「や」文覚は、真面目に受けとって、押しいただいた。 「一紙半銭のご奉加も、今の文覚には、かたじけない。路傍にさけんでも、人は、耳を 」うりき かさず、院の御所へ、合力をとて願いに参れば、犬でも、来たかのように、つまみ出さ れる : : : 」 たびあきゅうど 旅商人の堀井弥太は、先へ、足を早めながら、 かわら 「磧へ」と、顎をしやくって、見せた。 うなず 頷きながら、文覚は、てくてくと後からついてゆく。牛の糞と、白い土が、ばくばく と乾いて、足の裏を焦くような、京の大路であった。 * かんよ - つきゅうから - え だが、加茂の堤に出ると、咸陽宮の唐画にでもありそうな柳樹の並木に、清冽な水が ひや ながめられて、冷りと、顔へ、濡れ紙のような風があたる。 どて おみなえし 「ここらでよかろう」二人は堤に坐った。汗くさい文覚の破れ衣に、女郎花の黄いろい 穂がしなだれる。 「しばらくだなあ」弥太がいうと、 「無事か」と、文覚もいう。 「いや、俗身はそこもとのように、なかなか無事ではない」 「俺とても、同じことだ」からからと、文覚は、笑って、 うわさ 「聞かぬか、近頃の噂を」 みやこ 「今日、京都へついたばかり。何のうわさも聞いておらぬ」 あご やた がみ ふん ゃなぎ 1 」ろも せいれつ
「盛遠殿」旅商人はまた、辻の柳樹の蔭から声をかけて、 「もう誰も、お身のまわりに聞いている者はないぞ。ー、ー盛遠殿」文覚は、はっと、勧 ふみ 進の文から顔を離して、いつのまにか、犬もいない辺りの空地に、舌うちをした。そし て、腹だたしげに、 「やんぬるかな ! 」っぷゃいて、勧進の文をぐるぐると巻き、ふところに突っ込んで、 歩みかけた。 ひょけがさ すると、日除笠で顔を縛った旅人は、ついと、彼のそばへ寄ってきて、文覚の肩をた たした。文覚は、じろりと眼を向けて、 ほりいやた 「おう。堀井弥太か」初めて、驚いたらしい顔をして手をのばした。 弥太と呼ばれた旅の男は、なっかしげに、握り合った手を、なぜか急に離して、 みちばた ・ : ) と、眼じらせをしながら、路傍へわかれた。 てばな あかひたたれ さっきの赤直垂の小僧が、ちんと、手洟をかみながら、二人のあいだを、威張って通 って行った。そして、小馬鹿にしたような眼を振向けて、へへラ笑いを投げた。 旅商人は、その眼へ、わざと見せるように、ふところ紙を出して、銭をつつんでい た。そして、文覚の手へ、 ゃなぎ
55 唖の世 「だまれつ」と、呶鳴ったり、 「ぶち壊すそっ」と、檻車のなかで、暴れたりするのである。 ( 手がつけられん ) というように、役人たちが、見ぬふりをしてゆくと、 おり はらから 「俺たちの、同胞よ」文覚は、檻のなかから、いつもの元気な声をもって、呼びかは あずま ひいずあずま 「この檻車は、東を指してゆくのだそ。日出る東の果てを指してーーー。俺は、伊豆に しょ・一う がされてゆく。だが、 そこから必ず窮民の曙光が、遠からぬうちに、さし昇って、こ ( 世の妖雲をはらうだろう」 かんしゃ 「しゃべってはいかん」刑吏が、ささらになった竹の棒で、檻車をたたくと、彼は、 のような声で、 おし 「おれは、唖じゃないつ」 「だまれ」 「だまらんつ。 この世は唖になろうとも、この文覚のロは塞げぬそ」 それからまた、 「天にロなし、人をもっていわしむ」文覚は、よけいに声を張って、尾いてくる群血 へ、朗々と歌って聞かせた。 ふさ っ
・ 4 五 鞍馬の遮那王。ずばと、そういったのである。 はず ひとみもんがく この金的は、よも外れてはいまい というよ , つに、自信をもった眸で、文覚は、じ いっと、相手の顔いろを見る。 かねう うなず : : : うむ」堀井弥太の砂金売り吉次は、えくばをたたえて、頷いた。ふといーー大き な息で、 「 : ・・ : そうか」文覚も、うなずき返した。 ちゃくなんさきのさまのかみよしとも おんぞうし 遮那王といえば、源家の嫡男、前左馬頭義朝の末子で、幼名を、牛若といった御曹子 も ときわ のことだ。常磐とよぶ母の乳ぶさから抗ぎ離されて、鞍馬寺へ追い上げられてから、も う、十年の余になる。 ・ : 」文覚は、黙って、指を繰っていた。弥太の吉次も、黙然と、大文字山の雲 を見ていた。 じようあん 「今年は、承安三年だな」 「さよ , っ 「すると、遮那王様には、お幾歳になられるか」 「十五歳」吉次が、答えると、 0 はやいものじゃ。もう、あの乳くさい源家の和子が、お十五にも相成った しゃなおう やた おさなな もくねん
の葉舞して、ふもとへ散った。 むねなり ろくはらおおじ 範綱と、宗業とが、そこへ降りてきたころには、六波羅大路から、志賀山道への並木 へかけて、 「わあっ 「あれじゃ」人の波であった。埃がひどい。その中を、 「寄るなっ」 ばんげ 「凡下ども ! 」竹や、棒を持ったわらじばきの役人が、汗によごれながら、群衆を、叱 ってゆく。 見るとーー、人間のつなみに押しもまれながら、一台の檻車が、ぐわらぐわらと窪の多 い道を揺られてゆく。 ひ けいりぞうひょう 曳くのは、まだらの牛、護るのは、眼をひからした刑吏と雑兵であった。 うしお もんがく ほ - り・ 「文覚文覚」追っても、叱っても、群衆はついてゆくのである。その埃と、潮に巻きこ まれて、範綱、宗業のふたりも、いっか、檻車のまぢかに押されて、共にあるいてい る。 ふとばしら 丸太か石材でも運ぶような、ふつうの牛車のうえに、四方尺角ばかりの太柱をたて、 こうしぐみ あらい格子組に木材を横たえて、そのなかに、腕をしばられた文覚は、見世物の熊のよ うに、乗せられているのだった。 , 刀ナ . , 、カ、つレ」 よろめくので、彼は、脚をふんばって、突っ立っていた。役人 ; 、よこゝ のりつな かんしゃ
む 「ム、怒った」文覚は、わざと、むっとして見せたが、すぐ白い歯を剥きだして、 ころも 「そういわずと、話せ。法衣は着ても、性根は遠藤盛遠、決して、他言はせぬ」 ・ : 」弥太は、立って、堤のあなたこなたを、見まわしていた。頭に物を乗せ め わらペ いちめがさ * おはらめ 大原女が通る。河原の瀬を、市女笠の女が、女の使童に、何やら持たせて、濡れた草足 とねりまち で、舎人町の方へ、上がってゆく。 よど せみね ほかには、蝉の音と、水のせせらぎと、そして白い水鳥の影が、気だるく、淀に居 っているだけである。 「盛遠」坐り直すと、 「わしの名は、文覚。盛遠は、十年も前に捨てた名まえ、文覚と呼んでくれい」 かえな 口癖が出てならぬ。ならばついでに、俺の変名も、おばえておいて、もらおよ 力」 「ほ。名を変えたか」 たびあきゅうど 一年に一度すっ京都へ顧客廻りに市 「旅商人が、堀井弥太では、おかしかろう。 きちじ かねう る、奥州者の砂金売り吉次とは、実は、この弥太の、ふたっ名前だ」 「え。吉次」 「そう聞いたら、何か、思いだしはせぬか」 「思いだした。 ・ : おぬし、鞍馬の遮那王様へ、密かに、近づいているな」 くらま しゃなおう ひそ みやこ
水に映された月のように、澄みきっていた法話の筵も、風がたったように掻きみだ亠 れた。 「、なにや」 「なんじゃと」 振り向く。起っ。そして、次々に、「行ってみい」と、崩れては、走り去る。もう , だいしゅ うなっては、何ものも映らない大衆の心理を法然は、知っていた。 世「きょ , つは、これまでにしておきましょ , っそ」 きようづくえ の 経机に、指をかけて、頭を、人々のほうへすこし下げた。 残り惜しげな顔もある。また、なお何か、質疑をしている老人もあるし、 にて候そや」 何事が起ったのか、その時後ろの方で、がやがや騒ぎだす者があって、 「え、文覚が」 「文覚が、ど一 , っしたと ? 」 「行ってみい、行って見い」崩れだして、十人、二十人ずつ、わらわらと四条の方へ 駈け降りて行った。 」も′れがく うつ むしろ
* かんじん 声「これは、勧進の状」文覚は、群衆へいって、それから、おもむろに書付をひろげだし わっぱ はじと 眼の隅から、刎き飛ばされたように、六波羅童は、手もちぶさたに、人混みの中へ、 巧引っ込んでしまう。 ひたたれ 赤い直垂が、人垣を掻きわけて、前へ出てきた。 ( 六波羅小僧 ) 人々は、眼と眼で、ささやき合った。不安な顔をして、法師の鈴と、少 みくら ごうぜん 年の鞭とを、見較べた。法師は、傲然と、 「何かっ」と、 ちょう 平家の庁の威光をかさに着て、いかにも、小生意気らしい町隠密の少年は、鞭で、大 地をたたきながら、 富者も餓鬼、ーー貧者も餓鬼、ーーーそして、雲上は政権の争奪と、 「おのれは今、 逸楽の妖雲におおわれていると」 きのう 「ははは : : : 人の話は、仕舞いまで聞け、それは、昨日の源氏の世をいうたのだ。 これから、今日のことをいう。だまって、そこにいて、聞いておれ ! 」 * かみやがみ もんがく ふところ 鈴を、ふところに入れて、その懐中から、文覚は、何やら、紙屋紙に書いた一通の反 古を取り出した。 むち こなまいき まつり
-6 ひたたれ ( ざまを見ろ ) というように、人々は、赤い直垂の尻を、眼で嗤った。 文覚は、勧進の文をひろげ、胸をのばして、さてまた、大声を揚げ直した。 いったは、昨日のこと。さても明日の世はまた、冥々としてわからない。今 しようじるてん * ちょうえん 日が、平和というたとて、生死流転、三界苦海、色に、酒に、金に、跳猿の迷いから醒 しらび。ようし ぎおう めぬものは、やがて、思い知る時があろうというもの。白拍子の、祇王ですらも歌うた ではないか も いず 萌え出るも 枯るるも同じ 野辺の草 いすれか 秋にあわで果つべき 心し給え、大衆。いずれか秋にあわで果つべきじゃ。ここに不肖文覚、いささか思い きせん をいたし、 かくは路傍に立って、われらの同血に告ぐるゆえん。ねがわくは、貴賤道俗 たかおさん こんりゅう 」んぎようじようじゅ ひとみ の助成によって、高雄山の霊地に、一院を建立し二世安楽の勤行を成就させ給え」と眸 をあげた。 ゅうせい 燃えるような眸である。人間同志の今の不安を見過し得ない憂世の血が、その底を流 力いいち力い れている。咳一咳して、 「よって、勧進の状」と、手にひろげていた文を高々と読みはじめた。 だいしゅ ふみ わら ふしよう
まれ 「文覚、おぬしも稀には、お会いなさるか」 あじゃり おととし しよしゃざんもう 「いや、一昨年、書写山に詣でた折、東光房の阿闍梨を訪ねて、その折、給仕に出た稚 の 「噂・によ 子が、後で、それと聞かされて、勿体ない茶を喫んだわと、涙がこばれた。 きぶね ) とびと そうじようだに れば、僧正ヶ谷や、貴船の里人どもも、もてあましている暴れン坊とか」 「さればさ、寺でも、困っておるらしい」 もこっ 「その困り者へ、眼をつけて、はるばる奥州路から年ごとの鞍馬詣では : 読めた」小膝を打って、 かたん ひらいずみ 「ーー奥州平泉の豪族が、奢り振舞う平氏の世を憎んで、やがて源家へ加担の下地でな くて何であろう。これは、世の中が、ちと面白くなりそうだの」それには答えないで、 あおむ 「おや」吉次は、空を仰向いた。ポッ、と雨が顔にあたる。 加茂の水には、小さな波紋へ、波紋が、無数に重なった。東山連峰の肩が、墨の虹を ゃな あおぞら 吐き流すと、蒼空は、見るまに狭められて、平安の都の辻々や、橋や、柳樹や、石を載 よど ばし . よく せた民家の屋根が、暮色のような薄暗い底に澱んでゆく。 声「ひと雨来るな」文覚も、立ちあがって、 「弥太。 いや奥州の吉次殿、して、宿は」 ねぐら 第 「いつも、あてなしじゃ。塒を定めぬほうが、渡り鳥には、無事でもあるし : 「高雄の神護寺へ参らぬか」 じん′一じ おご 0 ははあ、 ち