持場に流れて行った。 蟹漁が忙がしくなると、ヤケに当ってくる。前歯を折られて、一晩中「血の唾」を めちゃくちやたた はいたり、過労で作業中に卒倒したり、眼から血を出したり、平手で滅茶苦茶に叩か れて、耳が聞えなくなったりした。あんまり疲れてくると、皆は酒に酔ったよりも他 愛なくなった。時間がくると、「これでい、」と、フト安心すると、瞬間クラ′ ( 、、ツ とした。 船皆が仕舞いかけると、 「今日は九時迄だ。」と監督が怒鳴って歩いた。「この野郎達、仕舞いだッて云う時だ 工 け、手廻わしを早くしやがって ! 」 蟹皆は高速度写真のようにノロイ、又立ち上った。それしか気力がなくなっていた。 「い、か、此処へは二度も、三度も出直して来れるところじゃないんだ。それに何時 だって蟹が取れるとも限ったものでもないんだ。それを一日の働きが十時間だから十 三時間だからって、それでピッタリやめられたら、飛んでもないことになるんだ。 ちが 仕事の性質が異うんだ。いいか、その代り蟹が採れない時は、お前達を勿体ない くそっほ 程プラ / ( 、させておくんだ。」監督は「糞壺」へ降りてきて、そんなことを云った。 「露助はな、魚が何んほ眼の前で群化てきても、時間が来れば一分も違わずに、仕事 たち つば
意気込がちがうこと、もう一つの点はそのグループを臨時工ばかりにしないで本工を 入れるようにすること、このことが最も大切なことだ、と自分の考えを云い、彼女も 同意した。 まで それから私達は六百人の首切にそなえるために、今迄入れていたどっちかと云えば 工新式のビラをやめて、ビラと工場新聞を分けて独立さすことにした。 須山にエ新の題を考えて置けと云ったら、彼は「恋のパラシュート」としてはどう 者だ、と鼻を動かした。 生工新は「マスク」という名で出すことになった。私は今工場に出ていないので、 co へんしゅう ←からその編輯を引き受けて、私の手元に伊藤、須山の報告を集め、それをもとにして 蟹原稿を書き、プリンターの方へ廻わした。プリンター付きのレポから朝早く伊藤が受 取ることになっていた。私は須山、伊藤とは毎日のように連絡をとり、エ新の影響を 調らべ、その教訓を直ぐ「マスク」の次の編輯に反映さした。 伊藤や須山の報告をきいていると、会社の方も刻々と対策を練っていることが分っ た。今では十円の手当のことや、首切りのことについては無気味なほど何も云わなく もちろん なっていた。それは明かに、何か第二段の策に出ているのだ。勿論それは十円の手当 を出さないことや、首切りをウマ / ( 、とやってのけようとするための策略であること 206
火夫は、夏の真最中に、ポイラーの柄の長いシャベルを使うときよりも、汗をびつ しよりかいて、足元さえ頼りなくなっていた。降りて来たとき、「俺何しゃべったか な ? 」と仲間にきいた。 学生が肩をたゝいて、「い、 しゝ。」と云って笑った。 「お前えだ、悪いのア。別にいたのによ、俺でなくたって : 壇には十五、六歳の雑夫 「皆さん、私達は今日の来るのを待っていたんです。」 船が立っていた。「皆さんも知っている、私達の友達がこのエ船の中で、どんなに苦し ・つち くる められ、半殺しにされたか。夜になって薄ッペらい布団に包まってから、家のことを 工 思い出して、よく私達は泣きました。此処に集っているどの雑夫にも聞いてみて下さ からだ 、 0 一晩だって泣かない人はいないのです。そして又一人だって、身体に生キズのな いものはいないのです。もう、こんな事が三日も続けば、キット死んでしまう人もい ちょっとでも金のある家ならば、まだ学校に行けて、無邪気に遊んでいれ ます。 る年頃の私達は、こんなに遠く : ・ ( 声がかすれる。吃り出す。抑えられたように静 かになった。 ) 然し、もうい、んです。大丈夫です。大人の人に助けて貰って、私達 は贈い贈い、彼奴等に仕返ししてやることが出来るのです : : : 。」 めじり あらし それは嵐のような拍手を惹き起した。手を夢中にた、きながら、眼尻を太い指先き 129 ふとん ども
それは今迄「屈従」しか知らなかった漁夫を、全く思いがけずに背から、とてつもな いカで突きのめした。突きのめされて、漁夫は初め戸惑いしたようにウロ / ( 、した。 それが知られすにいた自分の力だ、ということを知らずに。 しか そんなことが「俺達に」出来るだろうか ? 然し成る程出来るんだ。 そう分ると、今度は不思議な魅力になって、反抗的な気持が皆の心に喰い込んで行 このうえ った。今迄、残酷極まる労働で擔り抜かれていた事が、かえって其の為には此上ない 船良い地盤だった。 こうなれば、監督も糞もあったものでない ! 皆愉央がった。 ・つじむし でんとう いったん 一旦この気持をつかむと、不意に、懐中電燈を差しつけられたように、自分達の蛆虫 そのま、の生活がアリ / ( 、と見えてきた。 はや 蟹「威張んな、この野郎」この言葉が皆の間で流行り出した。何かすると「威張んな、 この野郎」と云った。別なことにでも、すぐそれを使った。ーー威張る野郎は、然し 漁夫には一人もいなかった。 たびごと それと似たことが一度、二度となくある。その度毎に漁夫達は「分って」行った。 そして、それが重なってゆくうちに、そんな事で漁夫等の中から何時でも表の方へ押 し出されてくる、きまった三、四人が出来てきた。それは誰かゞ決めたのでなく、本 当は又、きまったのでもなかった。たゞ、何か起ったり又しなければならなくなった 109 ため
督、工場代表などのムキ出しの生活をよく知っていた。と同時に、漁夫達の惨めな生 ぶため 活 ( 監督は酔うと、漁夫達を「豚奴々々」と云っていた。 ) も 、ハッキリ対比されて 知っている。公平に云って、上の人間はゴウマンで、恐ろしいことを儲けのために たくら それは見て 「平気」で謀んだ。漁夫や船員はそれにウマ / \ 落ち込んで行った。 いられなかった。 何も知らないうちはい、 給仕は何時もそう考えていた。彼は、当然どういうこと 者が起るかー・ー起らないではいないか、それが自分で分るように思っていた。 生二時頃だった。船長や監督等は、下手に畳んでおいた、めに出来たらしい、色々な 折目のついた服を着て、罐詰を船員二人に持たして、発動機船で駆逐艦に出掛けて行 蟹った。甲板で蟹外しをしていた漁夫や雑夫が、手を休めずに「嫁行列」でも見るよう に、それを見ていた。 「何やるんだか、分ったもんでねえな。」 「俺達の作った罐詰ば、まるで糞紙よりも粗末にしやがる ! 」 「然しな : ・ ・ : 」中年を過ぎかけている、左手の指が三本よりない漁夫だった。「こん ところ な処まで来て、ワザ / 、俺達ば守って、けるんだもの、え、さーーーな。」 その夕方、駆逐艦が、知らないうちにムク / \ と煙突から煙を出し初めた。デ
「誰がアーーー ? この野郎、もう一度云ってみろ ! 」監督はポケットからピストルを おもちゃ 取り出して、玩具のようにいじり廻わした。それから、急に大声で、ロを三角形にゆ がめながら、背のびをするように身体をゆすって、笑い出した。 「水を持って来い ! 」 監督は桶一杯に水を受取ると、枕木のように床に置き捨てになっている学生の顔に、 一度に、それを浴せかけた。 者「これでえ、んだ。ーーー要らないものなんか見なくてもえゝ、仕事でもしやがれー 生次の朝、雑夫が工場に下りて行くと、旋盤の鉄柱に前の日の学生が縛りつけられて いるのを見た。首をひねられた鶏のように、首をガクリ胸に落し込んで、背筋の先端 あら 蟹に大きな関節を一つボコンと露わに見せていた。そして子供の前掛けのように、胸に、 それが明らかに監督の筆致で、 「此者ハ不忠ナル偽病者ニッキ、麻縄ヲ解クコトヲ禁ズ。」 と書いたボール紙を吊していた。 額に手をやってみると、冷えきった鉄に触るより冷たくなっている。雑夫等は工場 に入る迄ガャ / ( 、しゃべっていた。それが誰も口をきくものがない。後から雑夫長の 下りてくる声をきくと、彼等はその学生の縛られている機械から二つに分れて各豪の このもの
した若い漁夫が、 「俺アもう今度こそア船さ来ねえッて思ってたんだけれどもな。」と大声で云ってい た。「周旋屋に引っ張り廻わされて、文無しになってよ。 又、長げえことくたば るめに合わされるんだ。」 ところ こっちに背を見せている同じ処から来ているらしい男が、それに何かヒソノ ( 、云っ ていた。 かまあし 者 ハッチの降口に始め鎌足を見せて、ゴロ / ( 、する大きな昔風の信玄袋を担った男が、 活 生 梯子を降りてきた。床に立ってキョロ , ( 、見廻わしていたが、空いているのを見付け 船ると、棚に上って来た。 蟹「今日は。」と云って、横の男に頭を下げた。顔が何かで染ったように、油じみて、 もれ 黒かった。「仲間さ入れて貰えます。」 ゅう、はり 後で分ったことだが、この男は、船へ来るすぐ前までタ張炭鉱に七年も坑夫をして いた。それが此の前のガス爆発で、危く死に損ねてからーー前にも何度かあった事だ やま がー、ーフィと坑夫が恐ろしくなり、鉱山を下りてしまった。爆発のとき、彼は同じ坑 内にトロッコを押して働いていた。トロッコに一杯石炭を積んで、他の人の受持場ま で押して行った時だった。彼は百のマグネシウムを瞬間眼の前でたかれたと思った。
くぎ おとなしく引いて貰いたいと、暗に釘を打っていた。 私たちはテキ面に困って行った。悪いことには、それが直ぐ下のおばさんに分る。 下宿だけはキチンとして信用を得て置かなければ、うさん臭く思われる。そうなると それはたゞ悪いというだけで済まなくて、危険だった。それで下宿代だけはどうして も払うことにした。だがそうすると、あと二三円しか残らなかった。二三円などは直 ぐ無くなる。笠原は就職を探すために、毎日出掛けて行くし、私も一日四回平均には 者出なければならなかった。私は今まで乗りものを使っていたところを歩くことにした。 ところ 活そのために一つの連絡をとるのに、その前後一二四十分という時間が余分にか、り処に 生よると往きと帰りに二時間もか、り、仕事の能率がメキ / ( 、、と減って行った。私は 党「基金カンパ」を起しているのだと云って、会う同志毎に五銭、十銭とせしめた。こ うなると、須山の「神田伯山」もないものだ、と私は苦笑した。須山や伊藤は心配し てくれた。自分たちは合法的な生活をしているので、金が無くても致命的ということ は尠いし、それに誰からでも金は借りられると云うので、日給から五十銭、一円と私 のために出してくれた。私は、そういう金はウカツに使えないと思ったので、仕事の ための交通費に当て、飯の方を倹約した。なすが安くて、五銭でも買おうものなら、 、、みそ 二三十もくるので、それを下のおばさんのヌカ味噌の中につッこんで貰って、朝、ひ 229 もら
そればかりでなく、最近では働く時間が十時間なら十時間と云っても、もと、はす つかりちがっていた。本エに組み入れられるかも知れないというので、みんなの働き は見違えるほど拍車がかけられていた。前には仕事をしながら隣りと話も出来たし、 キヌちゃん式に前帯に手鏡を吊して、時々覗きこむことも出来たが、今ではボタ / ( 、 そでぬぐ ラシュートなどは電気アイロンを使うので、汗で 落ちる汗さえ袖で拭う暇がない。パ ひろ 出来高からみる ぐッしよりになる。拡げたパラシュートに汗がボタ′ ( 、落ちた。 者と、会社は以前の四〇 % 以上も儲けていることが分った。それに拘らずもと通りの賃 活銀しか払わないのである。それは実際に仕事をしている職工たちにはよく分った。 生 が、みんなは自分の生活のことになると、「戦争」は戦争、「仕事」は仕事と分け 党て考えていた。仕事の上にます / ( 、のしかぶさってくる苛酷さというものが、みんな 戦争から来ているということは知らなかった。だから、その結び付きを知らせてやり りくっ さえすれば、清川や青年団などの理窟をみんなは本能で見破ってしまう。 以上のことから、細胞として、どこに新しい闘争の力点が置かれなければならない かゞハッキリした。清川や熱田などが臨時工のなかに持っている影響を切り離すため に、みんなで「労働強化反対ーとか「賃銀値上げ」とか「待遇改善」などを僚友会に 持ち込ませる。そうすれば彼等は、色々な理窟を並べながら、結局その闘争の先頭に 219 つる もう のぞ
ないかと思われるほど、首が細くしなびていた。 しま 終いに、母親は「もう何日したら安治は帰ってくるんだか ? 」と訊いた。須山はこ れには詰まってしまった。何日 ? 然し今にもクラ / ( 、しそうな細い首をみると、彼 はどうしても本当のことが云えず、「サア、そんなに長くないんでしような : 云ってきたという もちろん 私の母親は、勿論私が今迄何べんも警察に引ッ張られ、二十九日を何度か留置場で 者暮すことには慣らされていたし、殊に一昨年は八カ月も刑務所に行っていた、母親は 活その間差入に通ってくれた。それで今ではそういうことではかえって私のしている仕 なぜ 生事を理解していてくれているのである。ただ何故今迄通り、警察に素直につかまらな 党いのかゞ分らなかった。逃げ廻っていたら、後が悪いだろうと心配していた。 私は今迄母親にはつら過ぎたかも知れなかったが、結局は私の退ッびきならぬ行動 で示してきた。然し六十の母親が私の気持にまで近付いていることに、私は自分たち がこの運動をしてゆく困難さの百倍もの苦しい心の闘いを見ることが出来る気がする。 みずのみ ところが私が家にいた頃から、 私の母親は水呑百姓で、小学校にさえ行っていない。 こたっ 「いろは」を習らい始めた。眼鏡をかけて炬燵の中に背中を円るくして入り、その上 に小さい板を置いて、私の原稿用紙の書き散らしを集め、その裏に鉛筆で稽古をし出 191