叡山 - みる会図書館


検索対象: 親鸞(二) (吉川英治歴史時代文庫)
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1. 親鸞(二) (吉川英治歴史時代文庫)

てから覚明が粥を持って行ってやると、充血した眼をにぶく開いて、 「粥 ? ・ : 粥ですか : いりません、食べられません」顔を振っていい張るのであ る、それでも無理に食べさせようとすると、彼は、大熱のあるらしい乾いた唇からさけ んだ。 「 : : : 駄目です、いただいても無駄です、私はもう助からない、死がそこに見えてい ひと る」うわ言のようにいって、かたく眼を閉じたと思うと、その眼から一しずく涙のよう なものを流して、 あるじ この草庵の主、善信御房はまだ旅からお帰りになりませんか。わたしは、善信御 房にお会いして、告げなければならないことがあるんです。 : おう、おう、吉水禅房 は "A ) , つ、なり士しょ , っ : このままに、手をこまねいていたら、叡山や南都の法敵のた * じゃくど めに、上人のお身も気づかわれます。せつかく、築きあげてきた浄土門の寂土は、あい つらのために、踏みあらされてしまうに決まっている : 私は、善信御房にひと目会 : それから死にたいのです : : : 善 って、私がさぐってきた叡山の様子をお告げしたい : 信御房は、まだお帰りになりませんか」 五 一人の侍女は、勝手元で朝餉の後の水仕事をしている。 すすぎ 玉日は、持仏堂や、居室の掃除を、日課としている。また、良人のものの濯衣など かしずき あき ) げ

2. 親鸞(二) (吉川英治歴史時代文庫)

「あるまい、不意なことだ。 そして叡山では、またぞろ、今夜も何度目かの山門の 0 っ * せんぎ 僉議をひらいて、本格的に、吾々の念仏門へ対して、闘争の備えを立てなおし、一方に ちょうじ くわだ は、政治問題にして、念仏停止の請願を院へ向ってする企てだと聞いた」 「ふーム、それは容易ならぬことだ」 「吾々も、じっとばかりしていたのでは、ついには、彼らのために、せつかくここまで いぎよう 築いてきた念仏易行の門を、めちやめちゃにされてしまうかも知れぬ」 「上人は、どうお考えになっているのだろうか」 「まだ、何もご存じあるまいと思う。 ひとっ吾々が打ち連れて行って、お気持をう かがってみようではないか」 五 「いや、待ちたまえ」一人が、頭を振った。 「上人は、ああして揺るがぬおすがたはしているが、なにもかも、ご存じあるにちがい ない。なまなか、吾々が参って、顔に血をのばせたりすることは、かえって、上人にご 心配を加えるようなことになる」 「では、叡山のなすままに、吾々は、じっと自滅を待っているのか」 「そうもなるまい」若い弟子たちは、なにかささやき合って、禅房の外へ出て行った。 そして裏の森にかたまったのは、この不穏な空気を上人に感じさせて、さなきだに近ご

3. 親鸞(二) (吉川英治歴史時代文庫)

るわない傾向があるのに、それらの大法団から比べれば、隠者の一草庵にもすぎない , の吉水の禅房が、いっとなく時代の支持をうけ、精神社会の中心かのような形にある ( は、なんとしても不思議な現象といわなければならない。 ・よ ) 一し 、土会まその不思議を正視しようとはしなかった。むしろ、畸形なもの、邪まわ ものとして、あくまで白眼視するのみか、その成長ぶりを見るに及んでは、 つぶ ( これは捨ておけない ) とにわかに、迫害を以て、この浄土門を今のうちに踏み潰しイ しまおうという形勢にさえあるのだった。 おわ 今日もーー、ようやく講堂のひさしに陽もうすずいて、上人の説法が了り、一同が礼性 を終って、静かに席を散ろうとすると、それへ外から息をあえいで戻ってきた一人の 子が、 「たいへんですぞ、おのおの」眼のいろを変えて、自分を取り囲む人々へ話すのであ ( じえん 「慈円僧正が、とうとう天台座主を退かれて、叡山から降りてしまわれたという噂だ」 「え、座主をおやめなされたって ? 」 雷 「罷めたというよりは、いたたまれなくなって、ついに、自決なすったというほうが + たっているだろう。ー - ーー何せい、慈円僧正がいなくなっては、いよいよ、これから吉亠 春 と叡山とは、うるさいことになろうそ」 「上人のところへは、まだ、僧正からなんの御消息もないのかしら」 えいざん ぎすひ

4. 親鸞(二) (吉川英治歴史時代文庫)

172 ( 範宴をこれへ出せ ) とかいう。 えいぎん 彼が叡山を下りて、ここへ帰ったという事実は、一日のうちに洛中洛外に知れわたっ てしまった。 燃えている炎の中へ、油の壺でも投げこんだように。 えせもんぜぎ む 破戒不浄の似非門跡に会って、面皮を剥いてくれねば帰らぬと、玄関に立ちふさがる やから ゆす 輩もあるし、嫌がらせをいって、金を強請りにくる無頼漢や浪人もあった。 こばたみんぶ 「あくまで、お留守だと申せ」執事の木幡民部は、坊官たちへかたくいい渡して、いよ しようごかないと、自身が追い返していた。 今も、訪れた一組は、 「不在ならば、行く先を聞こう」といって、階に、腰をすえこんで、 「四、五日前に、叡山からここへ帰ったことをたしかめて来たのだ。それから、どこへ 隠れたのか」坊官たちはもてあまして、 「 ~ 仔じませぬ」とい , っと、 「たわけツ」一人がわれがね声で、 もんしゅ 「おのれたち、役僧として、門主のいどころを知らんですむのか。たとえば、今にでも あれ、公庁の御用でもあったらどこへったえるつもりか」 「でも、そう命じられておりますから、お教えするわけにはゆきません」 「汝らでは、話がわからん。執事を出せ、まさか、執事まで雲がくれしているのではあ る ( い」 きギ、はし

5. 親鸞(二) (吉川英治歴史時代文庫)

う 9 宣戦 足駄を穿き、 、いと、つ だいしゅ 「満山の大衆」手で鼻を抑え、声まで変らせて、西塔、東塔、叡山の峰、谷々にある僧 やくは - 院の前へ行っては、厄払いのように、呶鳴ってあるくのであった。 「こよい、山門へ立ち廻られよ。こよい立ち廻られよ」すると、僧房のうちで、 「もっとももっとも」と答える声がする。 そう聞くと法師はまた、ほかの寺院の前へ行って、 だいしゅ 「ーーー満山の大衆、こよい、山門へ立ち廻られよ」と呼ぶ。 ( 承知 ) という返事の代りらしい 「・もっとも。もっとも」と、ここでも同じロ , んがす - る。 せんぎ ふれ これが、叡山名物の、いわゆる「山門の僉議」の布令なのである。 だけ その布令が、きようもタ方のうす暗いころに廻った、四明ヶ岳の雪もすっかり落ち ささむら よもや や て、春の夜のぬるい夜靄が草むらや笹叢から湯気のように湧いている晩である。 がて初更の鐘が合図。 輦をかぶった月が淡くかかっている、月は円くなかった。 「、お , つい 、こ、影を見て呼び合いながら、谷から、沢から、峰の中腹から、思い思 ましら いただ一き 頂の根本中堂をさして上ってゆく法師たちの影が、まるで猿のように見出され か ) 0 えいざん

6. 親鸞(二) (吉川英治歴史時代文庫)

そこで蜘蛛太が頭領の四郎にかわって野良犬がほえるようにいうことを聞くと、この 草庵へ毎日のように通ってくる女がある、のみならす女は、綽空の留守には、洗い物を つけ したり夜の支度までして帰る。その帰るところを尾行てみると、九条の月輪殿のお館 かしずきまでの りきかえ で、女は、姫の侍女の万野だということまで洗ってあるのだ といってカみ返るのだ みずしわざ 「おぬしと、姫とが、きれいに手の断れたものなら、姫の侍女が来て水仕業の世話まで 焼くはすはねえ。そうして、てめえは世間を甘くごまかしているのだ。。 とうだ、恐れ入 「綽空、おぬしは、世間をうまく誤魔化したつもりだろうが、この四郎は騙されぬそ。 えいざん 月輪の姫とのことで、ばろを出すと叡山に逃げこみ、叡山もあやうくなると吉水へかく れ、そろそろ、世間のうわさが下火になったと思うと、またそろ、岡崎の一ッ家に移っ ている。なかなかうまい だが四郎の眼力はそんな魔術にはかからぬそ」 「何をいっているのか、綽空には一向にわからぬが」 む くもた 「よしつ、その面の皮をひん剥いてやるから待て。蜘蛛太、てめえの見たことを、この まいす 売僧に話してやれ」 「へい」待ち構えていたように、蜘蛛太は手下の中から怪異な顔を出した。 つら かーし・き やかた

7. 親鸞(二) (吉川英治歴史時代文庫)

106 までの 「あなたは万野どのですな」しばらくしてから範宴の低く洩らした声であった。 「びつくりなさいましたでしょ , つ」 「驚きました : : 」ありのままに範宴はいった。樹蔭には姫のすがたまで見えるのであ る。どうして自分の登岳を知ったのであろうか。笠に潜めていた彼の面は、それをとれ ろう・はい ば狼狽にかき乱されていたに違いなかった。 「きのう、さるお人から、ふと大乗院へお籠りの由を、ちらとうかがいました」 うち : 」そういう人があるはすはない。自分の心の裡で独りで決めたことだ。それ きのう つきのわ を打ち明けた性善坊にしても、つい昨日話したことである。月輪へまで、それが伝わる わけはなかった。 びわ 「ご不審でございましよう。実はそれを、教えてくれたのは、いっかの琵琶法師でござ います。 私と姫さまとが、あまりに傷ましいといって、こう申しました。それほ ど、範宴御房に会いたいならば、これから、叡山の登り口の赤山明神に参籠なされ、こ の二、三日のうちには、必す範宴御房がそこを通るに相違ないと仰っしゃいました」 しやみ 「あの加古川の沙弥が、そう申しましたか。 : あの法師は怖ろしい眼あきじゃ」 みねあみ 「その峰阿弥のいうには、おそらく、範宴御房の行く道は一つしかあるまい。それは叡 山だ。きっと叡山へ登ると信念をもっていいました : : : で、お姫様と心を決めて、お待 ひそ ひいさま おもて

8. 親鸞(二) (吉川英治歴史時代文庫)

なんのお召しであろうか。 庁の中務省へゆくまでは範宴にも分らなかったが、出頭してみると、意外にも、 しようこういんもんぜきほ しようそうず もん 聞によって、範宴を少僧都の位に任じ、東山の聖光院門跡に補せらるーーーというお沙亠 転であった。叡山では、またしても、 流「あれが、少僧都に ? 」と、わざとらしく囁いたり、 風「二十五歳で、聖光院の門跡とは、破格なことだ。 キ、レ」う くすし ほどこ て、薬師だの上達部だのが、薬を施したり、また諸寺院で悪病神を追い退ける祈疇なレ をして、民戸の各戸口へ、赤い護符などを貼りつけてしまったけれど、旱にこばれ雨冖 どのききめもない。 犬さえ骨ばかりになって、ひょろひょろあるいている。町には、行路病者の死骸が 乾物みたいにからからになって捨てられてあったり、まだ息のある病人の着物を剥い 盗んでゆく非道な人間だのが横行していた。 めしじムう えいざん 突然、召状があって、範宴は叡山を下り、御所へ行くあいだの辻々で、そういう酸自 なものを、いくつも目撃した。 くげん ( ああ、たれかこの苦患を救うべき ) 若い範宴のちかいは、心の底にたぎってきた。 ひもの なかっかさしよう * かんだちべ せんばう さキ、や ひびと : やはり引き人がよいか、門閥 の ひでり もんばっ さんび

9. 親鸞(二) (吉川英治歴史時代文庫)

論議は、ふた派にわかれ、壇上に立った者が、互いに譲らないで、舌戦を交わし初 たが、それが熱してくると、ついには、一方が一方の者を壇から突き落す、這いあが ( て行った者はまた、その相手の胸を突く、そして撲る、撲り返す、騒ぎは帰するとこス 、カ十 / すると、混乱している大衆のうちから、 「こいつ、念仏の廻し者じゃ。吉水の探り者じゃ。逃がすなっ」と、大声でわめき出ー た者がある。見るとその者は、一人の法師の襟がみをつかんで捻じつけていた。捕わ た法師は、三塔の大衆と同じように頭へ袈裟巻をし、入道杖を持っていたが、なにカ斗 みとが 動のうえで見咎められてしまったのであろう、吉水の弟子僧たちと相談して、叡山の じっしよう 向を見にきていた例の実性という若者であった。 「おお、こやつは、元叡山におって、今では吉水の門下で実性とか呼ばれている売描 じゃ かんちょう ししいふくめられわれらの動静を間諜しにうせたな」 「さては、法然 , おんみつ 「い , つまでも・ない、隠 ~ 丗じゃ」 「ど , っして / \ れよ , つ」 「懲らしめのため、ぶち殺せ」この殺気の中で見つかったのであるから堪ろうはすは宀 宣 。実性は、悲鳴をあげて、逃げかけたが、無数の杖の下に乱打されて、そこへ仆れ一 し士った。 イ ) ぐ け ) まき もの たま たお

10. 親鸞(二) (吉川英治歴史時代文庫)

「御門跡さまをご存じですか」 つきのわ 「月輪公の夜宴でお目にかかったことがあります。そうですか、やはり、離山なされス しようそうず ことになったか。そうなくてはならないことでしよう。・ : ・ : 範宴少僧都の君をことほみ ために、一曲奏でたい気持さえ起るが、ここは路傍、やがての事にいたしましよう。 みねあみ は、峰阿弥と申すものです。どうそ、よそながらこうとお伝え置きねがいまする」 しやペ 独りで喋って、独りでうなすきながら、旅の琵琶法師は、落陽のさしている風の おはらみち を、大原道のほうへとばとばと歩み去った。 「なんじゃ、あの法師めは、盲というものはロ賢いことをいうから嫌いだ」牛飼の田 たわむ が、つぶやいた時、戯れ合っていた稚子たちが、 「あ、お見えじゃ」と立ち上った。 きららギ ) か 雲母坂を越えて斜めに降りてくる範宴の姿や、その他の迎えの人々が見え初めたの一 わだち くるまれん ある。輦の簾をあげて、牛飼は軌の位置を向きかえた。 えいぎん ( 範宴離山 ) の噂は、半日の間に、叡山にひろがっていた。ひそかに、彼へ私淑して」 る人々だの、彼の身を気づかっていた先輩だの、また、一部の学徒の人々だのが、真 ( 山 黒なほど範宴のうしろに列を作っていた。 いんぎん ほどこ その人々へ対って、慇懃に、別辞の礼を施してから、範宴は、輦の中へ移った。彼 ( 胸には、この時すでに、十歳の春から二十九歳のきようまで、生れながらの家のよ , 一 けつべっ だん に、また、血みどろな修行の壇としてきた、叡山に対して、永遠の訣別を告げていた ( むか くちがしこ おちび