いぎようどう 鸞のいわゆるありのままの仏果を得ている。ーーという易行道の教えは、説いても容易 、人々の理解に受け容れられなかった。 おうじよ、つ わか 在りのままな姿の信心ーー在家往生の如実をどうしたらそういう人々に解らせること ができるだろうか 理論ではだめだ。 ' 学問や知識のうえからそれを野に働く土民たちに教えることは、 きら 親鸞は考えた。 えって、厭われることになるだろう。 と。 説くよりも、実際の生活をして見せることだ - ) ろも はんい 一子の範意は京で育てられている。法衣を着 玉日はすでに世を去っていた。 じゃくねん て、孤独の身を寺のうちに寂然と置いていては、ロに、在家仏果を説き、在りのままの いぎよう 1 、くらく 易行極楽の道を説いても、自身の生活は、やはり旧来の仏家の聖道門の僧と何らの変り なく見えるにちがいない。一般の人たちは、ここに矛盾を見出して、 ( あの坊主が、何をいうか ) と、多分な狐疑を感じているのも無理ではないと思った。 ます、自分の生活から、この百姓たちと、何らの変りのないことを示さなければなら ないと気づいて彼は、 「妻をもちたい」と、周囲の者にもらした。 だんと 西仏と、生信房は、師の房の気持にはやくから共感していたので、さっそく檀徒の小 島武弘に話した。武弘は聞くと、 「まことに、そう仰っしやったのか」と欣んだ。 むじゅん
ぶつだ 「泣かでもよい、さてさておことはまたとない不思議な仏陀の示顕にお会いなされた 「えつ、示顕とは」 みだ 「おことが、罪の戸に手をかけたとたんに、その眸を射た光こそ、弥陀本体の御光での うてなんとするそ」 「わからぬか、おことはそれをもって窓にさしていた夜明けの光というたが、おことは そのせつなに念仏をさけんだというではないか。窓の明りではない、それこそ弥陀本体 ため まこと の御光じゃ、尊い弥陀の示顕に試されたのじゃ、その折に出た念仏こそ、真の念仏、生 涯忘れまいそ」 「わかりました、お師さま ! 」と、石念は合掌して、 みほとけ 「私は、なんたる、果報者でしよう、この眼で御仏を見ました」と、狂喜した。親鸞 は、ことばをかき、ね、 いぎよう 「そなたはまた、この草庵を出て、修行し直すというたが、 それにも及ばぬ、他カ易行 めしゅうど の行者は、ありのままこそ尊い、配所の囚人であれば囚人のままで、在家にあれば在家 のままで、ただいつも、本体の弥陀のすがたを、しかと見て、見失わずに 慈父のような教えだった。石念の心の傷は洗われた、いや大きな欣びにさえなった。 なかだち それからまもなく、石念と鈴野とは、師の媒介で添うことになった。親鸞の寛大と英 よろこ ぎいけ みひかり
198 じようそうねんみよう じゃくねん 石念は眠ると歯ぎしりをする癖がある、よく定相や念名などに注意されるが癒らな もう隣の室の西仏も教順も眠っていた。奥の師の房の室もしいんとして暗い。生信房 ひとりは、常に、寝る間もその師のそばを離れないのが彼の勤めであって、師のやすん ふすま たれごも でいる部屋の垂薦のすぐ外に、、 ころりと、薄い衾をかぶって寝ている この配所の一棟は、雨の日は雨こそ洩るが、風の日は風にこそがたがた揺れるが 実に幸福そうな寝息を夜ごとにつつんでいる。 △フは、ことに幸らしかった。 やびさし ほのかな月が、破れ廂から映しこんでくる。裏の菜種畑の花から、甘いにおいもしの び込むーーー じゃくねん じようそう 「むむむ : : : 」昼間は托鉢のために、何里となく歩くので、石念だの定相だの、若い者 は寝相がわるい。しきりと、あばれるのである。石念はまた、歯ぎしりを噛む。 石念の肩を突ッついた。 「これ」ふと、そばに寝ていた定相が、 くもわら 蜘蛛の笑い さいぶつ たくはっ なお
「まっ . 「およそ、察しはつくが、かくしていては、おもとがかえって苦しもう、 いなさい」 しばらく、手をつかえていたが、 悪うございました、実は今日」と生信房は唇をひらいた。 にいかわむらたくはっ 「かようでござります、あの新川村へ托鉢に廻りますと、いっかお師様がお寄りにな ごかんげ れて、御勧化をしておやりになった、因果つづきでまことに不倖せな三日市の源左衛 夫婦が、私を見かけ、まろぶように、往来へ出て参りました」 「む」 さと しようにん 「夫婦の申すには、聖人様に、念仏の道を諭していただいてからは夫婦の気持もすっ り変り、家は明るく、良人はよく稼ぎ、病人も絶えて、近ごろは、以前のわが家は、 ちょうせき かよ , つに , つれし一涙を法 のようにおばえ、朝夕、聖人様のお徳を拝んでおりまする。 して申しまして、こんな有難い教えを、どうかして、近所の衆、近郷の衆へも知らせイ やりたい、どうか、私に今日は善根をさせてやると思し召して、説教をしてくれとせ みまするゆえ、かねて、お代官から布教はならぬと禁じられてはおりましたが、あまい ) ) みよう′一う 熱心に乞われるままに、その家の近くの松の木の幹へ、所持の御名号を掛けて、拙な」 法話を初めたのでございました」 くち いっておし や った
生きている , いかにも久しぶりにわが家へ戻ってきた善信は生きている人のす 、、ゝただった。相かわらす、はちきれるような健康を持ち、皮膚はすこし焦けて戌黒く、 しるし 何か、山が崩れてきても動じないよう、 しつも濃い眉がよけいに強い意思の象に見え て、悠揚として寛いでいるのだった。 「さだめし、都のうわさ、吉水御一門の凶事、お汝らも、聞いたであろうが」とやがて 、つ それも、若い妻の実社会のどんなものかを多く知らない胸に、唐突な驚きをさせまい と気づかうように、静かなことばで ふたっふさまる 玉日は、生れてまだ二歳の房丸を、胸に抱いていた。 「ま、、存じあげておりました」 「かねて、上人にも、期しておられたことだ。驚くにはあたらぬ」 「、いはいつも決めております」 「それでこそ」と善信はにこと笑って、 庵 「ーーーむしろよろこんでいいことだとさえわしは思う」それは少し意外に感じたのであ 香ろう、玉日は、解きかねたような眉を上げて、良人の顔を見た。善信は、低くことばを 乳続けて、 「なぜならば、今までは、都会の中の吉水禅房であった、都会人へ多く呼びかけた念仏 であった。したがって、われらの説く声ーーわたしたちの信もーー都を中心として思う くつろ や
法勝寺の山荘は閉まっていた。昼は、信徒の参詣や、山と町との往来もあるが、夜 ーしーしたに は、この鹿ヶ谷一帯が、一点の灯もない闇であった、海のようなうなりが樹々をゆすっ ている谷や峰つづきであった。 ほたひ 「住蓮、もう眠ろうか」安楽房は、ちょうど衰えかけた榾の火を見つめていった。 ほた その榾の明りで、住蓮は書物を読んでいたが、根気をつめた背骨を伸ばして、 「む : : : 更けたらしいな」 「しんしんと、寒うなった」 た 「もすこし焚こうか」薪を加えると、炉はまた、赫々と炎をあげた。煤で黒くなった天 井が赤く映る。 「はやいものだな、この無住の山荘へ来てから、もう数年」 「その数年の間に、とにかく微力ながら、念仏門の一道場を、社会に加えたのだ、一枚 の田を、開墾したのだ。それを思うと、おたがいに愉快だな」 みほとけ よみ 「ウム、御仏も、おれたちの奉仕を嘉してくださるだろう。 同時に、おれたちの生 活も、今は、感謝と輝きに充ちきったものだ」 「こういう、憂いなき、安らかな感謝の一日一日を、どうかして、今の昏迷な埃の中に わ おれはそればかりを ある実社会の人々たちへも、知らしめたい、頒けてやりたい。 うつ ふ まき あかあか すす こんめい
「ここばかりじゃねえ、おれの念仏嫌いを承知のくせに、亭主のいやがることを、うハ のみ は、故意にするのだっ。さつ、きようはもう勘弁できねえからそう思え」腹巻から鑿わ 抜いて、右の手にひらめかせた。 」お吉は逃げ廻った。人々も、うろたえて、 「あれつ、助けてつ 「あぶないつ、平次さん、そ、そんな乱暴なことをしないでも」 さえぎ 「何をいやがる」平次郎は、眼をつりあげて、自分を遮る者を睨めまわし、 せつかん 「おれの女房を、おれが折檻するのだ、自体、てめえ達が、ばかなお手本を出すからレ くねえ」そういって、 ぎようそう 「やいつ」とまた、お吉の方へ、怖ろしい形相を向け直してわめくのだった。 しっても懲らしても、また家を留守にしやがって、こんな所へ来てよく 「あれほど、、 わすけ ふしんば : ははア分った。この普請場にや、和介の野郎が仕事〔 粋狂な真似をしてやがるな。 きているので、てめえは、信、いにことよせて、和介の顔を見に来やがるのだろう。 いや、そうだ、そうに違えねえ」 「ま : : : なにをお前さん」 次 の しいや、てめえが、和介の奴に、妙な素振りを見せていることは、おらあとうに知 田 さもなくて、べら棒め、その日暮しの貧乏人が、駄賃も出ねえタダ 和ているんだ。 河 きをなんでする」 9.
27 ろ春は南へ と、呶っこ。 「え : : : 士ロ報とは」 お勅使が着いて今すぐこれへおいでなさる」 「お勅使だ。 まろこ 「えつ、御下向ですか」ふたりは、転び込むように、奥の房へ駈けこんだ。 年景の家来たちは、表へ廻って、庵室のうちへ春を告げるように、大声でいって廻 ( のりみつきよう 皆さま皆さま。お欣びあれ、勅使岡崎中納言範光卿が御下向なされ、主人の年旦 が案内してただ今これへ見えられましようぞ」そういって、雪を蹴立てながら、人々 2 ふもと すぐ麓へ引っ返して行った。伝え聞いて、 ごしやめんせんげ 「さては、御赦免の宣下」と、房の人々は、にわかに色めき立った。 こおど 西仏などは、子どものように、雀躍りして、 しようしんばう 「御赦免じゃ、御赦免じゃ」と、はしゃぎ廻った。まだ何も知らなかった生信房は、 仏があまりはしゃいでいるので、 わけ 「この、おどけ者」と背をどやした。。こが、 オその理を聞くと、 : そ、それはほんとか」と、どっかと坐ってしまって 「えつ、御赦免の勅使が ? うれし泣きに、泣き出した。 静かなのはーー依然として親鸞のいるーー奥の一室であった。 め・んしげ - う 勅使の一行が通ってきた北国の駅路には、綸旨下向のうわさが、当然、人々の耳目 うまやじ
うえもんのじようかねあき 右衛門尉兼秋の部下が、 「これへ召されい」万一を固めるのか、善信の左右を鉄槍や刀の柄で囲みながら、そう 「ご苦労です」善信は、官の人々へ、静かに一礼して、輿のうちへかくれた。 おえっ 嗚咽する者もあった。粛とし すすり泣く声が、その時、誰からともなく流れた。 た一瞬に 「輿を上げい」と、右衛門尉兼秋がいう。玉日は、われを忘れて、 「、もしつ・ ・ : 」房丸を抱いて、輿の下へよろめいた。 「ひと目、も , つひと目」 「邪魔だっ」と、官人たちは罵って、 「歩め、歩め」と猶予する輿を急きたてた。 とやどや その声をうしろに、。 房丸がーーー母のふところでいつまでも泣いていた。 と人馬の列は草庵を離れて行く。 かくみよう 性善坊や木幡民部や覚明、弟子の人々も、遠くまでは許されないまでも、せめて行け しようしんば・つ 善る所まで、師のおん供をーーーとその後から慕って行った。だが、生信房ひとりは、 あと 野「裏方さまが」と、後へも、心をひかれて、泣きぬく房丸をあやしながら、自分も共に 泣いている玉日の姿を見ると、そこを去りかねていた。 5 「さ、裏方さま。お嘆きはさることながら、それでは、師の房のお、いにもとりまする。 こばたみんぶ し しゆく
うにして、自分たち、随身の者ばかりの手で、師の輿を捧げて行った。 七条を西へ。大宮を下って、鳥羽街道を真っすぐに進んでゆくのであった、その 途中の辻々や、畷や、民家の軒や、いたる所に、上人の輿を見送る民衆が雲集して、 「おいたわしや」 「勿体ない」 」貴賤のべつなく押し合って、中には輿の前へ走り寄り、 「なむあみだ仏 この日ノ本の 「あなたのお体は、遠国へながされても、あなたの生命はー・ー・念仏は 大地から失われません」と、絶叫する若者だの、 「これを上人様にーー」と、真心こめた餅や、紙や、花などの供物を捧げる老媼だの、 あと 「せめて、お足の痕の土を」と、輿の通った後の砂を紙にすくっている女だの、名状し 難い哀別のかなしい絵巻が、到るところで描き出された。 さらば」と、大地に坐って伏し拝む人々とまじって、月輪の老公は、大宮口まで 従いてきて、その輿を見送り、すぐ牛車を返して、岡崎のほうへ急いだ。 かわ いっとき もう一刻後の卯の下刻には、上人を見送ってまだ乾く間のない涙の目で、さら むすめむこ 、わが息女聟の善信を、こんどは、北の雪国へ向って送らなければならなかった。 ひのよしのぶ 日野釜ロ信 っ なわて おうな ひもと