社会 - みる会図書館


検索対象: 親鸞(二) (吉川英治歴史時代文庫)
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1. 親鸞(二) (吉川英治歴史時代文庫)

職業も、他の生活も、そのありのままで、お身たちは立派に「往生」することができ ばだい ひじり る。菩提にいたることができる、聖たることができる。 むずかしいことではないのだ。それには、ただ念仏を仰っしゃればよい。それも、勤 いつべん めを苦にして称えることはない。思い出したらいうがよい。一日に一遍でも、また、申 したくなったら千遍でも、なお万遍でも。 えばしう 烏帽子打ちが職業であったら烏帽子を打ちながらいってもよい、弓師であったら弓を 張りながらいうもよい、眠りの前にふと いいたくなったら一声でも胸のうちでいうもよ 、茶碗を持っ時、何かおのすから称えたくなったら箸を持ちつつ胸のうちでつぶやく ギ、よう のも立派な行である。 新しい教門の祖師法然はこういうのであった。従来の教えとは較べものにならないほ ど平民主義だ。また、実社会というものを尊重している、人間の生活というものを本義 にしている。 法然の教義では、決して、信仰のために、個々の生活を変更させたり、ゆがめたりは しない。宗教のための社会のようには存在しないで、むしろ、社会のための宗教、社会 そんごう 機能のうちの宗教として、立場を、今までの叡山や他の旧教団体の尊傲な君臨のしかた とはまるで地位をかえて、民衆のうちの僧侶として、門は開かれているのである。 果殀。 ( これこそは、ほんとの宗教というものだ ) とな

2. 親鸞(二) (吉川英治歴史時代文庫)

も、すべて馴れないながら自分の手ですることに努めていた。 ゅうべ、実性の傷口の手当をしてやった折に、彼女は朝になって、自分の小袖が血ー おでよごれているのに気づいた。それを脱ぎかえて、草庵の裏の川へ、洗い物をしに山 たのである。 おか 吉田の崗から白河へ落ちてゆくそこの流れも、冬のうちは氷が張りつめていて、な〔 こもびき める もう水も温んで、春の樹洩れ陽は士 をするにも、手の切れるような冷たさであったが、 を洗う彼女の白い手に傷々しくなくこばれている。 うすあぶら しみ ト袖についていた血の汚染は、はやい瀬の水に淡い脂をひろげてすぐ消えて行った。 いのち 「今朝は、どんな容態であろうか」彼女は、今も、我の生命がふと気がかりにな ( それと共に、社会の浄土化を願う以外に使命のないはずである僧門の同亠 ていた。 なまなま が、こういう生々しい鮮血をながして、争わなければならない理由がわからなかった。 きょ かんせい 僧門のうちだけは、すくなくとも、闘争や陥穽の実社会とはちがって、浄く、気 ~ 〕 とっ わきあいあい く、和気藹々として生活の楽しめる世界であろうーーーと彼女は善信に嫁ぐ日まで信じ一 いたのである。 の嫁いだ翌日から、その想像は裏切られ、僧門の世界も社会の一部でしかないことを 彼女は、事ごとに見せつけられてきた。それを悲しんでいれば、毎日が悲しみでなけ ばならないほどに ば * 、つ だが、つらつら考えてみると、自分自身ですら、決して、新妻でありまた菩薩であ ,

3. 親鸞(二) (吉川英治歴史時代文庫)

ろろ 1 春雷 ろ健康のすぐれない法然に胸を傷ましめまいという師弟の思いやりからであった。 一き 「どうする ? 」そこで再び前の問題を評議に上せて、人々は、もう憚るところのない古 でいい合った。 「、つこ、、 叡山の凡衆どもは、何を原因にして、この吉水を、そんなに敵視してい のか」 「知れているじゃないか、嫉妬ーーーただ嫉妬にすぎないのだ」 「人を救おうという者が。しかも、千年の伝統と、あの巨きな権力をもっ叡山が。 考えられないことだ」 「それは、人間の感情というものを外においてのことで、叡山の者にも、感情はある ばんきょ ら、近年の吉水と、自分たちの、蟠踞している叡山と、どっちが社会に支持されてい くら か、較べてみれば、おのすから焦々せすにはおられまい」 「卑屈だ」 から 「もちろん旧教の殻に入っている僧侶などは、卑屈でなければ、ああしておられるも ( じゃ、ない。 彼らはただ、伝来の待遇を無事にうけて、実社会からは、遊離しょ , 一 挈よっい , っし と、なんであろうと、自分たちだけで威張っていたいのが願望なのだ。 ころへ、新しい教義を称えて、民衆をうごかす者が出てくることは、それだけでもす一 に禁物なのだからな」 ほうえ こもび 森の木洩れ陽が、若い弟子たちの黒い法衣の肩に斑をうごかしていた、ちらちらと しっと のば おお

4. 親鸞(二) (吉川英治歴史時代文庫)

% 「しばらくでしたなあ。 いろいろご消息は聞いているが」と、法印は範宴の眉を見 つめていった。 「お恥かしい次第です」範宴はさし俯っ向いて、 「磯長の太子廟で、あなたに会った年は、私の十九の冬でした。以来十年、私はなにを してきたか。あの折も、仏学に対する懐疑で真っ暗でした。今も真っ暗なのです。 いやむしろ、あのころのほうがまだ、実社会にも、人生の体験も浅いものであっただけ に、苦悶も、暗い感じも、薄かったくらいです。自分ながら時には暗澹として、今も、 しよせん 加茂の濁流を見ていたところなのです。私のような愚鈍は、所詮、死が最善の解決だな どと思って : ・・ : 」 ↓第い 1 . れ そういう淋しげな、そして、蒼白い彼の作り笑顔を見て、法印は礼拝するような敬皮 な面持ちをもって、 「それが範宴どのの尊いところだと私は思う。余人ならば、それまでの苦闘を決してつ だきよう づけてはいないでしよう。たいがいそれまでの間に、都合のよい妥協を見つけて安息し てしまうものです。あなたが他人とちがう点は実にそこにあるのだ」 「そういわれては、穴へも入りたい心地がします。すでに、世評にもお聞き及びでしょ むじゅん うが、私という人間は、実に、矛盾だらけな、そして、自分でも持てあます困り者で がんギ一よう す。その結果、がらにもない求法の願行と、実質にある自分の弱点が呼んだ社会的な葛 とう につち さっち 藤とが、ついに、二進も三進もゆかない窮地へ自分を追い込んでしまい、今ではまった ひと む えがお かっ

5. 親鸞(二) (吉川英治歴史時代文庫)

8 たのかも知れない 」と寿童丸のむかしから今日にいたるまでの身の上を弁円は語り しかし、今日では、彼に対する俺の憎悪は、決して、私怨ではない、公憤である ちゅうばっ と信じている。天にかわって、あの法魔綽空を誅罰するのは、自分に与えられた使命と まで考えておるのだ」 うわて 「これは、俺より上手な人間がいる。俺も、綽空には、仇をする一人だが、殺そうとま では思わない、八十までも、九十までも、生かしておいて、どっちが、人間らしく生き 通すか、あいつの体から、黄金を強請りながら、あいっと、生き較をしてみたいのだ」 「それもいし それも、 しいがあのような仏魔を、永くこの世に置くことは、取りも せけん 直さず、社会の害毒になるではないか」 四 「社会の害毒に ? 」と天城四郎は、弁円の思想の浅薄さをあざ笑うように反問し て、 せけん きれ 「挈」 , つい , っと、 いかにも、この社会というものが清浄に聞えるが、どこにそんな清い せけん 社会があったか。藤原、平家、源氏、いつの治世でも、俗吏は醜悪の歴史を繰り返し、 ずる せけん 人民は、狡く、あくどく、自己のことばかりで生きている。それが社会だ」 「そうばかりはいえぬ。それでは、俺たちは、何で、修験道に精進する張合いがあろ くら

6. 親鸞(二) (吉川英治歴史時代文庫)

兄は知っているのか知らずにいるのか、今、世上の兄に対する非難というものは耳も はんえん おおうてもなお防ぐことができない。兄範宴は今や由々しい問題の人となっているの「 ある。囂々として社会は兄を論難し、嘲殺し、排撃しつつあるのだ。 さきのか 兄の恩師でありまた自分の師でもある青蓮院の僧正も、玉日姫の父である月輪の前 白も、夜の眠りすら欠くばかりに、心を傷めていることを、よもや兄も知らぬわけで 2 あるまいに。 また、その問題も問題である。あろうことかあるまいことか、貴族 姫君と、法俗の信望を拇う一院の門跡とが、恋をしたというのだ、密会をしたという ( やくにん だ、しかも六波羅の夜の警吏に、その証拠すらっかまれているという。 かんなか 尋有はじっとしていられなかった。老いたる師の体が毎夜、鉋に削けてゆくように はため せてゆくのを側目に見ても。 みやま ( こういう問題を残したまま、聖光院を捨てて、ただ御山の奥へ、逃避されている兄 わからぬ。ご卑怯だ、いや、兄君のお為にもならぬ。このまま抛っておいたら、世論 なお悪化するばかりではないか。玉日様を愛するならば、玉日様の立場も考えてみる よい。師の君のお心のうちはどんなか、姫の父君の身になってみらるるがよい。どう宀 りと、この際、善処のお考えをなさらぬ法はあるまい。その兄が救われるならば、こ ( おはからい 自分などの一命はどうなろうがかまわぬ。どういう御相談でもうけてこよう、兄の胸 たたいて聞いてこよう ) こう決心して、彼は、師の慈円にも黙って山へさして登って ′ ) う′一う 0 たまひひめ

7. 親鸞(二) (吉川英治歴史時代文庫)

飛び出して、今いった赤山明神の近くまで来ると、どうだおい、美しい女が、範宴の にすがって泣いているのだ、範宴の当惑そうな顔つたらなかった」 うかれめ し、ら抃 ) ようし 「八瀬の遊女か、それとも京の白拍子か」 ろう 「ちがう、そんな女とは断然ちがう。どう見ても貴族の娘だ、﨟たけた五つ衣の裾を 一しもと 折って、侍女もついていた。二人して泣いてなにかせがんでいるらしい。俺は、樹蔭〔 ふたり かくれて、罪なことだが、そっと見ていた。男女の話こそ聞えなかったが、それだけ ( ぎまんしゃ 事実でも、範宴がいかに巧みな偽瞞者であるかは分るじゃないか。あいつに騙されて」 いか′ル」 せんげ 「そうか。さすれば、遷化するとか、京の六角堂へ参籠するため、夜ごとに通ってい . なゾとい , っこと、も」 「嘘の皮さ。通っているとすれば、それは今いった女の所へだろう」 「なんのこった」 ひじり 「この社会に生きた聖などはない」 「範宴でさえそうとすれば、吾々が、坂本へ忍んで、女や酒を求めるのは、まだまだ の軽いほうだな」 「なんだか、社会がばからしくなってきた。この叡山までが嘘でつつまれていると思 , 一 「今ごろそんなことに気がついたのか。どれ、行こうぜ : : : 」 いつぎめすそ

8. 親鸞(二) (吉川英治歴史時代文庫)

41 ろ風やます びようどう 彼はムフはも , つ、まったく、 政界からも、廟堂の権勢からも、身を退いて、ただ法然 きえしゃ 下の一帰依者として、しずかに余生を送っている人であったが、現在、自分の息女の一 人は、善信の妻として嫁いでいるし、弟の慈円僧正は、叡山の座主であったが、その 主にもいたたまれないで下山しているのだ。 みち 「なんとか、和解の途はないものだろうか」禅閤は、自分のカで、この大きな対立の 停ができるものなら、どんな骨を折ってもよい、老い先のない身を終っても忌わないし 考えていた。 でーー高雄の明慧上人へ、ぜひ一度、個人的に会って談合したいが , ーーと使いをも ( て申し送ると、明慧からも、承諾の旨をいってきた。 いちる 「かの上人ならば」と、禅閤は、一縷の望みを抱いて、今の大きな危機を、自分の信〈 と誠意をもって、未然に、打開できれば、それはただ吉水の門派や一箇の法然の幸い あるばかりでなく、社会不安の一掃であり、また、一般の法燈のためにもよろこぶこし だと = = ロじていた ところがーー意外な大事件が、誰も考えていないところから突発した。 く、吉水でも、その法敵でも、夢想もしていなかった社会の裏面から、それは燃えひ がった魔火であった。 まび ひ

9. 親鸞(二) (吉川英治歴史時代文庫)

げだん 「下壇、下壇」と後をもう聞こうとしない すると、その法師と入れ代って、また一人の法師が、ひらりと壇に起った。 「静粛にせられい」老声である、声から察しるに、この法師は叡山でもかなりの長老ら いくたび 「いたずらに騒いでは、幾度、会集を催しても、ただ鬱憤を吐くに過ぎん。益のないこ とだ。われらは、熟慮しなければならない秋にぶつかっているのじゃ」 「わかりきっている」 まいすほうねん 売僧法然ひとりに対して、叡山三塔の者が、かくものものしく騒いだとあって 土会 は、大人げない。叡山は、吉水の一団に対して、私憤をもって起ったのではない、ネ の清浄化、社会を毒す悪僧どもを敵として起っのでなければならん。社会のために、戦 うのでなければいかん」 「もっとももっとも」 まいす なかだ 「肉食はする、酒はのむ、あまっさえ弟子善信には、妻帯の媒立ちまでしたという売僧 くち、かし 法然、ロ賢く、女人教化などと申しおるが、その実いかがやら、まさしく仏教の賊、末 法の悪魔」 「いかんそするつ、その法賊を ! 」一人がさけぶと、大衆は波のように揺るぎだして、 ばいきようと 「売教徒の僧団を叩きつぶせ ! 」 弼「吉水を焼き払え」と、怒号を揚げた。 にくじき きょ ) っげ とき

10. 親鸞(二) (吉川英治歴史時代文庫)

くりき せけん う。そういう社会の中にも、真実を探し、浄化の功力を信じればこそ、吾々は、身を 5 斎して、生きている」 よのなか 「ははは。百年河清を待っという奴だ。なんで、この社会が、そんな釈迦や聖者のい まゆっぱもの とおりになるものか。第一に、聖者めかしている奴からして、眉唾者が多いじゃな〔 だきよう か。だが、おれはその眉唾者とも妥協するよ、だから、綽空も、生かしておかなけ ば、商売にならない」 「いや、俺の立場としては、断じて、生かして置くことはゆるされない。見ていてノ むくろ のどぶえ れ、今にきっと、喉笛を掻っ切られた綽空の空骸が、往来に曝される日がやってくる、 おのおの、信じるところは譲らないのだ。天城四郎にも信念があり、弁円にも弁円 ( 信念がある。 ( 案外、話せない奴だ ) 酒の上で、いちど共鳴はしたけれど、心の底をたたき合って「 けいべっ て、二人は、お互いに軽蔑してしまった。 「また、縁があったら、どこかで会おう」ぶつかり物は離れ物ーー・ということばの通〔 二人は、あっさり別れてしまった。 げんきゅう 年は暮れて、元久元年になる。 岡崎の愛の巣では、若い妻と、法悦のうちにある綽空とが、初めての正月を迎えた かせい 0 一ら しやか