そう考えることは世間のルールから外れていることなのた。だからその時点で ( ルールを無 視したことによって ) 私は孤立するのである。あなたの善意が彼を甘えさせる。彼を立ち直ら せるためには、きびしくしなければいけないのだ、と人はいう。しかし私はそんなこと ( 彼の うそ ためになるかならぬか ) よりも、それが嘘か本当かを知りたい。 私が死んだ後、私の周囲の人は私のことをこんなふうにいうだろう。 「あの人は変ってました。我儘で、怖い人でした。年中怒ってばかりいるのに、 ヘンなとこ ろで、気が弱くてお人よしでした : それを聞いて私の霊はチガウ、チガウと叫ぶが、私は死んでいるのでどうすることも出来ず、 もしかしたら、「佐藤愛子は最後までくだらない一人の男になれぬいていた情熱の女である、 というような風説が定着するかもしれない。 わがまま
かわい か。いったいどうなるんでしよう。可哀そうに、その婚約者の人は何も知らずに、先生にチョ ッキを編んでいるんですって。私、見ているだけで腹が立って腹が立って : : : 私だけじゃない。 皆さん、ヒンシュクしていらっしやるんです。こんな時、佐藤さんだったらどうなさるだろう なアといつも思いますのよ : : : 」 「はア : : : きっと怒るでしようね 面倒くさいので口から出まかせをいう。 「でしよう ? そうだと思いましたわ、一度、お忙しいでしようけど、私の方ので講 演していただけないかしら : : : その時に、ビシッー といって下さいな。教育の場に正義はな くなったのか、というような話、していただきたいわア : : : 是非、是非 : なんで私が、ジョギング亭主を裏切って、子供の担任教師と浮気をしている奥さんを怒りに、 埼玉県まで出かけなくてはならないのか。私はいった。 「そんなにお腹立ちなら、あなたたち皆さんでおっしゃればどうなんです ? 」 電話の主はこともなげにいった。 「私が ? それはダメですわー 「どうして ? 」 「だって、そんなこといおうものなら、たいへんですもの」
私「ちょっと伺いますが、東京駅へ行くにはどう行けばいいんですか ? 霞ヶ関の改札係「丸ノ内線に乗って下さい」 私「だから、丸ノ内線に出るにはどう行けばいいんですか ? 」 ひびや 改札係、面倒くさそうに「日比谷線のプラットホームに出る」 私「え ? 」 改札係、声を大きくして「日比谷線のプラットホーム ! 」 耳が遠くてその答が聞えなかったわけではない。丸ノ内線に乗るにはどう行けばいいのかと 聞いているのに対して、「日比谷線のプラットホームーという答は不思議であるから聞き返し たのた。だがもしかしたらプラットホームの右側が丸ノ内線、左側が日比谷線ということにな っているのかもしれない。そう考え直して、 私「じゃその日比谷線のプラットホームは ? 改札係「これを真直行って階段を降りるー 私「そこは日比谷線ですね ? 」 改札係「そのプラットホームを真直行く 私「え ? 」 改札係「真直行く」
「どうたいへんなんですか ? 「がうまく行かなくなりますもの。それにそんな憎まれ役、誰だっていやじゃありま せん ? 」 ムま、つこ。 「つまり、その憎まれ役を私にしろとおっしやるんですね ? 彼女は笑っていった。 「だって佐藤先生は憎まれ役に馴れていらっしやるんでしよう ? やつばりねえ。怒るとい うことはひとつの才能だと思いますのよ。誰にでも出来るものじゃありませんわ。ですから、 ししたいこと , もいえ お願いします。もっともっと、どしどし怒って下さいね。それで私たち、 りゅういん ない者は溜飲を下げているんですから : : : 」 もしも私が「もっともっと、どしどし」怒ったら、勝手なときに勝手な電話をかけてきてし 人やべりまくるあなたはどうなるか、わかっていってるのかツ、と私は怒鳴りたくなる。そんな なつまらない話を聞いていて、私は楽しみにしていたテレビの「風と共に去りぬ」を見損なった ではないか。私も気が長くなった、年をとったんだなあ、と思うのはそんな時である。 朗 先月は「おしん」の視聴率が高いことを憤慨して大阪の人が電話をかけて来た。 「あんなおしんの苦労なんか、ちっとも珍しいことおませんよツー
幸福ーー他人の不幸を眺めることから生ずる気持のよい感覚ーーー アンプローズ・ビアスなら、簡単にそのようなことを書いてうそぶいていられるのだろうが、 野暮てんの私は一所懸命に幸福について語りたくなってしまうのである。 だからアンケートが重荷になってくる。 愛とは何ですか。 友情とは何ですか。 親子とは何だと思いますか。 なぜ小説家になったのですかフ カンタンにいうなツ、と私は怒りたくなってくるのである。 ひとにばかり労力を強いて、自分はラクしているということを、知っているのかー 自分がよく考えもしないで、簡単に質問を書くものだから、答える方もサラサラと書くと思 っているのだろう。なぜ小説家になったかということを正確に説明するには、原稿用紙一一枚は しいるのである。私は器用な人間ではないのだ。 け先日女子高校生が電話をかけて来て、アンケート ( ガキを出したいのですが、返事を書いて くれますか、と問い合せて来た。わざわざ問い合せて来たということは、あるいは私の書いた 文章を何かで読んだためかもしれない そう思いながら私は彼女に前記のような私の考えを
打ちが出ている。その快調は我れながら感心のほかないのである。 そんな私を見て娘は、「うるさい」とか「静かにしてよ」とか「それでもおとな ? 」などと いっていたが、そのうちにいうのも飽きて ( 馴れつこになって ) 、何もいわなくなり、敬老の 日のプレゼントにオモチャの太鼓を買ってあげようか、などといい出すようになった。 「うん、きっと買ってネ」と私は大喜びである。 ある日、私は娘を連れて成田山新勝寺へお詣りをした。私はお不動さまが好き ( ? ) なので、 この四、五年、年に何回か、暇を見ては成田山へ出かける。お不動さまを好きというのもヘン かもしれないが、私の気分としては「信仰ーというよりも「好ぎーという方が近いのである。 だいかえん 右手に邪悪を降す剣を握り、左手に悪を縛る索を持って目を怒らし、上唇を噛んで大火焔の中 けつか に結跏しておられる、不動明王のお姿が私は好きなのだ。 その日は春のそよ風が吹く、気持のいい日だったので、冬の間じゅう籠っていた家から出て しよう′一く 久しぶりに成田山へ行った。だがお詣りといっても、私の場合は特別に経文を誦読したりはし なむだいしよう 「南無大聖不動明王ー と三度唱えるだけである。願いごとなどもあまりしない。願いごとをしようと思ったら、際 限なく出て来て何を願えばいいのかわからなくなるからだ。たから南無大聖不動明王ーーすべ
の楽しみは、そのどうでもいいことを面白半分にいうところにあるのだが、その場所は「内 輪」ではない。つまり私という人間は、腹を立て、カーツとなった時だけ、内輪も外側もなく なってしまうのだが、それ以外の時には、やはり公の立場で特定の個人の名をあげてとやかく いうことははばかられる、それほど放胆な人間ではなかったことに気がついたのである。 けんか これが「悪口をいう会」ではなくて、「喧嘩をする会」あるいは「怒号面罵する会」であれ ば、十分に力量を発揮出来たにちがいない、と思いつつ、私は後味の悪い思いで家へ帰って来 た。人はどう思うか知らないが、私には「怒る」ことと「悪口をいうーこととは、必ずしも同 一線上に並ばないのである。また悪口をいうことと「嫌う」こととも自ら別なのである。 ところがその数か月後、どうやら私はあちこちで男性作家、評論家及びその信奉者からニク まれているらしいことに気がついた。さるパーティで某評論家に出会ったので、いつものよう あいさっ ににつこり挨拶をしようとしたら、プイと顔を背けられてしまったのだ。 しかしその時はなぜ彼が突然、そのような挙措に出たのか、その原因が「悪口鼎談ーにある おぼ とは思い到らなかった。というのも私はその評論家の悪口をいった憶えがなかったからだ。 しかしそのうちにわかって来た。その悪口鼎談の発一一一一口者が << ・・ O で表されていたため、 猛烈な悪口の部分は、全部私の発一言だと皆が簡単に思い決めたのである。さる事情通からその おし 説明を受けて、私は反省した。そして日頃の行いがいかに大切か、という亡母の訓えを思い出 ていだん
ダイコンといわれれば怒るのが当然なのに、それでも沢田研二は叩かれたのであるから、フ アンの女の子にホッペタを撫でられたからといってタモリさんが怒ったりすればどんな騒ぎに なるか、およそ想像はつくのである。 怒れ怒れと簡単にいわれるけれど、それならばと、「うるさいつ、つまらない電話を勝手な ときにかけてくるなっ、私は忙しいんだっーと怒鳴ったらどうなるか。 しかしながら私は、私の仕事を「人気商売」であるとは思っていないから、怒りたくなれば いつでも怒るつもりである。但し今は、全く怒る気は萎えている。私がよく怒っていたころ、 そのころは人と人との間に共通の感情があった。通じる言葉があった。価値観は違っていても 生活常識の基本は一つだと信じていた。だから安心して心ゆくまで怒れたのである。 いったいだれが異星人にむかって怒るだろうか。いちばん困ることは、しかしこの彼我の隔 絶を、私の方は気づいているが、異星人の方は気がついていない。だから彼らはみな、朗らか だということなのである。 が
あぜん 私はびつくり、というか、唖然、というか、 : : : 何と形容すればいいのかわからないある種 の衝撃を受けて、そのため我にもあらず素直に答えた。 彼女は更に次の質問に入った。 「学生の頃、ラ。フレターをもらったことがありますか ? あるいは書いたことがあります 「ーーありません : ここまでくると、もう、マトモに答える気を失う。 「なぜ小説家になったのですか、その動機を教えて下さい 彼女は鉛筆を構え、目を瞠って答を待っているが、私はもう、ロを開くのがいやになったの であった。 しかし彼女たちには、なぜ私がしゃべるのがいやになったのか、わからないにちがいない。 凵お互いの時間を割いて彼女たちがわざわざ会いに来たのは、こんな他愛のない質問をするの ま 負が目的だったのか。いくら私でも、血液型を訊くのにわざわざ家まで来なさいとはいわない。 いや、ハガキを書くまでもない。電話ですむことなのである。しかし相手は私の顔色に少しも 気づかず、 こ みは
んだよ」 何となくわかる、なんてのは私はいやである。すべてのものごとはっきりし かりたい。 そもそも、このタコハイのには最初から私は悩まされているのだ。 「タコがいうのよね と田中裕子がしどけなくいう。 「それがいいうちのお嬢さんなんだって : : : タコが泣くのよねー てなことをいう。 「人間やってるのも辛いけど、タコやるのも辛いのよねえ : : : 」 そういうのがタコハイの最初のだった。これが爆発的な人気を取ったと聞いた時、私は 自信をなくした。 タコとよ可・・こ・ いいたかったのである。 実は私はそう しようちゅう な・せタコが焼酎のに出て来なければならないのか。 な・せイカではなくタコなのか ? カメではなくタコなのか ? なぜタコでなければならない のカ ? 、、、まっきりわ