たんに、琵琶の音などは頭から、掻き消えていた。 かしら こいつはまた、一杯飲める」松林を駈けぬけると、 「頭領も、知らないに違いない えギ、か 衛坂の崖へつかまって、むささびのように迅こく登って行った。 かえんま 火焔舞し たけすそ かぐらがおか 神楽岡から北へ十町ばかり、中山を越えて如意ヶ岳の裾にあたる、一望渺々と見 2 らされる枯野の真っただ中に火事かと思われるばかり大きな炎の柱が立っていて、そ , に黒豆を撒いたような小さな人影がむらがっている。 へんび 広 - くか、 この辺りは、洛外の端で、洛内を去ること遠い辺鄙な地なので、都の人は勿論用は 4 し、旅人もめったに通う路ではないが、もし道に迷った者があって、これこそよき人 と思いなどして、そこへ近づいて行ったらそれこそ飛んだ目に会うにちがいない なぜなれば、近づいて見るがよい。 らしようもん たきび そこに大きな焚火をしてかたまっている人間たちは、みな、羅生門の巣を追い出さ 挈、う力しし てきたかのごとき異装怪異な男どもばかりであって、この寒い吹き研がれた冬の月の〒 、野の枯草を積みあげて、人も無げに笑いさざめいている様子は、さながら、地獄 ( ま は と びようびよう
414 * Ⅱ・大・水 大きな川・湖・海。おおみず。洪水。 註解 しゅう・一うきんと * 四衆ロ金を熔かす いっさいぎよう * 7 一切経 多くの人々の言うことには、恐ろしい強い力があ 仏教で、経蔵・律蔵・論蔵の三蔵、七千余巻の経文る。世評の無責任、中傷の恐ろしさのたとえ。 だいぞうきよう むび の全部。大蔵経 * 夢寐の間 せっせん * 7 雪山 ねむって、夢をみている間。 ぜんこう ヒマラヤ山脈の異称。「せん」は「山」の呉音。 * 幻禅閤 け′」んきよう * 8 華厳経 摂政や関白などで在家のまま剃髪した者。 さとりを開いたシャカムニの最初の説法をしるした * 嬋脱 経。 古い習慣や束縛からのがれること。俗事にかまわな * 9 上達部 いこと。セミのぬけがら。 さんみ てん ほうえん = 以上の大臣や大・中納言、四位の参議などの殿 * 法筵 上人。公卿。かんだちめとも。 仏法を説くところ。経典を講じたり、法話したりす そうもん * 9 奏聞 る集まり。また、法事の席。 天子に申しあげること。奏上。 * 四五つ衣 ふげんぞう *E 普賢像 宮廷女官の服装の一つ。袿を五枚重ねて着たもの。 ろうかん 慈悲・理智を受持っ普賢菩薩の像。 * 琅竏 しようまんぎよう * Ⅱ勝鬘経 真珠のような色つやをした玉。 はー ) のく あゆじゃ ほ - っ・ : っ 釈尊がインド舎衛国波斯匿の女で阿踰闍国の友弥王 * 奉行 妃勝鬘のために説いたもの。 主君の命令をうけて行なうこと。 ゃなうら * Ⅱ大徳 * 柳裏 高徳の僧。転じて僧。だいとこ。 柳色の裏地。またそれをつけた着物。 」いレ」く かんだらペ ゅうやおう せ人だっ たいすい いつぎめ 、くば′、 あいだ - : つずい
ち申していたのでございます。私たちも、ふたたびお館へは帰れませぬ。また、世間 ふびん いずこへも戻る家はございませぬ。どうか、不愍と思し召すならばお姫さまを連れて までの すが やま 山へ登ってくださいまし、お縋り申しまする」万野は、膝を折って泣き伏した。姫も 樹蔭で泣いているのである。女のつかんでいる強い力が範宴の足を大地へ釘で打ったレ ちょうめい こんわくぎんき うにしてしまった。昏惑と慚隗とが、いちどに駈けあらした。ここまでは澄明を持ち , し。ようげ たえて聖域へ攀じのばる一心に何ものの障碍もあらじと思い固めて来た決心も、 わら うめち かんばっ ん心の底に響きをあげて埋地のような陥没を見てしまうと、もうそこに藁一本の信念 7 見出せなかった。彼もゆるされるならば、万野と一緒に膝をついて泣いてしまいたい いや、死ねるものなら死んだほうがはるかによいとすら思うのであった。 「もう、お館にも、あのことが知れたのでございます。世間も薄々知ったかもわかりキ : 」万野の立場は苦しい せん。姫さまは髪を下ろしても、共にと、仰せられますし : のに違いなかった。いずれやがてはと覚吾していたことが余りにはやく足もとへ迫っ きたのだ。自分の行為から起ったこの問題のために苦しんでいる姫と万野とを残して 自分のみが、山へかくれて安心が得られるものだろうか。彼の道徳は自分に対して強ノ 責めずにいられなかった。 いってこの聖域へ女人を連れて上るなどということは思いもよらない望みで + きらら えいぎんたかね る。叡山の高嶺はおろかなこと、この雲母坂から先は一歩でも女人の踏み入ることは宀 おきて されない。帝王も犯し得ない千年来の掟として厳然たる俗界との境がここに置かれて + に . ょにん までの
う 9 宣戦 足駄を穿き、 、いと、つ だいしゅ 「満山の大衆」手で鼻を抑え、声まで変らせて、西塔、東塔、叡山の峰、谷々にある僧 やくは - 院の前へ行っては、厄払いのように、呶鳴ってあるくのであった。 「こよい、山門へ立ち廻られよ。こよい立ち廻られよ」すると、僧房のうちで、 「もっとももっとも」と答える声がする。 そう聞くと法師はまた、ほかの寺院の前へ行って、 だいしゅ 「ーーー満山の大衆、こよい、山門へ立ち廻られよ」と呼ぶ。 ( 承知 ) という返事の代りらしい 「・もっとも。もっとも」と、ここでも同じロ , んがす - る。 せんぎ ふれ これが、叡山名物の、いわゆる「山門の僉議」の布令なのである。 だけ その布令が、きようもタ方のうす暗いころに廻った、四明ヶ岳の雪もすっかり落ち ささむら よもや や て、春の夜のぬるい夜靄が草むらや笹叢から湯気のように湧いている晩である。 がて初更の鐘が合図。 輦をかぶった月が淡くかかっている、月は円くなかった。 「、お , つい 、こ、影を見て呼び合いながら、谷から、沢から、峰の中腹から、思い思 ましら いただ一き 頂の根本中堂をさして上ってゆく法師たちの影が、まるで猿のように見出され か ) 0 えいざん
っていたし、芽生えのころから彼を見ている師としての理解も充分持っているつもり「 しよせん あるが、さて、こう現実にその解決を迫られても、所詮、僧として、いわんや天台の市 主として、 ( よし ) とも、 ( よかろう ) とも、いい得ることではない。けれどまた、綽空が、 ( 玉日姫をわたくしの妻に乞いうけたい ) という率直な叫びをここでするまでには、 に、何年間の苦悩、疑問、自責、そして肉体との血みどろな闘いをもとげてきた上で + って、決して、一朝一タの思いではないことも分る。 、ま。よい そうした暗黒の彷徨から出離して、念仏門へ一転した綽空は、そこでも、ただ易行 生の教えだけに安んじていられなかったと見える。いや、自身がすでに信念していた + る真理への「鍵」に対して、法然の教理からさらにつよい信念を加えてきて、いよ〔 よ、 ( こう行くのがほんとだ ) ほぞ と、臍を固めに固めたあげくここへきたに相違ないのである。たとえ、自分が反対ー ようが、社会が挙げて拒もうが、彼は百難と闘っても、その誓願へまっしぐらに進むス も知れない ひとこと 弱ったことだ。慈円は、たった一言をいうのに、こうまで深刻にためらったこし のうずい 。ものを思判する自分の脳髄が是非の識別をする力を失ってしまったのではな」
手をのばす前に、姫は自身の手でそれをとって、指の先で、弄びながら、 「私が、ご挨拶に出ないでもいいのでしよう。お父君から、ようく、お礼をいってく さるから」 「そんなことはなりません」万野は、姫が、いつものわがままを出して、駄々をこねフ のであろうとばかり受け取っていたので、ややうろたえた。 しーカ 「さ : : : 参りましよう。なんで、こよいに限って、そんなにお羞恥み遊ばすのですか 「羞恥むわけではないけれど : ・ 「では、よいではございませぬか」手を引くようにして、万野と姫とが、客殿のほう《 近づいてゆくと、眼ばやく、叔父の僧正が、 「見えられたな、さあ、ここへこい、わしのそばへ」と、さしまねく。 僧正の眼には玉日姫が、いつまでたっても、無邪気な少女としか見えなかった。今〔 おさなご なっても、時々範宴を子ども扱いするように、玉日をも、幼子のままに見て、膝の上 でも乗せそうに呼ぶのであった。 やわ 僧正が戯れでもいわなければ誰も座を和らげる者はなかった。姫のひとみは眩ゆい うつむ のの前にあるように、絶えす俯向きがちであるし、範宴も口かすをきかないのである おそ ことに、かんじんなその主客が酒をたしなまないので、禅閤は興のしらけるのを懼れ , たわむ もてあそ
ばだい 求菩提の、いにもえていたころの、い寂には、こういう俗縁や市塵の中にいては常に、い おうじようきよう とんせい こう彼は考えて、上人に、遁世を願 乱されて、ほんとの往生境には入り難い わらじ た。上人はゆるされた、、い寂は草鞋をはく時、 ( いずれ、再会は極楽で ) といって、立ち去った。 かわちここら それから彼は、河内の讃良にながれていた。そこの奇特な長者の後家が、まことにに ぜんに 心のふかい善尼なので、彼の望みをかなえてやろうと、林の中に、一つの草庵をつノ り、食物はあげるから、思うさま念仏してお暮らしなさいといった。、い寂は、 ) んまい ばだいりん ( ここそ、わが菩提林 ) と、鳥の音に心を澄まし、三昧に入っていたが、やがて、三ん 四年となるうちに、同門の人々はどうしたろうかとか、上人はご無事でおられるだろ , 一 ちょうせき かと、やたらに人間のことばかり考えられてきて、朝夕長者の住居から食べ物を運ん「 くれる小さい子供にまで話しかけてみたくなったり、雨ふるにつけ、風ふくにつけ、 は、かえって、世間にばかり囚われてしまって、まったく最初考えてきたような雑念 4 せいちょうばだい き俗縁なき清澄な菩提は求められなくなってしまった。 わらじ あわてて四年目に草鞋をはいてふたたび都の上人のもとへ帰ってきて、面目なげに必 の由をいうと、上人は、 ( よい旅をなされた。学問があっても、智者でも、道心のない者には、その迷いは起 ない。菩提へ一足近づかれたのじやから ) 叱られるかと思いのほか、上人は随喜されたというのである。 とら
し、タ餉の膳までもそこにできていた。 「誰であろう」と、考えこんだ。 ちょうほう この草庵へ移る時に、実直に手伝ってくれた近くの農家の夫婦かーーーでなければ聴法 の席へ来るうちの信徒の者か。 「いぶかしい」誰を挙げてみても、思い当る者はなかった。同時にまた、その人の思い 出せないうちは、このタ餉の箸も、取ってよいか悪いかに迷わずにいられない。 だが、行きとどいた細かい心づかいは、すべて、好意の光であることに間違いはな 。その好意に対して、徒らな邪推や遅疑を抱くべきではあるまい。綽空はそう解し て、箸を取った。 翌る日もそうだった。次の夜も帰ってみると草庵は清掃されてあった。 もの それのみではない。薄い夜の具に代って、べつな寝具が備えてある。決して、ぜいた あか くな品ではないが、垢のにおいのないものであった。 それは、幾日かの謎だった。しかもほのかに、女性のにおいの感じられる謎なのであ る。 すえもの 陶器一つにも、身に着ける肌着の一針にも、絶対に、女性の指に触れないもののみで けつじよう じレふん 潔浄を守っている僧の生活なのである。どんな微かにでも、女粉に触れたものはそれを ゅうげ ちぎ なぞ
172 ( 範宴をこれへ出せ ) とかいう。 えいぎん 彼が叡山を下りて、ここへ帰ったという事実は、一日のうちに洛中洛外に知れわたっ てしまった。 燃えている炎の中へ、油の壺でも投げこんだように。 えせもんぜぎ む 破戒不浄の似非門跡に会って、面皮を剥いてくれねば帰らぬと、玄関に立ちふさがる やから ゆす 輩もあるし、嫌がらせをいって、金を強請りにくる無頼漢や浪人もあった。 こばたみんぶ 「あくまで、お留守だと申せ」執事の木幡民部は、坊官たちへかたくいい渡して、いよ しようごかないと、自身が追い返していた。 今も、訪れた一組は、 「不在ならば、行く先を聞こう」といって、階に、腰をすえこんで、 「四、五日前に、叡山からここへ帰ったことをたしかめて来たのだ。それから、どこへ 隠れたのか」坊官たちはもてあまして、 「 ~ 仔じませぬ」とい , っと、 「たわけツ」一人がわれがね声で、 もんしゅ 「おのれたち、役僧として、門主のいどころを知らんですむのか。たとえば、今にでも あれ、公庁の御用でもあったらどこへったえるつもりか」 「でも、そう命じられておりますから、お教えするわけにはゆきません」 「汝らでは、話がわからん。執事を出せ、まさか、執事まで雲がくれしているのではあ る ( い」 きギ、はし
: 」やはりそうだった、というように法師二人はまた、顔を見あわせてなに 笑っていた。 ちのすて どじ知ぞいゆ裏 、間丸んそいい うやらんなう方 に木でれるや なあんじかべ と橋いきかし 思はたりがい れ執せた 、亠 うず ま拗 : 鼻ぬかい よっ絞と葉川が すくを 。ゃん うとつをの向 かは鳴 明ど な下してか つ 速流もはけなで けは かす ま方彼 さでやらたひ だか女 でなくれにび がよ つつ 生もの 、け草ないく 若知す それ庵いる のばへの彼笑 いれぐ 、人 末当ん背う 法なもを女 輩な後ろ 師らど幸にて そは じ。へ なろいもい のつ かぶ やこ来 人いうにわる わや よのて はの か則 、に 玉る歯 近う 日気が 大 存、の 薙ど もが唇 あ じ傷てだ れ 刀 にを 向るら な なをつ い負た 陽ひ越 っ 。飛 る 草 び のえ を かっ 庵 光て 見 出 のた をりき し 僧 ち 刎はた か が っ そ 才ス ) よ 返う た の 名 法 と 案 洗 師 て 内 歩 が を 物 何 小か み 頼 迷 脇も は を 旨五 む も ロロ