125 花紛々 しようすい どんなに憔悴しておられるだろう、どんなに絶望的な老後をかなしまれている ろう。そう上人のすがたを想像していた月輪禅閤は、 「おう」と、上人のほうから、常のとおりな声で、先にことばをかけられると、は ( と、なにものかに衝たれて、 「 : : : おお」同じように答えたまま、両手をつかえて、その手をしばらく上げること できなかった。 自分の至らなさを、禅閤はすぐ恥じた。そういう上人であろうはずはなかったのに ばんぶ 自分の悲嘆から推して、そうあろうと、上人を凡夫のように想像していたことが恥か 1 くなってきたのである。 衣食ゃーーお薬やーー・ーそういうことなどもどうしておられたかと、禅閤は、もう誰 が、土足のまま勝手に踏み荒らしている禅房のうちへ、やはり常のように、沓を脱 て、静かに上がった。 「オオ」ちらと姿を見た禅房の弟子が、うれしさやら悲しさやらで、思わすこう叫】 と、上人の常に起き臥ししている奥の一室へ向って、まろぶように駈け込み、 「ーーー月輪殿がお見えなされました。月輪殿が」と、あわただしくそこにいる上人に
「おもしろい」四郎はいった。弁円がこの事件をもって、自己の復讐に利用しようとす ばくろ る肚だくみ以上に、天城四郎は、そういう社会的な秘密を暴露してみることに、悪魔的 な興味を多分におばえるのだった。 「では、俺がひとつ、腕によりをかけて、探ってみよう。そこで、松虫と鈴虫のありか は、やがて近いうちに、きっと俺が突き止めるにちがいないが、そうしたら、どこへ知 らせるか」 「すぐ、おれの所まで」 といって、宿所が分らなくちゃ、知らせるにも、知らせようがないじゃねえか」 たしがい、毎日こうして歩いているが、京にいる間は、聖護院の西の坊を宿にしてい るから、そこまで、やって来てくれまいか」 「よし、待っていろ、吉報は近いうちだ」 づつみ そう約束して、二人は、加茂堤を北と南へわかれた。翌晩、四郎は身軽ないでたちに めの 黒い布を頭から顔へ巻いて、吉水禅房の外をうろついていた。 ともーしび一 ふうよそお 何気ない風を装って、禅房の門の前を通りながら、奥をのそくと、まだ燈火が見え 一化っ ) 0 の 隠客が話し込んでいるらしいのである。四郎は、樹蔭に立っていた。しばらくすると、 葉 一人の武士と二人の法師が、禅房を辞去して、門の外へ出てきた。 彼が入り込 その訪客が出てゆくと入れちがしし 、ゝ、こ、四郎はツイと門の中へ入った。
立っていた。余燼の煙のかなたから鈍い朝陽はのばった。 ひそ 安楽房は、五日ほど、山の中に潜んで草の根を食っていた。 あせ ) と、心は隹心るし、 ( 吉水の上人に ( 洛中では、どう噂しているか、同門の人々に、何か迷惑はかかっていないか ) と、 、つカカ じぬいて、どうかして、一刻もはやく山をーーーと降りる道を窺うのであったが、どの にも、捕吏の影が立っていて、うかつに里へ出て行ったらたちまち捕われてしまうこし はわかりきっていた。 「住蓮は、首尾よく、岡崎の善信御房のところへ行き着いたろうか」そう考えると、 ひきよう もじっとしていることは、卑法に思われてきた。 ふもと 「よしつ、今夜は」死を覚悟して、花頂山の麓へ降りて行ってみた。わざと道のない屮 や谷間を、熊みたいに這って。 むね 真夜中だった。なっかしゃ吉水禅房の棟は黒くもうそこに見える。彼は涙ばかりが どういってお詫びしようかと。 に立った。 よなか けれど、禅房の前へ立ってみると、夜半といっても、いつでも、一穂の灯は必ず見豸 る奥の棟にもどこにも、人の気はいはなかった。墓場のようにしいんとしているので + る。試みに門を打ちたたいてみても、石つぶてを抛ってみても。 がくぜん これは」やがて愕然と気づいたのは、常に人々の出入りする表の門に、 かみ はすか 2 きな丸太が二本、斜交いに打ちつけてあり、そこに、何やら官の高札らしいものが掲 よじん にぶあさひ いっすい
120 ーー急転直下である。 せんげ 承元の元年、二月二十八日。宣下は吉水へ降った。 罪アリ モトヒコ 法然房源空ヲ、俗名藤井元彦ノ名ニ帰セシメ、土佐ノ国ニ遠流ヲ命ズ。 みなぎ らくない 洛内はこの不安なうわさで、埃が黄いろく漲っていた。諸国の信徒に、不穏な行動で もないかと、官の駅伝は、諸街道へ向けて、国司へ早馬を送っていた。 罪は勿論、法然ひとりに下ったのではない。 じようもんばう 吉水門下のうちでは、浄聞房、禅光房などの高足八名に対して、備後、伊豆、佐渡、 阿波の諸国にわけて、それそれへ、 氷雪篇 は ヒな ′刀ん
来てみれば、ああと、禅閤は思わず太い息をもらした。なんたる変りようだろ う、これが昔日の念仏の声にみちたあの吉水のお住居だろうか。 くるま : 」禅閤は、しばらく、牛車のすだれを垂れ籠めたまま泣いていた。従僕が、 「胸きまして、こイ、いますが」と , つながしても、降りよ , っとしなかった。 まき 門のあたりは、焚火のあとを蹴散らした燃えさしの薪だの、警固の武士がぬぎすてた ろうぜき 切れた草鞋だの、馬の糞だの、狼藉を極めた光景だった。 役人の小者や、あばれ武者が、所かまわず飲食するので、野大がたくさん集まって、 禅房の中へまで上がり込んでいる。垣は破れ、門の扉には、今も依然として、丸太の十 文字が打ちつけてあって、出入りはすべて、警固の者の槍ぶすまに囲まれている横の小 門からすることになっている。でも 「月輪公がお越しだ」 さき ぜんこう 「えつ、禅閤が」こう警固の者にささやきが伝わると、さすがに、前の関白に対する敬 意をよび起され、 しき、 : : こちらから」と、丸太の十文字を取外し、静粛になって、警固の者が案内し しようにん 「上人は、おいでられるのかの」禅閤は、そばの者に訊ねた。 「おられまする。 以来、おらぬような謹廩をされていますが、奥のほうに」と、役 人の一人が答えた。 わらじ たきび きんしん と
「ああ : : : 」住蓮は、裏へ飛び出して、ややしばらく入って来なかった。安楽房も、こ わかあま の麗わしい若尼のすがたを正視しているにたえなかった。しかも、相抱いて、寒々と、 それをもうれしいほどな彼女た うれし泣きに泣いているふたりのすがたを見ては、 ちの過去の生活であったかと思った。 「御仏の道に生きまする」 「信仰に生きまする」そういって、彼女たちはもう、次の日から、柴を拾って、貧しい ぶつだ 炊ぎをしていた。いつ行っても、ただ一体の仏陀を壇において、その前で、念仏をとな えていた。 かわがわ 住蓮と、安楽房とは、交る交るそこへ彼女たちの不便な物を運んでやっていた。 すると、何時とはなく、こう二人の者の行動を知って、 ( はてな ? どこへ行くのか : : : ) と、眼をつけていた者がある。 吉水禅房や、岡崎を初め、あらゆる念仏門系の法壇のある所を、所きらわず歩きまわ はりまばう って、狩犬のような鼻を働かせていた播磨房弁円であった。 ほうえ あれほど、月々の法会や、念仏の唱導を、活漫にやっていた鹿ヶ谷の法勝寺が、近ご ろ、はたと戸をとざしている。住蓮か安楽房かが、病気のためだとは称しているが、弁 円は、そのうわさを麓で聞くと、すぐ ふもと ししたに
127 花紛々 「では、お、いに甘え申そう」という。 くるま 翌る日ーーー牛車の支度をととのえて、禅閤はふたたび吉水へ出直した。そして、上人 あみだ みね れんげおういんたつみ の身を一時、阿弥陀ケ峰のふもと蓮華王院の辰巳にあたる小松谷の草庵に移した。 ちつきょ もののぐ もちろん蟄居の身のままであるから、ここにも、物具を着けた警固はつく。 けれど、吉水の荒らされた禅房よりも、はるかにくつろぐことができるし、禅閤を め月輪家の人々も、 「これそお名残ーー」と、真心こめて、上人の起き臥しの世話をすることができた。 けいきよく そうして上人の身を荊棘の門から抱え出すと、禅閤はまた、一方のわが聟と、いと 1 むすめ ←息女とが、事変以来どう暮し = 」るか , ー、それも心がかりでならなか 0 た = とな ( あした あわ ( ーー明日は ) と思いながら、なにかのことに慌ただしく日ばかり暮れて行かれず、 ( 明日こそは、岡崎へ ) と、また今日も心のうちで思うだけで、訪客だの、蟄居中のし せわ 人への心づかいだの、官へ対しての哀訴だの、さまざまなにしなさに暮れてしまうの「 あった。 おふ むこ ちつきょ
るぎい ( 流罪ーー ) という厳達であった。 しようがんばうぜんしやくばう その他には、性願房、善綽房という二人は、かねてから鹿ヶ谷の安楽房や住蓮と親 であり、かたがた、平常のこともあって、これは、 - 一くめい ( 死罪ーー ) という酷命であった。 あらし 吉水の禅房を中心として、洛内の信徒の家屋敷は、おのおの、暴風雨の中のような であった。 突然、荒々しい武者どもが来て、 いち′、んもと 「調べる」と、たった一言の下に、家財を掻き回して、家宅捜索をする、そして、わ かばかりな一片の手紙でも、不審と見れば、 たくら 「こやっ、念仏門の亡者と、深い企みがあったな」 あるじ 有無をいわせないのだ。食事中の主を引っ張って行ったり、乳のみ児の泣く母親の羊 を曳いて行ったり、それはもう地獄の図にひとしいありさまだった。 さら わけても、今度の事変で、法然上人以上に、一身を危機に曝された者は、岡崎の善に であった。 まと 々 叡山からは特に、と、かねてから注目の的になっていた善信である、念仏門の大提 紛 は、法然によって興ったとはいえ、その法然の大精神と信念とを体して、自己の永い 花 けんさん まった いだの研鑽をあわせて、強固不抜ないわゆる一宗のかたちを完からしめてきたのは、 盟り以上、善信その人のカであると、今では人も沙汰するところである。 えいざん ししたに
ひたち また常陸の下妻という土地には、そのほかにも念仏宗には浅からぬ縁故がある。 うつのみやよりつ ほうねん それは、親鸞の同門のーー法然上人随身のひとりである熊谷蓮生房の親友宇都宮頼 そしてその頼綱はまた、蓮生房のすすめで、早くか もその地方の豪族であった。 じっしんばう 念仏一道に帰依して、名も実心房といっている。 かさまながとのかみときとも いなたくろうよりしげ なお、その実心房以外に、稲田九郎頼重とか、笠間長門守時朝などという関東の武 において名のある人々のうちにも、吉水禅房の帰依者が少なくないので、 うとくしゃ しようしんばう ( そのむかしの天城四郎が、今では生信房といって、親鸞門下の有徳者になっている みんかん という評判は、民間ばかりではなく、そうした上級にまで、大きな感動を与えながら冖 わった。その結果、 ひたち ( ぜひとも、親鸞上人を、この常陸へお迎え申したい ) という希望が、声となり、運 となって、やがてついに実現せずにいられなくなったのである。 生信房は、真壁の代官小島武弘から旨をうけて、 しよう 「ぜひ、上人をお請じ申しあげてこいと、以上のような縁故から、わたくしがお迎え ( しゅじト ` う ため、その使いをいいつけられて来たのでございます : : : 何とそ東国の衆生のために 華常陸へ御布教を賜わりますように」と、親鸞に会って告げた。 親鸞は、その機縁に対して、感謝した。また、そのむかしは郷里からも肉親からも 第 しだん あくだ 悪蛇のように指弾されていた生信房に、そういう余徳が身についてきたことを、どん宀 8 にか , つれしく田 5 った。
はず 「あっ : : : 」奥へ身を退いたが、その弾みに、床下の横木に頭をぶつけ、眼から火が山 こら たような痛さを、顔をしかめて怺えていた。 五 「ひどい奴だ」頭の上の戸が閉まったので、彼は床下でほっとしながらつぶやいた。 一寺 ) い 「 : : : 坊主め」そんな些細なーーー偶然なことにもーー彼の眼は遺恨をふくむのだった。 「ーーー見ていやがれ、間もなく、この吉水の禅房も、べしゃんこにしてくれるから」 によにん 嬰児の泣き声がするようでは、この一棟の房にこそ、女人がいるに違いないと、 あしおと は、根気よく、耳をすましてしたが、 、 ' 時おり、床下へ洩れてくる人声や跫音は男のも ( であって、女のいるらしい気配はなかった。 「では、他の室かな ? そうだ、あんな大事件を惹き起した内裏の女だ。うか ( な所へ起き臥しさせておく気づかいはない。 もっと、誰にも気づかれないような密室 つつ , つ」 こわ かんなくず 真冬の暗い風がふき抜けるので、床下は、身が硬ばるほど寒かった。古い鉋屑が水冖「 たま 花をふくんで溜っていた。天城四郎は、蟇のように四つ這いになって、奥へ奥へと這い 隠すんで行きながら、 葉 「わずかな恩賞の金では、割に合わねえ仕事だそ」と、思った。 だが、その恩賞の金よりも、彼には、露悪的な興味があり、この念仏門という大きわ あか′ ) お ひ 0 がま