吟をやらされた。だから、・ほくは漢詩を字で読んだんじゃなくて、歌として覚えた。 歌だからいつまでも覚えているんです。 三浦やつばり相当な記憶力だなあ。 、とは限らないね。そういう記憶を戦後どれほど振り払いたい 五木でも、それがいし と思って苦労したか。なんで軍人勅論なんて覚えているんだ、と。なんでモールス符 号とか、手旗信号を忘れられないのか、とね。これがなければ、デリダとかポードリ ャールとか、いろいろな新しいことが覚えられるじゃないですか。 ( 笑 ) それがこち つばい頭に社まっているか らにすんなりと入らないのは、軍人勅論みたいなものがい らなんだ。 三浦そうはとても思えない。 ( 笑 ) 五木そううそぶきながらきたんですけどね。肉体の記憶だからしようがない。 三浦たとえば田山花袋の『蒲団』などは、音読されるようなものとしては書かれて いない。そして、ちょうどあのあたりくらいから、いわゆる純文学的なものが始まる わけです。純文学というのは黙読なんです。音読というのは、講釈師とか浪花節まで つながっていくような要素を持っているわけです。
じゃないか。 三浦そして、黄金時代が終わった段階から逆に権威付けが始まる。 五木まあね。 ( 笑 ) 自己批評を始めた小説冫 こ、ぼくはほとんど魅力を感じない読者 でね。しかし、いまだに閉ざされた小世界においては、活字に対するそういうフェテ イシズムが横行している。小説というものを何か活字表現の上がりのように尊重する 気風が、まだこの島国には残っているようですね。 三浦小説は、その役割を終えたときから神格化された、と。 五木神格化され、職業化され、全集に入り、そして図書館に納められ、そしていち ばん大きいのはそれを論じ、研究する人たちの材料になったということです。 三浦評論家としては立っ瀬がない。 ( 笑 ) その幻想さえ終わりつつあるのが現代だ ということですね。八〇年代頃からかな。 五木昔、読書週間というのがありましたね。「本を読むと美しくなる」とかいうス ローガンがあった。本を読んだって別に美しくなりやしない、額にシワができるぐら いだ ( 笑 ) 、ということに読者が気づき始めたのが、七〇年代から八〇年代でしよう。
284 三浦まったくおかしなことで、それがヨーロッパの近代であった。 五木ヨーロッパの近代が、自らの父性としての孤立感、そして母なるものを辱めて いるという罪の意識が深ければ深いほど、それはサディスティックになっていくんで す。それがたとえば湾岸戦争だった。湾岸戦争は母殺しの戦争であったと思います。 文明の発祥の地に対して、西側が同盟的な形で攻撃した。なぜそうしたかというと、 フセインの存在は自分たちのアイデンティティの危機なんですね。近代のヨ 1 ロッパ というのは、父に育てられたマッチョな男なんだね。もう初老の男だけど。 ( 笑 ) 三浦日本の近代にしても、その文化をある程度は共有しているということですね。 しかし、その危機から、母的なものというか、別個な原理が登場してきている。そし てそれは小説の終わりと対応している。 五木小説というのは父権的なものです。それに比べて一見古めかしい戯曲というや つは、どことなく肉体性が先行しているという点において、母なる要素を持っている から、いま魅力的なんだと思うんですね。 三浦見事な着地ですね。今日は、とても面白いお話をいただき、有難うございまし
あれ『葛の葉』であれ、その場その場でアレンジされるものです。お客さんが退屈し ていると思ったら、その部分は端折る。たとえば、大名の前で話すときには、その家 柄の素晴らしさを讃える部分だけ拡大して誇張する。勝手にアレンジしていくわけで すからね。 三浦それは先程の小説の時代の終わりという話題につながってきますね。つまり、 ここ三世紀くらい文学の世界を制覇してきた小説という形式は、初めて署名の重要性 をもたらしたものでもあるわけです。オリジナリティとか個性とかは、印税とか原稿 料というものと切り離せない。 五木小説の終末というのが、そこから出てくるわけです。 三浦物語のほうは、むしろ無署名性とともにあったわけですね。 五木トルストイが晩年に民話のほうに回帰していったというのは、その署名性なり 近代的個我の意識からどう脱却していくかということを考えたからでしよう。ドスト エフスキーもまたそうです。 三浦小説という形式が署名性とか著作権とかいうことを含めて、いまや疑問に付さ れている。しかし、物語は減びないでしよう。人間とともに物語は滅びない。物語を
小説は終わったか 三浦今日は、説は終わったということについて、お話をお伺いしたいと思ってい ます。あるいはもう少し表現を柔らげれば、小説の時代は終わったということ。小説 という形式は十八世紀くらいに確立されて、その後十九世紀に異常な成長を遂げ、多 少の変化はしつつも二十世紀に続いています。だけどそれはいまや終わりつつあるの ではないか。その小説という形式について、いろいろな面から考えてみたいと思いま す。 いろんな側面から見ることができますが、たとえば、書き言葉の語り言葉に対する 優位という問題があります。日本では明治以降、書き言葉のほうがはるかに上等であ な。せいま戯曲を書くのか 五木寛之インタビュアー三浦雅士
あった。当時、賤民と呼ばれて蔑視された人々の母親であろうとした人物。それが浄 土真宗の根本ですね。従来の宗教の持っている自己を律する男性的なものとは決定的 に違う。自力は父性的なものです。他力は母性的なものです。他力の信仰は、すがる ということや、たのむということがキーワードになる、それは身を任せる、抱きとめ られるということ、母親の存在を信じるということです。いまは、まさに母性的なも のが求められている時代ではないかと感じる。 三浦そうだと思います。 五木戦後民主主義とか戦後五十年の歴史というのは、高度経済成長を始めとして、 父性的なものがリードしてきた文化なんですね。たとえば演劇なら、。フレヒトなどは 典型的な父性型演劇です。親父が馬鹿息子に向かって、お前、早く目覚めよと言って いるようなものです。母親の文化というのは、そうではない。一緒に泣く非合理な文 化なんじゃないか。 湾岸戦争は母殺し 三浦一緒に泣く母親のカこそが、いま主題にされるべきではないかということは、
って、複雑に豊かになったひとつの文化なんです。そこから学んでルネッサンスを起 こしたヨ ーロツ。ハにしてみれば、。ヒレネーから南側、東側の国々の影響からどう脱し ロツ。ハのコンプレックスの最 て自立するかということが重大問題だったと思う。ヨー 大の原因もそこにあった。なぜなら、自分たちの精神的土壌であるルネッサンスも、 東方から学んだ。紙も火薬も医学も、東から学んだ。そして、キリスト教はどこから 来たかといえば : 三浦東方から来た。 五木そうすると、自分たちのアイデンティティはどこにあるのかと、意識下で思い 悩むことになるわけです。そして、できるだけ東方の影響を切り捨てていこうと、文 ーヴェンの第九 化の再編成を試みた。でも、そうした努力をしても、たとえばべー の「歓喜の歌」のなかにおいてさえ、どうしてもマイナーな曲想が交じっているのは ぬぐえない 、と。故・五十嵐一の持論はそうでした。 父権の戦後五十年 三浦萩尾望都さんが言われるには、漫画家とくに少女コミックの人たちは、非常に
264 会話としての諺 三浦柳田国男には、どこかャヌスのようなところがありますね。あれほどオーラル なもの、ロ承の伝統に対して繊細な感受性を持っていながら、結果的にそれをすべて 書き言葉によって覆っていったという、これは一種の逆説ですね。 蓮如の言葉は状況のなかで演じられるべき言葉なんだという、五木さんのお話で思 い出したんだけど、トインビーが、『試練に立っ文明』のなかでこういうことを言っ ているんですよ。「ギリシアの古典というのは、みんな一言一句素晴らしいテクスト であると思っているかもしれないけれど、あれは全部講演の草稿なんだ。講演の草稿 集として読まなくてはいけない」と。 五木ギリシャの古典というけど、それらは対話とか物語詩とかシンポジウムのかた ちで出てきたものであり、それがアラビア語に訳されて残り、そこからラテン語なり 他の言語に訳し直されて、ルネッサンス以後立ち上がってきたものだから、その間に は二重三重の表現的トランスレーションが施されているわけです。 三浦デリダがトインビーを読んでいたかどうかぼくは分かりません。だけど、デリ
ことなんですが、「青春」と「階級ーはヨーロツ。ハの植民地主義、帝国主義が拡大し ていくのと対応している。とすると、「階級。および「青春ー「青年ーという一群の主 題が終わりを迎えると同時に、小説という形式も黄昏に向かわざるをえないと考えて いい。ただし、小説と物語とは違う。物語は人間の認識の手段ですから、なくなると い、つことはない。 五木「マルクスーという物語があり、「共産主義」という物語がある。あるいは 「天国」や「浄土」という物語、また「ゲノムーという物語や「免疫」という物語も あるわけですから。 三浦ええ。人間は世界を言語によって認識するほかなく、その言語は物語という形 式をとらざるをえないわけですからね。 五木中村桂子さんが生命誌研究所を作られた時、「生命史」じゃなくて「生命誌」 にしたでしよう。あれは生命の物語ということですね。生命に関する物語を、科学者 の立場から受けとめていくとどうなるかということ。 三浦先ほどおっしやったトルストイの「芸術とはどういうものか」にしてもそうで すね。芸術が民衆のための物語発生装置だったということ。たとえば手品とか民話と
しが多く、月並みな表現や諺が多く、覚えやすくできている。つまり、カラオケで歌 うことを意識して作られた歌みたいなものかな。 ( 笑 ) 黙読は悪魔の所業 三浦そこはまた、いろんな問題が出てくるところですね。たとえば素読というのも そうですが、江戸時代までは、文章を習う時には声に出して読むというのが基本だっ たわけです。だから、誰かが読んでいると、それは他の人にも聞こえた。 五木文章は声に出して読むもの、そういう認識があったわけですね。聖エマニ工 ルとかいう人の日記に「今日は恐ろしいものを見た。自分の書斎に入ってみると、甥 が声に出さずに本を読んでいた」と。つまり、黙読をするという行為は、その当時の 人にとっては恐るべき悪魔の所業と同じようなものだったわけだ。戦後でも、・ほくの 住んだ九州の山村では、老人はみな新聞や『家の光』を声を出して読んでいたもの。 三浦大きな問題だと思うけど、みんなあまり考えていない。たとえば、福沢論吉と かああいう人たちは、最初オランダ語を習うんです。オランダ語がペラベラになって、 横浜に行ったところが、通じない。オランダ語じゃなくて英語が話されていたんです