娘への礼儀としてそういったが、本当はあの男は、穴の入口で、 「まあ待て ! ここで考えねばならんことはだな、いったい、一尸棚の奥が幽界に通じていて、 天井が出口だという、それが意味するところのものは何かということたが : げんか などと非現実的なことをいってぐずぐずし、私は怒号して娘を助けるよりも夫婦喧嘩がはじ まる、ということになるだろう、と心の中では思っている。 いったん緩急ありたる場合、男はそれほど頼りにならないことを、私はイヤというほどこの 目で見て来た。 真に強いのは女である。この母親だって、大風が吹いているのに子供部屋のカーテンも閉め てやらないような、毎晩テレビを消し忘れて寝るような、突然椅子が積み重なっていたり、床 をすべって来たりする怪奇現象を、不気味にも思わず喜んでいるような、暢気な母親だったの いよいよ たちま 彼女の中に潜在していた だ。それが愈々事態がただならぬ様相を帯びてくると忽ち変化した。 , 力が噴き出したのである。女はいったんその力が噴出すると、戦う対象以外は何も見えなくな 見つてしまう。見えなくなることによってカは増幅され、彼女はそれに押されて無意識のうちに 画変化するのである。 昔、男たちはその力を「母性愛」という言葉の中に押し込んで、勝手な時だけ讚えて利用し て来た。だがそれは本来、「女の力」と呼ぶべきもので、これと同じ力は男には持ち合せがな のんき たた
アメリカの母親ってそんなものか。いや、アメリカだからそうだというわけではないだろう、 日本の若い母親も同じようなものだろう。まったく、しようがないねえ、と思いながら私は見 ている。 また子供も子供だ、そんなに怖ければ起きてカーテンを閉めればいいのである。ものぐさ しか いや、それともお前はノータリンか ? と叱りたくなり、それから、そうか、カーテン を閉めに立つのも怖いのだね、と気がついて思い直す。 そうして子供が怖がっている時、親たちは何をしていたかというと、夫がマリファナタ。ハコ を巻け、などと妻こ、 冫しい、これからマリファナタバコを吸って、それから何をするつもりなん だ : : : と私は苦々しく思うが、やがて怖くて我慢出来なくなった二人の子供が夫婦の寝室へや って来て、ダ・フルべッドの真中、夫と妻の間に寝てしまう ( こういうところは面白い ) 。 その翌日もまた、夜になると大風が吹き荒れている。地震と停電が起る。しかし朝になって 隣近所に訊くと、どこにもそんな異変は起っていないのである。 とどろ その夜、またしても雷鳴が轟き ( カーテンはまた閉めてない ) 大風と共に子供部屋の窓ガラ スを割って、かの大木がなだれ込み、少年に襲いかかって外へ引きずり出す。物音に駆けつけ ようや た父親は大木と格闘して漸く息子を助けるが、その間に五歳の末娘がいなくなっているのだ。 そのうちに居間のテレビの中から、末娘がママ、 ママと呼ぶか細い声が聞えてくる。末娘は
160 す。 とにも気がっかないのである。 「こら、よく聞きなさいー わたしや、お前がキライなのよー ばじとうふう いくらいっても馬耳東風。そこいら中走り廻りながら、突然肩にかけ上って忙しく首筋を嘗 めまわし、髪を噛んで引っぱる。 こっちは本気で腹を立て、頭を殴って庭にほうり出す。ほうり出されて転がったついでに走 り出して、母親のチビのところへ噛みつきに行き、 「ウワン , 一喝されている。親にも嫌われているのだ。 ところが、この憎まれものを、嫌っていないのが一人、いや一匹いる。父親のタロである。 タロはストライプを我が子と思っているのかどうかわからないが、追いかけっこをしたり、ふ ざけたり、仲よくしてやっているのだ。二匹がふざけているのをチビは、 「ふンー といった顔で横目で見てニガニガしげ。二匹が近づいて来ると、プイと立って遠くへ坐り直 か か すわ
タイムカプセルで : : : となる。 と、別の人、 リのおばさんが 「私は母親教育をやり直さなければ、と思うんです。この間、ある町でミ たちま 急病で休んだんです。それで横断歩道で旗を振る人がいなかった。すると忽ち小学生が車に跳 ね飛ばされるという事件が起きたんです。と、その子供の母親が怒って教育委員会を訴えると けが のおばさんがいないからうちの子供は怪我をした。その責任をとれといってね」 「そんなことー リのおばさんがいなければ横断歩道を渡れないなんて、それじゃあこ の世の中、生きていけませんよー 「しかしこれは特殊の例じゃありませんよ。こういう話はいつばいあります。今に子供が木 に登って落ちたのは、こんな所に登りたくなるような枝ぶりの木があるのがイカンのだといわ れて、木の持主は告訴されることになりかねません」 「とにかく母親の自覚が先決ですよー 「今の子供は作られるべくして作られた子供たちですよ。何でもかでもひとのせいにするこ とを母親から教えられるのですからー 「ではその母親たちを、どうして自覚させますかー 「うーん :
乗ると、五、六人は似たようなタイプがいそうな、特徴のない男である。妻の方もまた、特別 の美人ではない。色つ。ほくもないし、見るからに理知的というわけでも、しつかり者というわ のんき けでもない。ショート。ハンツを穿いて、暢気に陽気に家事をしている。子供が朝食のパンをテ ープルの下で犬にやってしまっても気がっかないような、大ざっぱな母親である。 だからこの家では夜、テレビをつけっ放しにして眠ってしまうのである。事件はこのつけっ 放しにされたテレビから始まる。五歳になる末娘は深夜、そのつけっ放したテレビに呼び寄せ られたように起き出して、何も映っていないテレビの前に立って、テレビの中にいるらしい存 在と話をしはじめるのである。 母親はそれを見て、自分には昔、夢遊病の気があったので、末娘もそれにちがいないと夫に 語る。別段それほど心配はしていない。二人は大きなダブルべッドにのんびりと寝転がってそ んな話をし、夫は妻にマリファナタ、、ハコを巻け、と命じたりしているのだ。 おおあらし だがその夜、外は大嵐なのである。七歳になる男の子は一一階の子供部屋の、窓ガラスの向う 見に見える大木が風に揺らぐのが怖くて眠れない。怖いからそっちの方を見るまいとするのだが、 みまわ 画目が行ってしまう」さっき、母親が子供部屋を見廻りに来て電気を消し、キスをして行ったの だが、その時に彼女が窓のカーテンを閉めて行きさえすれば、子供はそんなものを見なくてす むのである。それを閉めないで行ってしまった。
けてくる子供の声は、母親の返事によく反応するからである。 母親は敢然として怪しい光を放っている戸棚の奥へ入って行く。そうして彼女はやがて子供 をしつかりと胸に抱いて、幽界からの出口である居間の天井から落ちて来る。母の力は子供を 助け出したのである。 忘れた しかし話はそこで終ったわけではない。子供を奪い取られた幽界の死霊たちは ( いい 引、ここは古い墓地であった。このポルターガイストは、そこに埋葬されて が、この家が建つ蔔 ふくしゅう いた死者たちの霊が起したものだったのだ ) 怒り狂って、総力を挙げて復讐に出るのだが、こ こではもうそこまでは書く必要はないだろう。 映画を見終って、私と娘はぶらぶら夜道を歩きながらこんな話をした。 「もし、私があの子みたいに攫われたら、ママは助けに穴に入る ? 」 いったい中はどんなになってるのか、 「それは入るわよ。あんたが攫われたのでなくても、 好奇心に駆られて入って行く」 すると娘はいう。 「。、。、まどう力しら ? 。ハバとは十五年前に別れた私の夫のことである。 「。ハバカ : : : それはやつばり、入るでしよ」 さら
してのワースト度が一位とか二位とかだそうだが、他人の目にどう見えるかを考慮せずに正直 にものをいう点が私と似ているので、親近感を覚えている一人である。たから出てもよいとい う気になった。 出演の日が決り、ディレクターが打ち合せに来たが、この人もなかなかものを真面目に考え る人と見受けた。私は、「今の日本、文化、文化と二言目にはいうけれど、いったい文化とは 、あれやこれや例を引いて縷々述 何であるか」というようなことについて話したく思うといし べた。 ディレクター氏はいたく喜び、こまごまとメモをとってこの番組ではそのような話は少ない から、たいへん結構だと思います。といって帰って行った。その時、玄関先で靴を履きながら 彼はいった。 「ところでお嬢さんは、そろそろご結婚ですか ? 」 「とんでもない。そんなこと、私も娘も考えたことありませんよ。第一、私みたいなうるさ もら い母親がいたのでは、嫁の貰い手がないわ」 「アハ とディレクター氏は快活に笑いながら帰っていった。 さて、当日、テレビ局へ行き、スタジオに入った。 まじめ
かわい とあったそうで、なかなか面白い、可愛い、少年らしい反逆の手紙なのであゑこの手紙を 読んだだけで、 ( の母親はいざ知らず ) 少なくともおとなの男であれば、カンラカンラ ほほえ と笑って応援したくなるものではないのか。応援しないまでもその覇気と稚気を微笑ましく思 うのではないのだろうか。 ところが週刊 ()n 誌の記者の筆致は面白がるどころか、へんに風に ( 下町のでは なく、エリート校の <) マジメでイヤミなのだ。 桐島さんはその著書の中で、 「私は自由という観念に固執するわけではなく、ただそれがなければたちまち呼吸困難にな るという厄介な体質にできる限り従順に生きているだけですー と書いているように、根っからの自由人なのである。妥協を嫌い自己の欲求に正直に生きて 来た人なのだ。そういう生き方をして来た以上、子供たちが「世間一般のヨイ子ーとは違う個 方性の人間に育って行くことはおそらくは覚悟の上にちがいない。現に桐島さんは、 「子供が学校に行きたくないなんていい出したら、私だって一応文句はいいますよ。しかし の ロ 本人がどうしても行きたくないというものを、首に縄をつけて無理に行かせるわけには行きま せんからね。行きたくないんなら行かないでいいんじゃないか、とほうっておくことにしてる んです」
強い高い声がそういし 、自分はおしん以上の苦労をして来たのだと、苦労話を長々と始める。 「そやからね、私、ハラが立ちますねン。あんなもんに感激して泣くなら、自分の母親の苦 労を考えて泣いたらどうや : : : そういうてやりたいですワ、ほんまに。佐藤先生、いっぺん、 ポエーンというてやって下さいな。私らの代りに : : ほんまに、この頃の世の中、どないにな ってるんですやろ : : : 」 しん 全く私も心そこ、そう思う。 見ず知らずの人が時間かまわず用もないのに電話をかけてくることは、二十年か三十年前の 常識にはなかったことである。その頃は旧知の間柄でも、電話をかける時は先方の都合を考え たものだ。食事の時間は外す。早朝深夜も遠慮する。今頃はお風呂へ入っている頃ではないか、 又食事の支度をしている時ではないか、あれやこれや心を配ったものだ。やむなくかける時は、 「ムスお話してもよろしいでしようか あいさっ くらいの挨拶はした。 まわ だが今は、ひょいと思いつくと時をかまわずダイアルを廻す。相手の都合も聞かずにしゃべ り立てる。その電話のために、裸で風呂場から走り出たり、書きかけの原稿を中断させられて、 そのつづきを忘れてしまうことがあるなどとは決してその人たちは予想しないのである。 ようやしょこうさ 一週間の便秘に漸く曙光が射しはじめた時、チリンチリンと電話が鳴って、トイレから出て
どこかに捉われているのである。 やがてこの家に超心理学の権威である女博士が来る。そしてここにはポルターガイスト ( 心 霊現象を起す力 ) が働いていることを指摘するが、その間にもさまざまな怪奇現象が起り、調 理台の牛肉が動き出してみるみる腐り、ウジが湧き出たりするので、女博士の助手の一人は逃 あふ げ出す始末。博士は超能力者のおばさんを連れて来る。おばさんは自信に溢れ、この強力なポ ルターガイストの正体は子供部屋の戸棚の奥に通じているという。末娘は戸棚の奥につづいて いる幽界へと連れ込まれているらしい。入口があるからには出口が必ずある、とおばさんはい う ( 私は必ずしもそうとは思わないのだが。映画館だって入口から入って入口から出るもの。 もっとも見世物のお化け屋敷は入口から入って出口から出るからこの場合、それでよいのかも しれない、 と思い直す ) 。 ところでその出口はどこか、ということになる。出口が見つかれば、そこから末娘を助け出 すことが出来るかもしれないのである。おばさんがためしに入口からポールを投げ込むと、あ 見らふしぎや、そのポールは階下の居間の天井から落ちて来て、そこが出口であったことがわか 0 たのである。 そこでいよいよ末娘を助けに戸棚の奥へ入ることになる。誰が彼女を助けに行くか。霊能者 のおばさんは、自分が助けに行くよりも肉親の母親の方がいいという。テレビの奥から呼びか とら