燗残って東京見物してるんですって。だけど今日は奥さんがどうしても約東があってよそ しカはい亠のま、り・に、も にでかけなければならないので、その人を一人で放り出すわけに、、 東京に馴れてないんで、心配だから連れて来たいっていう話でした」 こちらもただ、連れて来る人らしい。外国人と地方出身の女性というのは、あまり適 切な取り合わせではなかった。共通の話題もなかろうし、お互いに興味もないだろう。 しかしそういうことは、宇佐美の心配すべき問題でもなかった。人間には話の通じない ことに耐えて退屈することも時には必要だからであった。 この集まりは時間も正確であることを要求していなかったが、それでも人々はあまり 遅れずに集まって来た。鳴滝が自分の車に、金髪の、彼と同じくらいの年配の痩せ型の 知的な外見の男を乗せて来た。鳴滝は東欧系の客の名前をちゃんと紹介したのだったが、 宇佐美には、ミハイルという名前の部分しか覚えられなかった。 「ミハイルさんというのは、君と同じデザイナーなの ? 」 自称易者の荘保が尋ねた。 「いや、この人はガイドをしてたんですよ。ほんとうは、そんな仕事をするような人じ ゃない。彼は芸術家なんですよ。詩も書くし、絵も描くし、一番才能があるのは彫刻じ ゃないかと僕は思ってるんだけど」 「それは気の毒だね。絵でも彫刻でも売ることはできないの ?
鱸はいろいろとおもしろくないことがあって、大学を出ると何とかして東京へ出たい と考えていた。北海道にいた方が、人聞きのいい就職のロはあるかも知れない。しかし 鱸は大都会の冷酷さに埋没することに憧れていた。彼は周囲の反対を押し切って、初め は東京の実用書を出している小さな出版社に入ったが、セールスをやらされるとうんざ りして三年ほどでやめてしまった。鱸は何よりも、こちらから他人に声をかけるのが嫌 いなのであった。それから半年ほど遊んでいたが、小さなビジネス・ホテルがフロント 係を募集しているのを知り、そこに採用された。ホテルは客の方から泊めてくれ、と言 って来るのだから、気楽であった。 ホテルマンになって五年ほどした時、彼の勤めているホテルに一組の家族が泊まった。 はるお 客自身が書きこんだカードによると、それは野木雪比古、美影、青生 ( 四歳 ) という名 前になっていた。鱸は少し考えた末、いきなり言葉をかけるのを控えて、夜になって野 木一家が帰った時に気がつくように、 小さな名札をつけた花を部屋に届けておいた。 その夜、彼はナイト・マネージャーとして宿直に当たっていた。九時頃エレベータ 1 が開くと、心もち硬い表情の雪比古がフロントの方へ歩いて来るのが見えた。 「野木が私の所まで歩いて来るほんの数秒の間に、私は軽薄なさぐりを入れようとした んです。つまり彼はその後人生をうまくやってるか、それともそうでないか、です。し かし彼はそのどちらでもないように見えました。というか : : : 」 あこが
爽かさを感じますな」 箕輪が言った。 「それで私はローソクを持ってまいりました」 「ローソク ? 」 「蛍光灯の下で喋るということが、私はあまり好きじゃないのです」 「いい勘だったね。本当にこの家は蛍光灯だ」 鱸は袋の中から、太い茶筒のような形のローソクを二本と、それを受ける黒い塗りの 人々は酒を配り、ローソクをつけ、蛍光灯を消した。 「この会は別にスピーカーが決まっているわけでもございませんでしようし、テーマも ないのでしようが、つい先日、幸福な家族に会いましたので、よろしかったらその話を させて頂こうかと思いまして」 鱸が言った。 「どうぞ、どうぞ。今どき幸福な家族というのは珍しいですからね , 字佐美は少しも信じていない者の気楽さでそう言いながら、自分のコップの中で水割 りのウイスキーの色を見きわめようとした。 「実は私は東京の出身ではありませんで、父の仕事の都合で北海道に生まれて、大学を しよくたい 燭台を二個とり出した。
人 105 と、会の空気はぶち壊しになるのである。 「誰がお客を連れて来るの ? 珍しいことだったから、宇佐美は尋ねた。 「一人は、鳴滝さんが連れて来る人で、外国人なんだそうです。東欧で知り合った人で、 今、日本に来ているんですって。鳴滝さんと鎌倉に行った帰りで、言葉もできないから 一人で帰すわけに行かないんで、会の間、席においておいてくれないか、っていうこと でした」 「それはお退屈さまなことだね、 鳴滝厚は照明器具のデザイナーだから、そういう外国人との付き合いもあるのかもし れない、と宇佐美は想像した。 「もう一人は、箕輪さんの知り合いで、奥さんの遠縁の人とかです」 「女 ? 男 ? 「女のおばさんだそうです」 恭子は誰もがよくやりそうなおかしな言い方をした。箕輪十三郎は自称農業をしてい ると言っているが、彼の住む東京近郊は農家も数少ないし、宇佐美は彼の博識や慎重さ から実は中央の公務員だったのではないかと睨んでいる男である。 「奥さんの田舎の人で、製薬会社の招待で、ハワイに行って来た帰りだそうです。少し
字佐美は月餅の本場は中国だった、ということさえ忘れていた。 月はやはり、不発であった。会が始まる頃には、雲はいっそ、つ濃くなった。酒もビー ルもあるのに、恭子が持ち込んだ月餅に興味を示した人が多かったのは、意外と甘いも と のを好む人がいるのを、自分が今まで気がついていなかっただけなのかもしれない、 字佐美は反省していた。 月餅の意匠には、中国の菓子職人が工夫を凝らすという。恭子が持って来たのは、一 あんむらくも あひる 個一個の月餅の中に埋め込んだ家鴨の卵を満月に見立て、周囲の餡を叢雲にみなしてい る。 そろ メンバーはほとんど揃っていた。東京の下町のビジネス・ホテルのマネージャーをし ている鱸和彦だけは、会議があってバリ島へ行っているとかで、初めから欠席の通知が 来ていた。 「皆さん、お元気でしたな」 字佐美が言った。 「不思議とこの会では、病人が出ないね」 「初めから、病気の後みたいな人が多いから、病気が目立たないんじゃないかな」 ・つさん′、さ 月自称易者だと言う荘保千明が言った。この男くらい胡散臭い感じのする男はいなかっ た。よく世間では「あの人が詐欺師とは思いませんでした」という言葉を聞くが、実際
172 ちのために働く伏木聡子とその仲間たちのような人々が受け取るべきだ、と字佐美は考 えていたのであった。 救急車でどこに連れていかれるのかわからないが、運ばれて行った病院から伏木聡子 に電話をすれば、 しい、と宇佐美は眼の前の些事に拘泥していた。 カカ 宅配の青年は、こんな事故に関わり合ったことはないらしくおろおろしながら、「救 急車が来るまでは、いますから」と一言う。 「ありがたいなあ、大丈夫とは思うけど、君がいないと携帯もないし、僕はここからま ず動けなかった。君がいてくれてほんとうに助かったよ。今の若い人の中には、こんな に優しい人もいるんだね」 宇佐美は言ってから安心して青空を眺めていた。 それはすばらしく澄んだ深い青空だった。もしかすると東京の中で、自分以外の一人 も今日のこの青空を眺めている人はないのではないか、と字佐美は奇妙なことを考えた。 長いのか、短いのかわからない時間が経った。宅配の青年が救急車のサイレンの音に 飛び出して行き、「こっちです。庭で倒れたんです」と説明している声が聞こえた。 救急隊員は男性が二人と女性が一人だった。 「お世話になりますー と宇佐美は言っただけで顔を背けた。急に馬のようになった自分の足を見たくない、
断されていた。中断されても、別に誰一人として困らない会だから、のんびりと中断を 続けて六年が経った。 ひな ろうおく 会場には、東京からそれほど遠くない鄙びた海辺の陋屋の離れを使っていた。持ち主 は唖の婆さんで、幸いにも六年の年月が経ったにもかかわらず、彼女もまだ生きていた が、また借りたいと申しいれると、滑って転んで足の付け根を折ったということで入院 していたのである。 隣家の人の話によると、随分しつかりしていて、自分はいなくても、鍵を貸すから使 ってくれ、ということだったが、 こういう人物に限って、後から、あの畳の焦げ目はそ れまでついていなかったの、退院して帰って来てみるとお茶の缶が一つなくなっていた けど、あれはあんたたちが使ったのかね、などと、書いて見せるに違いない 。「元気に なったら、また貸してくれよ。その方が気楽だから , と字佐美は流して今になったので ある。 何ごともむすかしい時には、態度を明確にせずやり過ごしていれば、 しい。すると時と 殿共に思いもかけない安楽な解決も見えて来る。 字佐美のテニス・クラブにはいろいろな人が来た。その中から、字佐美は動物のよう 沈に、自分に合う人間を嗅ぎ出したのである。まだその頃は、今のように遺伝子でかなり の病気がわかるという時代ではなかったが、それでも字佐美は、異常な感覚を素質とし
「そのどちらでもあったんでしよう」 箕輪が言った。 「というより、うまくではないがどこかでどうしようもなく、なるよ、つになって生きて 来た、という顔をしていました。わりといい顔でした」 きゅうかつじよ 二人はフロントのカウンターごしに、ごく当たり前に久闊を叙した。 「どうして、東京なんか来たの ? 」 鱸のホテルの前はパチンコ屋で、その点滅する原色のネオンが狭っこいロビーにいる 人々の顔色を時々変えた。 姉の夫が南極観測船で出航したので、それを見送りに来たのだ、と野木雪比古は言っ た。長い留守の間、姉と子供は北海道の父の家、つまり野木の家族と暮らすことになっ ている。そんな話をしている間に、エレベーターから、いっか鱸が一度だけ見た野木の 姉の美影が、 四歳になる息子を連れて雪比古を探しにやって来た。同級生がこのホテル にいるらしいから会って来る、と言っても信じられなかったらしい。子供は宵つばりに 世育っているらしく、眠そうな顔もせず、雪比古を見ると「叔父ちゃん ! ーととびついて 来た。鱸はその子の顔を見て、「あ」と思った。 月 観「それほど似ていたんですか、 「叔父と甥ですから、多少は似ていても不思議はないんですが、彼と美影さんはかなり
で雪見に出かけたくなり、途中で眠くなってしまった、というような言いわけをして、 何も事情を知らない相手をうまく言いくるめたのであった。 兄と弟は東京の家で初めて顔を合わせた。 《兄さん、見つけてごめんね》 というのが弟の最初の言葉だった。それから彼は泣き始め、兄が、 《あんないい機会はなかったのにな》 という一言葉を聞いてもいないようだった。発見しなくても、誰にも何の責任もない 誰かを自殺に巻きこむこともない。他人の家で死んで迷惑をかけることもなかった。し かも当人は深く央く眠っていた。 ぎよ・つこ、つ さらにもう一つの僥倖も加わっていた。弟が父を背負って帰りかけた頃から、雪が 再び降り出していたのである。そのまま父を元通り置いて引き返せば父の自殺行を人々 は辿ることもできなかったし、弟がそこへ来たという痕跡も消されてしまう筈だった。 それは疲れ切った人々を運命から解き放っという「祝福。を万全に用意した夜に見えた。 夜それから間もなく、この兄は家出したのである。会社に入って三年目であった。彼は 4 のまがさき の まず九州まで流れ、それから尼崎で暫く肉体労働をして暮らしていた。 福 祝兄には一人だけ心を許せる友だちがいた。その男にだけは連絡をとっても家に知らさ れる恐れがなかった。彼は、間もなく優しかった弟が父の代わりに精神病院へ入ったと
記彼は友人の家の人々に気どられないように少し手前で車を停めた。それから、父の泊 まっている筈の座敷の様子を窺った。ガラス戸の奥には黄色つほいカーテンがかかって おかん 、こが、それが一番端の戸の分だけ開いている。弟は背中に悪寒が走るのを感じた。雪 はここ二日ほど降らなかったので、かなり量が減っていたが、深い足あとがそこから裏 の方へ続いていた。 一瞬、弟の心をおさえるものがあった。戸口から出て行っている足跡は必ずしも父の ものかどうかもわからない。死ぬつもりで出て行ったのなら、ガラス戸を開けっ放して 行くのではないだろうか 疑心暗鬼というものなのだ。第一自分がここへ来なかったことにすれば、たとえ何が あろうと何の責任もない しかし弟はそれに耐えられなかった。彼は足跡を辿った。時々吹きだまりになってい やしろ る雪に足をとられながら、足跡を追って、村はすれの小さな社まで来た。その時、ほん びん の数分、雲が切れて、彼は岩かげの老杉の根本に、ウイスキーの壜をかかえて眠りこん でいる父を見つけた。 たす 弟息子に救け出されたために父は再び何食わぬ顔で東京へ帰って来たのであった。い つものやり方で、自殺未遂を発見されると、この見栄つばりの男は、いったんは寝床に 入ろうとしたのだが、 そこで再びウイスキーを飲んでいるうちに、あまり気分がよいの うかが