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検索対象: 親鸞(一) (吉川英治歴史時代文庫)
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1. 親鸞(一) (吉川英治歴史時代文庫)

ものなら、いわないに限ると、独りで決め込んでいたので、 しゆく かわちじ 「いえ、私もちと、どうかしておりました。木津の宿で、師の房に似たお方が、河内路 へ曲がったと聞いたので、方角ちがいをしてしまったので」そんなふうに、あいまいに 紛らして、さて、疲れてもいるが、月明を幸いに、これから二里とはない法隆寺のこ と、夜をかけて、歩いてしまおうではないかとなった。 たど それから月の白い道を、露に濡れて、法隆寺の門に辿りついたのは、夜も更けたころ さいおんいん いっすい で、境内の西園院の戸をたたき、そこに、何もかもそのままに一睡して、明る日、改め かくうんそうず て、覚運僧都に対面した。 そうず じえん 僧都には、あらかじめ、叡山から書状を出しておいたことだし、慈円僧正からも口添 えがあったことなので、 「幾年でも、おるがよい」と覚運は、央く、留学をゆるしたうえで、 「しかし、わしもまだ、一介の学僧にすぎんのじやから、果たして、範宴どのの求めら うんちく けんそん れるほどの蘊蓄がこちらにあるかないかは知らぬ」と謙遜した。 せきがく けごんしんずい しかし、当代の碩学のうちで、華厳の真髄を体得している人といえば、この人の右に 出ずるものはないということは、世の定評であり、慈円僧正も常にいわれているところ である。範宴はなんとしても、この人の持っているすべてを自分に授け賜わらなければ ならないと思って、 どんぶつ 「鈍物の性にござりますが、一心仏学によって生涯し、また、生きがいを見出したいと まぎ き ) が えいぎん

2. 親鸞(一) (吉川英治歴史時代文庫)

「や」文覚は、真面目に受けとって、押しいただいた。 「一紙半銭のご奉加も、今の文覚には、かたじけない。路傍にさけんでも、人は、耳を 」うりき かさず、院の御所へ、合力をとて願いに参れば、犬でも、来たかのように、つまみ出さ れる : : : 」 たびあきゅうど 旅商人の堀井弥太は、先へ、足を早めながら、 かわら 「磧へ」と、顎をしやくって、見せた。 うなず 頷きながら、文覚は、てくてくと後からついてゆく。牛の糞と、白い土が、ばくばく と乾いて、足の裏を焦くような、京の大路であった。 * かんよ - つきゅうから - え だが、加茂の堤に出ると、咸陽宮の唐画にでもありそうな柳樹の並木に、清冽な水が ひや ながめられて、冷りと、顔へ、濡れ紙のような風があたる。 どて おみなえし 「ここらでよかろう」二人は堤に坐った。汗くさい文覚の破れ衣に、女郎花の黄いろい 穂がしなだれる。 「しばらくだなあ」弥太がいうと、 「無事か」と、文覚もいう。 「いや、俗身はそこもとのように、なかなか無事ではない」 「俺とても、同じことだ」からからと、文覚は、笑って、 うわさ 「聞かぬか、近頃の噂を」 みやこ 「今日、京都へついたばかり。何のうわさも聞いておらぬ」 あご やた がみ ふん ゃなぎ 1 」ろも せいれつ

3. 親鸞(一) (吉川英治歴史時代文庫)

「すみませぬ」 それよりは、体が大切、また後々の思 「今さら、どういうたとて、及ばぬことだ。 ふすま 案が大事。とにかく、衾のうえにいるがよい、ゆるりと話そう」無理に、蒲団の中へも どして、弟にも梢にも、元気がつくように努めて微笑をもちながら先行きの覚悟のほど を聞いてみると、もちろん、恋し合ってここまで来た若い二人は、死ぬまでも、別れる 気もちはないというし、またふたたび、親たちのいる都へ帰る気もないという。 そして絶えず、死への誘惑に迷っている影が、朝麿にも、梢にも、見えるのだった。 しやもん 範宴は、そのあぶない瀬戸ぎわにある二人の心を見ぬいて当惑した。沙門の身でなけ れば、当座の思案だけでもあるのであったが、きびしい山門のうちへ二人を連れてゆく わけにはゆかないし、このまま、この風の洩れる汚い板屋に寝かせておけば、弟の病勢 がつのるのは眼にみえているし、その病気と、心の病気とは、何時、死を甘い夢のよう に追って、敢ない悔いを後に噛むことに立ちいたるかもわからない あしおと すると、外に、その時跫音がしてきた。ここの木賃の亭主であった。無遠慮に入口を 開けて、 がくしよう 「沙門さん、おめえは、法隆寺で勉強している学生かい ? 」と訊くのであった。範宴 は、自分の顔を見て問われたので、 「さようでございます」と答えると、亭主は、 「そして、この病人の兄弟ということだが、ほんとかね」 あえ っ

4. 親鸞(一) (吉川英治歴史時代文庫)

「 . なるほど」 よしみず 「こんな事も仰せられた。 この坂下の吉水に、ちかごろ、年四十ばかりの、ひょ / つきなみ な法師があらわれて、念仏専修の教義をしきりと説いておるが、凡僧の月並とちが ( さんだい て、たまたま、よいことばがある。ーーー参内のせつ、おうわさ申し上げたことじゃっ が、武権争奪、武門栄華の世ばかりつづいて、助からぬは民衆ばかり。その民衆のた ひじり 、民衆の魂を、心から、救うてとらすような聖が出てくれねば、仏法の浄土とは、 かえり ひでり になる。 そうした折に、吉水の法師は、待たれていた旱の雲じゃ。帰途に、一 ちょうもん そちたちも聴聞してゆくがよいと、いわれたがの」 : そんなことまで、ご存じでしたか」 「おしのびで、御門を、お出ましになるのであろう」 「吉水のあたりに、このごろ、熱心な念仏行者が出て、雨の日も、風の日も、説法し一 いるという噂は聞きましたが」 「道のついでじゃ、廻ってみようか」 「さよ , っ 」たいして、心をひかれるのでもなかったが、 二人は、粟田口の僧正が たた ししとい , っノ 世それほど、称える僧とあれば、どんな法師か、姿だけでも、見ておいても、 の らいな気持で、立ち寄った。 きよみず かちょうぎん 歌の中山や、清水の丘や、花頂山の峰々に抱かれて、そこは、京の町を見下ろした かな盆地になっていた。

5. 親鸞(一) (吉川英治歴史時代文庫)

1 め炎の辻 「今宵こそ、山法師ばらに、一泡ふかせてくれねば 」と、弓弦を試し、太刀の革を 巻いて、夜を待っていた。 だが、院の中枢部の人々の肚は、敵は叡山にはなくて、六波羅にあった。山法師を討 っと見せて、平家一門へ私怨と公憤の火ぶたを切ろうとする密策なのであって、刻々 と、夜の迫るのを、待っていた。 せんとう′ ) しょ そこの仙洞御所と、清盛のいる西八条の館とは、目と鼻の先だった。物々しい弓馬の うごきは、すぐ六波羅の御家人から、 「何事か、院の内外に、侍どもがただならぬ軍支度にござりますぞ」と注進されたが、 すぐ、次々に来る物見の者からは、 「あれは、先ごろからの強訴一件で、院のおさばきに楯つく山門の衆を捕り抑えよと令 ′一はっこう せられて、それで御発向の兵馬と申されておりまする」と、訂正した報告が、一致して 清盛は、聞くと、 「さもあるはす」と、うなずいた。 あしもと 言が、自分のすぐ足許から、平家の今の権勢に対して、弓をひくほどな不敵な行動を しようと、安、いしきっているのであった。ところが、 しよう , 一く 「お取次ぎねがいたい。折入って、火急、相国へお目どおりの上で、一大事を、お耳に 達したいと駆けつけてきた者でござる」と、息をきって、西八条の邸に訴え出た者があ ′一うそ やかた いく ) じたく たて ゅづる かわ

6. 親鸞(一) (吉川英治歴史時代文庫)

鮖「 : ・・ : お穴小しください士し : : どの顔をさげて」 「そのために、兄がついて行くではないか。何事も、まかせておきなさい」 そばで聞いていた梢は、不安な顔をして、朝麿がそこを立っと、寝小屋の裏へ連れて 行って、 「あなたは、帰る気ですか」と男を責めていた。 「ーーわたしは嫌です、死んだって嫌ですよ。あなたの兄様は、きっと、お父さんのい いつけをうけて、私たちを、うまく京都へ連れ帰ってこいといわれているに違いありま そむ せん」女には、いわれるし、兄には叛けない気がして、朝麿は、板ばさみになって当惑 そうに俯っ向いていた。 すると、性善坊が様子を見にきて、 「梢どの、それは、あなたの邪推です。お師様には、決して、お二人の心を無視して、 * なまき ただ生木を裂くようなことをなさろうというのではなく、あなたの父上にも、朝麿様の ちちぎみ のぞみ 養父君にも、子としての道へもどって、罪は詫び、希望は、おすがり申そうというお考 じゅんじゅん とくしん えなのです」諄々と、説いてきかせると、梢もやっと得心したので、にわかに、京へ 立っことになった。 ひとヤ ) と ところで、このあいだ宿の借財をたて替えてくれた親切な相客の浪人にも一一一一一口、礼を ひとけ のべて行きたいがと、隣の寝小屋をさしのそくと、誰も人気はない。亭主にきくと、 「はい、今朝ほどはやく、お立ちになりました。皆さまへ、よろしくといい残して いや

7. 親鸞(一) (吉川英治歴史時代文庫)

といえば、見あたり次第に斬って、西国へと落ちて行った。 やかた その折、六条の館も、あの附近も、一様に焼き払われて、範綱は身辺すら危ない身 しようれんいん を、朝麿の手をひいて、からくも、青蓮院のうちに隠れ、箭四郎も供をして、しばらく 世の成りゆきを見ていたが、つらつら感じることのあったとみえて範綱は、ふたたび世 ゃぶち 間へ帰ろうとはせず、髪を下ろして、院の裏にあたるわずかな藪地を拓いて草庵をむす かんしん び、名も、観真とあらためていた。 で、箭四郎にも暇が出たので、宇治の縁家に一人の娘が預けてあるのを頼りに、故郷 ま - 一と へ戻って、共に、生活を励もうと一家をもったのであるが、久しく離れていた実の父よ りは、年ごろの娘には思い合うた若者の方が遥かによいとみえて、家に落着いているこ となどはほとんどなく、姿が見えないと思えば、烏帽子師の国助の家に入りびたってい る始末なのでほとほと持て余しているところなのでーーーと彼は長物語りの末に、 「どうしたものでございましよう」と面目ないが、包み隠しもならず、恥をしのんで、 打ち明けるのであった。 かやの 「なるほど」それで仔細は分ったが、 そう聞けば、萱乃の恋もいじらしいものである。 それを、男の国助は、ほかにも女があって、かくばかり萱乃を苦しませているのはよろ おんな しくない。遊女とかいう国助の一方の情婦をこそ、この際、どれほど、深い仲なのか、 正直に聞かしてもらおうではないか。それが、解決の一策というものだと、まず性善坊 が、なれない話ながら、相談あいてになってみると、国助のいうには、 あさまろ いとま なりわい えばしし のりつな ひら

8. 親鸞(一) (吉川英治歴史時代文庫)

おか ふんぬ を訪ずれた。そして、面を冒して、重盛は、聖徳太子の古言をひいて、憤怒の父を諫め それは、聖徳太子の憲法十七条のうちにあるおことばだった。 人、みな心あり しゅう 心、各 ~ 執あり 彼を是し 我れを非し 我れを是し 彼を非す 是非の理、誰か定むべき あいとも 相共に賢愚なり たま 環のごとく端なし たとえ、人怒るとも とが わが咎をこそ恐れよ 清盛はうっ向いて、内府の声を聞いていた。大納言を殺すことは、思いとまったらし しかし、怒りが解けたのではない。 めしゅうどぐるま やがて、囚人車に乗せられて、都から遠国へ差し立てられてゆく流人が毎日あった。 ざっとう 京の辻は、日ごとに、それを見物する者で雑鬧した。 い一

9. 親鸞(一) (吉川英治歴史時代文庫)

ーもんレう い。かほどまで、平家の門葉ばらに 「さなくば、仰せられても、さしつかえおざるま ちくるい 蹂みにじられ、無視されても、腹のたたぬやつは、うつけか、畜類でおざろうぞよ」 「法皇とても、おなじお気持でいらせられる。御気しきにこそ出されぬが、お憤りはび んなにか、鬱積していらるるのじゃ。さものうては、新大納言はじめ、われらどう歯 しりしたところで、うごきはせぬ。 「加盟にお拒みあることは、せんずるところ、法皇の御意にそむき奉ることにもなる : それでも、ご不承か」 「考えておきます」 「ゆうべも、そう仰せられたままと聞く」 「大事の儀は、大事に考えねば、ご返答はなりませぬ」 「賢いの : : : 六条どの」 「き、よ , つか」 「ふ、ふ、ふ、ふ」 浄憲法師は、嘲むがごとく笑って、ついと、背を向けた。 「では、いずれ再度ーー」すたすたと奥へ衣さばきを切って行った。 あぎ きめ

10. 親鸞(一) (吉川英治歴史時代文庫)

こかんじゃ 男も、まだ十七、八歳の小冠者だった。秘密のさざめ語を、人に聞かれたかと、恥じ るように、顔を赧らめて振りかえった。 「おや : : 」範宴は、その面ざしを見て、立ちすくんた。 若者も、びくっと、眼をすえた。 幼い時のうろ覚えだし、十年も見ないので、明確に、誰ということも思いだせないの であったが、 骨肉の血液が互し。 、こ、いで呼び合った。 ややしばらく、じっと見ているうちに、どっちからともなく、 「朝麿ではないか」 「兄上か」寄ったかと思うと、ふたつの影が、一つもののように、抱きあって、朝麿は 範宴の胸に、顔を押しあてて泣いていた。 うえがみみぞう 会いとうございました。毎日、兄君の植髪の御像をながめてばかりおりました」 「大きゅうなられたのう」 「兄上も」 すこ 「このとおり、健やかじゃ。 して、お養父君も、その後は、お達者か」 路「まだ、お会い遊ばさないのでございますか」 和「たった今、垣の外から、お姿は拝んできたが」 「では、案内いたしましよう。養父も、びつくりするでしよう」 あさまろ あか おも