文覚 - みる会図書館


検索対象: 親鸞(一) (吉川英治歴史時代文庫)
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1. 親鸞(一) (吉川英治歴史時代文庫)

「や」文覚は、真面目に受けとって、押しいただいた。 「一紙半銭のご奉加も、今の文覚には、かたじけない。路傍にさけんでも、人は、耳を 」うりき かさず、院の御所へ、合力をとて願いに参れば、犬でも、来たかのように、つまみ出さ れる : : : 」 たびあきゅうど 旅商人の堀井弥太は、先へ、足を早めながら、 かわら 「磧へ」と、顎をしやくって、見せた。 うなず 頷きながら、文覚は、てくてくと後からついてゆく。牛の糞と、白い土が、ばくばく と乾いて、足の裏を焦くような、京の大路であった。 * かんよ - つきゅうから - え だが、加茂の堤に出ると、咸陽宮の唐画にでもありそうな柳樹の並木に、清冽な水が ひや ながめられて、冷りと、顔へ、濡れ紙のような風があたる。 どて おみなえし 「ここらでよかろう」二人は堤に坐った。汗くさい文覚の破れ衣に、女郎花の黄いろい 穂がしなだれる。 「しばらくだなあ」弥太がいうと、 「無事か」と、文覚もいう。 「いや、俗身はそこもとのように、なかなか無事ではない」 「俺とても、同じことだ」からからと、文覚は、笑って、 うわさ 「聞かぬか、近頃の噂を」 みやこ 「今日、京都へついたばかり。何のうわさも聞いておらぬ」 あご やた がみ ふん ゃなぎ 1 」ろも せいれつ

2. 親鸞(一) (吉川英治歴史時代文庫)

「盛遠殿」旅商人はまた、辻の柳樹の蔭から声をかけて、 「もう誰も、お身のまわりに聞いている者はないぞ。ー、ー盛遠殿」文覚は、はっと、勧 ふみ 進の文から顔を離して、いつのまにか、犬もいない辺りの空地に、舌うちをした。そし て、腹だたしげに、 「やんぬるかな ! 」っぷゃいて、勧進の文をぐるぐると巻き、ふところに突っ込んで、 歩みかけた。 ひょけがさ すると、日除笠で顔を縛った旅人は、ついと、彼のそばへ寄ってきて、文覚の肩をた たした。文覚は、じろりと眼を向けて、 ほりいやた 「おう。堀井弥太か」初めて、驚いたらしい顔をして手をのばした。 弥太と呼ばれた旅の男は、なっかしげに、握り合った手を、なぜか急に離して、 みちばた ・ : ) と、眼じらせをしながら、路傍へわかれた。 てばな あかひたたれ さっきの赤直垂の小僧が、ちんと、手洟をかみながら、二人のあいだを、威張って通 って行った。そして、小馬鹿にしたような眼を振向けて、へへラ笑いを投げた。 旅商人は、その眼へ、わざと見せるように、ふところ紙を出して、銭をつつんでい た。そして、文覚の手へ、 ゃなぎ

3. 親鸞(一) (吉川英治歴史時代文庫)

55 唖の世 「だまれつ」と、呶鳴ったり、 「ぶち壊すそっ」と、檻車のなかで、暴れたりするのである。 ( 手がつけられん ) というように、役人たちが、見ぬふりをしてゆくと、 おり はらから 「俺たちの、同胞よ」文覚は、檻のなかから、いつもの元気な声をもって、呼びかは あずま ひいずあずま 「この檻車は、東を指してゆくのだそ。日出る東の果てを指してーーー。俺は、伊豆に しょ・一う がされてゆく。だが、 そこから必ず窮民の曙光が、遠からぬうちに、さし昇って、こ ( 世の妖雲をはらうだろう」 かんしゃ 「しゃべってはいかん」刑吏が、ささらになった竹の棒で、檻車をたたくと、彼は、 のような声で、 おし 「おれは、唖じゃないつ」 「だまれ」 「だまらんつ。 この世は唖になろうとも、この文覚のロは塞げぬそ」 それからまた、 「天にロなし、人をもっていわしむ」文覚は、よけいに声を張って、尾いてくる群血 へ、朗々と歌って聞かせた。 ふさ っ

4. 親鸞(一) (吉川英治歴史時代文庫)

・ 4 五 鞍馬の遮那王。ずばと、そういったのである。 はず ひとみもんがく この金的は、よも外れてはいまい というよ , つに、自信をもった眸で、文覚は、じ いっと、相手の顔いろを見る。 かねう うなず : : : うむ」堀井弥太の砂金売り吉次は、えくばをたたえて、頷いた。ふといーー大き な息で、 「 : ・・ : そうか」文覚も、うなずき返した。 ちゃくなんさきのさまのかみよしとも おんぞうし 遮那王といえば、源家の嫡男、前左馬頭義朝の末子で、幼名を、牛若といった御曹子 も ときわ のことだ。常磐とよぶ母の乳ぶさから抗ぎ離されて、鞍馬寺へ追い上げられてから、も う、十年の余になる。 ・ : 」文覚は、黙って、指を繰っていた。弥太の吉次も、黙然と、大文字山の雲 を見ていた。 じようあん 「今年は、承安三年だな」 「さよ , っ 「すると、遮那王様には、お幾歳になられるか」 「十五歳」吉次が、答えると、 0 はやいものじゃ。もう、あの乳くさい源家の和子が、お十五にも相成った しゃなおう やた おさなな もくねん

5. 親鸞(一) (吉川英治歴史時代文庫)

の葉舞して、ふもとへ散った。 むねなり ろくはらおおじ 範綱と、宗業とが、そこへ降りてきたころには、六波羅大路から、志賀山道への並木 へかけて、 「わあっ 「あれじゃ」人の波であった。埃がひどい。その中を、 「寄るなっ」 ばんげ 「凡下ども ! 」竹や、棒を持ったわらじばきの役人が、汗によごれながら、群衆を、叱 ってゆく。 見るとーー、人間のつなみに押しもまれながら、一台の檻車が、ぐわらぐわらと窪の多 い道を揺られてゆく。 ひ けいりぞうひょう 曳くのは、まだらの牛、護るのは、眼をひからした刑吏と雑兵であった。 うしお もんがく ほ - り・ 「文覚文覚」追っても、叱っても、群衆はついてゆくのである。その埃と、潮に巻きこ まれて、範綱、宗業のふたりも、いっか、檻車のまぢかに押されて、共にあるいてい る。 ふとばしら 丸太か石材でも運ぶような、ふつうの牛車のうえに、四方尺角ばかりの太柱をたて、 こうしぐみ あらい格子組に木材を横たえて、そのなかに、腕をしばられた文覚は、見世物の熊のよ うに、乗せられているのだった。 , 刀ナ . , 、カ、つレ」 よろめくので、彼は、脚をふんばって、突っ立っていた。役人 ; 、よこゝ のりつな かんしゃ

6. 親鸞(一) (吉川英治歴史時代文庫)

む 「ム、怒った」文覚は、わざと、むっとして見せたが、すぐ白い歯を剥きだして、 ころも 「そういわずと、話せ。法衣は着ても、性根は遠藤盛遠、決して、他言はせぬ」 ・ : 」弥太は、立って、堤のあなたこなたを、見まわしていた。頭に物を乗せ め わらペ いちめがさ * おはらめ 大原女が通る。河原の瀬を、市女笠の女が、女の使童に、何やら持たせて、濡れた草足 とねりまち で、舎人町の方へ、上がってゆく。 よど せみね ほかには、蝉の音と、水のせせらぎと、そして白い水鳥の影が、気だるく、淀に居 っているだけである。 「盛遠」坐り直すと、 「わしの名は、文覚。盛遠は、十年も前に捨てた名まえ、文覚と呼んでくれい」 かえな 口癖が出てならぬ。ならばついでに、俺の変名も、おばえておいて、もらおよ 力」 「ほ。名を変えたか」 たびあきゅうど 一年に一度すっ京都へ顧客廻りに市 「旅商人が、堀井弥太では、おかしかろう。 きちじ かねう る、奥州者の砂金売り吉次とは、実は、この弥太の、ふたっ名前だ」 「え。吉次」 「そう聞いたら、何か、思いだしはせぬか」 「思いだした。 ・ : おぬし、鞍馬の遮那王様へ、密かに、近づいているな」 くらま しゃなおう ひそ みやこ

7. 親鸞(一) (吉川英治歴史時代文庫)

水に映された月のように、澄みきっていた法話の筵も、風がたったように掻きみだ亠 れた。 「、なにや」 「なんじゃと」 振り向く。起っ。そして、次々に、「行ってみい」と、崩れては、走り去る。もう , だいしゅ うなっては、何ものも映らない大衆の心理を法然は、知っていた。 世「きょ , つは、これまでにしておきましょ , っそ」 きようづくえ の 経机に、指をかけて、頭を、人々のほうへすこし下げた。 残り惜しげな顔もある。また、なお何か、質疑をしている老人もあるし、 にて候そや」 何事が起ったのか、その時後ろの方で、がやがや騒ぎだす者があって、 「え、文覚が」 「文覚が、ど一 , っしたと ? 」 「行ってみい、行って見い」崩れだして、十人、二十人ずつ、わらわらと四条の方へ 駈け降りて行った。 」も′れがく うつ むしろ

8. 親鸞(一) (吉川英治歴史時代文庫)

* かんじん 声「これは、勧進の状」文覚は、群衆へいって、それから、おもむろに書付をひろげだし わっぱ はじと 眼の隅から、刎き飛ばされたように、六波羅童は、手もちぶさたに、人混みの中へ、 巧引っ込んでしまう。 ひたたれ 赤い直垂が、人垣を掻きわけて、前へ出てきた。 ( 六波羅小僧 ) 人々は、眼と眼で、ささやき合った。不安な顔をして、法師の鈴と、少 みくら ごうぜん 年の鞭とを、見較べた。法師は、傲然と、 「何かっ」と、 ちょう 平家の庁の威光をかさに着て、いかにも、小生意気らしい町隠密の少年は、鞭で、大 地をたたきながら、 富者も餓鬼、ーー貧者も餓鬼、ーーーそして、雲上は政権の争奪と、 「おのれは今、 逸楽の妖雲におおわれていると」 きのう 「ははは : : : 人の話は、仕舞いまで聞け、それは、昨日の源氏の世をいうたのだ。 これから、今日のことをいう。だまって、そこにいて、聞いておれ ! 」 * かみやがみ もんがく ふところ 鈴を、ふところに入れて、その懐中から、文覚は、何やら、紙屋紙に書いた一通の反 古を取り出した。 むち こなまいき まつり

9. 親鸞(一) (吉川英治歴史時代文庫)

-6 ひたたれ ( ざまを見ろ ) というように、人々は、赤い直垂の尻を、眼で嗤った。 文覚は、勧進の文をひろげ、胸をのばして、さてまた、大声を揚げ直した。 いったは、昨日のこと。さても明日の世はまた、冥々としてわからない。今 しようじるてん * ちょうえん 日が、平和というたとて、生死流転、三界苦海、色に、酒に、金に、跳猿の迷いから醒 しらび。ようし ぎおう めぬものは、やがて、思い知る時があろうというもの。白拍子の、祇王ですらも歌うた ではないか も いず 萌え出るも 枯るるも同じ 野辺の草 いすれか 秋にあわで果つべき 心し給え、大衆。いずれか秋にあわで果つべきじゃ。ここに不肖文覚、いささか思い きせん をいたし、 かくは路傍に立って、われらの同血に告ぐるゆえん。ねがわくは、貴賤道俗 たかおさん こんりゅう 」んぎようじようじゅ ひとみ の助成によって、高雄山の霊地に、一院を建立し二世安楽の勤行を成就させ給え」と眸 をあげた。 ゅうせい 燃えるような眸である。人間同志の今の不安を見過し得ない憂世の血が、その底を流 力いいち力い れている。咳一咳して、 「よって、勧進の状」と、手にひろげていた文を高々と読みはじめた。 だいしゅ ふみ わら ふしよう

10. 親鸞(一) (吉川英治歴史時代文庫)

まれ 「文覚、おぬしも稀には、お会いなさるか」 あじゃり おととし しよしゃざんもう 「いや、一昨年、書写山に詣でた折、東光房の阿闍梨を訪ねて、その折、給仕に出た稚 の 「噂・によ 子が、後で、それと聞かされて、勿体ない茶を喫んだわと、涙がこばれた。 きぶね ) とびと そうじようだに れば、僧正ヶ谷や、貴船の里人どもも、もてあましている暴れン坊とか」 「さればさ、寺でも、困っておるらしい」 もこっ 「その困り者へ、眼をつけて、はるばる奥州路から年ごとの鞍馬詣では : 読めた」小膝を打って、 かたん ひらいずみ 「ーー奥州平泉の豪族が、奢り振舞う平氏の世を憎んで、やがて源家へ加担の下地でな くて何であろう。これは、世の中が、ちと面白くなりそうだの」それには答えないで、 あおむ 「おや」吉次は、空を仰向いた。ポッ、と雨が顔にあたる。 加茂の水には、小さな波紋へ、波紋が、無数に重なった。東山連峰の肩が、墨の虹を ゃな あおぞら 吐き流すと、蒼空は、見るまに狭められて、平安の都の辻々や、橋や、柳樹や、石を載 よど ばし . よく せた民家の屋根が、暮色のような薄暗い底に澱んでゆく。 声「ひと雨来るな」文覚も、立ちあがって、 「弥太。 いや奥州の吉次殿、して、宿は」 ねぐら 第 「いつも、あてなしじゃ。塒を定めぬほうが、渡り鳥には、無事でもあるし : 「高雄の神護寺へ参らぬか」 じん′一じ おご 0 ははあ、 ち