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検索対象: 親鸞(三) (吉川英治歴史時代文庫)
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1. 親鸞(三) (吉川英治歴史時代文庫)

またこの善信が配所に下される前 「ただ、このうえの慾には、上人御充罪のまえに たった一目でもお目にかかってゆきたいことです」禅閤は、もっともであるとう なすいて、それもなんとか、朝廷の人々にすがって、願ってみようといった。また、玉 日と房丸のことについては、 「わしが護っておる、必す、案じぬがよかろうそ」といいたした。善信は、何事も、吹 く風にまかせて咲いている蘭のように、 いうだけであった。なんの苦悩らしいものもその眉には見あたらない わが娘の聟ながらさすがと禅閤は思うのであった。そして、法然のことばをも思いあわ せ、 「これがなんの悲しみぞ」と過去数カ月の自分の悲嘆が今ではおかしくさえ思えた。 さた はいる ちまた 二月かーーと巷でもうわさしていた上人の配流の日は、その二月には沙汰が下らす、 三月に入った。 ゅ ひがんざくら 都の杉並木の間には、もう彼岸桜の白っぱい花の影が、雪みたいに見える。春を揺ら 。も・の、つ く洛内の寺院の鐘は、一日一日、物憂げに曇っていた : じんゅう しようれんいん 若い一人の僧が、急ぎ足に、青蓮院を出て行った。善信の弟、尋有である。 じえん 兄の善信や、吉水の上人の配所護送の日が、いよいよこの三月の十六日と師の慈円か ら聞いたので、 「一目、兄のすがたを」と、或いは警固の役人に追い返されるであろうかも知れないこ

2. 親鸞(三) (吉川英治歴史時代文庫)

まに、世の波へおまかせ置き下さりますように。 また、玉日が身と、房丸が身と ちょっかんこうむ は、かように勅勘を蒙って流さるる私が、配所へ連れ参ることもかないませぬよって、 ふびん 何ぶんともに、。 こ不愍をおかけ賜わりませ」 月輪の老公は、黙然と、何度もうなずいて、聞くのであったが、 「玉日や、房丸が身は、わしが手にひきとって、守ろうほどに、必ず、お案じなさらぬ がよい」といった。釜口一言は、につこと夭って、 「それをうかがって、私も、なんの心がかりもありませぬ」 そこ 「ただ、おん身こそ、気候風土の変る越路へ下られて、身を害ねぬように」 「お気づかい下さいますな、幸いにも、善信は、幼少から身を鍛えておりますほどに」 かんく 「む。 : おん身が歩まれてきた今日までの艱苦の道を思えばの」 「このたびの流難などは、ものの数でもございませぬ」思わず話し込んだことに気づい て 「玉日」と、善信は妻をかえりみ、 「支度いたそう」といって、奥へ入った。 ころも なしうちえ ひたたれ 一室のうちで、善信は法衣を脱いだ。朽葉色の直垂衣に着かえ、頭には、梨子打の烏 帽子を冠る 玉日は、その腰緒を結んだり、持物をそろえて出したりしながら、さすがに涙があふ れてきてならなかった。こうしている間が、二人だけの別れを惜しむ間であったが、 何 かむ 0 きた

3. 親鸞(三) (吉川英治歴史時代文庫)

2 ろろ憂春 で、 してもこのことを越路の親鸞に親しくお告げしなければならないと思った。 かたみ 路の雪の解けるのを待って、裏方の遺物をたずさえ、はるけくも、都を立ってきたの「 あった。 : ムム、そうであったか」親鸞はつぶやく ・ : また月輪の老公も。 「 : : : 工亠日 7 わ。 つにしった。かえりみれば自分の生涯もすでに初老の坂へかかっていた。はっきりと の流れが眼に見える心地がする。 無言の裡に親鸞の胸へ湧きあがってくるものは、悲愁ではなくて念仏であった。 あふ 念仏がふと胸にやむとき、悲愁の思いが、堤を切って溢れる水のように、彼を涙に溺 せかけた。 憂いに重い春の一日は暮れた。人々は心を遠く都へ送って、幾月かを、裏方のため冖 め・い、かく また、亡き月輪禅閤のために、冥福を祈って送った。 万野と鈴野のふたりは、幾日かをここに送るうちに、ふたたび都へ帰る気持を失っ ちまた しまった。ーーー帰っても今では仕える人のない都はあまりに闘争の巷だった。 お弟子としてお許しなけ 「どうそ、この御庵室の端になと置いてくださいませ。 ば、しばらくはお下婢の者としても」ふたりの願いを、親鸞はゆるした。もちろん、 官の萩原年景へ事の仔細をとどけ出た上で。 ほととぎすが啼く。春から夏のはじめにかけて、流人親鸞の髪は蓬々と伸びていた 何とはなくこの幾月を、彼は病む日が多かった。 うち はした つつみ ばうばう

4. 親鸞(三) (吉川英治歴史時代文庫)

1 ろ 6 坐ると、もう兄弟は、胸がいつば、だった。 同じ都の、すぐ目と鼻の先にいながら、二人の会う折は極めて稀れだった。会うごし に、何から話し出してよいかと思い惑うほどに : 「近いうちに、越後へお立ちなされますそうな」 「む。ーーー十六日というお沙汰じゃ」 : では・も , っ間近に」 「十六日。 「されば、お汝とも、これがお別れじゃ。ひたすら、修行をされい」 。し」 * ど 「お汝の師、慈円僧正は、わしにとっても、幼少からの恩師。思えば、お手をとって亠一 もう うれ 蒙のお導きをして賜うたころから今日まで、憂いご心配のみかけて、その後のご報恩レ : この兄の分も共々に尽してたもるようにの」 ては何一つしていなかった。 : けれど、遠流の日が、 「きっと、励みまする。そして今のおことば忘れませぬ。 六日ということでは、兄上には、もう慈円僧正にお会いあそばす折も」 「むすかしかろうの。 ・ : 吉水の上人にも、一目お会い申しとうて、月輪の老公におハ おとと : しかし弟、この釜ロ信は害 がいしてあるが、どうやら官のおゆるしはならぬらしい しゅじよう けちえん 国へ流さるるとても、決して、悲しんでたもるまい。念仏弘世のため、衆生との結縁 ( き画うげ こくみよう ため、御仏の告命によって、わしは立つのだ。教化の旅立ちと思うてよい」 「お心のうち、そうあろうかと、尋有も考えておりまする」 ふたり おんる

5. 親鸞(三) (吉川英治歴史時代文庫)

いたっき 「お病気でもあるか」 「おかくれなさいました」 「よに」はっと胸を上げて、 : してまた、それはいっ ? 」 「老公には、御死去とか。 「去年のーーー承元四年の四月五日のことでございます。その前からのかりそめのお病 '# もと 因となりまして」 ・ : 」と、親鸞は思わず声を落して 「ああ知らなんだ : ・ 「この身、配所にあるとは申せ、きようまで、何も知らずにおった。ーー・ー念仏門の大田 人、讃岐におわす師の法然御房もさだめしお力を落されたことであろう」 「そればかりではございませぬ : まだまだ、お耳を驚かさねばならぬことが」も , ( これ以上の悲しいことを、親鸞へ告げるにたえない気がしてきたのである。万野は、 まぶた えていたものを臉からはふりこばして、袖口を眼に押し当てた。 : はて心がかりな。万野、まだ誰そそのし 「この上にも、親鸞が驚くこととは何か。 に凶事でもあるか」 春 「親鸞は何事にも驚かぬことを誓う。気づかいなくいうがよい」 「裏方の玉日様が : ・・ : 」 「エ日、が ? 」 までの やまい

6. 親鸞(三) (吉川英治歴史時代文庫)

229 憂春 のち 「いやいやここへ移ったのは後のことで、それまでの竹内のお住居は、物乞いの寝小屋 のような物でございました」 「お師さまは、 ) ・在宀至でいらっしゃいましょ , つか」 すす 「おられまする。 : さ、こちらで足をお洗ぎなさいませ」声を聞いて、親鸞は自分の へや 室から縁へ出てきた。二人が流れへ寄って足を洗っている様子をだまって見ていたので ある。 かしず 万野は、玉日の前が未婚のころから侍いていた忠実な侍女であったーーー親鸞のまだ若 い日の事どもを何かとよく知っている女であった。 「 : : : 万野も老けてきたことよ」と、親鸞はふと自分の若い日を胸に忍び浮べた。万野 はふと振りかえって、 「まあ ! 」と、親鸞のすがたを見あげた。そしてなっかしげに、 「お変りものう」と、走り寄った。すぐ語尾は涙にかすれてしまうのであった。親鸞は 手を取って、 はるばると、この遠国へ、さてもよう参ったのう。疲れたことであろう、ともあ れ、体をやすめたがよい」と何も問わずに、ふたりの労をいたわった。 四 室は明るかった。

7. 親鸞(三) (吉川英治歴史時代文庫)

お憂春 ような声は、この小丸山の法室ではまったく聞かれなかった。 一日一日が、法悦の日だった。。 とうしてここが流人の住む配所だろうかと疑われるノ めぐ らいに。そうして、今年も、また、幾年目かの春は巡ってきた じゃくねん 「石念、だいぶ採れたな」 にら 「もうよいでしよう」師の御房は、韮がお好きだ。 かんぶつ 「冬ごもりの間は、乾物ばかり召しあがっておいでだから、こんな青々した木の芽や をさし上げたら、きっとおよろこびになるだろう」 まだ渓谷には雪があったが、南へ向っている傾斜の崖には、朽葉の下から蕗や若菜 わずかに萌え出ていた。 じゃくねん 「ひと休みしよう」籠に摘んだ韮や蕗をそばへ置いて、石念と西仏は、崖の中途に腰も あか おろした。山すその部落は紫いろに煙っているし、木々の芽はほの紅く天地の力を点ド ている。 「西仏どの」まばゅげな眼をして、陽を仰いでいた石念がふいにいった。 「春は苦しいものですね」 「ど , っして」 「どうということなしに、春になると、私は苦しい気がします。若い血が暴れ出して」 としと 「挈」 , つか : : 」西仏は年老っていたが、二十六、七歳の石念のそういったことばには っ にらふき ふき

8. 親鸞(三) (吉川英治歴史時代文庫)

そこへ通ってきた老公の顔も、決して暗くなかった。 「おお」 「おう」見あわせる顔ごとに、言外の感慨が、い つばいに胸へせまってくる。釜ロ信は あらためて、 しゅうとぎみ 「なんのご孝養もせす、今日まで、お舅君には、わずらいのみおかけ申し、その儀 2 かりは、玉日とも、申し暮しておりました。その上、かような御命を下されて、越路〈 ちょうせきぎよけん 旅立つからには、ふたたび善信が、生命のあるうちに、朝夕の御見も望み得ぬことかし 思われます。なにとそ、老後をいとい遊ばされて、善信がことは、心ひろく、なるがキ あるし、裏方の玉日も、 きようげ ( 良人は、辺土の北国へ、念仏をひろめ賜うために立って今朝は教化の旅の門出 るにんてき た と信じているので、そこに悲惨らしい影や、流人的な傷心みとか悶えなどは、見られ いからであった。 白々と、朝の光はほっとした人々の面に、明るさを加えてくる。 玉日も、髪を櫛けすって、房丸を抱いて、良人のそばへ、給仕に坐った。 信一房が、 「月輪の老公が、お見え遊ばされました」と、次室から知らせた。 おもて かどで と、

9. 親鸞(三) (吉川英治歴史時代文庫)

善信が岡崎へもどって来たのは、決して罪がゆるされたからではない むしろ、その重罪が決定したからである。 るざい 越後の国府へ流罪とさだまると、彼は一先ず、評定所の門から出され、その日の来フ ちつきょ までは、岡崎に蟄居と決まった。 勿論ーー上人を訪れることも、官のゆるしがなければできない。同門の友との往来 7 厳禁されている。 それでも不平はいえないことだった。遠国へ流されるまでのたとえ幾日でも、こうー しゅうと て、妻と共に、子と共に、起居がゆるされることになったのは、その裏面に、舅の月払 ぜんこう 禅閤のどれはどな運動があったか知れないのである。あのよき舅御がなかったら、こ , 一 ちょうじせんげ いう寛大があるどころではない、善信の死刑は、念仏停止の宣下があった後、三日を仕 香たずに行われていたにちがいない。その禅閤も、やがて、岡崎を訪れ、 乳「わしはも , っ ~ 嶼かぬ」といった。 ほうねん 善信は、師の法然上人の消息を舅から聞いて、 「さもござりましよう」と、安堵の笑みを泛かべ、 はらわた 生信房は次の間の物蔭に手をついていたが、善信のことばが、いちいち腸に応み一 くるよ、つに田 5 った。 あんど

10. 親鸞(三) (吉川英治歴史時代文庫)

重い自 5 をついて、山荘の奥でうっ向いた。 つばね あの松虫の局と 沈默 . していると、二人の胸には、今さら、悔いがのばってきた。 鈴虫の局さえここに匿わなければと。 だが、一日ましに、事情が苦しくなるほど、一日ましに、二人は、あの匿い人をふり 捨てる気になれなかった。 「おれたちは、邪道に落ちているそーー」と、ある時は、住蓮が告白した。 「なぜ」 「ようく自分の胸に手を当てて考えてみることだ、いつの間にか、お身のことは知らな つばね ・ : 鈴虫の局の眼がものをいう。する いが、わしは鈴虫の局に恋をしているらしい カカ と、自分にあらぬ血が奏で初めるのだ」 「それは、おぬしばかりじゃな、 : 実をいえば、わしもだ。わしも何か、そういう 自分の気持に気づいていないことはないが」 に、よにん 「やはり、女人をここへ入れたのは、わしらの誤りだった。御仏の旨にちがっていた」 つまり自分たちの修行が未熟なためだ。女人を魔視し、女 「いや、御仏がではない しようど・つもん 人を避けることを教えているのは、旧教だ、聖道門だ、それではならぬと法然上人も仰 し せられたことだし、善信御房のごときは、身をもって、あの通り示されている。 かも、善信御房の信心は、誰が見ても、玉日さまを妻となされてからの方が、確固とし て、頼もしげに見えているではないか」 かくま かくまびと