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検索対象: 親鸞(一) (吉川英治歴史時代文庫)
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1. 親鸞(一) (吉川英治歴史時代文庫)

一身のおためによくないのではないかと案じられてなりませんが」 「真情にいうて悪いとすると、自分の信念は語れぬことになる」 ′一う えいざん 「郷に入っては、郷にしたがえと申します。やはり叡山には叡山の伝統もあり、ここの 法師たちの気風だの、学風だのというものもございますから : : : 」 「それに順応せいというのか」 「、こ刄性には一仄きましょ , つが」 「ここの人々の気にいるようなことを説いて、それをもって足れりとするくらいなら、 範宴は何をか今日までこの苦しみをしようか。たとえ、嫉視、迫害、排撃、あらゆるも みほとけぎまんきめ のがこの一身にあつまろうとも、範宴が講堂に立つからには御仏を偽瞞の衣につつむよ わぎ うな業はできぬ」いつにないつよい語気であった。陸善坊は、その当然なことを知って いるだけに、後のことばが出なかった。 たいまっ 右手の闇の下には、横川の流れが、どうどうと、闇の底に鳴っていた。松明の火が、 ほたる 時々、蛍みたいな粉になって谷へ飛んだ。 がけみち ひらち 崕道がきれると、ややひろい、平地へ出た。一乗院までには、もう一つの峰をめぐら なければならない。 しかし、そこに立っと、遥かに京都の灯がちらちらとみえ、あさぎ 色の星空がひらけて足もとはずっと明るくなった。 「待てつ ! 」突然、草むらの中から、誰かそう呶鳴ったものがある。範宴の眼にも、性 善坊の眼にも、あきらかに黒い人影が五つ六つそこらから躍り出したのが見えた。 そむ

2. 親鸞(一) (吉川英治歴史時代文庫)

こっぜん 火に狂った奔牛は、三、四町ほど駈けて行って、忽然と横に仆れてしまった。 はなぐるま 牛が仆れると、燃えていた車蓋は、紅い花車が崩れるように、ぐわらぐわらと響きを みす ながえ 立てて、解れてしまった。そして、蓋も、御簾も、轅も、一つ一つになって、めらめら と地上に美しい炎の流れを描いた。介は、発狂したように、 「和子様ツ」と、飛んで行った。 そして、必死になって、崩れた炎の板や柱を、ばらばらと、手で退けてみた。何らの 熱さも感じなかった。 まつまろ 当然、その中にいる十八公麿は、彼の想像では、もう焼け死んでいるはずだった。け れど、車の下に何ものもなかった。 「あっ・ 途中で ? 」介は、不安とよろこびと、二つの中に立って、そういった。 八方に、かくれていた悪童たちは、布れて、きやっと、逃げ廻った。うろたえて、み ずから火の方へ走って、火の海から逃げられなくなった子供もある。 おば 「助けてーっ」自分で放けた火に溺れて、寿童丸も悲鳴をあげていた。しかし、怒りだ ゃいばひ かしやく した火牛は、反昔。ゝよゝっこ。 イイカオカオ悪童たちを蹴ちらし、郎党たちの刃を轢いて、暗い野末 へ、団々たる火のかたまりを負って駛けて行く。 すけ 和子き、まっ。 和子様あっ」介は、夢中で、それを追った。 0 ほんぎゅう っ たお の

3. 親鸞(一) (吉川英治歴史時代文庫)

圏「そうか、ではすぐに、得度の式をしてとらそうそ。衛門、用意を」僧正の一令に、 みどう 「はつ」と、衛門は立つ。やがて、どっぷりと墨いろに暮れた御堂の棟木をつたわっ ばんしよう て、梵鐘の音が、ひびいてくる。 とも ごんぎよう がん 廊には、龕の灯が、ほのかに点る。勤行の僧たちの姿が、かなたの本堂で、赤くやけ て見えた。 「どうそ、こなたへ 」と一人の僧が、それへ来て、用意のできたことを告げると、 まつまろ 範綱は、十八公麿の手をとって、静々と、橋廊下をわたって行った。 じじゅうのすけ っ 供の侍従介も、影に添って、おそるおそる、二人のうしろから従いてゆく。 しゆく がらん 伽藍には、一山の僧が、居ならんで、粛としていた。 座談の時とはちがって、慈円僧正は、やや恐いような厳そかな顔をもって、七条の袈 きようづくえ こうろ * すいびよう 裟を、きちっと裁いて正面に坐っていた。その前にある経机には香炉と、水瓶をの あじゃりしようはん せ、やや退がって、阿闍梨性範の席、左右には、式僧が、七名ずつ、これも、眼たたき わき ここのつほっしんしゃ もせずに、それへ入ってくる九歳の発心者を、じっと、見つめていた。僧が、そっと側 へきて、 「和子、お召し物を、かえられい」と、教えた。 すいかん 「はい」十八公麿は、すらり、と水干を脱いだ 冷やかな、木綿の素服が、その前へ、与えられる。 , ーー範綱はふと、胸がせまった。 「こちらへ」 おご むなぎ

4. 親鸞(一) (吉川英治歴史時代文庫)

推移を感じた。 「ごらんなさい」と性善坊は、五条の橋に立って、指さした。 あきち 「ーー・あの空地の草原で、子供たちゃ、牛が遊んでおりましよう。あれは、小松殿の 4 ひがしづめ へいし、よう・一くきよもり しようびえん やかた 館のあった薔薇園の跡でございます。また、右手の東詰には、平相国清盛どのの、西ハ ま むしやだま 条の館があったのですが、荒れ果てている態を見ると、今は、誰の武者溜りになって 4 りきす - ことやら」 らん 「変ったのう」しみじみと、範宴はいって、ふと、橋の欄から見下ろすと、そこを行ノ そうそう 加茂の水ばかりは、淙々として変りがない。 はかなくうがいすがた いや、水にも刻々の変化はあるが、人間のような儚い空骸や相を止めないだけのこし きようらく しふん である。西八条や薔薇園の女房たちの脂粉をながした川水に、今では、京洛に満ちる かねと 氏の輩が、鉄漿の溶き水や、兵馬の汚水を流しているのである。 「変れば変るものーー」いつまで立っていても飽かない心地がするのだった、無限の古 ま そして、生ける経典を眼のあたりに見ているように。 理と直面しているように 瞬いと見ればただ儚い。進歩とみれば進歩。また、虚無とみれば虚無 社会はあまりに大きすぎて、人生の真がっかみ難い まちびと たくみ そこらを往来する物売りや、エ匠や、侍や、雑多な市人は、ただ、今日から明日へ ( はや 生活に、短い希望をつないで、あくせくと、足を迅めているに過ぎないのだった。 しゃなおう よしつね 鞍馬の峰にあって、奥州へ逃げのびた遮那王の義経も、短くて華やかなその生涯を たっき ともがら 0

5. 親鸞(一) (吉川英治歴史時代文庫)

「えっ : ・・ : 遮那王殿が」 「油断をしていたため、だしぬかれたと、平家の人たちは、地団駄をふんでおります。 こっぜん そうでしよう、謀叛気がなければ逃げるはずはありません。忽然と、あの稚子が、姿を かくしたのは、まだ、少年ではありますが、明らかに源家の挑戦と見られる」 : 傷ましいことで 「でも、まだ十六歳の小冠者が、どうして、逃げおおせましよう。 、こさいます」 彼女は、ふと、月にかかる雲を見た。ひそかに心のうちで疇っていた従弟の失踪に いくたり また幾人の血につながる者たちが哭くのではないかと戦陳した。 まつまろ そして、気がつくと、自分の膝に戯れていた十八公麿が、いつのまにか、月の光の中 を、他愛なく這いまわって、縁へ出ていた。 十三 「あぶない」と、有範は、彼女が起っまえに立って、十八公麿を抱きとってきた。そし て、自分の膝へのせて、 「近ごろは、もう、眼が離せぬわい」と、わらった。宗業や、範綱は、こもごもに、十 ノ公麿を、あやしながら、 「今のうちに眼の離せぬのはまだよいが、やがて、遮那王のように成人してからが、子 をもっ親は一苦労じゃ」 たわい むほんぎ こかんじゃ な いた しと , 」

6. 親鸞(一) (吉川英治歴史時代文庫)

しゅげんじゃ が、由来、修験者と僧侶とは、同じ仏法というものの上に立ちながら、その姿がひど / 相違しているように、気風もちがうし、礼儀もちがうし、経典の解釈も、修行の法も まるで別ものになっているので、ことごとに反目して、僧は、修験者を邪道視し、修 ぶつだ 者は僧を、仏陀を飯のためにする人間とみ、常に、仲がよくないのであった。 よのなか ことに、山伏の一派は、山法師のそれよりも、兇暴なのが多かった。また、社会か 力いと・つ 姿をくらます者にとって、都合のよい集団でもあったので、腰には、戒刀とよび、ま 4 降魔のつるぎとよぶ鋭利な一刀を横たえて、何そというと、それに物をいわそうとす 2 ふう ような風もあるのである。 ・ : ) 性善坊は、そう考えたので、面持ちを直して、 ( からまれては、 , つるさい : 「では、御用のこと仰せられい」と、素直に彼の方へ、足をもどして行った。 山伏は、いい分が通ったことに優越感をもったらしく、 「うむ」とうなすいた。 おうへい そして、近づいた性善坊へ向って、横柄に 、つ ) 0 「貴様、一人か」と訊し 集「何のことじゃ、それは」 色「わからぬ奴、一人旅かと、訊ねるのだ」 「連れがおる。その連れを見失うたので、急いで行くところじゃ。御用は、それだ」 ろ力」 ) ) うま おもも

7. 親鸞(一) (吉川英治歴史時代文庫)

まよなか 和大納言は、何食わぬ顔をして、真夜半の火の手を自身の住居から待っていたのであ る。そこへ、相国からの使いが来て、 ( 即刻、お出でを乞う ) とあるので、 「ははあ、これは、山攻めの結構を聞いて、相国が、法皇を申し宥めようとする肚とみ える」 そうつぶやいたことだった。 かんむりたおや 行かなければ、疑われる。大納言は、常のとおり、布衣、冠を婀娜かに着なして、鮮 くるま ぞうしき やかな輦に乗った。雑色、牛飼、侍十人以上をつれて、すぐに、西八条へと行った。 ちまた 「や ? 」夜の巷は、真っ赤だった。 たいまっ かがりび 諸方に、篝火が立っている。暗い小路には、松明がいぶっていた。道に捨てられてあ る武器や、人間の首や、胴などを、幾つも見た。 「あらわれたか」と、大納言は、狼狽した。そして、 「返せつ。輦を、もどせつ」にわかに、さけんだ。 ちょう しかし、もうそこは、五条の平家の庁に近くもあったし、いつのまにか、辻々からっ かっちゅう いてきた甲冑の兵が、道の前後を取り巻いているのであった。 きみ 「新大納言の卿におわすか」兵の中から、一人の将が、薙刀の柄をもって、簾を刎ねあ げた。大納言は、おののいて、虚勢も張れなかった。部将は、 「それつ、お迎え申せつ」 くるま なぎなたえ すまい なだ みすは はら

8. 親鸞(一) (吉川英治歴史時代文庫)

かげろう記 「そんなことは : : 」侍女も、落着かない、そして自信のないことばっきで、答える ( である。 「穿物を、だしてください」沈着に、静かなことばで、そういうのであったが、さす きギ、はし に心のうちでは胸が痛いほど案じられているらしい。廊下の階に立って、侍女が、 もの 物をもってくるまも、もどかしげにその眉が見えた。すると、 せんざい 「姉君、どちらへ ? 」前栽の木蔭から、誰か、そういって、近づいてくる者が見える。 おばしま つるばみいろのうし 橡色の直衣に、烏幗子をつけた笑顔が、欄干の彼女を見あげて、 。それに、介も見えず、裏の木戸も、開け放 1 「ひどく、お顔いろがわるいが ? になっているではありませんか」 むねなり : ・今、十八公麿が見えぬというて、介も 「宗業様、よい所へ来てくださいました。 母も、出て行ったところでございます」 「えつ、和子の姿が、見えなくなったと申すのですか」 ひと、ら みちのく 「このごろ、陸奥の方から、人買いとやら、人攫いとやらが、たくさん、京都へ来て やまい 徊いているそうな、もしものことがあっては、良人の病にもさわりますし、私とても うる つよ、に・んでしま , つ。 生きたそらはありません」といううちに彼女の眸は、もう、 はきもの かわら まるい丘と丘が重なりあっている。丘の赤松の蔭からは、瓦焼きの竈の煙が、まっ 」しもと ひとみ すけ みやこ すけ

9. 親鸞(一) (吉川英治歴史時代文庫)

まつまろ かん €「やいつ、十八公麿」と、甲だかい声で、呼ぶ者があった。思いがけない鋭さなので、 すく かなた っちろう 思わず、足を竦めて振りかえると、彼方の山蔭に、土牢のロが見えた。 四 はびこ 山蔭の土牢のロには、雑草が蔓っていた。じめじめとした清水が辺りを濡らしてい 牢のロは、そこらの木を伐って、そのまま組んで頑丈に組んである。誰やら、暗い中 人影がうごいているようだった。 けもの ふつうの音調を失って、獣じみた声で、何かいった者は、その土牢の中の人間で 「そこへ来たのは、十八公麿ではないか。ゃいつ、耳はないのかっ」と、叫ぶのであ る。 わるげ ののし もう忘れていた幼名を呼ぶばかりでなく、悪気のこもった罵り声に、範宴も陸善坊 きも も、ちょっと、胆を奪われて立っていた。 すると、牢の内からする声は、、 しよいよ躍起となって、 「俗名を呼んだから返辞をせぬというのか。だが俺は、、 しくら貴様が、入壇したからと とお はなた しやもん いっても、まだ乳くさい十歳やそこらの洟ッ垂れを、一人前の沙門とは、認めないの もったい だ。ーーー座主が、い くら勿体らしく大戒を授けても、一山の者が、座主におもねって、 盲従しても、俺だけは、認めないそ」そう一自 5 にいって、また、

10. 親鸞(一) (吉川英治歴史時代文庫)

57 壁文 と、私のような智の残いものには、魚に河が見えないように、よけいに昏迷してしま , 一 ばかりで、ほとんど、何ひとつ、把握することができないのであります」 法印の声は、切実であった。 若い範宴は、感激のあまり、思わず彼の手をにぎって、 しし当っカく 「聖覚どの。あなたがいわるることは、いちいち私のいおうとするところと同じです 二人は、ほとんど同じ苦悶をもって同じ迷路へさまよってきたのでした」 なのかななよ 「七日七夜の参籠で、範宴どのは、何を得られたか」 ただ、あなたという同じ悩みをも ( 「何も得ません。飢えと、寒気とだけでした。 人を見出して、こういう苦悶は自分のみではないということを知りました」 - えいふくじ 「私はそれが唯一のみやげです。あしたは叡福寺を立とうと思うが、もう叡山には帰、。 ないつもりです」 「して、これから、どこへさして行かれるか」 「あてはない : : 」聖覚はうっ向いて、さびしげに、 それが生涯果てのな」 「ただ、まことの師をたずねて、まことの道を探して歩く。 ししよく みだ 道であっても : ・ : 」二人の若い弥陀の弟子たちは、じっと、そばにある紙燭の消えか、 る灯を見つめていた。 すると、更けた夜気を裂いて、どこかで、かなしげな女のさけび声がながれ、や′ おえっ あ