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検索対象: 観月観世
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1. 観月観世

られるから妙である。沈黙は雄弁なり、などという古風な考えが、この男を見ていると、 軽薄に伝わって来るのがおもしろい 「これは伺わんでもいいことかも知れないが、私の興味があるので聞かしてもらえれば と思うんですがね」 箕輪が悪気のない調子で言った。 「宇佐美さんはここにおられるような方々をどうして選ばれましたか。一緒に月を見せ てもらうメンバーは、あくまであなたの趣味で人選をされた、と伺いましたが」 「独断的にね、私の好みだけでさせてもらいました」 荘保が微かに笑っていた。 「常識と効用性というのはしんそこ退屈ですからね。その二つの尻尾をお持ちの方は、 初めから私の選択の網に引っかからない。私はその手のことを嗅ぎわける鼻だけはいい んです。それから世間に強烈な興味をお持ちの方、これも扱いが面倒くさいから避けま しゃべ した。ここで、あなた、我々はあることないことを喋るわけですからね、それをいちい ち、つまらない世間に当てはめて、この話はあの家のことだろう、とか、このケースは あの男のことだろう、などと気を廻されたら、せつかくの我々の趣向が引きずり落とさ れて泥まみれになるだけのことです。私の好みでは、この世のことがいつの間にか何と なくつまらなくなって、いわば、こと魂に関することにしか歯ごたえを感じられなくな しっぽ

2. 観月観世

で死にかかった話など、中年の戦後生まれの医者にはしていない。戦争で生き残ると、 よく人は「残りの人生」というが、字佐美にはあれ以来、生の実感が戻って来ていない 苦痛か解放かわからないことは、世の中に欲しいものがなくなってしまったことだっ た。空腹を感じる時には、食い物が欲しいとは思う。しかしそれを僅かに満たせば、そ れでことは解決してしまう。 金もほとんど必要とは思わなくなった。字佐美は都内でテニス・クラブを経営してい るのだが、作ったきっかけは、土地が、先祖代々のものだったからである。字佐美は会 長なのだが、 運転手つきの車さえもっていない。どこへでもてくてく歩く。そうでなけ ればタクシ 1 に乗る。しかし金を残したいからそうしているわけではない。一度も結婚 しなかったし、隠し子がいるというわけでもないので、財産を残す相手がいない。しか しそういう人間に限って事業はうまく行く。金も溜まる。 死後その金はどうするのだ、と聞かれたことがある。生臭い質問だ。しかし生気に溢 れた質問だ。 簡単であった。宇佐美には法定相続人が全くいないから、誰かがいささかの分け前を 請求して来ることもない。自分の名を残した財団を設立したり、今をはやりの地球環境 の整備に寄付をしたりする意図も全然ない。せつかく子孫がないのだ。地球の未来など 考えないという特権を持っているのである。

3. 観月観世

例によって宇佐美は、私鉄の終点の駅を下りてから、海に向かって走る一時間に一本 というバスを利用するつもりだったが、駅前のバス停で待っていると、通りかかった小 型車が、びたりと停まった。 「乗っていらして : : : 」 唯一の女性の会員である永峰恭子が、運転席から字佐美の顔を見上げていた。 「これはこれは、すみませんね」 乗り込んでから、 「いつもお車でした ? 」 と字佐美は尋ねた。 しいえ、ただ今日は、お月見だから月餅を持って来たんです。月餅って、ずっしり重 いお菓子でしよう。私、怠け者だから重い荷物を持つのが嫌で、それなら車で行きまし よう、ということにしたんです」 「なるほど。それでお菓子はどこで買って来られたんです ? 横浜の中華街ですか ? 」 しえ、香港のよ。外国の帰りに香港を通りかかった人が山のように買って来てくだ さったの。日本みたいに月餅を一年中売っている所なんか、中国人社会にはないから、 その季節になると、皆、今こそ買わなきや、という気分になるらしいのね」 げつ。へい

4. 観月観世

話になるな」 字佐美は、家族がない人間は、普段の生活はどうにでもなるが、病気の時と死ぬ時は 困るだろう、とかねてから覚悟はしていた。ただ死は死ぬ者の勝ちであった。自分が苦 しいからである 労するのではなく、周囲の他人を困らせていなくなれば、 「そうだ、木下君。一つ君に頼みたいことがある」 宇佐美の礼の言葉を木下は背中で受けて表情を見せなかったが、その言葉にやっとこ ちらを見た。 「何でしようかー 「持って来てもらいたいものを思いついた」 「はい」 「ここに、僕の家の鍵がある」 その時初めて字佐美は、自分がまだ事故を起こした時のままの服装で、寝間着にも着 替えていなかったことに気づいたのだった。 軼「台所に冷蔵庫がある。その一番下の左側の奥の方に、ダルフールというラベルのジャ ムの壜がある。壜と中味は違うんだ。中に漢方薬みたいな丸薬が入ってるからすぐわか る。それを壜ごと持って来てもらいたいんだ」 「私がいきなり行ってわかるでしようか。どのジャムの壜か :

5. 観月観世

182 「苺ジャムの壜に、ジャムが入っていないのは、それ一つしかないから、すぐわかる よ と宇佐美は言った。しかしその中に入っているのが、南の島で生死をさまよっている 時に飲ませてもらい、別れる時にも村長からもらったあの麻薬だということは言わなか った。 「かしこまりました」 木下は、字佐美の説明を別に怪しまなかった。傷の上がりがいいとか、鬱血が取れる とかいう理由で漢方薬を手放さない人種は世間にいくらでもいるから、不思議には感じ なかったのだろう。 間もなく帰って行った木下に字佐美が頼んだのは、一日置きに来て、この病院の洗濯 機に洗濯物を入れてドライヤーで乾かすことと、入院や手術料の請求書が出た時に、支 払いのための現金を持って来てほしい、というくらいのことであった。 「お金のことは、経理の倉持君に話しておきますー 「そうしてくれたまえ」 字佐美が木下と知り合ったのは、全く偶然であった。近くの牛丼屋のカウンターで隣 り合わせで食べていた青年が、支払いの段になって、手持ちの金がほんの五十円ばかり 不足していることを、額からたらたら汗を流しながら、持っているはずだと思っていた くらもち

6. 観月観世

112 おかだ 「いえ、そんなこともしてないの。実は私のよく知ってる人に岡田さんっていう人がい て、その人が薬局をしてなさるんですよ。その奥さんが製薬会社の招待でハワイへ行く ことになってたんだけど、お母さんが八十八で、急に弱りなさったもんだから、ハワイ へ行くのは心配でやめたい、って。でもせつかくの招待だから、ミネちゃんが代わりに 行っておいでって言ってくれたもんだからね。思い切って行って来たですよ。帰りに東 たかはたふどう 京で高幡不動さんにお参りできるのも目当てだったもんだからね」 鱸は不動明王についてミハイルに説明したが、不動をアチャラと翻訳しているのを聞 いて、字佐美は彼の知識に感心してしまった。不動は罪と汚れを浄め、一切の悪を追い 払う役目を持っている。憤怒の様相を示し、右手に剣、左に索を持っているのだそうで ある。 なりた ミハイルがその「神さま」はどこにいるのかと聞くので、字佐美は「成田から飛行機 しんしょ・つじ に乗る前に新勝寺に行くといいですよ。高幡不動へ行くよりその方が便利ですよ」と 思わす振り返って注釈をつけておいた。 彼らはほとんど囁くような小声で話していた。それはスピ 1 カーとしての鳴滝の講義 やそれに対して感想を述べている人々の話を決して邪魔しない程度の大きさであった。 字佐美は興味に駆られて時々ミハイルの表情も盗み見た。 「奥さん自身はどんな仕事をしていますか ? とミハイルさんが聞いてますけど」

7. 観月観世

こずえ 皿たんだよ。林の梢が燃え出すかと思われるほどの朝焼けだった。神父が怪しげな死に方 をしたことなんか、もう誰も覚えてないみたいにいつもの通りだった》 「それでよかったじゃないの、って私は言ったんですけど」 と永峰恭子は言った。 「でも、彼はやつばりだめだった」 「どうだめだったんです ? 「僕はどうみても判断が狂ってるから、世間に戻っちゃいけないんだ。ここにいる方が いいんですって。だから言ってあげたの。『じゃ、そこにいりやいいわ。人間どこでも いいから、いるところがありやいいんですよ』って」 「僕は神父の最期にも、むしろほっとしたね。いかにもアフリカと対決したらしい、そ してあくまで神父がだましたんじゃなくて、神父の方がだまされた、いい 最期だったよ。 神父だって、先祖に呼ばれて還って行ったんですよ。ご苦労さんでした , ふすま 字佐美が呟いた時、襖が開いて、秋本の老女が鯖の煮つけの皿を持って現れた。

8. 観月観世

「おかげさまでどうやらやってます。最近シャンデリアがはやって来てましてね 「シャンデリア ? 誰がそんなもの買うんです ? 」 「そこら辺の人ですよ。たとえば、ここらあたりの農家の人でも買いますよ」 「農家のね」 釣師風の男がおうむ返しに言った。 「そうですよ。壁なんか新建材のべこべこした奴使っててもね。客間には一メートルも あるようなシャンデリア飾る人もいるんですよ」 「そいつはたまらんね」 みのわじゅうざぶろう 釣師風の男は、箕輪十三郎というのであった。 「僕も初めはそう思ったんですよ。しかしこの頃、また考えを改めましたね。完璧な調 和を志向するのも一つの芸術だけど、これ以上ちぐはぐなものはないと思われる取り合 わせを創ることだって、実に一つの快楽ですからね」 さわや 鳴滝の声はあくまで爽かである。彼が酒やちょっとした食いものを車に積んで持って 世来たので、字佐美は母屋にコップを取りに立った。そして三人の前にビール会社のマ 1 クつきの宣伝用コップを配り終わると、 月 すずき 観「じゃ、最後の鱸君が現れる前に、一応のご紹介をしておきましようか」 とあたりを見廻した。

9. 観月観世

には胡散臭くない人間ほど胡散臭いのかもしれない。だからこの男は、素姓がわからな い分だけ胡散臭い顔をしているので、却って安定がいいのであった。 照明器具のデザイナ 1 をしているという鳴滝厚がウイスキ 1 を持って来ていた。いっ も気をきかせて物を持って来る人間は大体決まってしまっていて、持って来ない者は徹 底して持って来ない。しかしそれが不満の種になどならないのは、誰もが浮世の計算な どど、つで、も、 しいと思っているからだった。会費は一応あって、その会費の中で、秋本の ばあさんが冷蔵庫の中にビールと氷、それにその日によっていささかの肴を用意してく しょ - つが れることになっている。枝豆とか、地味と生姜を刻みこんだ鰺の叩きとか、土地で採 れたスルメとかである。 今日は、二時間ほど経ったところで、漬物とうまく炊けた飯、それに味噌汁が出るは なす ずであった。味噌汁は魚のあらのこともあれば、茄子や大根の時もあるが、いつもすば らしくおいしくて皆感動するのである。 今日は自称百姓の箕輪十三郎が釣りの帰りだと言って、鯖を持って来た。それを老女 ごちそ・つ が味煮にしてくれるというから、さらに御馳走が加わるはずであった。 「永峰さんは、しばらくお見えになりませんでしたね」 箕輪十三郎が恭子に言った。 「ええ、たまたま前の時、働きに出ていたもんですから」 かえ

10. 観月観世

勘に過ぎなかったが、 桐野ならおもしろい話をたくさん知っていそうに宇佐美は思っ たのであった。 「この次の、満月はいつなのかな」 二人共すぐにはわからなかった。 「調べてお知らせします。私の知人に幕張の近くの、海に面した高層ビルの二十二階に 住んでいる人がいるんです。そこを貸してくれるかもしれません。今ご夫妻は外国に行 っていて留守なんで、娘さんという人が私にそう言ってくれたことがあるんです」 「それはい、 しね。本当にそこを借りてもいいのならね」 数日後に恭子からの電話があった。 「満月ではなくて、満月の翌日の土曜日になってしまいましたけど、満月って二日くら いある時もあるでしよう」 「素人はいつもその程度のいい加減な気持ちで月を見てますよー 宇佐美はこともなげに言った。皆自分の認識というものに、重きを置きすぎているよ 、つに田 5 、んた。 観月観世の会員には、世の中が今やほとんど—e 時代になっているというのに、今で 包 も ;-@ メ 1 ルを持っていない人もいるというので、場所や時間の通知は、恭子からファッ クスで送られて来た。 ま / 、はり・