理に笑っているのもいるようだったけれど。 「そんなことは考えなくていいんだよ」 と四十歳の甥はいう。 俶「考えなくていいたって、いったい何を伝達しようとしているのか、考えてしまうんだもの しようがないよ」 「だからさ、フィ ーリングなんだから : : : 理屈じゃないんだから : : : 何となくわかればいし かん つれづれ

6. 老兵は死なず

136 「どうする ? と中山さんは笑っている。中山さんが笑うのは、これから始まるであろう私の憤激のタッマ たんゅう キを予想したためで、他の人なら怖れて慄えるところを中山さんは笑うという、胆勇の人なの である。 私は憤るよりも先に、我が耳を疑った。 満天下の読者諸君 ! これが「テレビ界」というものなのである。ここでは一切の常識も義 理人情も礼儀もない。人を人として尊重する気持が根こそぎなくなっている。あるのは鈍磨し た感受性と手前勝手な、その場その場の反射神経だけだ。 いかなる事態に晒さ 何よりも怪しからぬことは、彼らは自分の方から声をかけさえすれ。よ、 れようとも、人は皆、喜んで出てくるものと思いこんでいることだ。 佐藤愛子を出演させたいと考えた時、普通の人間ならば、この前の盗難の件をあれきりにし たことを思い出して、この出演依頼は無理だ、と思うであろう。 それを彼らは思わぬのだ ! 声をかければいつでもノコノコ出て来ると思っているー 非礼を非礼と感じないこの人間性の磨滅 ! とここまで書いて、紙数の尽きたことに気がついた。えーと、 ふる いったい、私は何を書こ さら

7. 老兵は死なず

実を生きていたからである。別れ、死、飢え、家の焼失、一家離散ーーそれらはすべての日本 人の上にふりかかる災厄だった。皆が同一の不安と不如意を抱えていた。不幸の苦痛は共通の ついや ものだった。だからことごとしく一一一一口葉を費さなくてもわかり合えたのだった。 ある日のことである。ふとテレビをつけたら、午後のワイドショウで主婦売春の実態をレポ ートした後らしく、丁度しめくくりの言葉を女性司会者が述べているところだった。三十代後 あふ 半か、四十過ぎたばかりと見受けられるなよやかな女性司会者が、優しさが溢れる細い声でい っていた。 「女の人もほんとうに強くなりました。女子大生売春なんかと違って、この方々はサラ金の 借金のために働いていらっしやるんです。どうかがんばって一日も早く借金をお返しになられ ますように : : : お母さまがそこまでして自分を育ててくれたんだなあって、子供さんも大きく なった時は、きっとわかってくれると思います : 私は我が耳を疑った。聞き違いではないとわかって、呆気にとられた。女性の口から売春が 肯定的に語られるのを初めて聞いたからである。ああ、時代は変った。価値観多様化の時代と まわ いわれているけれど、まさしく私はその渦中で目を廻しそうである。売春をテレビで激励する としいかけると、頭の隅からこんな声が聞えた。 人がいるとは : ふによい あっけ

8. 老兵は死なず

202 前から一度、誰かに訊いてみたいと思っていたのだが、しかし、こういうことを訊いてはあ まりに時代遅れ、いや、ティノウと嗤われるんじゃないかという気がして、ロに出せなかった ことがある。 それを先日、母の十三回忌の法要の後、集ったのは身内ばかり、この席では恥をかくことも なく、相手を当惑させることもないと思って口に出した。 それはテレビに出てくる「タコハイーのである。 すわ 田中裕子が坐っていて、突然、 どいう。すると男の抑えた声が、 「タコ」 つぶや と呟く。 田中裕子「アハハ」 今、なぜタコか わら

9. 老兵は死なず

私は困った。その短篇集は生活のために読物雑誌に書き散らしたものを集めたもので、男と 女の風俗を面白おかしく書いたものにすぎない。しかし、高校生がよりにもよって、なぜそん なものを読んで私に会いに来る気になったのか。それが知りたい。 「そのほかにどんなものを読みました ? 」 「これ一冊ですー 「一冊だけ にカセットを置き、スイッチを入れると、涼やかな声の女の子がおもむろにいった。 「えーと : : : では、訊いていいですか ? 」 どうそ」 「佐藤さんの小説を読んだんですけど、おとなの世界って、あんなに浮気ばっかりしてるん ですか ? 」 私、絶句。気をとり直していった。 「私の、何をお読みになりました ? 「『悲しき恋の物語』ですが : ・

10. 老兵は死なず

しばらた 「入ることは入るだろうけど、暫く経ってから、『ここ、どこですか ? 』ってポーツと出て くるわね」 「遠藤周作さんは ? 「「さあ ! みんなで行こうぜ ! 』とか元気よくいって、編集者の藤本さんを先に行かせる」 「戦うのは藤本さんなの ? 「多分ね」 「じゃあ色川武大さんは ? 」 「入っても途中でグウグウ眠ってしまう 「菊村到さんは ? 」 「入って行くけど、暫くすると、消し忘れたテレビの中から声が聞えて来て、『おー 上イ、ここだ、ここだ』ってね」 「つかまっちゃってるの ? 」 「そうよ」 「川上さんは助けに行く ? 」 「いや、開けかけた便所の戸を急いで閉める」 娘は翌日になってもまだやっている。