仕事 - みる会図書館


検索対象: 蟹工船・党生活者
128件見つかりました。

1. 蟹工船・党生活者

「ずるけてサポるんでねえんだ。働けねえからだよ。」 やま そでじようはく 炭山が袖を上膊のところまで、まくり上げて、眼の前ですかして見るようにかざし 「長げえことねえんだーー・俺アずるけてサポるんでねえだど。」 「それだら、そんだ。」 とさか けんかどり 者その日、監督は鶏冠をピンと立てた喧嘩鶏のように、工場を廻って歩いていた。 生 「どうした、どうした と怒鳴り散らした。がノロ / ( 、と仕事をしているのが一人、 二人でなしに、あっちでも、こっちでも 殆んど全部なので、たゞイラ / ( 、歩き廻 蟹ることしか出来なかった。漁夫達も船員もそういう監督を見るのは始めてだった。上 甲板で、網から外した蟹が無数に、ガサイ、と歩く音がした。通りの悪い下水道のよ うに、仕事がドン / ( 、つまって行った。然し「監督の棍棒」が何の役にも立たないー てぬぐい 仕事が終ってから、煮しまった手拭で首を拭きながら、皆ゾロイ、 「糞壺」に帰っ てきた。顔を見合うと、思わず笑い出した。それが何故か分らずに、おかしくて、お かしくて仕様がなかった。 それが船員の方にも移って行った。船員を漁夫とにらみ合わせて、仕事をさせ、 なぜ こんばう

2. 蟹工船・党生活者

身体つき ( こんなものは大にでも喰われろ ! ) がそのま、分るからである。早く冬が くれば、私は「さ、もう一年寿命が延びて、活動が出来るぞ ! 」と考えた。たゞ東京 然しこういう生活に入ってから、私 の冬は、明る過ぎるので都合が悪かったが。 は季節に対して無関心になったのではなくて、むしろ今迄少しも思いがけなかったよ うな仕方で非常に鋭敏になっていた。それは一昨年刑務所にいたとき季節々々の移り ことほか かわりに殊の外鋭敏に感じたその仕方とハッキリちがっている。 者 これらは意識しないで、そうなっていた。置かれている生活が知らずにそうさせた 活のである。もと、警察に追及されない前は、プロレタリアートの解放のために全身を 生捧げていたとしても、矢張り私はまだ沢山の「自分の」生活を持っていた。時にはエ 党場の同じ組合の連中 ( この組合は社民党系の反動組合だった。私はそこでの反対派と して仕事をしていた ) と無駄話をしながら、新宿とか浅草などを歩き廻わることもし たし、工場細胞としての厳重な政治生活が規制されていたが、合法生活が当然伴う 「交際」だとか、活動写真を見るとか、 ( そう云えば私は最近この活動写真の存在とい すく うことをすツかり忘れてしまっている ! ) 飲み食いが私の生活の尠なからざる部分を 占めていた。時にはこういう生活から、エ細としての仕事を一二日延ばしたりしたこ とがあった。又自分だけの名誉心が知らずに働いていて、自分の名誉を高めるような 251 ささ

3. 蟹工船・党生活者

イ′ ( 、搾り上げて、しこたま儲けることなんだ。そいつを今俺達は毎日やられてるん めちゃくちゃ どうだ、この滅茶苦茶は。まるで蚕に食われている桑の葉のように、俺達の 身体が殺されているんだ。」 「んだな ! 」 てのひら 「んだな、も糞もあるもんか。」厚い掌に、煙草の火を転がした。「ま、待ってれ、今 に、畜生 ! 」 者あまり南下して、身体の小さい女蟹ばかり多くなったので、場所を北の方へ移動す 生 ることになった。それで皆は残業をさせられて、少し早目に ( 久し振りに ! ) 仕事が 党 終った。 船 蟹皆が「糞壺」に降りて来た。 「元気ねえな。」芝浦だった。 「こら、足ば見てけれや。ガク、ガクッって、段ば降りれなくなったで。」 「気の毒だ。それでもまだ一生懸命働いてやろうッてんだから。」 「誰が ! ーー仕方ねんだべよ。」 芝浦が笑った。「殺される時も、仕方がねえか。」 118

4. 蟹工船・党生活者

「歯がゆくて仕方がない。と云った。私は伊藤のこのことは本当だと思った。私たち - っぬば は今度の戦争の本質が何処にあるかということは、ハッキリ知っている。然し自惚れ なく、私たちはそのことをみんなに納得させること、つまりみんなの毎日の日常の生 まず 活に即して説明してやることでは、まだ / ( 、拙いのだ。レーニンは、戦争の問題では 往々にして革命的労働組合でさえ誤まることがあると云っている。そこへもってきて ますます 清川とか熱田とかはモットそれを分らなくするために努力しているのだから、益ゝゝむ 者ず・かしい 生 会社では、此頃五時のところを六時まで仕事をしてくれとか、七時までにしてくれ 船とか云って、その分に対しては別に賃銀を支払うわけでもなかった、そんなことは此 蟹頃では毎日のようになっていた。臨時工などはブッ / ( 、云いながらも、それをしなか もら ったりすると、後で本エに直して貰えないかも知れないと云うので、居残った。が、 六時迄やるとどうしても弁当を食わなければ出来ない。弁当代は出ない。すると六時 迄仕事をやるために、かえって一日の貰い分が減るという状態なのである。それは賃 銀を下げるぞと云わずに、実際では賃銀を下げているやり方なので、みんなは「人を 馬鹿にしてる」と云って、憤慨し出した。伊藤のいるパラシュートでは、六時まで居 残りのときは「弁当代を出して貰わなければ、どうもならん」と、云っている。 218 このごろ

5. 蟹工船・党生活者

するほどにさえも仕事をしていないことを恥じた。 あて ヒゲの家には両親や兄弟が居り、その方からも私の名宛で ( 私たちの間だけで呼ば れていた名で ) レポが入ってきた。ー、ー自分は「白紙の調書」を作る積りであること、 私は一切のことを「知らない、という一言葉だけで押し通していること。みんなはそれ を見ると、 むなくそ 「これで太田のときの胸糞が晴れた ! 」と云った。 ひょりみ 者私たちは、どんな裏切者が出たり、どんな日和見主義者が出ても、正しい線はそれ 活らの中を赤く太く明確に一線を引いていることを確信した。 じんもん 生ヒゲは普段口癖のように、敵の訊問に対して、何か一言しゃべることは、何事もし ゃべってはならぬという我々の鉄の規律には従わないで、何事かをしゃべらせるとい 党 う敵の規律に屈服したことになるというのだ。共産主義者・党員にとっては敵の規律 にではなく、我々の鉄の規律に従わなければならないことは当然だ、と云っていた。 今彼は自分で実際にそれを示していたのだ。 「ヨシ公はシャヴァロフって知ってるか ? と、須山が云った。 「マルクス主義の道さ。」 199 うち

6. 蟹工船・党生活者

らかった。結局三分の一だけ「仕方なしに」漁夫の味方をして、後の三分の二は監督 の小さい「出店」ーーーその小さい「〇」だった。 「それア疲れるさ。工場のようにキチン、キチンと仕事がきまってるわけには行かな いんだ。相手は生き物だ。蟹が人間様に都合よく、時間々々に出てきては呉れないし な。仕方がないんだ。」ーーそっくり監督の蓄音機だった。 こんなことがあったーーに糞壺で、寝る前に、何かの話が思いがけなく色々の方へ 者移って行った。その時ひょいと、船頭が威張ったことを云ってしまった。それは別に 生威張ったことではないが、 「平ー漁夫にはムッときた。相手の平漁夫が、そして、少 ←し酔っていた。 いきなり怒鳴った。「手前え、何んだ。あまり威張ったことを云わ 蟹「何んだって ? ねえ方がえゝんだで。漁に出たとき、俺達四、五人でお前えを海の中さ夕、キ落す位 それッ切りだべよ。カムサッカだど。お前えがどうやって死んだ 朝飯前だんだ。 って、誰が分るツて ! 」 そうは云ったものはない。それをガラ / ( 、な大声でどなり立て、しまった。誰も何 も云わない。今迄話していた外のことも、そこでブッつり切れてしまった。 然し、こういうようなことは、調子よく跳ね上った空元気だけの言葉ではなかった。 108

7. 蟹工船・党生活者

雪だるまのように、漁夫達のかたまりがコプをつけて、大きくなって行った。皆の 前や後を、学生や吃りが行ったり、来たり、しきりなしに走っていた。「い、か、 ぐれないことだど ! 何よりそれだ。もう、大丈夫だ。もう すわ 煙筒の側に、車座に坐って、ロープの繕いをやっていた水夫が、のび上って、 「ど、つした。オ , ーーーイ ? ーと怒鳴った。 皆はその方へ手を振りあげて、ワアーツと叫んだ。上から見下している水夫達には、 船それが林のように揺れて見えた。 「よオし、さ、仕事なんてやめるんだ ! 」 工 ロープをさっさと片付け始めた。「待ってたんだー 蟹そのことが漁夫達の方にも分った。二度、ワアーツと叫んだ。 「まず糞壺さ引きあげるべ。」 ひで 非道え奴だ。ちゃんと大暴風になること分っていて、それで船を 「そうするべ。 出させるんだからな。ーー人殺しだべ ! 」 「あったら奴に殺されて、たまるけアー 「今度こそ、覚えてれ ! 」 殖んど一人も残さないで、糞壺へ引きあげてきた。中には「仕方なしに」随いて来 123 おおしけ

8. 蟹工船・党生活者

の連中も「赤化」のことを聞いてくるものがあった。 何時でも会社は漁夫を雇うのに細心の注意を払った。募集地の村長さんや、署 長さんに頼んで「模範青年」を連れてくる。労働組合などに関心のない、云いなりに なる労働者を選ぶ。「抜け目なく」万事好都合に ! 然し、蟹工船の「仕事ーは、今 では丁度逆に、それ等の労働者を団結ーーー組織させようとしていた。いくら「抜け目 のない」資本家でも、この不思議な行方までには気付いていなかった。それは、皮肉 船にも、未組織の労働者、手のつけられない「飲んだくれ」労働者をワザ / ( 、集めて、 団結することを教えてくれているようなものだった。 工 蟹 九 あわ 監督は周章て出した。 漁期の過ぎてゆく其の毎年の割に比べて、蟹の高はハッキリ減っていた。他の船の 様子をきいてみても、昨年よりはもっと成績がい、らしかった。二千函は遅れている。 監督は、これではもう今迄のように「お釈迦様のようにしていたって駄目だ、 と田 5 った。 113 しやか

9. 蟹工船・党生活者

法の適用もうけていない。それで、これ位都合のい 勝手に出来るところはなかっ 利ロな重役はこの仕事を「日本帝国のため」と結びつけてしまった。嘘のような金 ふところ が、そしてゴッソリ重役の懐に入ってくる。彼は然しそれをモット確実なものにする ために、「代議士」に出馬することを、自動車をドライヴしながら考えている。 ちが マイル が、恐らく、それとカッキリ一分も異わない同じ時に、秩父丸の労働者が、何千哩 ガラスくず 船も離れた北の暗い海で、割れた硝子屑のように鋭い波と風に向って、死の戦いを戦っ ているのだー くそっぱ 工 ・ : 学生上りは「糞壺」の方へ、タラップを下りながら、考えていた。 ひとごと 蟹「他人事ではないぞ。」 「糞壺」の梯子を下りると、すぐ突き当りに、誤字沢山で、 雑夫、宮口を発見せるものには、バット二つ、手拭一本を、 賞与としてくれるべし。 浅川監督。 てぬぐい

10. 蟹工船・党生活者

者 活 「我々の仕事は第二の段階に入ったー と須山が云った。 船 蟹工場では、六百人を最初の約束通りに仕事に一定の区切りが来たら、やめて貰うこ とになっていたが、 今度方針を変えて、成績の優秀なものと認めたものを二百人ほど 本エに繰り入れることになったから、各自一生懸命仕事をして欲しいと云うのだった。 そしてその噂さを工場中に撒きちらし始めた。 私と須山は、うなった。明かにその「噂さ」は、首切りの瞬間まで反抗の組織化さ れることを妨害するためだった。そして他方では「掲示」を利用し、本エに編成する かも知れないというエサで一生懸命働かせ、モット搾ろうという魂胆だったのである。 208 がわ クやパラシュートや飛行船の側を作る仕事を一生懸命にやらなかったら、決して 我が国は勝っことは出来ないのであります。でありますから或いは仕事に少しの つらいことがあるとしても、我々も又戦争で敵の弾を浴びながら闘っている兵隊 さんと同じ気持と覚屠をもってやっていたゞき度いと思うのです。 一言みなさんの覚悟をうながして置く次第であります。 工場長 うわ