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検索対象: 蓮如 : われ深き淵より
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1. 蓮如 : われ深き淵より

しようじよう 蕭条たる冬のたそがれが迫る鴨川べり。五条の橋のかなたに東山。そして 比叡山の遠景。河原に煙があがり、死者を埋める作業が行われている。枯 れたすすきの間を踊り念仏の一団が歌い踊りながら通り過ぎる。死人をお さめた布の袋をかついだ時宗の僧たちが河原へ降りてゆく。車に死人を人 むしろ れた袋や、筵に卷いた死体を積んで、よろめきながら引いてくる加助。車 を後押ししているのは女房のトキである。 トキやれ、やれ、なんだか腰が痛くなってきたよう。ひとまずここに車を止めて、仏 さんを下へ運んでもらおうじゃないか。 第二場 110

2. 蓮如 : われ深き淵より

蓮祐 ( 赤子を頬ずりしながら歌うようにゆっくりと ) ととさまは地獄でお仕事 おまえさまは極楽。かかさまは、はて、どこへいけばよいのかのう がり、赤子をあやすように小声で京の子守唄を口ずさむ ) 「やしよめやしよめ 京の町のやしよめ 売ったるものを見しよめ きんらんどんす 綾や緋ぢりめん どんどんちりめん どんちりめん 溶暗。 あや 。 ( 立ちあ 109 第二幕

3. 蓮如 : われ深き淵より

さりませ。 蓮如 ( 大きなため息 ) 蓮祐それに、どこかで母上さまも、きっとその「ふみ」の出来るのを待っておられま 1 しょっ 0 蓮如 ( はっとしたように顔をあげて ) 母上が ? 。その母上さまの残されたお 蓮祐はい。六歳のとき、母上さまが去ってゆかれた 言葉、よもやお忘れではございますまい。あれほどなんどもなんども、寝物語りに 聞かせてくださったではございませぬか。「ただ、しんらんさまについてゆくのじ ゃ。そして、おねんぶつをひろめなされ」と 蓮如、立ちあがって窓の障子をあけると、夜の中に音もなく白い雪が降っ ている。しばらくじっと背中をむけて外をみつめたあと、やがて先ほど破 り散らした「ふみ」の紙片を拾いあげ、しわをのばしてみつめ、ロの中で 何かつぶやきながら部屋を出てゆく。 108

4. 蓮如 : われ深き淵より

じっと散らばった紙片をみつめる。 その騷ぎで赤ん坊が目をさまし、弱々しく泣く。蓮祐、布団から抱きあ げ、頬ずりする。 蓮祐どうされた ? お乳がほしいのか ? よし、よし、いい子だ。さあ、たーんとお 飲み。 ( 胸をはだけて豊かな乳房をふくませる ) 蓮如祐どの。 ( ぼつりと ) 蓮祐 ( だまって蓮如をみつめる ) 蓮如わしも寺を出て、加助たちと一緒に働こうか。 蓮祐 ( しずかに首をふって ) いいえ。 蓮如しかし 蓮祐トキが加助の女房なら、わたくしもあなたさまの妻。お心の中はようくわかりま す。蓮如さまはいま、命がけでその「ふみ」とやらを書いておられます。お続けな 107 第二幕

5. 蓮如 : われ深き淵より

トキでも、わたしは、蓮如さまを責めたりはいたしません。お二人のかわりに寺を出 ていくのです。そして、あのひとと一緒にかわいそうな人たちのために働きましょ う。蓮如さまは、その「ふみ」を立派にお書きあげください。トキは蓮祐さまを信 じておりまする。 蓮如トキ トキこれまで育てていただいたご恩は忘れません。祐さま、蓮如さま、どうぞお許し くださいませ。 トキ、蓮祐の手をふりはらい、坐りなおして頭をさげると、身をひるがえ して駆け出す。 蓮祐トキさん ! ( と立ちあがる ) 遠ざかってゆく足音と、「あんたー ! 」と叫ぶトキの声かすかに。蓮如 106

6. 蓮如 : われ深き淵より

加助、トキ、蓮祐、それぞれじっと蓮如の顔をみつめる。 蓮如わしは 。 ( 次第に顔が紅潮してくるが、激する心をおさえ、噛みしめるよう な口調で ) わしは、今夜も「ふみ」を書く。それだけじゃ。 加助「ふみ」を ? 蓮如うむ。あすも、あさってもな。それがわしの答えじゃ。よいか。 加助 ( 立ちあがって哄笑 ) 答えは最初からわかっておったわ。人でなしめ。なにが へいいごうじよう 「ふみ」じゃ。なにが平生業成じゃ ! わしは出ていくぞ。おう、本願寺におさら ひじり しびと ばじゃ。あすからは河原の聖となって河原の死人とともに生きてやる。八代目法主 蓮如 ( 沈黙 ) 蓮祐あなた 。 ( 静かな声で ) わたくしにはわかっております。言ってあげてくだ さいまし。加助さんは命がけでたずねておられるのでしよう。どうぞお心の中、そ のままを 104

7. 蓮如 : われ深き淵より

ておるんや。見あげたことだ。それでこそ仏につかえるお方。 いま、そこに飢えた子が泣いておる。いま、ここに病いで亡くなった人が転がって いる。それを見ながら知らん顔ができるか ? わしはじっとしてはおれんかった。 寝てても眠れんのや。故郷の能登の人たちもああだろうかと思い、家の者たちはど うなったかと思うと、いてもたってもおられん。だから毎晩こっそり寺をぬけ出し ていって、夜どおしみなの仕事を手伝うとったんや。本願寺はそういう哀れな者た ちになにひとっせずに、正しい念仏のありかたを教えるだけでいいんか。蓮如さま は寺にこもって黙って字を書いているだけでいいんか。わしや、そこがわからんの じゃ。蓮如さま、答えてくだされ。親鸞聖人の正しい教えを文字にすることと、い おさなご まそこで寒さに泣いている一人の幼子を胸に抱きしめて暖めてやることと、どちら が大事なんや。さあ、今、ここで、はっきり教えてくだされー 蓮如 ( 無言でじっと加助をみつめる ) 加助蓮如さま ! ( なかば泣き声で ) 教えてくだされ ! トキ蓮如さま ! わたしもお聞きしとうございます。 くに 103 第二幕

8. 蓮如 : われ深き淵より

トキあんた、なにを言いだすの。蓮如さま、今の話は一体、どういうことでございま すか。 蓮如 ( ため息をついて ) 加助はのう、夜中に河原に穴を掘って、亡くなった町の人た ちを葬る仕事を手伝っておったのじゃ。 トキえ ? 蓮祐では、そなたは 加助こうなったら仕方がない。腹の中にあること全部ぶちまけさせてもらおうか。 しびと キ、わしはな、去年の暮からずっと加茂の河原で死人の片付けを手伝うておったん かんじんひじり ゃ。清水寺の若いお坊さんや時宗の勧進聖たちが、四条、五条の橋近くの河原に穴 を掘って、死人を埋めたり塚をつくったりなさってることは、京じゅうの人が知っ ておる。昼も夜も寒い中で働いておられるんや。尊いことや。立派なことや。それ がんあみ だけやないぞ。七条道場金光寺の願阿弥さまといわれるかたは、洛中の死人を油小 路に集めて供養されたり、、 六角堂の近くに小屋を建てて飢えた人たちに粟粥をほど こされたりしなさ 0 た。ほかの京の寺々も輪番で鱶鬼を催して病人や孤児を助け 102

9. 蓮如 : われ深き淵より

か、聞かせてもらおうじゃないか。奥さまもおっしやってたんだからね、このごろ あんたの様子がおかしいって。 蓮祐加助さん、すこしさめたけど、柚子湯をいかが。とてもいい香りがしますよ。 トキあんた、お二人の前ではっきり言ってごらんよ。この雪の中をどこで何をしてた のかを。たぶん言えないだろうけど。 蓮如加助、そなたが毎晩そと ( 出かけていることは、わしも知っておる。ときには朝 に帰ってくるようじゃな。トキはいい女房だ。あまり心配かけるでないぞ。 加助蓮如さま。 ( きっと顔をあげて ) 蓮如なんじゃ。 加助わしが夜毎どこへ出かけているかは、蓮如さまもようくご存じのはず。十日ほど 前に、五条の橋の上からわしらの仕事をじっと見おろしておられたではないか。あ のとき、河原にいたわしと目が合うたら、蓮如さまは顔をそむけて、そそくさとい幕 第 ってしまわれた。たぶん、恥ずかしく思われたんやろ。いたたまれなかったんや。 それも当然じゃ。

10. 蓮如 : われ深き淵より

蓮如 ( 不安げに ) トキ、そなたはどうじゃ。 トキはい。ご立派なご文章と聞かせて頂きました。まず何よりも信の一念が大切なこ と、そして ( と、蓮祐の言ったことをそのままくり返し、言葉につまって助け を求めるように蓮祐のほうを見る ) えーと、そのあとはなんでしたつけ、奥さま。 ( 蓮祐、思わず笑いをおさえる風情 ) 蓮如 ( ふかいため息をついて ) よし、よし。なにも同じことを口うっしに言わんでも よい。ふだんから念仏のことをいろいろ語りあっている蓮祐どのには通じても、や はりそなたの胸には素直に一度で納得できかねるようじゃ。それでは駄目なのだ。 まだまだわしの工夫が足りぬ。努力がたりぬ。ああ、ここまで苦労しても、やはり 伝わらぬか。わしの理解が浅いせいか。それとも親鸞聖人の御教えが、あまりにも 深すぎるせいか。いや、やはりわしが悪いのだ。才がないのだ ! 自分がちゃんと わかっていないから他人を納得させられないのだ。わしが駄目なのだ ! ああ、情幕 第 けないー これだけやっても何もできぬのか ! 愚か者 ! なんだ、こんなものー ( 手にもった紙帳を引き破り、だだっ児のように投げつけ足で踏みつける。坐りこ