備後法師武士に二言あっても、われら坂の者に二言はない。約束しよう。さあ、皆、 ここへ坐れ。おい、そこの餅売り女、ここへこい。餅を買ってやる。魚を売る婆 あ 1 もこ この坊さまがただで有難い法話をきかせてくれるそうな。おう、野良 犬もくるか。そこの連中もこい。さあ、いつでもはじめてよいそ。 銀杏の木の陰から頬かむりした庄助と権八、笠を深くかぶった法住、そ れそれ物売り女たちに続いて、神人たちのうしろに坐る。 下間玄英 ( よろよろと立ちあがって ) お待ちくだされ。お待ちくだされ。 備後法師なんだ。お前に用はないそ。 下間玄英 いえ。いまうかがっておりますれば、本願寺のこの庭先で蓮如どのがご法 話をなさるらしいが、それは困ります。本来なれば法主存如さまご自身か、また は八代目として跡を継がれる応玄さまがお話をなさるところで、蓮如どのではち と心もとない。ですから、日頃、存如上人様の法話を耳にタコができるくらいに 聴聞いたしております当寺の執事、この下間玄英が代理にご法話をいたして進ぜ
の中をなんとか生きながらえておる。念仏興隆のためじゃ。仏法広布のためじゃ。 なにもかも、そのためじゃ。そこのところを蓮如坊、ひとつわかってくれ。よい 蓮如わかってくれとは父上、なにか深い意味のあるお言葉でございましよう。はい すでに、覚悟はできております。 存如そうか、わかってくれるか。すまぬ。ふがいない父親じゃ。 ゆずりじよう 蓮如それでは、やはりこの寺の八代目法主として、弟、応玄どのに正式の譲状をお 書きに 存如いや、まだ、そこまではゆかぬ。ただ、わしが世を去った際の喪主に、応玄を 立てる旨の覚え書を先ごろ如円に書かされた。 ( うなだれる蓮如 ) しかし、それ だけでは足りぬ、一日もはやく第八代目の譲状を応玄にと、あの女に朝夕うるさ くせめたてられておるが、それはまだじゃ。しかし、わしの体も日、一日と弱っ てきておる。気力もおとろえた。いずれ、正式の譲状を応玄に渡すことになるじ やろう。 蓮如は、。
83 第二幕 な地方に大きな領地をもっていなさるんだろう ? そのあがりだって大したもの だっていうじゃないか。それに、幕府や大名や金持ちからも大事にされてるから こんなご時勢にもおっとり構えていられるのさ。でも、この本願寺はちがう。 国の門徒や普通の人たちの志をたよりにして、それでもってなんとかやってる寺 だからね。でも、四年ほど前に蓮如さんがこの寺の八代目を継がれてからは、 第に門徒もふえてきて、昔よりすこしは楽になった様子だけど、それでも大変み たいだよ。人の噂じゃ、今でも毎日食べるお米を、一日分ずつ町へ買いに出なさ るそうだから。 鳥辺の座頭ふむ。しかし、あの蓮如どのが本願寺を継がれるとは、意外などんでん 返しではあったのう。わが腹をいためた息子の応玄どのを八代目にすえようとい ままはは う継母、如円どのの必死の努力もむなしく、どたん場で蓮如どのに法主の椅子が 転がりこんでこようとは。しかしそれも、決して偶然ではあるまい。時はまさに ・け一こくじよう 天下大乱の前夜。あたらしい下剋上の時代がすぐ目の前まできておる。いまの都 の悲惨な有様は、その新しい時代の到来を告げる陣痛、産みの苦しみでもあろう 蓮如どのはそんな時代に呼ばれたのじゃ。世の中があのようなお人を求めたのに
103 第二幕 加助、トキ、蓮祐、それぞれじっと蓮如の顔をみつめる。 蓮如わしは ( 次第に顔が紅潮してくるが、激する心をおさえ、噛みしめるよ うな口調で ) わしは、今夜も「ふみ」を書く。それだけじゃ。 加助「ふみ」を ? 蓮如うむ。あすも、あさってもな。それがわしの答えじゃ。よいか。 加助 ( 立ちあがって哄笑 ) 答えは最初からわかっておったわ。人でなしめ。なにが へいぜいごうじよう 「ふみ」じゃ。なにが平生業成じゃ ! わしは出ていくそ。おう、本願寺におさ ひじり しびと らばじゃ。あすからは河原の聖となって河原の死人とともに生きてやる。八代目 法主がなんだ。笑わせるな。くそ坊主 ! 地獄へいけ ! ( 障子を倒して外へと び出す ) トキあんた ! ( 加助の後を追おうとする ) 蓮祐トキさんー
140 茶椀に茶をすくっては注いで回る。全員に茶がゆきわたったところで、 ーし 0 法住では、おのおのカた、。 : - こゆるりと召しあがられよ。庄助の手造りのカプラの麹 漬けもなかなか美味でございますそ。 全員、茶をすすり、皿の茶受けをつまみながら和やかに雑談。 蓮如法住どの。加賀の棒茶とか聞いたが、この茶はうまいのう。よい香りじゃ。日 ふたまた によじよう 賀といえば、かって二俣本泉寺の如乗どのが、わしの八代目法主継職のときに、 大いに力になってくだされたことを思い出す。あのおりは、法住どのをはじめ、 道西どの、如光どのなど門徒をたばねるそなたがたに、さまざまなおカそえを頂 いた。本願寺の今日あるは、ひとえにそなたがたのおかげ。蓮如、そのことを片 時も忘れてはおりませぬそ。 法住なにを申される。われらこそ蓮如さまを杖とも柱とも頼んでおります。のう、 づ こうじ
146 備後法師さよう。あのときは蓮如どののうまい説教にまんまと乗せられて、罪人を とり逃してしもうた。例の阿弥陀の井戸から出てきたアミダ男は達者でござるか ひじり 蓮如縁あってしばらく寺に勤めておりましたが、その後、河原の聖になるとか申し て出ていったままです。いずれは帰ってくるでしよう。ときに、きようはどんな お話でこられたか。 ( 声を低めて ) いよいよでござるかな ? 備後法師ご推測どおり。いよいよでござる。 蓮如ふむ。なるほど。 備後法師昨夜、山門西塔で寄り合いがござっての。そこで、ちかごろの本願寺のや りかたは許せないと、う話こよっこ。 し一ⅱ冫オナことに蓮如どのが八代目法主になられてか らの行動は目にあまる、と。 山門のいつもの言い草じゃ。めずらしくもないわ。 法住ふふふ 備後法師われらが何を不満に思うておるか、すでに蓮如どのはようおわかりのはず。 法住どのの言われる通り、いつもの言い草じゃが、一応、申しあげておこうか。 如光 ( 吐きすてるように ) 要するに、金が欲しいというだけの話じゃ。 ざいにん
この六年間には、ほんとにいろんなことがありましたね。 トキええ。蓮如さまも大変でした。まず前の奥方の如了さまが亡くなられて、それ から蓮如さまは赤子を抱えてのやもめ暮し。そしてやがてお父君の存如上人さま が亡くなられると、あの後継ぎ騒動でしよう。そしてこの本願寺第八代目を蓮如 ままはは さまが継がれることに決まったとたんに、継母の如円さまと応玄さま親子は、夜 中に寺を出てゆかれました。蔵の中の目・ほしいものは、ぜーんぶ持ち出されて。 あとに残っていたのは味噌桶ひとっと小銭少々とは、まあ、なんという 蓮祐そんなことを言うものではありません。あのかたがたも、夜中に寺を出てゆか れたとは哀れではないか。蓮如さまは、涙をこ・ほしておられましたよ。わしがこ の寺を継げば、あのおふたりはきっと出てゆかれると判っていながら、わしはあ えて争ったのじゃ、わしのせいじゃとね。むかし母を追われた自分が、今度は血 ごう のつながった弟とその母を追うことになるとは、なんという業の深いこの身であ ろうかと、今でもくよくよなさっておられるのですよ。その如円さまも、去年の 秋に遠い北国で亡くなられた。人の命はほんとにはかないものですね。 トキでも、 しいこともありました。前の奥方さまの妹でいらっしやるあなたさまが、 の
きたそ。あの若い応玄どのにはこの寺はまかせられぬ。われらはこれから各地の おんどうぎよう 御同行と語りあい、何がなんでも蓮如どのをかついで八代目にすえ、この本願寺 を門徒の城とする覚悟を決めた。よろしいな ? わたしはもうこの寺から出てゆこうと心を決めた 蓮如さあ。そう申されても ばかりですから。それに如円さまや応玄どのと、この寺をめぐって骨肉の争いを はじめたくはないのです。 法住 ( 蓮如の肩に手をおいて ) いや、じつはな、加賀のほうも、越前のほうも、 内々に門徒の動きが出はじめておる。蓮如どの、あんたは今のこの世を地獄だ、 闇だ、とさっき言われておったのう。たしかにそうだが、しかし一面、われら 下々の者、道々の者、職人、エ人、商人、百姓、国侍たちにとっては、カと腕と 金さえあれば自由に生きてゆくことのできる痛快な世の中でもあるのですぞ。見 ていなされ。時代は大きく変る。われらのようにいやしまれている者たちが、世 間を動かす時がくる。いや、もう、そこまできておるのだ。その風の音がきこえ ないか。もうすぐ世の中ひっくり返りますそ。闇は闇でも、新しい時代の夜明け 前の闇だ。河原を埋める死人の山の中から、新しい力が生まれるのだ。蓮如さん、
蓮如しかし、親鸞聖人は 存如お聖人さまのころとは、時代がちがうのじゃ。流人として辺境に住み、非僧非 俗のヒジリとして寺ももたずに通されたあのかたは、それでよい。だが、わしは この本願寺第七代の法主の立場。末寺や門徒との上下関係も正しく整えて、小さ りん くとも凜とした本山にしたい。わしが苦労しておるのも、そのためじゃ。 蓮如 ( 洗濯の手をとめて、存如をじっとみあげる ) 存如蓮如坊。わしは、そなたがかわいい。 わしが二十歳のときに生まれたはじめて の子じゃ。あれは若気の過ちではない。気まぐれの遊びでも、ただ愛欲におぼれ たわけでもなかった。若いわしは、そなたの母親、身よりとてない召使いのあの 人を、心からいとしく思うておったのじゃ。しかし、あの人は、みずから寺を出 て、ゆくえ知れずとなってしまわれた。 蓮如それは 。 ( 蓮如首をふる ) ぎようによ 存如言うな。わが父、六代目法主巧如上人も、この本願寺を大きく育てるために こそ、格式正しき家の娘をわしの妻にと迎えられたのじゃ。なかなかうるさいと ころもあるが、あの如円の気の強さと気くばりあればこそ、こうして本願寺も嵐 はたち るにん
228 道西法住どの。あなたに代って、この道西が途中までお供をいたします。どうそ、 おまかせくだされ。さあ、皆、こちらへ。船に乗るのじゃ。 蓮如では、法住どの。 ( と立ちあがりかけて ) おっとっとっと。 ( 少しよろめく ) 法住いよいよお発ちか。 ( 立ちあがってじっと蓮如をみつめる。すぐに気持ちをと り直すように ) これ、庄助。 庄助は、。 おんどうぼう 法住御同朋の旅立ちに、何かはなむけの唄でもどうじゃ。おぬし、若いころはのど 自慢で鳴らしたはず。さあ、ひとっ音頭をとってみろ。 庄助さようでございますか。では、堅田の船唄でも。 庄助、蓮如に会釈して、錆びた声でうたい出す。法住、それに合わせて うたう。船のほうから権八、その他の男衆の声が重なって合唱に。その 間に道西に導かれて皆が船に乗りこむ。蓮如が法住に合掌して皆の後を ずきん 追おうとするところへ、突然、白頭巾の備後法師が現われ、するすると 蓮如に近づ く。にらみ合う蓮如と法師。