入っ - みる会図書館


検索対象: 親鸞(三) (吉川英治歴史時代文庫)
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1. 親鸞(三) (吉川英治歴史時代文庫)

ひゅ , つつ と風の翔けてゆくたびに、万樹は、身ぶるいをし、木の葉が、雨のよ , 一 に天地に舞 , つ。 うるし 日が暮れると、裏日本の海は、漆のような闇につつまれるが、月のある夜は、物凄、 青味をもって、ここの廂の下から望まれるのであった。 「曇ってきたなあ」弟子のひとりは、あまりの淋しさに、声を出してこういった。 ひうちいしす 庵室の中で、しきりと、さっきから燧打石を摩っていたべつな僧が、舌打ちして、 と」も 「だめだ、い くら骨を折って、明りを燈そうとしても、こう風がひどくては、ひとと七 雪 るも灯が持っていやしない」 「やめたがいいだろう」 机 「でも・ : ・ : 闇では」 巧「そのうちに、月がのばるよ。 「待ってくれつ、オオウイ、その船待ってくれつ」生信房は、ザブザプと腰の辺まで亠 るにんぶね に入って、湖をすべってゆく流人船へ手を振りあげた。 ゆき つくえ 机にふる雪 ひさし 月明りで間に合せておいたほうがいし」

2. 親鸞(三) (吉川英治歴史時代文庫)

1 ろ 6 坐ると、もう兄弟は、胸がいつば、だった。 同じ都の、すぐ目と鼻の先にいながら、二人の会う折は極めて稀れだった。会うごし に、何から話し出してよいかと思い惑うほどに : 「近いうちに、越後へお立ちなされますそうな」 「む。ーーー十六日というお沙汰じゃ」 : では・も , っ間近に」 「十六日。 「されば、お汝とも、これがお別れじゃ。ひたすら、修行をされい」 。し」 * ど 「お汝の師、慈円僧正は、わしにとっても、幼少からの恩師。思えば、お手をとって亠一 もう うれ 蒙のお導きをして賜うたころから今日まで、憂いご心配のみかけて、その後のご報恩レ : この兄の分も共々に尽してたもるようにの」 ては何一つしていなかった。 : けれど、遠流の日が、 「きっと、励みまする。そして今のおことば忘れませぬ。 六日ということでは、兄上には、もう慈円僧正にお会いあそばす折も」 「むすかしかろうの。 ・ : 吉水の上人にも、一目お会い申しとうて、月輪の老公におハ おとと : しかし弟、この釜ロ信は害 がいしてあるが、どうやら官のおゆるしはならぬらしい しゅじよう けちえん 国へ流さるるとても、決して、悲しんでたもるまい。念仏弘世のため、衆生との結縁 ( き画うげ こくみよう ため、御仏の告命によって、わしは立つのだ。教化の旅立ちと思うてよい」 「お心のうち、そうあろうかと、尋有も考えておりまする」 ふたり おんる

3. 親鸞(三) (吉川英治歴史時代文庫)

げてきて、 「御状でございます」と、そこへ差し置いた。ふと見ると ほくえっ 北越小丸山配所中 しやもんさいぶつ 沙門西仏 と差出人の名が目についた。 「ーーー沙門西仏、沙門西仏、はてのうーー・どうも覚えのない名じゃが」四郎高綱はつぶ ゃいた。 手にとった書面の名に、酔眼をばうとみはって、小首をかしげているていであった かくみよう が、やがて封を切ってみると、中の書状には、太夫房覚明という別名が記してあった。 「なんじゃ、あの覚明か」大きく笑ったのは何か懐かしい者を思い出したものであろ う、玄蕃のほうをちらと見てこういった。 「そのむかし木曾殿の手についておった荒法師じゃ。今では西仏と名を変えて北越にお けだる きようそく るものとみえる。 : : : 何を思い出して書面をよこしたか」杯を片手に、気懶い体を脇息 にもたせかけながら高綱はそれを読んでいた。 しの 初めは、昔なっかしい戦場の友を偲んで、微笑をたたえてこれに向っていたが、ふ なんべん と、苦いものでも噛みつぶしたように唇をむすんでしまうと、同じ所を何遍もくりかえ

4. 親鸞(三) (吉川英治歴史時代文庫)

国時はそこで、自分の手によって、東国念仏門第一の伽藍の建立を発願したので + る。 もちろん、親鸞もそれをゆるすところとなって。 「権之助」 「この分では、案外、棟上げもまたたくうちだの。すくなくも、竣工には二、三年はユ かろうというていたが」 「・仰音に、こぎ、います・」 「そちの精励じゃ」 ぶぎよう 「滅相もない」と、建立奉行の藤木権之助は、恐れるように手を振った。 おそ 「畏れながら、かように工事の早く運んだのは、殿のご威光もさることながら、ひと豸 ごろう に上人の徳が人をうながすものと思われます。ーー御覧じませ、あちらの作事場をーー きき あのように幼い女子供から、髪の白い老人までが、賃銀も求めすに、しかも嬉々とー がらん て、石を運び、材木の綱を曳いております。なお、この近郷の者ばかりでなく、伽藍 次立の噂がったわると、招かすして、遠国から、無数の信徒が集まってきて、お手伝い これには私も、 のさせて賜われと、これも、慾得なく働いているのでございます。 和のうちで、実は驚き入っておりまする」 がらん しゅんこう ほっがん

5. 親鸞(三) (吉川英治歴史時代文庫)

しつまで同じことをいってるんだ」彼は、うるさい意見でも聞くように、 あくび ロのうちで舌打ちを鳴らし、「わ、わ、あーー」と、大きな欠伸をかみころした。 悪人ーーといったような声がふと耳に入った。四郎はぎよっとして首をもたげた。 ) いギ一 ( 俺のことを何かいっているんじゃねえか ? ) 猜疑の眼を光らして見まわすのであっ いくたび 善信の法話の言葉のうちにである。幾度も、悪人という語が用いられた。悪人という 語が出るたびに、四郎はぎくりとして、 つらあ ( 俺へ面当てをいってやがる ) と思った。 周囲に充ちている聴衆は、相変らず熱、いに、善信の法話に耳をすましているだ けであって、四郎のほうを見る者などは一人もないのである。 カカ しかし四郎は、多くの人々が、自分に無関心であるとないに拘わらず、悪人という一一一一口 しやく 葉が癪にさわった。こんど何か自分の面当てがましいことをいったら、躍り立って、壇 たくら にいる善信の襟がみを引っ掴んでやろうと、いに企んでいるらしく、じっと、聞き耳を欹 てて、善信のことばを聞いていた。 じゅんじゅん すると、その耳へ諄々と入ってきたのは、善信の説いている真実な人間のさけ くり・き びであった。他力の教えであった。念仏の功力だった。 、どんな人間でも、心 えり つか

6. 親鸞(三) (吉川英治歴史時代文庫)

ギよい もりつな 盛綱とよぶ者ーーー折入って上人に御意得とう存じて、はるばるこれまで身ひとつで参 ( おっとめの折とあらば、他の室にてお待ち申すも苦しゅうござ た者でござる。 ぬ、お取次だけを」と、行きとどいている会釈。 もりつな おうみ よっ と教順は胸に大きなものをぶつけられた気がした。近江の佐々木盛綱といら ばこの辺土にも知れ渡っている源家方の豪族である。 さいぶつばう あわただしく、奥へ告げに行くと、ちょうど廊下でぶつかった西仏房がそれと聞」 て、 「なに、佐々木殿が見えたと」っかっかと彼は玄関へ出てきたのである、そしてほの ゅうやみのきば るいタ暗の軒端に、その人の影を透かして見て、 「やあ」と、なっかしげにいっこ。 かくみよ ) っ 「三郎盛綱どのか。珍らしい珍らしい、元の木曾の幕下太夫房覚明じゃ」 「えっ ? 」と、盛綱は、意外な旧知を見出して驚きながら、 : オオなるほど、世も変ったが、おぬしがかような所におろ , 一 「木曾の覚明じゃと。 とは、さてさて時の流れは、思いがけないことになるのう」 「ます上がれ」と、西仏は遠来の旧友に、昔の武者言葉を出して、 「師の上人もご在室、ゆるりと昔語りもしよう」先に立って、いそいそ奥の室へ案内ー ばっか

7. 親鸞(三) (吉川英治歴史時代文庫)

まに、世の波へおまかせ置き下さりますように。 また、玉日が身と、房丸が身と ちょっかんこうむ は、かように勅勘を蒙って流さるる私が、配所へ連れ参ることもかないませぬよって、 ふびん 何ぶんともに、。 こ不愍をおかけ賜わりませ」 月輪の老公は、黙然と、何度もうなずいて、聞くのであったが、 「玉日や、房丸が身は、わしが手にひきとって、守ろうほどに、必ず、お案じなさらぬ がよい」といった。釜口一言は、につこと夭って、 「それをうかがって、私も、なんの心がかりもありませぬ」 そこ 「ただ、おん身こそ、気候風土の変る越路へ下られて、身を害ねぬように」 「お気づかい下さいますな、幸いにも、善信は、幼少から身を鍛えておりますほどに」 かんく 「む。 : おん身が歩まれてきた今日までの艱苦の道を思えばの」 「このたびの流難などは、ものの数でもございませぬ」思わず話し込んだことに気づい て 「玉日」と、善信は妻をかえりみ、 「支度いたそう」といって、奥へ入った。 ころも なしうちえ ひたたれ 一室のうちで、善信は法衣を脱いだ。朽葉色の直垂衣に着かえ、頭には、梨子打の烏 帽子を冠る 玉日は、その腰緒を結んだり、持物をそろえて出したりしながら、さすがに涙があふ れてきてならなかった。こうしている間が、二人だけの別れを惜しむ間であったが、 何 かむ 0 きた

8. 親鸞(三) (吉川英治歴史時代文庫)

鸞は、僧房の窓を振向いて、 しようしんばう 「生信房はいるか」するとすぐ、生信房は外へ出てきて、 「おお。 ・人フ日もお出かけなされますか」 「大地を素足で踏むと、一日も踏まずにはおられぬような気のするほど、よい心地 じゃ。西仏にも、後から来よと告げてくだされ」 。い」と、生信房が、あわてて支度にもどってゆくと、その間にもう、親鸞は、檜の 大きな笠をかむって、すたすたと田の方へ出て行った。 稲田数千石の田の面は、一眸のうちに入ってくる。植えられた田ーーまだ植えられな い田がーーー縞になって見えた。あなたこなたには、田植笠が行儀よく幾すじにもなって 並んでいるのである。その笠の列も、空を飛ぶ五位鷺の影も、田水に映っていた。 「お上人さまがいらっしやったげな」田の者が、彼の姿を見つけて、すぐ伝え合った。 「おお、ほんとに」 「あんなお姿で来る所を見ると、さつばりわしらと見分けがっかんわ」 「都にあれば、尊いお身でいられるというのに、なんで、わしらと一緒になって、この 泥田の中へ、好んでお入りになるのじやろ」 みの 「お上人さまの功徳でも、この秋は、ふッさりと穂が実ろうそや」そういうことばの下 から、はや晩の教えを思い出して、念仏を口にする声もながれた。親鸞は、そこへ来 て、 ひとめ ひのき

9. 親鸞(三) (吉川英治歴史時代文庫)

( ーーーー誰だろう ? ) と、当然、うわさにのばった。 にやくそう せんさく 閑人が、詮索してみると、近ごろ、二人の若僧がそこに住んでいるのだと知れた。 ゆか かやふ へつに粗末な一 荒れ果てた法勝寺の床をつくろい、屋根の茅を葺いて、そのわきに、・ ちょうせきごんぎよう 庵を建てて、やがて、朝夕の勤行の鐘も聞えだした。 みあかし くもっ ( 若いのに、奇特な ) と、供物を贈る者や、花や御灯を捧げてゆく者もふえ、日と共 、法勝寺の宝前は二十余年の元のすがたに返って、 ( 鹿ヶ谷の住蓮様 ) ( お若い安楽房様 ) といえば、もう誰も知らない者はないようになっていた。 さむらい その奇特なーー若い僧という者の素姓を洗ってみると、二人とも、以前は北面の侍 あべのじろうもりひさ もう一人は、安部次郎盛久と名乗っていた者 で、一人は前身を清原次郎左衛門といい、 であるという。 きえ そして、何かの機縁で、この二人は、法然上人の新教義にふかく帰依して、その門に しやもん 入ると共に、太刀をすてて、一沙門になり、同時に、 「この教えのためには」と、身をも打ち捨てるほどな熱心さをもって、その布教に当っ 一燈でも多く念仏 蝉てきたのであった。そして鹿ヶ谷の廃寺を興したのも、この社会に、 しんし の火をかかげたいと願う二人の真摯な若者の情熱から出た仕事にほかならないのであっ ひまじん ほうねん

10. 親鸞(三) (吉川英治歴史時代文庫)

「何とて、一夜のお名残も賜わずに」と、恨むばかりに、リ 男れを惜しがった。 「またのご縁もあろうに 親鸞の慕師の情をゆるしたまえ。親鸞は去るとも、仏果の 樹は、もうこの土に成長して見えた。後の守りをたのみまするそ」年景は、そういわれ っ て、涙をふいた。そして二、三の郎党と共に街道を何里となく従いてきたが、 いとま 「尽きぬおわかれ : : : 」と、暇を告げて、やっと元の道へもどって行った。 しなのじ 古多の浜からは、路は南へかかる。裏日本を背にして、次第に信濃路へ入ってゆくの 、、こっこ。 くにギかい 国境を越える難路のなやみは、とても想像のほかだった。親鸞の手も、弟子たちの手 とうしよう も、凍傷で赤くただれていた。 * ぜんこうじだいら やっと、善光寺平へ出て、人々はややほっとした。しかし、あれから松本の里へ出 力。よいじ りよ、つし て、木曾路の通路をたすねると、今はまだ、猟師さえ通れない雪だというのである。生 ち 命がけで行っても福島まで行けるかどうかという者があった。 ( 大事なお体に、もしまちがいでもあってはーー ) と、佐々木兄弟もいうし、木曾路に 明るい西仏も、 ( 引っ返して、東海道へ出たがよい ) という意見なので、一行はまた、むなしく善光寺 うすい′ ) へもどって、さらに、道をかえて、浅間山のけむりをあてに、碓氷越えを指してすすん こうずけりよう こよみ そして、辛くも、峠をこえ、眼の下に、上野領の南の平野をながめた時は、すでに暦 な 1 、り