まで詳しく話して、比較をやったりするので、笠原は弱った。そして昼過ぎの二時三 時まで寝ていた。私は朝起きても、めしが無いときは、そこの喫茶店に出掛けて行っ よそお た。朝のうちはお客さんは殆んど無かったので、笠原の食うごはんのように装わして、 飯を焚かせ、腹につめこんだ。はじめ笠原が嫌がったが、終いには「この位のこと当 と云うようになった。喫茶店の台所は狭くて、ゴタ′ ( 、していて、ジュ ク / ( 、と湿ッほかった。私はそこにしやがんで、急いでめしをかッこんだ。 かっこう 者「い、恰好だ , 笠原は二階の方に注意しながら、私の恰好を見て、声をのんで笑った。 党 然し笠原の雰囲気はこの上もなく悪い。女主人の生活もそうだし、女のいる喫茶店 ・はか・はなし にはたゞお茶をのんで帰ってゆくという客ではなく、女を相手に馬鹿話をしてゆく連 中が多かった。それに一々調子を合わせて行かなければならない。それらが笠原の心 に沁みこんでゆくのが分った。私はまだ笠原の全部を投げ出しているのではない、機 会があったらと色々な本を届けたり、出来るだけ色々な話をしてやっていたのだ。だ まで が、彼女は今迄よりモット色々なことをおッくうかり、ものごとをしつこく考えてみ るとい、つことをしなくなった。 然し私はそんなに笠原にか、ずり合っていることは出来なかった。仕事の忙がしさ 248
蟹工船 139 い雑夫等が、警察の門から色々な労働の層へ、それ、入り込んで行ったというこ この一篇は、「殖民地に於ける資本主義侵入史」の一頁である。 ( 一九二九・三・三〇 )
は階級的裏切だからな ! 」 そう云って、彼は「我々は彼等の経験からも教訓を引き出すことを学ばなくてはな らないんだ」と、つけ加えた。私と伊藤は、そういうことを色々と知っている須山の きりぬきちょう 頭は「スクラップ・ブック ( 切抜帖 ) 」みたいだというので笑った。 私は実にウカツに私の下宿に入る小路の角を曲がった。だが本当はウカツでもなん アド 者でもなかったのだろう。私は第一こんなに早く太田が私の家を吐こうなどとは考えも へや でん 生だに及ばなかったからである。私はギョッとして立ちすくんだ。二階の私の室には電 い燈がついている ! そしてその室には少なくとも一人以上の人の気配のあることが直 蟹感として来た。張り込まれていることは疑うべくもなかった。ごが、 オ室の中には色々 さしつか と持ち出したいものがある。次の日から直ぐ差支えるものさえあった。 私は然し この「だが」がいけないと、直ぐ思いかえした。 私には今直ぐと云えば、行く処はなかった。今迄の転々とした生活で、知り合いの もはや 家という家は殆んど使い尽してしまっていたし、そういう処は最早二度の役には立た でんしやみち なかった。私はまず何よりこの地域を離れる必要があるので、電車路に出ると、四囲 を注意してから円タクを拾った。別に当ての無い処だったが、
るのは同志ばかりである。それは一人でも同志が奪われてみると、その間をつないで いた私達の気持の深く且っ根強かったことを感ずる。それがしかも私達を何時でも指 以前ある反動的組合のなかで反対 導してきていた同志の場合、特にそうである。 派として合法的に活動していた時は、同じことがあってもこれ程でもなかった。その 時は矢張り争われず、日常の色々な生活がそれをまぎらしていたからであろう。 私は自分のアジトを誰にも知らせないことにして 者下宿には太田が待っていた。 りようかい 活いたが、上の人との諒解のもとに一人だけに ( 太田に ) 知らせてあった。それは倉田 生工業で仕事をするためには、どうしても専任のものを一人きめて、それとは始終会う 党必要があった。外で会っているのでは即刻のことには間に合わなかったし、又充分な ことが ( 色々な問題について納得が行くようには ) 出来なかった。 太田は明日入れるビラについて来ていた。それで私はさっきと打ち合せてきたこ とを云い、明朝七時駅の省線プラットフォームに行って貰うことにした。そこへ がやって来て、ビラを手渡すことになっていた。 急ぎの用事を済ましてから、私達は少し雑談をした。「雑談でもしようか」ニ コ′ ( 、そう云い出すと、「得意のやつが始まったな ! ーと太田が笑った。用事を片付 155 ・つえ
蟹工船・党生活者 あぐら かけ下りた。そして棚に大きな安坐をかいて、その安坐の中で荷物を解いた。色々な ものが出る。 側から母親がものを云って書かせた、自分の子供のたど / \ しい手 ようじ 紙や、手拭、歯磨、楊子、チリ紙、着物、それ等の合せ目から、思いがけなく妻の手 紙が、重さでキチンと平べったくなって、出てきた。彼等はその何処からでも、陸に ある「自家」の匂いをかぎ取ろうとした。乳臭い子供の匂いや、妻のムッとくる膚の 臭いを探がした。 おそ、にかつれて困っている、 三銭切手でとゞくなら、 おそ、罐詰で送りたい やけに大声で「スト、ン節」をどなった。 何んにも送って来なかった船員や漁夫は、ズボンのポケットに棒のように腕をつッ こんで、歩き廻っていた。 「お前の居ない間に、男でも引ッ張り込んでるだんべよ。」 皆にからかわれた。 ッ はだ
こもりうた かす 波が出て来たらしく、サイドが微かになってきた。船も子守唄程に揺れている。腐 しよくと - っ ほおずき った海漿のような五燭燈で、ストーヴを囲んでいるお互の、後に落ちている影が色々 ひざ にもつれて、組合った。ーーー静かな夜だった。ストーヴの口からの赤い火が、膝から まるツさり , 、 下にチラ / \ と反映していた。不幸だった自分の一生が、ひょいと ひょいと、しかも一瞬間だけ見返されるー、ー不思議に静かな夜だった。 たばこね 「煙草無えか ? 」 船「無え : ・ 「無えか ? : 工 「なかったな。」 「おい、ウイスキーをこっちにも廻わせよ、な。」 相手は角瓶を逆かさに振ってみせた。 「おッと、勿体ねえことするなよ。」 「飛んでもねえ所さ、然し来たもんだな、俺も : : : 。」その漁夫は芝浦の工場にいた 簡ことがあった。そこの話がそれから出た。それは北海道の労働者達には「工場」だと 0 もったい
ま、刑事部屋の天井に吊し上げられ、下からその拷問係が竹刀で殴ぐりつけた。彼が 気絶すると水を呑まし、それを何十度も繰りかえした。だが、彼は一言も云わなかっ 伊藤はそのレポを見ると、「まッ憎らしいわねえ ! 」と云った。彼女も二度ほど警 察で、ズロースまで脱ぎとられて真ッ裸にされ、竹刀の先きでコズキ廻わされたこと があったのだ。 者 これらの同志の英雄的闘争は、私達を引きしめた。私はどうしても明日までやって 活しまわなければならない仕事が眠いために出来なく、寝ようと思う、そんなときに中 生の人たちのことを考え、我し、ふん張った。中の人のことを考えたら、眠いこと位 党は何んでもないことだった。ーー、今中の人はどうしているだろう、殴られているだろ う、じゃこの仕事をやってのけよう。そんな風で、我々の日常の色々な生活が中の同 志の生活とそのま、に結びついていた。内と外とはちがっていても、それが支配階級 に対する闘争であるという点では、少しの差異がなかったからである。 201 つる なか
八百人のために ! 」 「そ。あとは点火夫だけが必要なのよ 伊藤はめずらしく顔に興奮の色を出した。 まで 「俺、最近ーーーと云っても、この二三日なんだが、少しジレ , ( 、してるんだ。今迄 色々な遣り方で福本イズムの時代のセクトを清算しながらやってきたが、まだ矢張り それが残っている。今一息というところで、この工場を闘い抜けないのが、そこから 者来ているんじゃないかな : 活須山は私の顔を見て云った。 生「誰かが大衆の前で公然とやらかさないと、闘いにならないと思うんだ。量から質へ 党の転換だからな。ーーー俺、それは極左的でないと思うんだが、どうだろう ? 」 須山は、誰かゞそれを「極左的だ」と云ったかのように、そこへ力をこめて云った。 ドグマ 私は「独断」でなく、「納得」によって闘争を進めて行かなくてはならぬ。それで 私は黙って、たゞ問題が正しい方向に進むように、注意していたゞけだった。ところ が、それは矢張り正しいところへ向ってきていた。殊に伊藤や須山が仕事のやり方を 理窟からではなく、刻々の工場内の動きの解決という点から出発して、而かもそれが 正しいところに合致しているのだ。これは労働者の生活と離れていないところから来 259
「食ったことも、見たことも無えん洋食が、サロンさ何んほも行ったな。」 「糞喰えーーーだ。」 テープルの側の壁には、 一、飯のことで文句を云うものは、偉い人間になれぬ。 一粒の米を大切にせよ。血と汗の賜物なり。 者 一、不自由と苦しさに耐えよ。 活 生 振仮名がついた下手な字で、ビラが賰らさっていた。下の余白には、共同便所の中 わいせつ 蟹にあるような猥褻な落書がされていた。 ちょっと 飯が終ると、寝る迄の一寸の間、ストーヴを囲んだ。 駆逐艦のことから、兵隊 の話が出た。漁夫には秋田、青森、岩手の百姓が多かった。それで兵隊のことになる と、訳が分らず、夢中になった。兵隊に行ってきたものが多かった。彼等は、今では、 ざんぎやくみ おも その当時の残虐に充ちた兵隊の生活をかえって懐しいものに、色々想い出していた。 皆寝てしまうと、急に、サロンで騒いでいる音が、デッキの板や、サイドを伝って、 此処迄聞えてきた。ひょいと眼をさますと、「まだやっている」のが耳に入った。 たまもの なっか
「おい、地獄さ行ぐんだで ! 」 かたつむり 二人はデッキの手すりに寄りか、って、蝸牛が背のびをしたように延びて、海を抱 漁夫は指元まで吸いつくした煙草を唾と一緒 生え込んでいる函館の街を見ていた。 サイド に捨てた。巻煙草はおどけたように、色々にひっくりかえって、高い船腹をすれる \ からだ 蟹に落ちて行った。彼は身体一杯酒臭かった。 赤い太鼓腹を巾広く浮かばしている汽船や、積荷最中らしく海の中から片袖をグイ と引張られてでもいるように、思いッ切り片側に傾いているのや、黄色い、太い煙突、 ナンキンむし 大きな鈴のようなヴィ、南京虫のように船と船の間をせわしく縫っているランチ、 寒々とざわめいている油煙やパン屑や腐った果物の浮いている何か特別な織物のよう な波 : : : 。風のエ合で煙が波とすれる、になびいて、ムッとする石炭の匂いを送った。 ウインチのガラ / ( 、という音が、時々波を伝って直接に響いてきた。 かたそで つば