圏が黙っている。彼女はその日とう / ( 、何も云わないで、帰ってしまった。 まで その次に会うと、笠原は私の前に今迄になくチョコナンと坐っているように見えた。 ひざ からだ それは如何にもチョコナンとしていた。肩をつばめて、両手を膝の上に置き、身体を 固くしていた。彼女の下宿に泊った次の朝、下宿から一歩出たとき、「あーーあ、よ かった畜生め ! ーと男のような明るさで叫んだ女らしさが何処にも見えなかった。私 はそれを不思議に眺めた。 者私達は色々と用事の話をした。その話が途切れると、女はモジイ、した。二人とも 生 この前の話を避け、それを後へ後へと残して行った。用事が済んでから、私はと 党 彼女は自分の決心をきめて来ていたのだった。 船う / ( 、云った。 工 蟹 私と笠原はその後直ぐ一緒に新しい下宿に移った。そこは倉田工業から少し離れて いたが、須山や伊藤は電車でも歩ける「身分」なので、こっちへ出掛けて来てもらっ た。それで交通費を節約し、道中の危険を少なくすることが出来た。 四 須山はそっちの方に用事があると、時々私の母親のところへ寄った。そして私の元
五 伊藤は臨時工のなかに八九人の仲間を作った。ーー倉田工業では六百人の臨時工を くび 馘きるということが愈確実になり、十円の手当も出しそうにないことが ( 共産党の ビラが撒かれてから ) 誰の眼にもハッキリしてきた。その不安が我々の方針と一致し かたま たやす 者て、親睦会めいた固りは考えたよりも容易く出来た。 生 女たちは工場の帰りには腹がペコ・ ( 、、だった。伊藤や辻や佐々木たちは ( 辻や佐々 木は仲間のうちでも一番素質がよかった ) 皆を誘って「しるこ屋」や「そばや」によ あま 蟹った。一日の立ちずくめの仕事でクタ / \ になっているみんなは甘いものばかりを食 った。そして始めて機械のゴー音が無くなったので、大声で、たった一度に一日中の ことをみんなしゃべってしまおうとした。 伊藤たちは次のようにやっていた。伊藤はみんなのなかでも、「あれ」ということ になっていた。それで、しるこ屋などで伊藤は「それらしいこと」を話しても別に不 自然でなかった。辻と佐々木は「サクラ」をやった。みんなと一緒になり、ワザと 色々な、時には反動的なことを伊藤に持ち出して、そういうことについて話のキツか 202
次の朝、衣服箱を開けると、ビラが入っている ! 波のような感情が瞬間サッと身 体を突走ってゆく。職場に入って行くと、隣りの女がビラを読んでいた。小学生のよ うに一字一字を拾って、分らない字の所にくると頭に小指を入れて掻いていた。私を 見ると、 「これ本当 ! 」 と訊いた。十円のことを云っているのだ。 者私は、本当も本当、大本当だろうと云った。女は、すると、 くそ 生「糞いま , ( 、しいわネ。」 と云った。 蟹工場では私は「それらしい人間」として浮き上がっている。私はビラの入る入らな かかわ いに拘らず、みんなが会社のことを色々としゃべり合っている事についてはその大小 を問わず、何時でも積極的に口を入れ、正し いハッキリした方向へそれを持ってゆく ことに心掛けていた。何か事件があったときに、何時でも自分達の先頭に立ってくれ る人であるという風な信頼は普段からかち得て置かなければならないのである。その 意味で大衆の先頭に立ち、我々の側に多くの労働者を「大衆的に」獲得しなければな らぬ。以前、工場内ではコッそりと、一人々々を仲間に入れて来るようなセクト主義 160
の間にか、船長や雑夫長や工場代表が室の片隅の方へ、固まり合って棒杭のようにつ ッ立っていた。顔の色がなかった。 なだ ドアーを壊して、漁夫や、水、火夫が雪崩れ込んできた。 昼過ぎから、海は大嵐になった。そしてタ方近くになって、だん / \ 静かになっ 者「監督をた、きのめす ! 」そんなことがどうして出来るもんか、そう思っていた。と 生 ころが ! 自分達の「手」でそれをやってのけたのだ。普段おどかし看板にしていた はしゃ 船ピストルさえ打てなかったではないか。皆はウキ / \ と噪いでいた。 代表達は頭 蟹を集めて、これからの色々な対策を相談した。「色よい返事ーが来なかったら、「覚え てろ ! 」と思った。 薄暗くなった頃だった。ハッチの入口で、見張りをしていた漁夫が、駆逐艦がやっ あわ くそっぽ てきたのを見た。 周章て、「糞壺」に馳け込んだ。 「しまったツ " 学生の一人がバネのようにはね上った。見る / ( 、顔の色が変った。 「感違いするなよ。」吃りが笑い出した。「この、俺達の状態や立場、それに要求など を、士官達にくわしく説明して援助をうけたら、かえってこのストライキは有利に解 132
て鉄道が進む、その先きへ、先きへと町が出来て行った。ーー・其処から起る色々な苦 難が、一工夫と会社の重役の娘との「恋物語」ともつれ合って、表へ出たり、裏にな ったりして描かれていた。最後の場面で、弁士が声を張りあげた。 しゅんこう マイル 「彼等幾多の犠牲的青年によって、遂に竣功するに至った延々何百哩の鉄道は、長 蛇の如く野を走り、山を貫き、昨日までの蛮地は、かくして国富と変ったのでありま 船重役の娘と、何時の間にか紳士のようになった工夫が相抱くところで幕だった。 間に、意味もなくゲラ′ ( 、笑わせる、短い西洋物が一本はさまった。 工 日本の方は、貧乏な一人の少年が「納豆売り」「タ刊売り」などから「靴磨きーを 蟹やり、工場に入り、模範職工になり、取り立てられて、一大富豪になる映画だった。 弁士は字幕にはなかったが、 「げに勤勉こそ成功の母ならずして、何んぞや ! 」と云った。 それには雑夫達の「真剣な」拍手が起った。然し漁夫か船員のうちで、 「嘘こけ ! そんだったら、俺なんて社長になってねかならないべよ。」 と大声を出したものがいた それで皆は大笑いに笑ってしまった。 うそ
まった。 彼等は「大暴風雨」のために、一たまりもなく操縦の自由をなくしてしまった。 ・んりくび そうなればもう襟首をつかまれた子供より他愛なかった。一番遠くに出ていたし、そ れに風のエ合も丁度反対の方向だった。皆は死ぬことを覚悟した。漁夫は何時でも 「安々と」死ぬ覚悟をすることに「慣らされて」いた。 が ( ! ) こんなことは滅多にあるものではない。次の朝、川崎船は半分水船になっ 者たま、、カムサッカの岸に打ち上げられていた。そして皆は近所のロシア人に救われ 生たのだった。 党 ←そのロシア人の家族は四人暮しだった。女がいたり、子供がいたりする「家」とい かっ 蟹うものに渇していた彼等にとって、其処は何とも云えなく魅力だった。それに親切な 人達ばかりで、色々と進んで世話をしてくれた。然し、初め皆はやつばり、分らない ちが 言葉を云ったり、髪の毛や眼の色の異う外国人であるということが無気味だった。 何アんだ、俺達と同じ人間ではないか、ということが、然し直ぐ分らさった。 難破のことが知れると、村の人達が沢山集ってきた。そこは日本の漁場などがある 所とは、余程離れていた。 彼等は其処に二日いて、身体を直し、そして帰ってきたのだった。「帰ってきたく
を生々とした描写のうちに見事にやってのけた。この意味でこれは日本の近代文学史 かっき 上における劃期的な作ロ明であるとい、つことが出来る。 彼はまた未組織の労働者を国家と資本家に対立する一つの生きた集団として描こ、つ とした。それはそれまでの日本文学に支配的であった個人の私生活や心理を長々と描 写してゆく創作方法にたいする作者のアンティテーゼであって、これもまた日本文学 の創作方法の発展のうちに大きな意義をもつものであった。しかし同時に作者が個人 説を集団のうちに解消してしまったところにこの作の欠陥もあるといわなければならな ようばう い。ここでは個々の労働者の独自な階層的・個人的な容貌が十分にはっきりと示され ていない。そのために全体としての集団の力はかなりダイナミックに示されているが、 解個々の形象がはっきりと印象づけられない結果をともなった。小林はここでいわゆる 大衆化のための色々の形式上の努力をしているが、文学の大衆化は言葉をやさしく書 くということだけにするのではなく、むしろ主として現実の本質を正しくとらえて、 それをはっきりとした形象のうちに表現することになければならない。 『蟹工船』は小林の名声を高め、同時に日本のプロレタリア文学を世界的なものにし た。この後、彼は前記の『不在地主』、『エ場細胞』 ( 一九三〇年 ) 、『オルグ』「安子』 『転形期の人々』 ( 以上一九三一年 ) などを書いた。 277
と威張ってやるけれど、隣近所の人に女ェッて云うのは矢張り恥かしいわ ! 」 みんなに、何時かも、つ一度行こうか、ときくと、行こうというのが多いそうだ。そ れはあの芝居を見ると、うちの ( うちのというのは、自分の工場のことである ! ) お やじとよく似た奴がウンといじめられるところがあるからだという理由だった。 伊藤が、何気ないように、どうせ俺ら首になるんだ、おとなしくしていれば手当も 当らないから、あの芝居みたいに皆で一緒になって、ストライキでもやって、おやじ 者をトッちめてやろうかと云うと、みんなはニヤ / \ して、 生「ウン : ・ : 」と云う。そしてお互いを見廻しながら、「やったら、面白いわねえ ! 船 と、おやじのとッちめ方をキャッ / ( 、と話し合う。それを聞いていると、築地の芝居 蟹と同じような遣り方を知らず識らずに云っていた。 伊藤の影響力で、今迄のこの仲間に三人ほど僚友会の女工が入ってきた。それらは 大ッびらな労働組合の空気を少しでも吸っているので、伊藤たちが普段からあまりし ゃべらない事にしてある言葉を、平気でドシ / ( 、使った。それが仲間との間に少しの かんげき 間隙を作った。それと共に、それらの女工はどこか「すれ」ていた。「運動、のこと が分っているという態度が出ていた。 伊藤はその間のそりを合わせるために、今 色々な機会を作っていた。「小説のようにはうまく行かない」と笑った。 244
蒲団は一枚しか無かった。それで私は彼女が掛蒲団だけを私へ寄こすというのを無 理に断って、丹前だけで横になった。電燈を消してから、女は室の隅の方へ行って、 そこで寝巻に着換るらしかった。 私は今迄 ( 自分の家を飛び出してから ) 色々な処を転々として歩いたので、こうい う寝方には慣れていたし、直ぐ眠れた。然し女のところは初めてだった。さすがに寝 つきが悪かった。私はウトウトすると夢を見て直ぐ眼をさました。それが何べんも続 者 いた。見る夢と云えば、追いかけられている夢ばかりだった。夢では大抵そうである 活ように、仲々思うように逃げられない。そして気だけが焦る。あ、あっ、あっ、あ、 生あ : : : と思うと、そこで眼が覚めた。ジッとしていると、頭の片方だけがズキン、ズ 党キンと鈍くうずいた。私は殆んど寝たような気がしなかった。そして何べんも寝がえ 然し笠原は朝までたゞの一度も寝がえりを打たなかったし、少しで りを打った。 からだ も身体を動かす音をさせなかったようである。私は、女が最初から朝まで寝ない心積 りでいたことをハッキリとさとった。 それでも私は少しは寝たのだろう。眼をさますと、笠原の床はちゃんと上げられて、 彼女は炊事で下に降りているのか、見えなかった。しばらくして、笠原は下から階段 をきしませて上がってきた。そして「眠れた ? 」と訊いた。「あ」と私は何んだかま 171 ふとん
らかった。結局三分の一だけ「仕方なしに」漁夫の味方をして、後の三分の二は監督 の小さい「出店」ーーーその小さい「〇」だった。 「それア疲れるさ。工場のようにキチン、キチンと仕事がきまってるわけには行かな いんだ。相手は生き物だ。蟹が人間様に都合よく、時間々々に出てきては呉れないし な。仕方がないんだ。」ーーそっくり監督の蓄音機だった。 こんなことがあったーーに糞壺で、寝る前に、何かの話が思いがけなく色々の方へ 者移って行った。その時ひょいと、船頭が威張ったことを云ってしまった。それは別に 生威張ったことではないが、 「平ー漁夫にはムッときた。相手の平漁夫が、そして、少 ←し酔っていた。 いきなり怒鳴った。「手前え、何んだ。あまり威張ったことを云わ 蟹「何んだって ? ねえ方がえゝんだで。漁に出たとき、俺達四、五人でお前えを海の中さ夕、キ落す位 それッ切りだべよ。カムサッカだど。お前えがどうやって死んだ 朝飯前だんだ。 って、誰が分るツて ! 」 そうは云ったものはない。それをガラ / ( 、な大声でどなり立て、しまった。誰も何 も云わない。今迄話していた外のことも、そこでブッつり切れてしまった。 然し、こういうようなことは、調子よく跳ね上った空元気だけの言葉ではなかった。 108