叡山 - みる会図書館


検索対象: 親鸞(二) (吉川英治歴史時代文庫)
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1. 親鸞(二) (吉川英治歴史時代文庫)

412 政治にとりあげて、軽率に、主権の御発動を仰ぐべきでない」という意見を持って、 議にのそんでいた。 みようえ もちろん、ここにも、叡山に加担する公卿や、南都の云い分や、明慧上人の学説に 鳴する者は少なくないので、二つの思潮は、二つの政治的な分野にもわかれ、いつも、 激論に終ってしまった。 こうして、廟議の方針が、にわかに一決しないのを見ると叡山は、 こら ( 念仏方の公卿たちの策謀を、まず先に打ち懲せ ) と、いつもの手段に出て、近いう ひえ みこし に、日吉、山王の神輿をかついで一山三千が示威運動に出るらしいという警報が都へス ってきた。 ′」うそ 山門の強訴といえば、いつも血を見るか、または、なにか社会的な大事件のロ火に るのが例であった。 おびや 「すわ」と、堂上にも、そのうわさに、脅かされる色があった。 しかし、念仏支持の公卿は、 「叡山の態度こそ、怪しからぬものである。吉水の法然と、それとを比較すれば、 びようぎ れが、仏者として正しいか、瞭かではないか」と、かえって硬化して、廟議は、、 う激越になり、二派の対抗は、政治から感情へまで尖り合ってきた。 こういう険悪な成行きをながめて 一き 「困ったものだ」誰よりも、ひそかに、胸を傷めていたのは、前の関白月輪禅閤であっ あきら つきのわぜんこう

2. 親鸞(二) (吉川英治歴史時代文庫)

ろ 20 さび 盛衰などを思うて、うら寂しい「無」の観念にとらわれてしまった。 こ , っして亠り と見える柱も天井も、寒いと感じている肉体も、その「無」でしかない空でしかない 「いっかは、形を失う日が来る : それを早めようとしているのが、叡山の人々だ、 だいしゅ たかお 南都の大衆だ、高雄の一山だ」 おく 今。この新しい芽ばえの宗教、浄土宗の屋を吹きめぐる木枯しは、三十六峰の風 ばかりではない。おそろしい法敵がほかにはある。 叡山の大衆は、伝統の威権と、その社会的な力の上から。 みようえしようにん 明慧上人をいただく高雄の僧団は、主として、教理の検討の上から。 げだっ きよ、つげ また、奈良の解脱上人たちは、主にその教化の方面から、 はやり ( 流行ものの邪教を仆せ ) と、叫んでいるのである。 その手段として、あらゆる運動の方法と、迫害の手が、法上人の身には今、潮がっ つむように寄せつつある 「ああ、どうなることか」 たんくう しよいよ、身をちちませた。 湛空は、、 ほうねんばう たか 「上人は、そも、どんなお気持でおられるだろうか : ・ : 」その師の法然房の寝所は、高 えん あなた 縁を一つ隔てて彼方にあった。 おや ? と湛空はそう思った時に頭をもたげて、自 ひとみ 分の耳を疑うように眸をすました。 りんりん あ 唱念の声が聞えるのである。凜々とした声ではないが、低いうちにも一念の倦くこと 0 う えいざん うしお

3. 親鸞(二) (吉川英治歴史時代文庫)

る支度は、いにしているらしくあった。 風やまず 不気味なほど、比叡の一山は、このところ静かな沈黙を守っている。 どんな形をもって、再度の報復に出てくるかと思ったが、岡崎の草庵へも、あれなり なんの行動も起してこないのである。 だが、それをもって、叡山が、山門の僉議の決議を変更し、対念仏門の考え方を 好転したかと見るのは早計で、事実はかえって、いっそう険悪の度を加えていたのだっ 山にも、智者がいる。 「岡崎のごときは、法敵の中核ではない。敵の中枢は、吉水ではないか。吉水こそ、念 たお 仏門の本城なのだ。したがって、吉水さえ打っ仆してしまえば、後は、岡崎の善信だろ うが、何だろうが、みな支離滅裂となって、社会へ何の力も持たなくなるのは知れきっ ている」こう、智者は説いて 「それを、一草庵の岡崎へなど、度々出向いて、争うなどとは、愚の骨頂だ。聞けば、 ひえい しりめつれつ ぶ せんぎ

4. 親鸞(二) (吉川英治歴史時代文庫)

せんぎ 「ーーそれだけが、 先ごろから幾度かひらいたこの山門の僉議の目的ではない。吾々の 目ざすものは、吉水の禅房にある、あの邪教の徒を一掃しなければやむものではない」 大衆のうちから、 「もっとも、もっとも」無数の声が飛ぶ。 はや またもの 「ふた股者の座主を追っても、吉水の禅門が、相変らず、他宗を誹り、流行り病の念仏 いや、抛っておけ をふり撤いて、社会を害することは、すこしも変りがあるまい ほうねんばう ば、あの法然房以下、善信、聖覚法印、そのほかの裏切者や、売教徒どもが、いよいよ なにをしでかすかわからぬ。かくては、宗祖大師の遺業も、叡山の権威もどこにある か、世人は疑うだろう、三塔三千の大衆は、木偶かと。いやすでに、そういわれても余 すでに当山の座主たる者までが念仏門にひざますき、ま 儀ないことになっている。 た、当山を捨てて吉水へ走った卑劣な背徳漢も数えあげたら限りがない」壇にある法師 - 一ぶしくう っ もの は、憑き物でもしたように、時折、拳で空を搏って、 「この現状を、一山の大衆はなんと見らるるか。この趨勢のまま、抛っておいてよいも のか。しからずんば一山皆吉水へ降って、袈裟を脱ぐか」こう反問的に煽動すると、 「だまれつ」 「いわれなしツ」 じよう 「その条、いわれなしつ」ごうごうと大衆は沸いて、 「引っこめ」 くだ でく すうせい そし やまい

5. 親鸞(二) (吉川英治歴史時代文庫)

民衆が支持するし、知識階級もうごいてくる。 当然な、新勢力となってきたのである。法然が作ったわけではない。また、法然門人 の人々がこしらえた勢力でもない。時代が生んだものである。だが、新しいものが興る ふる しんし、よく ことはそれだけすっ、旧いものの勢力が侵蝕されることだった。 ( 仏敵が現れたそ ) と、叡山では見ている。 叡山は、その大きな権力と、自尊心から、度々、これを問題に取りあげて、いわゆる 「山門の僉議」をひらいて、 ( まず、態度のあいまいな、慈円僧正から先に座主を退いてもらおう ) と決議文を作っ て、挑戦の気勢としたらしい 時の叡山の座主は、慈円僧正であった、僧正と月輪禅閤とは肉親である。 その月輪公は、吉水の檀徒のうちでも、最も熱心な念仏の帰依者であるばかりでな はんえんしようそうず く、その息女の玉日姫は元の範宴少僧都ーー今では善信といっている青年僧と結婚して 大きな社会的問題の波紋を投げている者の妻となっている。その善信も、元は叡山 に学び、叡山に奉じていた裏切り者である、それが今では吉水へゆき、法然に参じ、月 むこ ざす 輪公の聟となり、座主の僧正とも、縁につながる者となっている。 ( 売教徒め ! ) ここにも、彼らの感情や、憤恨があった。 せんぎ ぎす ひ

6. 親鸞(二) (吉川英治歴史時代文庫)

ろろ 1 春雷 ろ健康のすぐれない法然に胸を傷ましめまいという師弟の思いやりからであった。 一き 「どうする ? 」そこで再び前の問題を評議に上せて、人々は、もう憚るところのない古 でいい合った。 「、つこ、、 叡山の凡衆どもは、何を原因にして、この吉水を、そんなに敵視してい のか」 「知れているじゃないか、嫉妬ーーーただ嫉妬にすぎないのだ」 「人を救おうという者が。しかも、千年の伝統と、あの巨きな権力をもっ叡山が。 考えられないことだ」 「それは、人間の感情というものを外においてのことで、叡山の者にも、感情はある ばんきょ ら、近年の吉水と、自分たちの、蟠踞している叡山と、どっちが社会に支持されてい くら か、較べてみれば、おのすから焦々せすにはおられまい」 「卑屈だ」 から 「もちろん旧教の殻に入っている僧侶などは、卑屈でなければ、ああしておられるも ( じゃ、ない。 彼らはただ、伝来の待遇を無事にうけて、実社会からは、遊離しょ , 一 挈よっい , っし と、なんであろうと、自分たちだけで威張っていたいのが願望なのだ。 ころへ、新しい教義を称えて、民衆をうごかす者が出てくることは、それだけでもす一 に禁物なのだからな」 ほうえ こもび 森の木洩れ陽が、若い弟子たちの黒い法衣の肩に斑をうごかしていた、ちらちらと しっと のば おお

7. 親鸞(二) (吉川英治歴史時代文庫)

41 ろ風やます びようどう 彼はムフはも , つ、まったく、 政界からも、廟堂の権勢からも、身を退いて、ただ法然 きえしゃ 下の一帰依者として、しずかに余生を送っている人であったが、現在、自分の息女の一 人は、善信の妻として嫁いでいるし、弟の慈円僧正は、叡山の座主であったが、その 主にもいたたまれないで下山しているのだ。 みち 「なんとか、和解の途はないものだろうか」禅閤は、自分のカで、この大きな対立の 停ができるものなら、どんな骨を折ってもよい、老い先のない身を終っても忌わないし 考えていた。 でーー高雄の明慧上人へ、ぜひ一度、個人的に会って談合したいが , ーーと使いをも ( て申し送ると、明慧からも、承諾の旨をいってきた。 いちる 「かの上人ならば」と、禅閤は、一縷の望みを抱いて、今の大きな危機を、自分の信〈 と誠意をもって、未然に、打開できれば、それはただ吉水の門派や一箇の法然の幸い あるばかりでなく、社会不安の一掃であり、また、一般の法燈のためにもよろこぶこし だと = = ロじていた ところがーー意外な大事件が、誰も考えていないところから突発した。 く、吉水でも、その法敵でも、夢想もしていなかった社会の裏面から、それは燃えひ がった魔火であった。 まび ひ

8. 親鸞(二) (吉川英治歴史時代文庫)

ふじづる 藤蔓にすがったり、根笹を頼りにして道もない傾斜を手長猿のように繋がって降りてノ る。そして、一応渓流のあたりを俯瞰ろしてから、 みずかさ 「こう、雪解けで水嵩が増していちゃあ、どこまで行っても、やすやす、越えられる 川幅のせまいほうだ。なんとかして渡ってしまえ」 はあるものか。この辺は、 「そうだとも、まさか、俺たちが、溺れもしまい」蜘蛛が、先を歩いていて、 「あぶないっ ! 」と、また止めた。 「なんだ」 「この下は、洞窟だ」 「ひさしを這って歩け」 たいまっとも 「松明を点そうか」 あまぎの 「火はよせ」天城四郎だということが声がらではっきりと分る。 暗いのでおのおのの眼ばかりが光る。手に持っている斧だの長刀の刃が時々青い光 闇で放つのだった。 とも 「松明など点して歩いてみろ、すぐ山の者が眼を瞠って、怪しむに違いねえ、どんな えいぎん やかた 家の館でも、禁裡のうちでも、怖いと思って忍びこむ所はねえが、この叡山だけは気 のぶせり つけないと少し怖い。なぜなれば、ここの山法師ときては、俺たち野伏以上に殺伐で ものいじりが好きときている。のみならす、一山諸房には鐘があって、すわといえば ばんおん ほらあな みお みは おの 0 なぎなた つな

9. 親鸞(二) (吉川英治歴史時代文庫)

いしゅう かっ 大講堂には、もう、人が蝟集していた。明日、担いで下山するばかりに用意のできて み・」し いる三社の神輿は飾られてあった。 「吉水は、降伏してきたぞ。うわさを聞いて、縮みあがったのだろう、かくの通り、法 ねんしようにん 然上人以下、門弟百九十余名、連名をもって、叡山へ謝罪文を送ってきた。今、それを 読みあげるから、静かにして聞かれい」 えん 一人の山法師は、大講堂の縁に立って、吉水から法然上人以下百九十余名の名をもっ せいもん 、 ) うせい て送ってきたという誓文を、朗々と、高声で読み初めた。 近ごろは健康もすぐれず、吉水禅房の一室に閉じこもって、めったに庭先の土も踏ま ない法然であったが、 彼にはなにもかも分っていた。 ( 捨てておけない ) と感じたのが、つい二、三日前のことであった。 しんくっ ほうれんばうしんくう 「信空、筆を執って賜も」高弟の法蓮房信空が、 「はつ、何事を」 「わしの申すままを」と、法然はしばらく眼を閉じていたが、やがて ジュウジ * 敬ッテ当寺住持三宝 護法前神ノ宝前一一投ズ と低い声で、ロ述し初めた。 ウヤマ た

10. 親鸞(二) (吉川英治歴史時代文庫)

「それがどうしましたか」 「叡山へ、隠密に行ったものでござります、物ずきにも」 「なにをさぐりに」 しゅ たかお 「近ごろ、南都、高雄、そのほか叡山なども、主となって、吉水を敵視し、上人以下 ( くわだ おと 念仏門の人々を、どうかして、堕し入れてやろうという企てがあることは、専ら世上 ( それを案じて、吉水の学僧たちの若い人たち′ 風説にもあるところでござります。 実性に命じて、叡山の様子を密偵しにやったとみえまする」 どうき : 」玉日は、動悸をおばえたように、そっと胸を抱えた。 「でーー実性は忠実に、幾日かを、叡山にかくれておるうち、ちょうど今宵、大講堂 ひょうじよう 山門の僉議がひらかれたので、山法師の群れにまぎれ込み、その評定の様子を見聞 していたところ、誰からともなく、あれは吉水の人間だと看破されたために気のあら」 法師たちに取り囲まれ、半死半生の目に遭って、足腰も立たないほどにされた身を、 すぐ吉水へ帰るにも、今申 1 らくも、ここまで逃げのびてきたのだと申すのです。 たとおり、ひどい我をしておるので、歩めもせず、上人のお目にふれれば、必ずお のりをうけるにちがいなしというて、その辺りにまごっいているうちに、また山法師の〔 にかかったら、今度は命も危ないゆえ、体の癒えるまで、どうかこの草庵の物置のう 沙 かくま と、かよ , つにい , つので。こ、います・るが」 でもよいから匿ってくれい ぜんしん 草庵には今、師の善信が留守ではあるし、そういう複雑な事清の者を入れることは せんぎ みってい