小説家 - みる会図書館


検索対象: 誰のために愛するか
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1. 誰のために愛するか

0 郷界隈のそば屋で開かれていたが、雑誌にかかった費用など出すときは、おうようなものだっ た。その号に書いている人もいない人も、めいめいポケ ' トから出せるだけのお金を出すのであ幻 る。すると創始者の一人というので大きな顔をしている三浦が、おサツを数える。 「三千五百円足らんぞ」 すると、又誰かが少し出す。数えてみると足りている。こんな具合だった。 大阪の朝日放送にいる阪田さんも「汚職」をして私たちを助けてくれた。つまり彼は聴取者文 芸という投稿の時間も受けもっていたのだが、あまりいい作品がでないので、私たちに名前をか えて応募するように言ってきてくれたのだ。十枚書くと手取りで二千四十円になる。 私は学校から帰ると一晩で軽く十枚書いた。阪田さんに送ると、大分たってから現金書留がき た。初めてもらった原稿料である。うれしくてとびまわった。しかしお金をもらうとなると、そ ういい加減なこともできない。私はあらゆる素材を十枚の短篇小説に変えるのに、目の色を変え た。この頃の訓練が今でも、短篇を書く上で役に立っている。もっとも、今でもその当時の手法 がそのまま使える訳ではないのだが。 ニ人が無名で、お金もないしあわせ

2. 誰のために愛するか

N 自分が落ち込みかけている穴 表現しようとしてもそれが不正確に思えるので、会話はロに出さない前から心の中で、・フーメラ ンのように投げてもこっちへ帰ってきてしまう有様が見え、従って何も言わなくなるのだった。 そのとき、私は一人の神経科のお医者さんから「自然にする」ことを教えられたのだった。苦 しいときは苦しむ他はないのだということ。眠れないときには起きていること。無理して小説と 圭日くなどとい、フことは、外からみるとまったく不思議に思えるということ。 私は自分に対して苦笑することができた。私は図々しくも偉人になろうとしていたのかも知れ ない、と考えた。それはまったく滑稽なことなのだ。 その前から、私は精神分析に関する本を読んでいた。アドラーや、メニンジャーや、フロム、 それにクレッチメルなども読んだ。それらの本を読むと、私の症状は手にとるようにわかるの で、私は改めて自分が「ばからしい」ように思えてきた。 私はそれを手がかりに、自分が落ちこかけている穴から這い上ろうとした。私はニセ医者程 度には、その方面の臨床例にもくわしくなっていた。 ある年、私は親しい友人の夫から電話をもら「た。妻が急に物が食べられなくなり ( 文字通りの 意味で ) 入院中なのだが、どこを検査しても悪くないという。しかし地方の病院のことで心配だ 9 し、何とか病院をうっそうかと思う、という電話であった。

3. 誰のために愛するか

M 私が決心した日 と、老成したところがあり、生徒になるかと思うと、たちまちにして年上の彼らのお姉さんにな った。私は彼らが、他の女の子に失恋したとき、その話の聞き役に廻るのがうまかったのである。 私がそれらの長い年月の間に、誰かと恋愛しようとするのを未然に防いでいたのは、私はその 頃としても珍しい環境で育ったからである。つまり、私には、母が私と結婚させたいと望んでい た相手がいて、私は小学校六年生のときから、既婚者のような気分でいたからである。私はその ひとを尊敬はしていたが、彼は理科的な世界観をもっ青年で、私とは話が合わなかった。しかし、 それでもなお私は何となく、他の人を好きになっては、その人に悪いような気がしていたのであ る。 しかし、私が小説を書き始めたりすると、彼と私の間の断層はますます大きくなり、三浦に会 う前には、私たちはもう実際には婚約者的な関係を解消していた。 しかし私はそのような垣根を作られた青春を決して悲しいとは思っていない。その人と別れる とき、彼は私に、私をまったく清らかな娘のまま、誰か知らないけれど、私が将来結婚する相手 に渡せるのがせめてものことだった、と言ってくれた。私はこの人によって、私の青春を閉され たのではなく守られたかも知れない。私が、親戚の伯母などにすすめられてお見合をしたりした 7 のはその後のことだったし、さらにもっと後に現われた三浦は不良青年のくせに、私がそのよう

4. 誰のために愛するか

倍いくっ ? 」ときく。夫と息子が答えてくれる。電気のヒ = ーズがとぶと、私は暗闇の中に坐っ ている。財布が始終見えなくなって誰かに拾ってもらう。 うちでは統治するものは男である。男は女の無能さに困らされなければいけない、と私は思っ ) 0 そのかわり私は下らないことに有能なのだ。たとえば二十分以内に入院に必要なものを揃え ろ、というようなとき、私は突然信じられないほどの働きを示す。それから冷蔵庫の中に、お刺 身の残り三切、納豆一塊、牛の挽肉百グラムなどという妙な取り合わせのものが残ったとき、そ れらをうまく組み合わせて、新しい料理を作るなどという事に関しては : : : 私は天才ではないか ろ と心ヒソ力に思う。しかし、私は重大なことは決められない。私の決めるのは小説のテーマと、 き 自分の身のまわりのことだけだ。 婚実生活に二人の統治者がいては困る。私は決して婦徳をふりまわすのではない。無能と言われ ることは楽なのだ。楽な道を選んでなぜいけない。 人 の 私は、妻の内助の功というものをほとんど信じない。特殊な職業をのそいて、妻は特別に夫を 助けなくてもいいのではないかと思う。ただ、健康でのんきで、こまごましたことを嫌がらなけ ればなおいい。内助の功を意識したとたん、妻は夫の仕事の分野にしやしやり出る。そしてたい

5. 誰のために愛するか

Ⅱこの人と結婚すべきだろうか ノをきくために、三百キロ、雪の道を車を馳って、国境をこえてチェコまででかけたものです」 などと、しゃあしゃあとしたものである。すると奥さんの方も、 「〇〇子さん ( 前出のビアニスト ) のリサイタルのときに二人して。 ( ラの花東もって楽屋へ行くの。 すると、彼女が又、いろんな有名な音楽家に紹介してくれて : : : 」 「いや、もう、あの人は、すばらしい人です」 この夫婦、ともにアメリカ留学組で同じ船にのった。ところが、船がまだ東京湾を出ないうち から、彼が彼女に夢中になり、アメリカでは彼は西海岸、彼女は東海岸と別れたので、その後、 二人のラヴレターが、米大陸の上を飛行機につまれて飛んでいなかった瞬間はないであろうとい ちまた うのが巷の定説になっている。つまりこの美しい奥さんは、ご亭主がどんなに悪アガキしようが、 どうということないと知っているので、一緒になって〇〇子さんのファンになっている。 これがもし、奥さんに心の余裕がなく、そのときは穏かにしていても、家へ帰って、やおらき っといなおり、 「あなた、〇〇子さんのこと、本当ですかー などとやられたら夫の方もチヂミあがるだろう。 「いや、とんでもない、君、あれは冗談。ばかだな。なんてたって一番愛しているのは君だよ」

6. 誰のために愛するか

たり、病気になったりすれば夫婦は相手を捨てることになる。それをうすうす感じている夫婦は、 表面仲よさそうに見えてもどこか暗い。 家の中を滑稽にするためには、まず、夫が精神面でも経済面でも独立することである。しかし 社会的地位があっても、案外いつまでも乳離れしていない男もいる。こういう家は、実に気の毒 私は一家の父というと、いつも、アメリカの西部の開拓者の家族の父を思い浮べる。学問はな くても幌馬車を馳って何カ月も西へ進んだ父。荒野の中に、自分で材木を切り家を建てた父。そ れらの父は身なりも悪かった。学問もなかった。しかし精神的にも物質的にも、家族をかかえて 独立する他はなかった。 貧乏でもいい。家庭は開拓者のように強く稚拙であれよ、 ーしい。家庭は内からカがみなぎってい る場合に明るく、外見だけよくて内部に鬆が入っているときには例外なく暗くなる。 考えねばならぬこと ようするに家庭が暗い家がある。インインメッメッとして、毎日内戦をしている。いや、夫婦 とも争いが趣味的に好きなのではないかと思うような家もある。

7. 誰のために愛するか

グ目的〃は生きがいになる ちゃんとした一軒のマイ・ホームに住んでいる小さな娘が、親戚のみかん畑を持っ地主さんの 家へ遊びに行った。「お庭が広いーなどと一一一口うものではない。娘は決心した。 「今に私も必ず、広い広いお庭を持っ家を買おう」と。 しかし彼女の家にきた別の子は思うかも知れないのだ。 「私も今に必ず、こんなような一軒のおうちを買ってみせる」と。 私は、父母の生活を見るたびに、 「いっか必ず、私が働いて四畳半一間を借りて、母と暮そう」 と思った。父母が離婚しない訳はいろいろあったが、母からみれば経済的に生活ができないか ら別れない、というのが主な理由だったらしいからである。当時、私たち一家の住んでいた家は 2 自分でそこへ歩いていく楽しみ

8. 誰のために愛するか

昭和の初めに建てた古い木造家屋だったけれど、五十数坪の広さがあった。それが四畳半一間に なっても、私はその方が気楽だったのである。第一、私は自分で生活を支えるということをこの 上なく、生きがいのある、誇らしげなことに感じていた。 家の大きさや、庭の広さの問題ではない。人間にとって大切なのは、その目的を持っというこ とである。私のような古い人間は、目的を持たずに生きることは、実は不可能なのである。 けたはずれにお金持ちの家のお嬢さんがあって、そのひとが又、どこかの会社の経営者の御曹 子のところへお嫁に行く話をきかされたことがあった。 親が何もかも用意してくれてしまうのだという。今どきそんなおとぎ話みたいなことがあるの ですかと聞いたのだが、二百坪の土地に四十坪の家をたててくれて、銀器やうるしの食器をそな え、ダイヤの指環やミンクのストールも幾つかあって女中さんと外車をつけてもらって新夫婦は できあがるのだという。 皆、初め羨しがったが、そのうちに次第に憐れみを覚えてきた。 「楽しみがないわね、それじゃ」 と一人が言った。 「そうよ、毎月、食器を揃えていくなんて楽しいですものね。そういうお楽しみがないなんて、 ↓ 88

9. 誰のために愛するか

あって、この頃、世間ではどうしても働きたくてたまらぬ妻というタイプがある。もちろん、こ ういう種族は、 ( 私も多分その一人だろうと思うが ) 良妻になることはあまり望めぬ。 しかも、このような妻たちが働いたところで、それは一家の収人に大きなプラスになるわけで もないのである。ただ、女房が生き生きと働いていて、それに満足しているという状態は夫にと って、気楽だし、もし夫が人生とは何であるか、人間とは何であるか、というような問題に何歳 になっても興味を持つような性格なら、妻の生きがいというものも又、非常に興味ある状態とし て評価されるのである。 家にだけいる妻が時間をもて余している例が意外に多い。彼女らの関心の的が、夫の会社の同 僚の家族の動静や、親戚の間の感情的なやりとり、家の中を整えること、子供の学校等に向けら AJ れるのは当然だが、仕事を持っ女にとってはその興味がもうひと周り拡大して、ある場合には組 る 愛織のもたらす力とか、男の世界であるメカ = ックなものへの興味、あるいは、まったく抽象的な 男美の世界等に向かう。 の 人 ある夫は家にだけいる妻に、百万円の金を与えて、それで自由に株の売買をさせている。百万 円までなら全部すってしまっても、 しいと言うのだ。もちろん、これは大変に恵まれた妻の例であ 3 って、どこの女房もこのような高価なおもちやを、与えてもらえるとは限らない。おもちやどこ

10. 誰のために愛するか

えば、、。 その日も、テラスでご飯を食べていたのは七、八人だったろうか。普段自分の家では、縦のも のを横にもしないそのお客は、まだ四十代の初めの、神戸の人であったが、彼も誘われるままに、 にぎ お皿を持って炉の傍に坐らされ、食事というより、動物の餌場に近い賑やかさに加わった。そし てその騒ぎがひとしきりひいた後で、彼は私に、 「羨しいですね、僕の家にはこういう光景は一度も見られないんですー と囁いた。夫人はきちんとしたことが好きな人だった。お花のお師匠さんとしては有名な人ら しく、始終出歩き、夜もおよばれと称する外出が多かった。子供の友だちにもきちんともてなさ ないと気がすまないので、いきおいそれだけの用意ができないときには、招ぶのを禁じた。 「帰ったら、さっそくうちでもこういう炉を作りましよう」 と彼は言った。 しかし、私はこの人の夫人のことも責められないのだ。夫人はきっと子供を集めてごろごろし ていることに向かない性格なので、それで普通の母にできることをしないだけなのだ。 母のなし得る偉大なこと 162