親鸞 - みる会図書館


検索対象: 親鸞(三) (吉川英治歴史時代文庫)
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1. 親鸞(三) (吉川英治歴史時代文庫)

215 草の月 代官が来たと聞くと、百姓たちは、垣の間や裏の方から、われ勝ちに逃げ散ってし + って、縁には、親鸞ただ一人取り残されていた。 表のほうで、その時、 「上人はご在宅か」と、訪れが聞えていた。 供も連れていなかった、馬も曳いてきた様子がない、代官萩原年景は、藁草履一つ ( そばくみなり 粗朴な身装で、 「上人ご在宅なれば、お目にかかりたいと存じてうかがいました。当所の支配をなす井 あるじ 原年景にござりまする」と、まだ主の声もすがたも見えないうちから、年景は、荒れ田 - 」うべ やびさし てた配所の破れ廂へ向って、いんぎんに頭を下げている。 しい」と、親鸞は立った。ずっと出て 「どなたで在すか」 「お忘れにござりますか、年景です。折入って、ご拝顔を得とう存じて、参上いたしキ 「やれ、ようお越された、案内もいらぬ風ふき通すこの住居、ささ、おあがりなされ」 カカ 「御免を」と、年景は身を屈めたまま屋根の下へ入ったが、この暑さに腐れている や、壁の穴や、屋根から洩る陽の光を見て、暗然と、そこへ坐ったまま、しばらく顔 7 おわ すまい わらぞうり

2. 親鸞(三) (吉川英治歴史時代文庫)

とうぞ親鸞がたのみを聞き入れて下さるまいか」 参った、。 ののし 「人を悪しざまに罵って、その上の頼み事、聞き入れる耳はない」 「では、多年、寵愛した女子が、死のうと生きようと、お身はかまわぬというか。親 ですらかなしいものを」 「よけいな世話をやくな」 「わしがやくのではない、御仏が世話をやかれるのじゃ。山吹は、わしが庵室へかく ていはっ て剃髪したいというが、親鸞は今、かくの通り、流人の身のうえ。ーー朝命に対して 憚りあること。その願いは聞かれぬによって、山吹の縁者たちの住む土地ーーー京へもび き一と って、願いを達したがよいといい諭して連れてきたのじゃ。おん身の手をもって、どニ : どうじゃ、その頼みなら聞いてくだ そ、山吹を元の京都へ返してやって欲しい るであろうが」 「 : : : 置いて行けつ」年景は、噛んで吐き出すようにいった。自分の側女が、彼の手〔 、まいま よって届けられたことは、感謝するどころではなく、むしろ忌々しくて堪らなかった。 「頼みもせぬに、山吹を連れてきたか。連れてきたなら仕方がない、その女を置いて 家疾く立ち帰るがよかろう。物欲しげに、うろうろいたしておると、承知せぬそ」てれ の しである。年景はそういって、まだ騒いでいる家来たちへ、何か当りちらしながら、 炎 居のうちへ姿を消した。 おなご

3. 親鸞(三) (吉川英治歴史時代文庫)

「ご存じないか、出家には門がないことを。ーー権門も、富者の門も、貧者の門も、す べて僧には同じものでしかない」 「貴さま、この年景に、理窟をいいに来たのか」 「ちがいます、托鉢のためでござる。そして、わしが布施を受けると共に、おん身にも 布施したいものがあって」 「乞食坊主から、なにを貰おうそ、無礼者め」 「仰せられな、この親鸞の眼から見れば、おん身は気の毒な貧者でしかない」 「おれが、貧者だと」 「眼に見える物の富の小ささを、年景どの、ご存じないか。なんと、この北国の貧村 かん にしのとういん すじゃく ) 」うけっ と、痩せたる民の膏血で作った第宅の見すばらしさよ。京の朱雀、西洞院のあたりの官 やしき 衙や富豪の邸ですら、われらの眼には、ただもののあわれを誘う人間の心やすめの砂上 うつ いわんや北国貧土の小代官が奢り沙汰、片腹いたいと の楼閣としか映らぬものを。 いうほかはない」 「罪囚 ! 」年景は、大地を蹴って、怒った。 ののし 「おのれ、流人の身をもって、代官たるこの身を、罵ったな」 「あたりまえなことを申しあげたのです。今わからなければ、後になって分りましょ : だが用向きは果たしても そういう折へ、無駄な説法、わしもやめにする。 おなご どらねばならぬ。年景どの、お身が養っていた山吹という女子、海辺から親鸞が連れて 0 ていたく ふせ おご

4. 親鸞(三) (吉川英治歴史時代文庫)

でいるのだ」 しすてて、なおも先〈 「よに、峠の上で、貝が鳴らぬうちは、懸念はない」常陸坊はい、 足を早めた。 ぜってん しめなわゆ そな のりば とーー峠の絶巓に、四方へ竹を立て、注連縄を結い、 白木の壇を供えた祈疇場が見豸 ちょうぶく′一ま た いちしちにち 先ごろから親鸞調伏の護摩を焚いて、一七日のあいだ、必死の行をしていた那珂の ばそくいんそうつかさ はりまのきみペんえん 力いと、つ むしろ 婆塞院の総司。ーー播磨公弁円は、銀づくりの戒刀を横たえて、そこの筵に坐っていた。 しようせい 京都の聖護院から国守の佐竹家に招請されて下ってきたという豊前の僧都という ( は、この弁円であった。 彼のまわりには、同じ装いの山伏が、ものものしく居ながれていた。ざっとそこだ」 でも、十二、三名はいる。その他、あちらこちらに潜んでいる者をあわせたら、どれ冖 どの人数が、この板敷山の樹や岩かげに息をひそめているものか分らない。 「オオ常陸坊か。 途中の物見や合図は、手ぬかりはあるまいな」 「もう、親鸞の師弟どもが、見えてもよい時刻ですが」 あせ 王 「焦心るな、今日あいつが柿岡へ出向くことはたしかなのだ。 雀効があらわれたものといえる、前祝いに、 一杯飲め」 きと、つ ・ : 七日の祈疇は顕然レ

5. 親鸞(三) (吉川英治歴史時代文庫)

親鸞さん。といえば、木樵も、百姓も、市人も、自分たちの慈父のようになっか しみ、彼のすがたは、地上の太陽のように、行く所にあたたかに、そして親しみと尊敬 をもって迎えられた。 力し その地方の布教に、努力の効を見た親鸞は、暇があると、山をこえて、越後や越中の うず . けしもつけ また、を越えて、上野や下野の方面〈もたびたび出 国々へもよく杖をひいた。 こういって角間の草庵へ顔を見せたの 「しばらくでございました」突然、二年ぶりに、 し・ようしんばう ふるさとあまぎ は、故郷の天城へもどっていた生信房であった。 「おう、生信房か、きのうも噂していたところ、よう戻ってこられた」西仏や光実は、 いつも変りのない温情で彼を迎えた。 「上人は」と、何よりも先に訊く。 、よ、よお元気でいらせられる」 「お変りもない。しし 「それ聞いて、安心した」と、生信房は落着いて、やがてその後での話だった。 ひたちしもつま 彼は、故郷の天城に、一人の老母をのこしていたが、母の生家が元々、常陸の下妻な 華ので、そこで老後を養いたいというので、母を背に負って、何十年ぶりかで、常陸へ帰 二つて行った。 下妻の人々は、老母を背に負って帰ってきた生信房をながめて、誰も彼も驚き顔をし なぜならば、この老母のひとり息子というのは、天下に隠れもない兇悪な大盗 いちびと

6. 親鸞(三) (吉川英治歴史時代文庫)

鈴野どのの部屋に、一道の白い光が、仏光のように映して見えたからでした」沈痛な声 である 筧の水の音がどこかでして、鈴野も親鸞も、そこになく、彼一人が独りでロ走ってい るかのように静かであった。 「ーー後でよく考えて見ますと、その光というのは、鈴野どのの部屋の窓が隙いていた ので、夜明けの光が射し込んでいただけのことだったのです。 : けれど夜もすがら、 熱病のように悶々としていた私は、夜が明けていたとも考えておりません。真っ暗な部 屋の中とばかり思っていた眸を、不意に、怖ろしい光明で射られたので、そのまま、う ッ伏してしまうと、思わず、念仏をさけんでしまいました。次には、しまったと思う悔 いと涙とでうろたえながら、逃げ出しました。身の置きどころもないように」 げどう 「どうそ、お師さま、私を今日かぎり、破門して下さいませ、私は、外道に落ちまし ひざもと た、改めて修行をし直した上、ふたたびお膝下へお詫びしに参ります」親鸞は瞑目して ひとみ 子いた眸をうすく開いて、そういう石念のすがたを愛し子のように見入った、彼はまだ道 た念の至らないこの若僧の悔いに打ちのめされて慚愧している有様を見ると、あだかも二 見たち を十歳だいのころの自分を見ているような気がするのであった。 「石念」 かけひ ひとみ ぎんき

7. 親鸞(三) (吉川英治歴史時代文庫)

うとく 非凡人であったと心から考え出して、そういう有徳の僧に毒矢をつがえた身のほどが恐 てんけん ろしくなってしまった。平常は冷笑してた天譴とかいうことも、真剣に思い出されて、 初めの元気を喪失してしまったばかりでなく、寒々と峠の笹むらを渡るタ風の中に、ぶ いだ るぶるっと心の底からおじけに似た戦慄を抱いた。 うめ 「ーー出し抜かれた」独りこう呻いて、やり場のない憤怒に、眉をあげているのは弁円 であった。 はりまのきみ 「かくまで、吾々を愚弄して、なにおめおめと十六房の主権、播磨公弁円といわれて人 まいす に面をあわされよう。 よしつ、この上は、稲田の売僧小屋を踏み破って、親鸞の首 捻じ切ってくれる。ーー見ておれつ」 ガラリと、手の弓を投げ捨てて一散に麓へ向って駈けて行った。 おじけ すでに、法気に襲われ、最初の気勢を失ってしまった他の山伏たちは、呆っ気にとら れて、魔王弁円のすさまじい後ろ姿を、ただ見送っている。 板敷山から三十余丁を、弁円は、一気に駈けてしまった。火焔のような息をきって、 彼方に見えた灯影へ向って近づいて行った。 ここだな」 稲田の庵室と見るや否、弁円は、柴の折戸を土足で蹴って、案内もなく、つかっかと 庭の闇へ駈け込んだ。そして、仁王立ちとなって、 「親鸞はおるかっ」と、呶鳴った。 かなた おもて そうしつ ふもと あ

8. 親鸞(三) (吉川英治歴史時代文庫)

ちまつり 「血祭を与えろ」 つるうな ピュッ と誰かの手から弦唸りを切って毒矢が飛んだ。けたたましい馬の悲鳴が、 たにみず ふたたび谷間に谺して、腹に矢を突き立てた馬は渓流の中へ飛びこんで、渓水を真っ赤 馬子は驚いた様子で、盲走りに、向側の絶壁へかじりついた。見ていると、そこにも そまみち 杣道があるらしく、馬子の姿は、たちまち見えなくなった。弁円は、歯がみをして、 「察するところ親鸞と生信房のふたりは、どこか、俺たちの気づかぬ間道を廻ったと見 えるそ。それつ、手わけをして、谷の下、峰の上、八方の細道をさがして引っ捕えろ」 かりゅうど 猟人のように、山伏たちは、熊笹や木の中へ飛びこんだ。陽はいっか山の端にかくれ しめ て、冷たい気が白々と降りてくる。衣の袖は湿っぱく濡れ、はなればなれになった人数 こだま は、おのおの道に迷って、おおウいと仲間を呼んでも、谺のほかの答えはしなかった。 はりまのきみ 播磨公殿つ」 「弁円殿つ。 声では返事がないので、そうしきりに呼んでいた一人の山伏は、岩の上から法螺貝を ふいた。 大きく二度、三度、四度と。 ( 何事やある ) ( さては、親鸞を ) と山伏は方々から再び峠の一カ所に群れ集まった。その中には、眉 間に青白い焦躁を刻んでいる弁円の顔もあった。 「なんだ、相模坊」 み む み

9. 親鸞(三) (吉川英治歴史時代文庫)

鸞は、僧房の窓を振向いて、 しようしんばう 「生信房はいるか」するとすぐ、生信房は外へ出てきて、 「おお。 ・人フ日もお出かけなされますか」 「大地を素足で踏むと、一日も踏まずにはおられぬような気のするほど、よい心地 じゃ。西仏にも、後から来よと告げてくだされ」 。い」と、生信房が、あわてて支度にもどってゆくと、その間にもう、親鸞は、檜の 大きな笠をかむって、すたすたと田の方へ出て行った。 稲田数千石の田の面は、一眸のうちに入ってくる。植えられた田ーーまだ植えられな い田がーーー縞になって見えた。あなたこなたには、田植笠が行儀よく幾すじにもなって 並んでいるのである。その笠の列も、空を飛ぶ五位鷺の影も、田水に映っていた。 「お上人さまがいらっしやったげな」田の者が、彼の姿を見つけて、すぐ伝え合った。 「おお、ほんとに」 「あんなお姿で来る所を見ると、さつばりわしらと見分けがっかんわ」 「都にあれば、尊いお身でいられるというのに、なんで、わしらと一緒になって、この 泥田の中へ、好んでお入りになるのじやろ」 みの 「お上人さまの功徳でも、この秋は、ふッさりと穂が実ろうそや」そういうことばの下 から、はや晩の教えを思い出して、念仏を口にする声もながれた。親鸞は、そこへ来 て、 ひとめ ひのき

10. 親鸞(三) (吉川英治歴史時代文庫)

2 ろ 6 の煙のうちに、唇をむすんでしまった。 暗黙のうちに、他の二人もうなすいた。やはり口に出せなかった気持なのである。そ れは、彼らの潔癖にとって、最も忌わしく感じられることなので、それを是認すること はらから は、自分たち法の同胞の醜悪を認めるような気がするからだった。 もっとも、石念のそれは、あの都から来たふたりの女性がここに共に住むようになる 前から、本質的に、なにか焦々しているふうが見えた。 それが、火となって鈴野への恋となっていることを、こう三人はうすうす知ってい れいべっ しゅう 恋をーー女への仏弟子のそういう態度を、極端に冷蔑し、むしろ醜にさえ考えている 三人には、石念のそれからの挙動が、ことごとにおかしくて、馬鹿らしくて、そしてこ んな男が同房のうちにいるということだけでも、何かしら、腹立たしかった。 っ この教順を初め、三名の弟子は、元々、京都から従いてきた親鸞の古い弟子ではなか った。親鸞が北国へ来る途中からの随縁であった。それだけに、この人々のどこかに しようどうもん 教のーー。聖道門の観念とにおいが強くこびりついていた。 ふけ 「また、あの竹林の奥へ入って、ばつねんと考え事に耽っているのじゃないか」と、 人々は、すずしげな夏の月を見あげた。 * たかむら 月光の下には、深い篁が夜露に重くうなだれていた。 「そうかも知れぬ : ・・ : 」定相は、苦笑した。そして、 もと のり くち ぶつでし によしよう