201 月光と消失 は、今、信じ難い満月が見えたのであった。 恐らく永峰恭子も、今夜が満月だとは知らなかったに違いない。都会に住む人々は月 の満ち欠けに鈍感なものであった。 一人の観月観世であった。人はいつも本当は、全く一人で月を観て世を過ごす。今は うべな ただ薬が効いて痛みが取れることだけが、字佐美の期待だった。その明確な目的を諾う かのように、月光は次第に宇佐美の病室の隅々にまでしみ通って来た。
引 い、つことを知らされた。 「その兄という男に会われたわけですか」 字佐美は永峰恭子に尋ねた。 「ええ、そ、つよ」 「どこで ? 「主人と関西に行きましたの。そしたら、そこのお友だちの家で」 「今、その男は関西に住んでいるわけですね」 「そうらしいんですけど、私生活はよくわからないんですって。車に住んでるわけだか 。主人の友人とは麻雀友だち ら、いつも『こっちから連絡とります』というだけで : なんですって。麻雀したい時は、次の約束をその場でするか、そうでなければ、特定の 焼肉屋さんに伝言をしておくんですって。そうすると彼が食べに来た時に、それが伝わ る、というやり方らしいのね」 「弟という人は今でも病院ですか」 「そうらしいわ」 「お母さんは ? 」 「長男は蒸発するし、次男は癈人になったし、一人看病に疲れ果ててやつばり心臓病で なくなりましたって」 はいじん
した。こわさのあまり、死にたいくらいでしたけど」 「それが今はどうなったんです ? 」 鳴滝が尋ねた。 「今はね。生きてても、あまりいい 「僕はその点おませでしたのでね」 荘保が図にのったような言い方をした。 「僕はもう十代の初めから、この世はろくでもないところだってことを知ってましたよ。 もし人間が死なないとしたら、これはひどい罰なんだよね。我々、どんなにひどいった って、死ぬまでだからね。たかが知れてるんだよ。だけど、永遠に生きていなければな らないとなったら、こりや、ことだよな」 「全くそれは残酷ですね。 「死刑反対論者ってのはそのことを知ってるのかな」 「最高は無期にしておいて、途中で死刑を自ら選べるような道を開いておいてやるのが、 夜一番優しい配慮なんじゃないですかー の 「それじや死刑廃止じゃなくなるじゃありませんか」 福 祝「独房の壁に頭ぶつけて死ね、ということかな」 「死刑執行する係の人が気の毒だ、って言ってるんでしよ」 ことがないから」
などというのは、宇佐美にとっては単純でおもしろくない論理であって、むしろ憎んで あわ いる相手を律儀に隣れむという方がずっと手ごたえがある。限りなく常識的に振る舞う ことこそ、現世を信じていない言拠たと宇佐美は思っている ホテルマンの鱸和彦と占師の荘保千明が前後して現れると、字佐美は永峰恭子を皆に 紹介した。そして酒を配り終わった頃に電話が鳴ったが、 それは箕輪十三郎からであっ 「どうされました」 改まって年齢を訊いたことはないが、このグループの中では箕輪が最も年上だと、字 佐美は感じていたので、自然、言葉づかいはそれらしくなった。 「いや、昨日風呂場で転んでね。今の今まで伺うつもりで楽しみにしていたんですが、 どうも歩こうとすると腰が痛いんですよ」 「無理なさらんで下さい。月は今日だけじゃありませんから」 「どうですか、そちらも今夜はきれいでしよう」 けやき 夜「欅の大木の影が濃くて、魔ものが潜んでいそうですな」 の 「仕方がない、諦めましよう。皆さんもう来ておられますか」 福 祝「もう飲み始めてます。今日は、永峰さんって女の方も来られましたから」 「よろしく言って下さい。この次にはお目にかかります
勘に過ぎなかったが、 桐野ならおもしろい話をたくさん知っていそうに宇佐美は思っ たのであった。 「この次の、満月はいつなのかな」 二人共すぐにはわからなかった。 「調べてお知らせします。私の知人に幕張の近くの、海に面した高層ビルの二十二階に 住んでいる人がいるんです。そこを貸してくれるかもしれません。今ご夫妻は外国に行 っていて留守なんで、娘さんという人が私にそう言ってくれたことがあるんです」 「それはい、 しね。本当にそこを借りてもいいのならね」 数日後に恭子からの電話があった。 「満月ではなくて、満月の翌日の土曜日になってしまいましたけど、満月って二日くら いある時もあるでしよう」 「素人はいつもその程度のいい加減な気持ちで月を見てますよー 宇佐美はこともなげに言った。皆自分の認識というものに、重きを置きすぎているよ 、つに田 5 、んた。 観月観世の会員には、世の中が今やほとんど—e 時代になっているというのに、今で 包 も ;-@ メ 1 ルを持っていない人もいるというので、場所や時間の通知は、恭子からファッ クスで送られて来た。 ま / 、はり・
116 「今説明しましよう」 鱸は囁いて、それからおもむろにミハイルの方に顔を向けた。 「スルメはないそうだけど、駄菓子はあるそうですよ。子供たちがいつも買いたいと思 っているお菓子だ、って言ってます」 「昔は町までは、船で小一時間もかかったんですよ。でも最近はハイドロホエルもある からあっという間ですよ。私は高いから乗らないけどね ミネはハイドロフォイルを少し変わったふうに発音した。 「それはすごいですね、ってミハイルさんは言ってます。彼の育った村は、島ではなく て田舎だけど、今でも村の人はタイヤを付けた大きな荷車を馬で引かせているそうで 「それで何を運ぶんですかね」 ミハイルはミネの質問に低い声でながながと答えた。 「トウモロコシとかキャベッとかジャガイモだそうです。野良へ行く時は子供も乗せて 行くから、お母さんの手編みの帽子をかぶった子供の頭がキャベツに混じって見えるそ うです。子供の頭とキャベツはちょうど同じくらいの大きさでしよう」 字佐美は義務感を覚えて、今日のスピーカ 1 の話を時々片耳で注意の中に引き込むよ うにしていた。鳴滝はオーロラを見に行ったことを話していた。オーロラは北半球なら
断されていた。中断されても、別に誰一人として困らない会だから、のんびりと中断を 続けて六年が経った。 ひな ろうおく 会場には、東京からそれほど遠くない鄙びた海辺の陋屋の離れを使っていた。持ち主 は唖の婆さんで、幸いにも六年の年月が経ったにもかかわらず、彼女もまだ生きていた が、また借りたいと申しいれると、滑って転んで足の付け根を折ったということで入院 していたのである。 隣家の人の話によると、随分しつかりしていて、自分はいなくても、鍵を貸すから使 ってくれ、ということだったが、 こういう人物に限って、後から、あの畳の焦げ目はそ れまでついていなかったの、退院して帰って来てみるとお茶の缶が一つなくなっていた けど、あれはあんたたちが使ったのかね、などと、書いて見せるに違いない 。「元気に なったら、また貸してくれよ。その方が気楽だから , と字佐美は流して今になったので ある。 何ごともむすかしい時には、態度を明確にせずやり過ごしていれば、 しい。すると時と 殿共に思いもかけない安楽な解決も見えて来る。 字佐美のテニス・クラブにはいろいろな人が来た。その中から、字佐美は動物のよう 沈に、自分に合う人間を嗅ぎ出したのである。まだその頃は、今のように遺伝子でかなり の病気がわかるという時代ではなかったが、それでも字佐美は、異常な感覚を素質とし
「観月観世の会ということをふと口にしましたら、能の観賞グル 1 プか、と訊かれまし おも た。いや、毎月満月の夜に月を眺めつつ、人の世を語り、死を想う会だ、と答えました ところ、気狂いのような眼で見られました。恐らく、仮に僕が誘っても、こういう人物 は我々の会に来たいとも言わないでしよう」 宇佐美はそう書いて来た鳴滝厚の手紙の一節を思い出していた。鳴滝は伊賀電気に勤 める照明器具のデザイナーだが、他のメンバーの中には名前も職業も全部架空のものと 思われる人がいる。 農業をやっているという箕輪十三郎は恐らくもとは官僚であったろう、と字佐美は睨 んでいるし、易者だという荘保千明も正直なところ何をしているかわからぬ人物である。 かんだ ホテルマンの鱸和彦はまあ、確かにホテルマンなのだろうが、そのホテルはどこか神田 駅の近くらしいとはわかるのだが、小さなビジネス・ホテルと思われ、宇佐美自身彼の 職場の電話番号さえ知らされていない 今日、人々は初めて宇佐美の家に集まるのであった。この会を始めることを思いつい たのは字佐美で、彼だけはどのメンバーからも氏素姓を知られている。つまり、字佐美 は昔、南方の島で熱病のために死にかかった日本兵であり、原隊に置き去りにされて帰 国してからは今に至るまで結婚もせす、残された家と僅かな畑 ( と言っても約一万八千 平米ほどあるが ) をつぶして、今流行の会員制のテニス・クラブを作り、その会長にお
ではないか、と宇佐美は気になった。あの男がいなければ、自分は築山から家まで辿り 着くにもすいぶん痛い思いをしたかもしれないと思う。いや、あの男が「荷物ですが」 と言わなければ自分は急に振り向くこともなかったのだから、骨折の原因になるような 動作もしなかったのかもしれないが : : : 不幸中の幸いとは言い得て妙な一言葉であった。 しょ・つすい 今、字佐美はほっとしていた。昭和二十一年の春、憔悴した体をボロ船の甲板に横 さび たえて日本に引き揚げて来た時、錆だらけの甲板に寝ながら頭上の青い空を眺めて、意 識を失いそうになるほどほっとしていた記憶がある。後数日このまま生きてこの甲板の 上で過ごすことができたら日本に着くと思うだけで、救われていたのである。その時、 宇佐美は生涯で最高に確固とした目的を持っていた。そして明るかった。皮肉なことに、 生きて日本に帰り着いて衣食住に困らなくなってから、宇佐美は断続的に軽い抑鬱的な 気分に襲われている 今、字佐美は引き揚げ船以来の明るさの中にいると感じた。宇佐美は素早く、怪我を したのがあの南の島ではなくてよかったと計算したのである。時間を超えた体験の記憶 ル人ヾ、、 カまるで実際に起きたことのように、敗残の日本兵がジャングルの中で足を折ったら どうなるかを実感させていた。もちろん原住民も足を折る。すると呪術師か接骨師の所 月 に連れて行かれるわけだ。接骨師にも結構うまい人がいるようであった。そうでなけれ ば、医療の設備などないジャングルで人間は生きて行けない。いっかテニス・クラブに
「僕は最初に言いましたけど」 平木はしよばくれた眼をばちばちさせた。 「僕は徹底して喋らない女房と、やはり黙って働いている息子と暮らしてるもんですか らね。長年の間に静かなのが好きになってしまった。これは論理じゃありませんや。 やかま 喧しいのに耐えられなくなったんですよ。だから、というとおかしいが、私は今でも うるさ 社会主義の方が好きだな。あれは何より煩くなかった」 「しかし、煩い社会主義もあったでしよう。ひっきりなしに宣伝カーでがなり立てたり、 シュプレヒコールを繰り返させたり」 「それでもそれは静かなんですよ。内容空疎ということは、心がいら立たないから静か なもんなんです」 字佐美は窓を開けた。潮騒が健康な息遣いのように聞こえ、ちょうど満月が真上にあ って村の道を照らしていた。 これから本格的に、酒を飲み出す時刻なのである。