禅房 - みる会図書館


検索対象: 親鸞(三) (吉川英治歴史時代文庫)
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1. 親鸞(三) (吉川英治歴史時代文庫)

き - 一り ぎす 樵夫のような男が、ぶらりと叡山の根本中堂の前に立った。座主の執事らしい僧が ただ 一き、や 「うろんな奴、あれを糺せ」と、院務を執っている一人へ囁くと、 「これつ」ばらばらと、二人ほど、駈けてきて、男の腕をつかまえた。逃げもしなかっ めいせき 「まいつ」と、明析日に 「なんですか」 「おまえは何者だ」 ちゅうげんそう しゅおうばう 「私は、十数年前、当山にいて仲間僧を勤めていたことのある朱王房といっていた者で いんか はりまばう す。もっとも只今では、聖護院の印可をうけ、名も播磨房弁円とかえて、山伏となって 裂おりますが」 花「なに、山伏じゃ」と、異様な彼のふうていを見直して 「山伏たる者が、何でさような姿をし、山刀など差して、お山をうろついているか」 ししたに ぎようえ 「ゆうべの夜中から、鹿ヶ谷の奥峰から山づたいに参ったので、麓にある山伏の行衣を しち - かレ まちれつ 七花八裂 えいぎん

2. 親鸞(三) (吉川英治歴史時代文庫)

( だが、帰らなければならない ) と思うと、よけいに足がすすまないのであった。 鈴虫も、同じような気持らしかった。あのよく笑ってばかりいる、はしゃぎやの彼 / が、じっと、深い眼をして、階段を下り、自分の穿物をさがし、そして暗い大地へ、 り合って足を運びだしたのである。 すると、廻廊の筵を巻いていた若い僧が、 「お : : : 」と、声をかけた。 四 「松虫様ではありませんか」先では、こういって、馴々しくほほ笑みかけながら近づ〔 てきたのであったが、 にやくそう 「どなた ? 」松虫には、思い出せなかった。鈴虫にも考えっかない若僧であった。 若僧は、側へ来て、いんぎんに礼儀をして、 「安楽房でございます」といった。 灯それでもまだふたりが不審な顔をしているので、 しした一に じゅうれん 「私は今、法友の住蓮と二人して、この鹿ヶ谷に住み、今日もかように吉水の師の房 ほうえん 灯 迎えて、幸いに、盛な法筵を営みましたが、すっと以前、師の君に随身して、仙洞御 の あ っ へうかがったことがございます。その折、あなた様にも、鈴虫様にも、お目にかか おりました」 むしろ はきもの なれなれ

3. 親鸞(三) (吉川英治歴史時代文庫)

「師の法然様から ? 」 「いえーー」と、明智房は、いよいよいい難そうであったが、 あ ) ) い しうかくほういん 安居院の聖覚法印から」といって、あわてて旅 「法然上人からではございませぬ。 包みを解き初めた。そして、取り出した一通を、親鸞の手へ差し出すと、 ふみ 「仔細は、このお文に」と、ロをつぐみ、そのまま、後へ退がって、ばらばらとこばれ しずく る松の雫を背に浴びていた。 五 まっ と白けたものが弟子僧たちの顔いろに走った。何事にもかってものに動じた 例しのない親鸞の眉にすら、 「なに、聖覚法印から : : : このお文とな ? 」 不安の影がちらと曇って、やがて読み下してゆくうちに、書状をくりかえしている手 ふる がかすかに顫えを見せた。 ( 唯事ではない ) と、人々の胸には重いものがのしかかった 一 = 口が、この上人の涙ぐ 南親鸞のまっ毛には、明らかに、涙が光っていたのである。 まっげ んだ睫毛を今まで一遍でも見た者があるであろうか。 春 「 : : : お哀傷はさることながら、御赦免の天恩を浴み、おなっかしい京都の土をお踏み 遊ばしてからおかくれなされたことが、せめてものことでござりました」明智房のこと ため ごしやめん ふみ みやこ

4. 親鸞(三) (吉川英治歴史時代文庫)

250 て行く。三郎盛綱は、太刀の緒を解いて、左手に提げ、 っ 「き、らば」と、彼の後に従し かんじゃく ろうか 広くはないが、配所とも見えぬほど閑寂な幾室かがある、短い二ほどの橋廊架を越 えると、そこには何か非凡人のいるものの気配が尊く感じられて、三郎盛綱は、いわれ ぬうちから、 ( ここが上人のお住居であるなーーー ) と感じて、おのずから襟を正しめられて控えてい 西仏は、妻戸の外にひざまずいて、両手をつかえ、 「師の房様。おさしつかえござりませぬか」くんくんと何かのにおうそこの室の内か ら、親鸞の声がすぐ答えた。 「どなたか」 「西仏です。 じつは只今、私の旧友で、師の房にもとくご存じでおわしましよう おうみ が、近江佐々木の庄の住人、佐々木三郎盛綱が、なにか親しくご拝眉を得たうえで、お たず 願いのすじがあると申し、はるばるこれまで訪ねてござりましたので、お会い下さるな れば、有難う存じますが」 : 」何か黙考しているらしくもあるしまた、机のうえでも片づけているのか、 やがて しばらく返辞がなかったが、 いうのが聞えた。 「以」 , っごと、 すまい えり

5. 親鸞(三) (吉川英治歴史時代文庫)

田む , つ」 のり よしみず 「吉水の上人が、あの老をひっさげて、自身のご病気もわすれてなお、法のために、 一日一日をおやみもなく遊ばしていらっしやるお気持も、その願望にほかならない」 「上人のことを思えば、われわれはまだ安閑としていすぎるかも知れぬ」 もったい 「榾に暖まっているのも何か勿体ない気がするのう」 「励、も , つ」 もすこしおれは勉強する」住蓮が、ま 「ム。人を救うには、まずみずからをだ。 た、書物を取り初めたので、安楽房も立って、暗い壇のまえに坐って、念仏の三昧に入 ハチパチと、炉の火がハゼる音だけが聞えた。時折、雨戸のふくらむような峰の風が せいじゃく ぶつかってくるが、それの過ぎた一瞬は、死界のような静寂に返ってしまう。 ふと住蓮は眼をあげ、 「ーー安楽房」と、呼んだ。 「お。何か ? 」 「御本堂のほうの戸を誰かたたいておりはせぬか」 「そうか」耳を澄ましていたが、やがて笑って、 「あれは鹿だよ、それ、いっかこの峰で、捕まえた白毛の鹿が、廻廊へあがって、何か いたずらしておるのじゃ」 ほためく

6. 親鸞(三) (吉川英治歴史時代文庫)

じゅうれん 胸「きようの別時念仏には、住蓮様や、安楽房様も、何か、お話をするのでしようか」 ししたに 「え、あのお二方は、いつも、鹿ヶ谷にいらっしやるのですから、きっと、きようもお 見 , んに、なりましょ , つ」 あか′ ) 「私は、安楽房様のお話を聞いていると、何かしら、嬰児のように、心がやわらいで、 すがすが それから幾日かは、心が清々となります」 「幾日だけではいけないではございませんか」 「でもまだ、念仏に入りまして、日が浅いのですから為方がありません」などと、歓び を語り合ってゆく若い女たちの群れもあった。 松虫は、そういう人たちの輝いている顔を見ると、 うらや (- ーーー羨ましい ) と、心から思った。 ひあし 御所〈帰る時刻ばかり気にして、陽脚の短さを、生のちぢむように惧れている自分 たちに較べて ( みんな生々している ) と思うのであった。 ( あの人たちの張りきった生活と、御所の奥のほの暗い壁絵のような動きのない自分た ちの日常とーー ) こう比較して、考えずにいられなかった。 ふたりは、若かった。うずうずと、今日はその若い血や、夢や、さまざまな青春が、 日常のいましめから解かれて、皮膚の外へ出ていた。 いきいき べつじ の しかた おそ

7. 親鸞(三) (吉川英治歴史時代文庫)

0 「おもとには、何ぞ、都のたよりを聞いておられぬか。何より知りたいのは、師の法然 御房の消息じゃが」 ちょうじ 「さ : : : そのことでござります。実は私は、念仏停止のため、都を追い払われてから、 あかぎ ふもと さめき この先の赤城の麓に草庵をかまえておりましたが、このほど、恩師法然様が讃岐よりご 帰洛と聞いて、すぐ都へ馳せ上り、そしてまたも、この地へ帰ってきたばかりの所でご き、います」 「ホ : : : 恩師ご帰洛のために、都へ上ってお帰りの途中とか。 : それは、よい者に会 いました。 して法然様には、都へご安着の後、いずれにお渡りあらせてか。元の吉 水にお住いか、それともほかに」親鸞の懐かしむ様子に、 「ちょっとお待ち下さい」と、明智房は、暗い顔して、うっ向いた。 いとま 「 : : : その儀につきまして、実は、都において席のあたたまる遑もなく、あなた様へ、 もたら あな お使いを齎すために、私はすぐ東海道をいそいで下ってきたのでございます。 うすし た様のご一行が、木曾路の雪に引っ返して、碓氷へ出たという善光寺からの便りを手に いたしましたので」 「え ? 」親鸞よ、、、 。しぶかしげな眼をみはって、 「ーーーでは、おもとが下られたのは、この親鸞へ、お使いのためにですか」 「そうです」 ほうねん

8. 親鸞(三) (吉川英治歴史時代文庫)

善信が岡崎へもどって来たのは、決して罪がゆるされたからではない むしろ、その重罪が決定したからである。 るざい 越後の国府へ流罪とさだまると、彼は一先ず、評定所の門から出され、その日の来フ ちつきょ までは、岡崎に蟄居と決まった。 勿論ーー上人を訪れることも、官のゆるしがなければできない。同門の友との往来 7 厳禁されている。 それでも不平はいえないことだった。遠国へ流されるまでのたとえ幾日でも、こうー しゅうと て、妻と共に、子と共に、起居がゆるされることになったのは、その裏面に、舅の月払 ぜんこう 禅閤のどれはどな運動があったか知れないのである。あのよき舅御がなかったら、こ , 一 ちょうじせんげ いう寛大があるどころではない、善信の死刑は、念仏停止の宣下があった後、三日を仕 香たずに行われていたにちがいない。その禅閤も、やがて、岡崎を訪れ、 乳「わしはも , っ ~ 嶼かぬ」といった。 ほうねん 善信は、師の法然上人の消息を舅から聞いて、 「さもござりましよう」と、安堵の笑みを泛かべ、 はらわた 生信房は次の間の物蔭に手をついていたが、善信のことばが、いちいち腸に応み一 くるよ、つに田 5 った。 あんど

9. 親鸞(三) (吉川英治歴史時代文庫)

つきのわこう 「この老年になってー・ーこのあるまじき世の態を見ようとは : : 」月輪公は老いた。 夜のうちに白髪になったかと思うばかりに。 こんどの大事変で いやそれより前からも心配は絶えない立場にあったがーーー誰」 ぜんこう りも悲しみ、そして誰よりも肉体へこたえたのは、月輪禅閤であったにちがいない。 きえ 帰依する上人に対して。また、愛しいわが娘の聟ーー善信に対して。 「 : : : 何たること ! 」老いの唇を噛みしめ、 「わしの身で代われるものなら」めったに嘆いたり狼狽えたりしない彼が、 「いても立ってもおられぬーーー」とさえロ走って、幾日かを、物狂わしげに悲しまれ一 いたという町の人々のうわさも、決して、誇張ではなかったろう。 せんげ くるま そしていよいよ宣下の日になると、彼は、老いの身を牛車に託して、 々 「吉水へ」と、命じた。 いぎようお、つじよう 吉水へ これが最後の彼の運びであった。ーー光明の道、易行往生の信をもって 花 あんたん めかるみ った道を、どうして、暗澹たる悲嘆の泥濘として踏まなければならないか、禅閤は、 、もう、人の世がいやになった」牛車の内で、つぶやいていた。 たのである。その結果、善信は死一等を減じられて、 おんる ( 越後国、国府へ遠流 ) と決まったのであった。 寺 ) ま くるま むこ うろた

10. 親鸞(三) (吉川英治歴史時代文庫)

おろ もすそ あま て、髪を剃し、袖も裳も、断ちきって、清楚な尼のすがたになりきってしまいたい念だ けがあった。 「おねがいです」 「どんなお誓いでも立てまする : : : 」そこへ来てからも、彼女たちは、掌をあわさない は . カ . り・っこ。 安楽房と、住蓮は、ついにそれを拒みきれなかった。 というよりも自分たちの若 い清熱と信仰に多分な危うさを覚えだしていたので、 ( そのほうがいい ) と思った。 おそらくまた、鈴虫と松虫のほうにも、同じような怖い動揺が血の中にあったであろ う。お互いが若いのだ、そして極めて危ない火と火を持ち合っているのだ。もしその薄 紙にひとしい一線を越えたがさいご、もうふたたび今の安心と信念はあるわけに行かな おろ いのである。それには、彼女たちの黒髪を剃すことは、どっちに取っても、絶対な誓い であり、反省の姿を持っことになる。 あした 「では、明日にも」と、二人はいったん山を降りて法勝寺へ帰った。そして、改めてま 火た登ってきた。 と 麗わしい尼が二人できた。 火 安楽房は、松虫の黒髪を。 度をさすけた。 すが た かみそり 住蓮は鈴虫の黒髪を、ひとりずつ、剃刀をとって、得