( 逃がすなっ ) と、声が割れた。 くろうど あるじ 蔵人も、右衛門尉も、また主の範綱も、思わず立ち上がっていた。そして、廊下の を開け放って、 「何事じゃっ」雨に向って、範綱がいった。 いとま しかし、それに答える遑もないように、木蔭や亭のまわりを、逃げる者と追う者の田 と、 2 び ) と い影がみだれ合っていた。そのうちには、蔵人の供人もまじっているらしかった。 はかま いつのまにか、右衛門尉は袴をくくり上げていた。武人らしく、さっと雨のなかへ くせもの り出て、築地を越えて出ようとしている曲者をひっ捕えた。そして範綱と蔵人のあき 顔をしている前へ、するすると引き摺ってくるのであった。 室内の明りは、吹きこむ風に消されていた。範綱は奥へ向って、 ししよくししよく 「紙燭、紙燭ーーー」と、どなった。 きちょう ともしび ふすまや、几帳の蔭から、小さい燈火の光が、掌に庇われながらそこへ運ばれて ひたたれ キ、イ一はし た。雨の打っ階梯の下に、曲者はねじ伏せられている。右衛門尉は、直垂の胸紐をひ 抜いて、曲者の両の手くびを背にまわして縛りつけていた。 かわたび 乱「面を上げい」泥土によごれた革足袋が、曲者の肩を蹴った。曲者は横に倒れたが、 1 ) うき うつむ 面 ぐに坐り直して、剛毅な態度をとった。しかし俯向いたきりで、顔を見せないので + る。 0 蔵人は、廂の下にかたまった自分の供人と、この家の召使たちを眺めて、 おもて ひさし て うち
′一うもん 意地になって、蔵人はそれから後も、たびたびやって来ては、厩牢の曲者を拷問ー 1 」うびよう 曲者の体は、そのために業病のように腫れあがって、やぶれた傷口は柘榴の如く み、そこから白い骨が見えるほどだった。 「ころせ」曲者はいった。 そしてまた、打てば打つほど、あざ笑って、 「これくらいな折檻で、ロを割るような男に、なんで大事な役目を主人が申しつけるツ こっきしん のか。無益なことをせずに、ひと思いに、この首を落せ」むしろ自分の克己心を誇る のように彼は屈しなかった。 ついには、蔵人の方が、根気も尽き、不気味にもなって、だんだんに足が遠くなっ 星 六月に入った。葉ざくらの葉蔭に、珊瑚いろの赤い実が、陽に透いて血のように見ら 乱 う 面 る。熟れきった桜の実は、地にもこばれていた。 まつまろ 十八公麿は、それを、小さな掌にひろい集めていた。すると、裏庭の奥で、 わこさま 「和子様ーーー」と、誰か呼ぶ。 と思って帰った様子なのである。 十 せつかん さん 1 一 あ み ひす うまやろう ぎくろ
範綱は、院の中門へ、駈けるように急いで行った。そして、 すく 「あっ・ ・ : 」と、立ち竦んでいる。 くるま しのび 」の中門の外に、お微行の鳳輦が横づけになっているではないか。法皇は、ひそかに でまし お出御になろうとしている。 さんえ 。しつか多田 いずこへ ? それは範綱には分っていた。六月二日の参会ということま、、 くろうど 蔵人の口から聞いていたのである。それを思い出したれば急いで来たのであるが、ここ へ来るまでは、よもや、法皇がいっかのお言葉をひるがえして、新大納言や北面の不平 しのび 武者にそそのかされて、そんな会合へ敢てお微行をなさろうなどとは、十中の八、九ま で、ないことと信じていた。 けれど、事実は、範綱の正直な考え方とはあべこべだった。やがて、薄暮のころにな ると、武者所の人々がひそかに支度をととのえて、法皇の出御をうながした。 範綱は、樹蔭に身をひそめて、そこの動静を、じっと窺っていた。 十四 あたり 藍草の汁をしばったように、水つばいタ闇が四囲をこめてきた。燭の影が、深殿の奥 から揺れてきた。法皇のおすがたらしい影が、側近の人々の黒い影にかこまれて、お沓 みあし へ御足をかけている。 「しばら / 、つ 」そんな大きな声を出すつもりはなかったが、範綱は思わず大声でさ あいくさ つかカ しよく
法皇は、板ばさみになったお顔つきで、ちょっと、当惑していられたが、範綱が沓の しりそ まえに死を賭して坐りこんでいる姿をみると、むげに、退けられなかった。 もと かしら 「しばしの間、遠慮せい」側近は、お声の下に、無一言の頭を下げて、去るよりほかなか むほん 範綱は、その人々が去るのを待ってから、すでに、新大納言に謀叛の下ごころがある ことを、平家方では、察知しているということを、今日の庄司七郎の言葉を例証とし て、つぶさに、内奏した。 ばうしゅ 法皇は、さすがに、顔いろを変えられた。御自身が、謀主になっても亡したいほど憎 悪する平家ではあるが、それほどにまた、怖ろしい平家でもあるのだった。わけて、法 皇は清盛入道が感情的に激発したらどんなことでもやりかねない男であるということ を、幾つもの実例で骨身にこたえて御承知なのであった。 「やめよう」すぐ、こういわれた。 みゆき ししたに たちまち、鹿ヶ谷への行幸は、沙汰やめになった。武者所の人々は、 かんげん 「いらざる諫言だてをする歌よみめ」と、範綱を憎み、 ととの みくるま 「このままでは、味方の気勢にかかわる」といって、調えた御輦を、空のまますすめ ししたに たいまっ て、松明をともし、暗い道を鹿ヶ谷の集まりへと急いで行った。 ただのくろうど だが、その列の中にいた多田蔵人だけは、途中から闇にまぎれてただ一人どこかへ姿 を消してしまった。 っ , ) 0 から ほろぼ
ろ 66 四 「迷える者と、迷える者とが、ここで、ゆくりなくお目にかかるというのも、太子のお ひきあわせというものでしよう」聖覚法印は、語りやまないで、語りゆくほど、ことば に熱をおびてきた。 えいギ、ん いったい、今の叡山の人々が、何を信念に安住していられるのか、私にはふしぎでな きんらん らない 僧正の位階とか、金襴のほこりとかなら、むしろ、もっと赤裸な俗人にな って、金でも、栄誉でも、気がねなく争ったがよいし、学問を競うなら、学者で立つが ひと しようじん ま よいし、職業としてなら、他人に、五戒だの精進堅固などを強いるにも及ぶまい た、強いる権能もないわけではありませんか」 範宴は、黙然とうなずいた。 「あなたは、・ とう思う。おもてには、静浄を装って、救世を口にしながら、山を下りれ ば、俗人以上に、酒色をぬすみ、事があれば、太刀薙刀をふるって、暴力で仏法の権威 でんぎようだいし を認めさせようとする。ーーー平安期のころ、仏徒の腐敗をなげいて、伝教大師が、叡山 をひらき、あまねく日本の仏界を照らした光は、もう油がきれてしまったのでしよう、 現状の叡山は、もはや、われわれ真摯な者にとっては、立命の地でもなし、安住の域で もありません。 : で、私は、迷って出たのです、しかし実社会に接して、なまなまし るるてんそう い現世の人たちの苦悩を見、逸楽を見、流々転相のあわただしさをあまりに見てしまう しんし なぎなた せ し
った。侍たちが、 「須は ? ・」と問 , っと、 しゅめの ただのくろうどゆきつな つか いった。驚いて、その由を、主馬 「院の北面に勤えまつる多田蔵人行綱でござる」と、 ほうかん - もり・くに 判官盛国まで取次ぐと、 「なに、蔵人が」不審顔をして、平盛国は、奥から出てきた。蔵人は、彼を見るとす しようこくじきじき 「お人伝てには、ちと申し兼ねる大事です。相国へ直々に、お会わせ下さるならば申し のべるし、さもなくば、このまま立ち戻る所存でござる」と、昂奮した声でいった。 蔵人は、庭へまわされた。庭には、侍たちが、きびしい眼をして、彼の姿を、一歩一 歩監視していた。 だいかっ 「坐れつ ! 」大喝されて、蔵人は、 「はつ」思わず、敷物も求めずに、大地へひざまずいてしまった。 ろう し。よう , 一く ふと見ると、相国清盛は、中門の廊まで出て、立っていたのである。五尺二、三寸の とが 中背な人物で、体も肥満質なほうではない、むしろ肩が尖っているし、頬骨は高く痩せ おお ているといったが近いであろう。それでいて、廊の天井へいつばいになるほど、偉きく 見えるのであった。左右の足もとに、ずらりと並んだ近侍たちの頭が低いためもある ひとづ ろう
妻子に対する思慕にも耐えられなくなったというのである。 し・よ、つじのし みうちびと なりたのひょうえ 「もう何をかくしましよう、わたくしは小松殿の御内人です。成田兵衛の郎党で庄司ー ろう 郎という者です。先年はまだ和子様が日野の里においでのころ、無礼を働いたことも るので、うすうす、和子様のお顔は存じ上げておりました」 「ではやはり、蔵人殿のご推察どおり、六波羅方の諜し者じゃな」 「、ゝにも」と七郎・は、きつばりいっこ。 しよ、つこく 「新院大納言が、相国に不満をいだいて、何やら密謀のあるらしい気配、夙く、それ つけ しの主人成田兵衛が感づいて、あの衆の後を尾行よというおいいつけなのです。す「 じようじゅ に、小松殿も、それをお気づきある以上は、もはや、事を挙げても、成就せぬことは あきら 火をみるよりも、瞭かです。決して、お館には、さような暴挙にご加担なされぬよう〔 申しあげたいといったのは、その一事です」 「ほう、それでは、すでに小松殿を初め六波羅では、新大納言の策謀を感づいておら るのか」 てぐすね 「一兵なりと動かしたらばと、手具脛ひいて、待ちかまえているのです」範綱は心の ( あぶない ! ) と、思わず大息につぶやいた。さしあたって不安になるのは、法皇の 4 ん身であった。あれほど、仰せられたことであるから、新大納言一味の策にのせられプ ばん まわ
あいさっ 挨拶もせずに、こそこそと中門の方へ走って消えようとすると、清盛が手の扇子を上洋 うしろ て、背後から叱咤した。 「しやっ ! 捕えて置けつ」 。もり・ 侍たちが、跳びかかって、彼のきき腕をねじ上げると、 とが 「あっ、それがしに、なんのお咎めをつ」蔵人は、もがいた ちく ) のかみさだよし 清盛は、答えもしない。筑後守貞能に向って、何事かいいつけていた。貞能が去フ うだいしようむ さまのかみゆきもり と、左馬頭行盛が呼ばれ、行盛があわただしく廊を駈けてゆくころには、もう右大将宀 ちゅうじようしげひら 盛や、中将重衡などが、庭や、侍部屋に姿をあらわして、何事かさけんでいた。 かっちゅうきゅうせん やしき 一瞬のまに、西八条の邸は、兵の殺気にみちていた。甲冑、弓箭を、身によろって またたく間に、 兵に、兵の数が加わって、殖えてゆく。 ・つ。カ 彼の眼は、別人のように燿宀 こういう空気はまた、清盛の最も好むことらしかった。 , いて、奥の間を閉じこめた。 せんとう 1 一しょ っ あべのすけなり そこへ召された安倍資成は、二十騎ばかりを具れて、仙洞御所へ、急使として駈けイ 一打った。 また、烏丸の新大納言の宿所へも、これは、平服を着た身分のひくい者が、書面を って、吏いに一打った。 ふ せんす
しようこく 、。目国清盛に対 院を中心にして、先ごろから、思いあわされることがないでもなし本 ちゃくし て、瞋恚を燃やしておらるるという噂がもつばらにある。原因は、相国の嫡子の小松壬 - もめ・ むねもり 盛が左大将に、次男の宗盛が右大将に昇官して、徳大寺、花山院の諸卿をも超え、自へ の上にも坐ったということが、何としても新大納一一 = ロ成親には、虫のおさまらない不平一 あるらしい じもく 院の内政はいうまでもなく、叙位、除目のことまで、清盛父子のためにこう自由に亠 もん。よ、つ はくだっ れては、やがて、自分たちの官位もいっ剥奪されて、平家の門葉の端くれへ頒けられ一 ぎしんあんき しまうかも知れない という疑心暗鬼も手つだってくる。 ようす おばめ 法皇にも、近ごろは、平家のこの専横ぶりを憎く思し召されている容子があると見一 さむらいどころ ばうしん とると、成親の謀心は、油がそそがれた。北面の武士といわれる侍所にも、同じよよ ひでり てんぶく な不平分子がたくさんいる。また、民衆も平家の顛覆するのを旱に雲を待つように望ノ とき 、。いわゆる時期到市 でいる秋である。今、策を立てれば、必ず成功するにちがいなし こうした考えの人々がいつのまにか院のうちに、秘密結社をつくって、暗躍してい ひいたずら 乱らしいことを、範綱は、あぶない火悪戯を見るように察していたので、 面 ( ーーそれだな ) とは早くも察していたのであるが、わざと、何もしらない顔をして、 「十三日 : : : 」考えこんでいた。蔵人は、膝をすすめて、 「ぜひ、お繰りあわせをつけて欲しいが」 しんい なりちか
g 「して、当日の集りに見えらるる方々は」 うえもんのじよう ふと・ : っ 「されば」と、右衛門尉は、懐をさぐって、燭の下に、連名の一巻をひろげながら、 しきぶだいふまさつな しゅぎようしゅんかんそうずやましろのかみもとかね おうみの れんじよう ほっしようじ 「ーーー近江中将蓮浄どの、法勝寺の執行俊寛僧都、山城守基兼どの、式部大輔正綱ど うえもんのじよう しんほうがんすけゆき へいほうがんやすより の、平判官康頼どの、また、新判官資行どのを始めとして、かく申す右衛門尉、ならび くろうどゆきつな 、蔵人行綱」と、読んだ。 四 院の文官と、北面の武士と、ものものしく連判してあるのである。 くろうど 範綱は、眼をそらした。そして蔵人の眼をみると、蔵人は、じっと自分の眼を見つめ て、こう秘密をうちあけた以上は、是が非でも加盟させずにはおかない、拒めば即座に ひとみ という殺気のある眸をかがやかしてい 左の手によせている太刀にものいわせても 彼は思案を決めていた。 「なるほど」範綱は、すこし後へ退がった。そのあいだに、 そうず 「ーー・では僧都の庵にあつまると申しても、歌、猿楽などいたして、半日を、風雅に遊 ばうというわけでもないですな」 しんちん 「もとより、表面はーーーそういう態にしてあるが、まことは : ・・ : 」右衛門尉は、深沈と ふ 更けてゆく燭の蔭を、見まわした。 「ーーーまことは、北面の侍ども、また、ただいま読み申した連判の輩が、血をすすり いおり ともがら・